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四竜帝の大陸  作者: 林 ちい
青の大陸編
70/212

第67話

 竜帝さんはハクちゃんに頭を掴まれた状態で現れた。

 見てるこっちが悲鳴をあげるほど乱暴に放り投げられたのに、いつもは機関銃のように捲くし立てる彼が文句のひとつも言わなかった。

 厳しい表情でダルフェさんに何か言い、竜帝さんに気づき起き上がろうとしたカイユさんの動きを視線だけで止めた。

 包帯で包まれた指で、そっとカイユさんの額に触れると……。

 カイユさんの水色の瞳が、ダルフェさんを見ながらゆっくりと閉じ。

 何か言いたそうに唇が動いたけれど、言葉にはならなかった。


 力の抜けたカイユさんの体をダルフェさんが慎重に抱え上げ、部屋から出て行った。

 私も廊下までは、一緒に行った。


 ハクちゃんがそこまでなら良いって、言ってくれたから。

 つまり、それ以上は駄目ってことだ。


 ハクちゃんに術式で送ってもらったほうが……と声をかけた私に、ダルフェさんは苦笑しながら首を振った。


 ダルフェさんとカイユさんを見送った後に竜帝さんが話してくれたこと、教えてくれたことは。

 この世界が‘御伽噺みたいな夢の国‘なんかじゃないことを、私に改めて突きつけた。


 戻ってきたハクちゃんは私にお菓子を食べさせたかったみたいだけど、どうしても食べる気になれなくて蓋付きの保存容器に移して戸棚にしまった。

 しまう前に、竜帝さんに「食べますか?」って聞いたけど。


 彼は「食えない」って言った。


 食べたくないんじゃなくて、「食えない」って……サファイアのような瞳を天井に向けて、そう言った。


 ハクちゃんはあ~んができなくて、ちょっとだけ不満そうだったけれど。

 特に何も言わなかった。

 竜帝さんがカイユさんのことについて話をしてくれている間、私の足元にぺたんと座り。

 ソファーに座った私の膝を枕にして、眼を瞑っていた。

 竜帝さんの話には、全く関心が無いようだった。

 竜帝さんが帰るまで一度も眼を開けず、声を出すことも無かった。

 大人しい大型犬のようなハクちゃんの髪を撫でながら、私は竜帝さんの話を聞いた。


 涙を我慢できたのは、ハクちゃんの髪の優しい感触のおかげだったのかもしれない。


「カイユは出産に適した場所に移る……そういう決まりなんだ。大丈夫、竜族は安産が多いんだ! おい、おちび。ただでさえ地味なんだから、そんなしょぼくれた顔をすんなって!」

 竜帝さんの笑みは乱暴な言葉と反対に穏やかで、柔らかだった。

 見た目は私より若いけど、この人は私なんかよりずっと大人で……優しい人だ。

「俺様も……ずっと、不思議だったんだ。母親を人間に殺されたカイユは人間嫌いなのに、なんだっておちびには……いくら妊娠中で母性が強まるからって、変だった。カイユのおちびへの接し方を見て、俺様はお前がまだ成人前なのかと思ったんだ。餓鬼にしちゃ老けてたけど、そのっ、異界人だからそういうのもありなのかって」


 カイユさんのお母さんは、人間に殺されていた。

 友人だと思っていた人間に裏切られ、惨い殺され方を……。

 だからカイユさんは人間が嫌い、大嫌いなんだと竜帝さんは言った。

 

 カイユさんとダルフェさんについての話しを終えると、竜帝さんは青く長い髪をポケットから取り出した紐で手早く結んだ。

 まとめきれず残った髪が肩に流れ、なんだか色っぽかった。

 向かいのソファーに座った竜帝さんは、私の膝枕で寝てしまったかのように動かなくなったハクちゃんを見ながら言った。


「明日は降水確率ゼロだ」

 





 

 ハクちゃんにお手伝いしてもらいながら、食器を洗った。

 私は踏み台の事を、すっかり忘れていた。

 それどころじゃなかったし。

 今日は、本当に大変な1日だった。

 

