第68話
カイユさんとダルフェさんが出産の為に、お城を出た翌日。
竜帝さんの執務室で、新しい先生に会った。
竜帝さんが淹れてくれた紅茶を飲む彼女の左手の薬指は、藍色をした貴石の指輪で飾られていた。
藍色の貴石が丸みのある銀のリングにちょこんとのっていて、可愛らしいデザインだった。
桃色の大きな眼が印象的で、ふわふわの栗色の髪に緋色のリボンをつけて……愛らしいお人形のようなこの少女に、とても似合っていた。
彼女は私より10歳は下に見えるけれど、竜族の学習院(義務教育の学校)で教鞭をとる才女なのだ。
(竜族だから実年齢は……彼女の方が年上ですね、きっと)
期間限定で、私の臨時講師をしてくれるそうで……。
私の視線に気づいた彼女は、嬉しそうに言った。
「ふふっ。これ、バイ君が求婚の時にプレゼントしてくれたんです。バイ君の眼と同じ色……私の宝物です」
向かいのソファーに座った私によく見えるように、左手を差し出してくれた。
既婚者である彼女は、私と同じように首元はもちろん手の甲まで隠れる服を着ていたけれど。
クリーム色のロングスカートは、チューリップを思わせるような初めて見るかわいいデザインだった。
まるで童話に出てくる花の妖精さん……某ネズミーランドの世界から抜け出してきたみたい。
でも、やっぱり私より背が高い。
竜帝さんが背で悩むはずだよね……。
「私のためにバイ君が自分で作ってくれたんです、これ」
「わぁ~素敵……シスリアさんに、この指輪はとても似合っていますね!」
本当に、似合っていた。
彼女のほんわかとした雰囲気に、ぴったりで。
お世辞抜きで、とっても良い感じです。
でも、バイ君。
いや、バイロイトさん。
支店長さん、貴方の奥様……未成年なんじゃないの?
コナリちゃんよりは育ってますが。
まさか、バイロイトさんってロッ……!?
私の戸惑いを察してくれた竜帝さんが、散らかった机の上でがさがさと何かを探しながら言った。
「シスリアは成竜になってすぐ、バイロイトのつがいになったんだ。確かに歳が離れてるが、竜族じゃよくあることだ。シスリアは人間で言えば15、16位かな? 息子はシスリア似で、可愛いんだぜ……あったあった。これだ、おいヴェル! これ、一応確認してくれよ」
息子!?
お子様がいるんですか……そ、そっか。
竜族の人達はつがいと結婚したら、まず子供を作るんだもんね。
じゃあ、ハクちゃんもちょっと変わってる人だけど竜族なんだから……早めに子供が欲しいのかな?
ん?
竜族同士だと子供は1人。
私は人間だから……どうなんるんだろうか?
数枚の用紙を手に取り、束ねて差し出した竜帝さんをハクちゃんは無視した。
「……じじい。てめぇ、とうとう耳まで耄碌したのかよ!?」
ハクちゃんは私の隣で長い足を組み、ふんぞり返ったまま……ぴくりとも動かない。
冷たい美貌は前に向けられてるけれど、シスリアさんを見てはいない。
見てない……金の眼には確かに彼女が映ってるけれど。
ただ、それだけ。
ハクちゃんは、見ようとしていない。
見るつもりが無いのだ。
「おい。お前が昨夜手続きしとけって言ったんだろうがっ……ヴェル!」
視線すら、竜帝さんに向けない。
完全無視状態だった。
ハクちゃんは、ご機嫌斜めになってしまったのだ。
新しい先生は、バイロイトさんの奥さんであるシスリアさんだった。
年の差夫婦……まあ、私達もそうだけど。
バイロイトさんとシスリアさんって。
ずばり。
見た目は10代の妻と、40代の夫って感じです。
ハクちゃんは執務室に呼ばれた彼女を見て、言った。
「……嫌な匂いのする女だな」
なんて失礼なことをって、私はぎょっとした。
ハクちゃんに注意しようとした私を、シスリアさんは大慌てで止めた。
「い、いいんです! ご不快になって当然なんです。私の夫が支店で大変失礼な事をしたと聞いてます……申し訳ありませんでした。今度、バイロイトに会ったら私がきつく叱っておきます! 本当に、ごめんなさい」
嫌な匂い。
それは、バイロイトさんの匂いのことだったのだ。
私には匂いなんか全く分からないけれど、ハクちゃんは違った。
支店。
匂い。
キス。
私は何も言えなくなった。
だって。
ハクちゃんは多分、知らないから。
