番外編 ~カイユ~
「お断りします」
私はきっぱりと言った。
セイフォンに行き、皇太子の誕生祝賀会へ出席しろ?
冗談じゃない。
人間の餓鬼のくせに、私の陛下を‘義父上‘などと呼ぶあいつ。
あの甘ったるい顔など、二度と見たくない。
嫌い。
人間など、大嫌い。
陛下が許して下されば、この大陸中の人間を駆除できるのに……。
父様と私はずっと、我慢している。
竜騎士である私達には、その力がある。
でも。
竜騎士ゆえに、竜帝に……<主>に逆らえない。
「バイロイトが行けばいいのでは? あれはそういった事が得意ですし。……私は愛想笑いなどできませんから。そうね……ついでにセイフォンを滅ぼしてこいと仰るなら、喜んで行きますわ」
セイフォン。
母様を殺したあいつの生まれた国。
「バイロイトは動かせねぇ。あそこはあの親父以外、幼竜ばっかだし奴には他に……とにかく、メリルーシェからは出せねぇ! おい、ダルフェ~、てめえからもカイユに言ってくれよ。騎士団の頭であるカイユは俺様の側近だって、各国上層部は認識してるんだ。そのカイユが顔を出せばダルドにも箔がつくっていうか、セイフォンを狙ってる奴等への牽制に……」
陛下は数年間、あの皇太子を手元に置いていた。
だから奴を贔屓している。
皇太子というより、あの古い国自体を。
理由は知らない。
知りたくない。
「陛下。クロムウェル風に言うなら、俺はハニーの<愛の奴隷>ですからねぇ~。ハニーが嫌だって言ってんなら俺も嫌です」
私と同じ騎士服を着た赤い髪の竜族。
赤の大陸から来た<色持ち>の竜……私のつがい。
私はダルフェの子を宿している。
竜の雄にとって妊娠中の妻は、絶対的な存在。
蜜月期とこの期間は、竜騎士の性質よりも雄の本能が勝る。
竜帝の<命令>と妻の私の<お願い>ならば、ダルフェは私の<お願い>を優先してくれる。
「クロムウェルの話はやめてくれ、鳥肌が立つ! カイユ~、頼むから引き受けてくれよ」
執務室の机の上で、小さな青い竜が地団太を踏んだ。
私達とは全く違う竜体。
小さいけれど……とても、とても強い竜。
四竜帝とあの方は、私達とは‘違う‘のだ。
「産休前に一仕事してく……ぎょわあっ!?」
絶妙なバランスで積み上げてあった本と書類の山が崩れ、陛下が埋まった。
「……相変わらず、お馬鹿さんね。竜体で鳥肌が立つわけないでしょう? 鱗なんですから」
竜騎士である私がこうして竜帝に歯向かえるのは、彼が私に‘お願い‘をしてるからだ。
「う、うっせー! お馬鹿な俺様を助けるのがカイユの仕事だろうがっ! よし、これならどうだ? 竜騎士団の予算は誰かさんのせいで、もう残り少ないよな!? カイユがセイフォンから帰ってきたら、追加予算を出す!」
優しいこの子は私に‘命令‘するのを好まない。
小さい時から、私に優しかった。
私だけじゃなく、皆に優しい。
優しいからこそ苦しみ続ける、青の竜帝。
雪よりも白く、氷のように冷たいあの方のようになれたなら。
もっと楽になれるのに。
「予算……わかりました。引き受けますわ、陛下」
私はもう、名前で呼んであげられない。
ランズゲルグ。
その名を口にできるのは、貴方を殺せるあの方だけ。
セイフォンに行くことを父様に報告するため、騎士団本部のある北棟に向かった。
団長である私が留守の間、他の竜騎士を野放しにはできない。
ダルフェなら彼等を押えられるけれど、あれは妊娠中の私からは離れられない。
特に。
パスとオフは、まだ幼い。
幼いからこそ陛下の優しさを……甘さを敏感に感じ取り、好き勝手に行動する恐れがある。
父様にお願いしよう。
父様は幼竜だろうと容赦はしない。
留守を任せるのには適任だ。
ヒンは駄目。
あの子達に甘いから。
予算。
増えたから……父様は喜んでくれるだろうか?
それとも。
私がセイフォンに行くことに、反対するだろうか?