 踏み台。

 無くて良かった。


 今の私には踏み台じゃなく、ハクちゃんの大きな手の方が必要なのだから。

 私の身体をしっかりと支えてくれるこの手が、私の心まで支えてくれている。


 ダルフェさんは片付けながら料理を仕上げる人だから、洗い物は茶器とかが数点だけだった。

「……2週間位で帰ってくるって、言ってたね」

 結婚祝いの食事会は、とても楽しかった。

 チャペルで結婚式をしなくても、ホテルで披露宴をしなくても。

 婚姻届けを役所に出さなくても。

 異世界人の私は妻で、竜族のハクちゃんは夫。

 私とハクちゃんは夫婦として、認められてる。

 すごく、嬉しかった。

「出産は竜体でする。産後暫くは身体が不安定なので、人型になれぬのだ。現代は生活様式が人型に合わせてある。竜のままでは日常生活に支障が出るからな」

 カイユさんの竜体。

 きっと、とても綺麗なんだろうな。

「そうなんだ。だからお城から出るんだね……」

 いつもは全部飲んで空になっているカップには、飲みかけのお茶が半分以上残っていた。

 食器を洗いながら、さっき竜帝さんが言っていたことをもう1度、頭の中で考えた。

 赤ちゃんは、本来は双子で……男の子と、女の子だったのだと竜帝さんは言った。

 竜族は一組の夫婦つがいに、子供は一人。

 双子どころか、兄弟姉妹もできない……普通は。

 ダルフェさんがずっと双子だと思っていたのは、彼が珍しい<色持ち>の竜だったから。


 <色持ち>の竜。


 竜帝しか持たないはずの色を持って生まれた、特殊な竜。

 めったに生まれない竜で、この千年ぐらいの間ではダルフェさんだけ。

 髪・瞳が揃った竜帝と違い、どちらかだけ<竜帝の色>を持っている。

 普通の竜より竜帝に近い、とても強くて優秀な竜。

 ハクちゃんやカイユさんに乱暴に扱われても大丈夫なのは、彼が特別な竜で高い再生能力を持っているから。

 普通の竜族は、あんなに早く治らない。

 でも。

 いいことばかりじゃない。

 <色持ち>の竜は、寿命が他の竜族よりずっと短かい。


 半分か……それ以下。


 彼が後何年生きていられるかなんて、誰にも……ハクちゃんにも正確には、分からない。

 数十年という曖昧な単位でしか。


 数十年。


 人間の私には長いけれど。

 長命種である竜族にとっては、とても短い。

 赤ちゃんが成竜になるまでは、絶対に生きられない。

「ねえ、ハクちゃん。私……2人にいっぱい助けてもらってるのに、何もしてあげられない」

 <色持ち>の子供は必ず双子。

 それはずっと昔からの‘決まり‘だった。

 だから。

 ダルフェさんをはじめ、竜帝さんも……竜族皆が絶対に双子だと思っていた。

 固体数の少ない竜族にとって、子供は一族の宝物。

 竜族全体で、双子の誕生を楽しみにしていて。


 皆がカイユさんに期待していた。

 竜族の期待。

 それはとても大きく、重い。


 ダルフェさんは、お裁縫がとっても上手だった。

 カイユさんと結婚して彼女のためにお料理を作るようになり、カイユさんが妊娠して……彼はお裁縫にこりだした。

 子供といつまで一緒にいられるか、分からないから。

 遺せるものを、考え始めた。


 だから、お裁縫が上手。


 小さい時に着るものも、成竜になったお祝いで着る晴れ着も少しずつ仕上げて。

 2人分のお洋服。

 男の子、女の子……2人分の。


 遺していく子供達を想うダルフェさんの姿を、カイユさんはずっと隣で見てきて。

 言えなかったんだと思う。


 愛してるから。

 ダルフェさんを、愛してるから。


 心から想い合った、恋人同士なら。

 愛し合ってる者同士ならなんでも話せるって、以前の私は思ってた。

 けど、ハクちゃんを好きになって分かった。


 愛してるからこそ、口に出来ないこともあるんだって知った。


 ずっと1人で秘密を、悲しみを抱え込んでいたカイユさんは精神の均衡を保つため……この世界に<存在するはずの無い私>を<存在するはずだった娘>にしてしまったんだろうと、竜帝さんは言った。