あの時バイロイトさんが私に触ったのは‘匂い‘で察したみたいだった。
キスされたのは、きっと知らない。
どこに触れられか、ハクちゃんは私に訊かなかったし……言えなかった。
ダルフェさんとカイユさんにはハクちゃんがお鍋に入ったまま行方不明(?)中に、彼には絶対に言っちゃ駄目だって念を押された。
ハクちゃん本人に確認したわけじゃないから、はっきりとは言い切れないんだけど……。
「これがりこの教師か。……なるほどな」
温度の感じられない冷たい金の眼で。
シスリアさんを背に庇うように立った竜帝さんに、ハクちゃんはそう言った。
それから徹底して、無視しているのだ。
竜帝さんはため息をつき。
艶やかで気品のある……牡丹のような美しい顔に苦笑を浮かべ、言った。
「まあ。ぶっとばされないだけマシか。ほんと、おちびの前じゃ大人しいっつうか……シスリア、今日はもう下がっていい。……これはメオナにやってくれ。テテの花びらの砂糖漬け、好きだったよな?」
慣れたしぐさでシスリアさんの手をとりソファーから立たせ、金糸でラッピングされた小箱を彼女に渡した。
「はい。ありがとうございます陛下。あの子、大喜びします。……トリィさん、ヴェルヴァイド様。失礼いたします」
「あ、はい!」
竜帝さんは彼女をエスコートして、執務室から彼女と共に執務室から出て行き……。
数分で帰ってきた竜帝さんは、ソファーにどかっと腰を下ろした。
こきこきと首を左右に振り、指の先まで包帯にきっちり包まれた自分の両手を握って麗しいお顔をぐりぐりと押した。
「ん~、眠いなぁ。今夜は早めに寝るかな……おちび、あと2日間は遊んでていいぜ? 当初と状況が変わったから、カリキュラムを組み替える必要があるんだ。詳しい理由はそこの陰険じじいに訊け。午後は他の竜帝達と伝鏡の間で会議だから、早めに飯にすっかなぁ~。ああ、そうだ! しばらくは昼飯を一緒に食おうぜ? 今日の昼は食堂から、おちびの分も持ってくから。先に南棟に戻ってろ」
状況が変わった?
どういうことかな……後でハクちゃんに質問すればいいんですね?
お昼、一緒に食べてくれるんだ……にぎやかで、嬉しいな。
感謝です、女神様!
「はいっ。いろいろありがとう、竜帝さん」
頭を下げた私に、竜帝さんはつぶやくように言った。
「……カイユに頼まれてるし」
はにかむような笑みを浮かべた竜帝さんの青い瞳は、とても澄んでいた。
昨夜。
彼もきっと、いろいろ考えたと思う。
カイユさんのこと、ダルフェさんのこと。
そして、お腹の赤ちゃんこと……。
「おい、くそじじい。夕焼け見るなら、塔の部屋に行けよ。あそこが帝都で一番綺麗に夕焼けが見れるんだって、昔ミルミラが言ってたぜ?」
夕焼け。
昨夜も、お天気を教えてくれた。
竜帝さんはなんだかんだ言っても、ハクちゃんに優しいと思う。
セイフォンでの印象は悪がき風だった。
帝都では、ちょっと……かなり彼に対する考えが変わった。
確かに口調は乱暴なままだけど、彼は<悪がき>なんかじゃ無かった。
とても優しい人だった。
それに。
じじい、じじいって言いつつも。
ハクちゃんのことを、とても慕っているようだし。
あ。
そうだ!
「竜帝さん。昨日、ハクちゃんの贈り物が頭だけになっちゃったみたいで……でも、ハクちゃんなりに頑張ったと思います! 次こそは、まるごと持って帰ってお肉をお腹いっぱい食べれるように……!?」
私は、言葉を止めた。
だって。
竜帝さんの顔がっ女神様の麗しいお顔が!
眼が点。
そう、まさに点になり。
艶やかな唇が……パカーンと、有り得ないほど開いた。
「りゅ、竜帝さん? 私、何か変な事言いました!?」
やだっ、単語を間違えたかも……むむむっ?
さすが、女神様。
ハイレベルな美人さんは凡人とは違って、こんな表情でも美しい。
微かに震える唇が、妙に色っぽく……。
「……ハクちゃん」
昨日のハクちゃんと竜帝さんのキスシーンを、鮮明に思い出してしまった。
お似合いだったな、美男美女(?)で……。
「りこ?」
「……ハクちゃんは、見ちゃ駄目」
隣に座って彫像のように動かないハクちゃんに手を伸ばし、両目を手の平で覆った。
どうやら。
私もハクちゃんに負けないくらい、焼きもち焼きみたいです。