帝都の短かい夏が終わり、城の木々は秋の準備を始めていた。
一ヶ月ほどで紅葉は盛りを迎えるだろう。
そして冬が来る。
帝都の冬は長く、厳しい。
でも。
私は好き。
冬は。
母様が好きだった季節。
ー私、冬が1番好きなの。だって、カイユが産まれた季節だもん。カイユの眼は、晴れた冬の空みたい、私の大好きな色! カイユ、カイユ……私の可愛いお姫様!
竜族にしては珍しいく小柄で、折れそうなほど華奢で。
幼竜である私の方が、背が高かった。
雪の玉を作り、待ち合わせに遅刻した父様に投げつけて。
中に石を仕込むのがポイントなのよ、と言い。
大きな声で、笑った。
無邪気で……まるで、幼い少女のような人。
竜騎士である私や父様と違い、穏やか優しい普通の竜族だった。
私のように刀を振るう事もなく、拳で他者を殴り飛ばす事も出来ない人だった。
だから。
人間などに、狩られてしまった。
珠狩り。
ここ数年、また発生しはじめた。
今度こそ、奴等を仕留めてみせる。
母様を殺したあいつは、つがいである父様の獲物。
この手でずたずたに引き裂きたいけれど。
殺さぬ程度で、我慢しなければ。
「ダルフェ、見て。真夏の花なのに……遅れて咲いたせいか、色が薄いわね」
「あぁ、今の時期に咲くなんて珍しいなぁ~」
木の根元に隠れるように咲く青い花。
私の小指の先ほどしかない、小さな小さな花。
求婚する時。
ダルフェはセランで作った小さな花束を、私に差し出した。
小刻みに震える手で。
あの時は、ばらばらだった体がまだ安定していなくて。
1日の大半は溶液の中にいなくてはならないような、酷い状態だった。
継ぎはぎだらけの。
歩くことさえ困難な、あの身体で。
地面に生えた小さなセランを摘み。
花束を作った。
私のために。
セランを受け取ると同時に泣き出した私に驚いたのは、目の前の雄以上に……私自身だった。
涙。
母様が死んだときに、一生分使い切ったと思っていたから。
これと出会った時。
頭部以外はまともな形をしていなかった。
死体だと思った。
でも、緑の瞳が私を見たから。
燃え立つような、鮮やかな緑色。
その眼を見て。
これは私の‘つがい‘だと。
あの眼を見て、すぐに分かった。
赤の大陸から来た、私の雄竜。
私のつがい。
「ハニー。親父殿に報告したら宿舎に帰って飯食って、昼寝をしような? 子供達のためにも栄養たっぷりとんなきゃ。デザートにハニーの好きなカカエのプリン、作ったんだぁ~」
腹の子の父親。
「昼寝はしない。午後は鍛錬場で過ごすわ。セイフォンの事を考えるとイライラして、しょうがないの。体を動かして気分転換したい……」
ダルフェ。
私のお腹には。
子供達は、この子は……。
駄目。
言えない。
言えない。
口にしたら、きっと……私、泣いてしまうから。
私は強くなきゃ駄目。
強く。
貴方を笑って送り出せるほど、強くならなくては。
貴方の前では、強い私でいなくちゃ駄目。
先に逝く、貴方の為に。
強い妻であり続け、強い母になってみせる。
「そっかぁ、分かったよハニー。今日は全員そろってるし、久々に団長のしごきも刺激的でいいかもなぁ」
ねえ、ダルフェ。
私のお腹にいるはずの娘は、何処に行ってしまったの?
私と貴方の娘は、迷子になっちゃったのかしら?
早く見つけてあげないと。
きっと、どこかで泣いている。
早く、見つけないと。
間に合わなくなってしまう。
私……私はっ!
「けどな、騎士連中を壊すなよ? 前回はやりすぎだった。溶液にぶち込まなきゃなんないとこまで、やっちまったからなぁ。手足をもぐのは禁止、特に頭部損壊は絶対駄目だからな、さすがに死んじまうぜ。了解? アリーリア」
片目を瞑って言う夫に私は言った。
「善処するわ、テオ」
早く、戻ってきて。
母様のお腹に、帰ってきてちょうだい。
ねぇ。
どこにいるの?
私の可愛いお姫様。
もうすぐ、帝都に冬が来る。
私が生まれ。
母様が死んだ、冬がくる。