 さっきのカイユさんの状態は分娩が迫り、いろいろなバランスが崩れために思い込みが前面出てしまったのかもしれないと……。

 出産後も今の‘思い込み‘が続くかどうかは竜帝さんにも分からないって、宝石のような眼を閉じて言った。

 竜帝さんはカイユさんの主だけど、幼馴染でもあるのだから。

 彼も竜帝としてではなくランズゲルグとして思うこと、感じることがあるのかもしれない。 


 カイユさん。

 カイユ。

 綺麗で強くて、優しい……竜の母様。


 もう、1人で苦しまないで。

 ダルフェさんは、貴女がそうして苦しむのが何より辛いはずだもの。


 彼がショックを受けたのは、赤ちゃんが1人だったことじゃない。


 愛しい人が、ずっと1人で苦しんでいたこと。


 愛しい人の心を無意識に傷つけていたこと。


 一番大切な、護りたい人を傷つけてた自分に気づけなかったこと。


「りこ。この続きは明日にしろ」

 ハクちゃんは止まっていた私の手からお皿をとり、流しにそっと置いた。

 結局、なに1つ洗えていなかった。 

「ハクちゃん、私っ……」

 ハクちゃんは私を床に降ろした。

 跪いてゴム手袋をはずし、エプロンもとってくれた。

 リボン結び……結べないけれど、解くのは上手だもんね。

 着る事はできないのに、脱がすことはできるって……今朝、知ったもの。

「あ……ありがとう、ハクちゃん」 

 ハクちゃんは私の両手をひんやりとした大きな手で包み込み、目線を私にしっかりと合わせて言った。

「りこは、言わぬのだな」

「えっ!? な、何を……?」


 他の竜族の人達とは違う、透明感の無い黄金の眼。


 その眼の中に、同じ眼を持つ私がいた。


 ハクちゃんの眼の中に、住めたらいいのに。

 そうしたら、貴方の中で死ねるのに。

 私、きっと……ダルフェさんより早く死んじゃう。

 

「あれが<色持ち>として産まれた時……父親は跪き、我に息子の延命を祈った。母親は自分の寿命を息子と取り替えてくれと願い、我に縋った。りこは我に祈らぬのか? 願わぬのか?」


 ダルフェさんの寿命を、カイユさんと同じにしてって頼むの?

 私がハクちゃんに? 


「……おかしなこというのね、ハクちゃんは」


 私が咳しただけで、焦る貴方に?

 私が食欲が無いって言っただけで、お医者様を呼べって騒ぐ貴方に?

 

 いくら女医さんだからって……。

 支店で……私が体の奥まで診察されるの分かってたのに、貴方は許した。

 自分以外が私の体に触るのを、あんなに嫌がるのに。

 カイユさんだって、ハクちゃんの視線をちゃんと確認して私と接している。

 彼の許容範囲内で、私に触れているのだから。


 今日、ハクちゃんとして……改めて思った、実感した。

 竜族であるハクちゃんの私に……つがいに対する執着心・独占欲は、人間の私の考えてる以上のものだ。


「神様じゃないハクちゃんに、お祈りなんかしないよ」


 そんなハクちゃんも、私の事ではお医者様を必要とする。

 それって……彼は私の病気や怪我を、治すことはできないってことだ。


 ハクちゃんは万能の存在じゃない、ってことだ。


 私のお願いならなんでも叶えたいと言ってくれる優しい貴方に、不可能な事を頼んだりできないよ。


 そんな残酷な事、言えない。

 

「……貴方みたいな怖がりな泣き虫さんが、神様のはずないでしょう? 神様なんかじゃないって、私は知ってる」

 

 腫れてた頬に、優しいキスをしてくれた。

 腫れてた頬を、そっと……いたわるように舐めてくれた。

 貴方なりに、私を癒そうとしてくれた。

 頬の腫れだけじゃなく……怖い思いをして萎縮した心を、慰めてくれた。


 ねえ、ハクちゃん。

 ハクちゃんは、恐れてる…怖がっているよね?


 私が病気になったり、傷つくことを。



 死ぬことを。



 神様じゃない貴方は、私が死んでしまったら……生き返らせることなんて、無理だから。

 

「ハク」


 怖いよ、ハクちゃん。


 自分が、怖い。

 いつか、貴方に言ってしまいそう。


 死にたくない。

 ずっと、貴方と生きたいって。


 そんなことを言ったら、貴方を苦しめてしまうのに。


「私、好きなの。貴方が大好き」


 貴方を愛してるから、口に出来ないこともある。

 知られたくない事も、想いもできてしまった。


「つがいにしてくれて……愛してくれて、ありがとう」


 ねぇ、貴方も。

 貴方も私に言えない事や、知られたくない事ってあるよね?

 それは、私を愛してくれてるからだよね?


「……りこ?」


 私はハクちゃんの手から抜いた両手で、ハクちゃんに抱きついた。

 しっかりと腕を絡め、真珠色の髪に顔を埋めた。

 

 今の。

 私の顔、見せたくない。

 貴方に、見られたくないの。


「あのね、名前……<弟>の名前を教えてもらったの」


 <母様>と<父様>が帰ってきたら。


 ケーキを焼こう。

 竜帝さんに材料とかの相談をして……。

 彼は、ダルフェさんのお菓子作りのお師匠様らしいから。


「……ジリギエっていうんだって」

 

 ふわふわのシフォンケーキを焼こう。

 お母さんが教えてくれた、お母さんの一番得意だったケーキを。


 この世界の<家族>のために。


「ふふっ、楽しみだな~! ハクちゃん、一緒にお祝いのケーキを作ろうよ。ねっ、いいでしょう? 卵をしっかりと泡立てなきゃだから、手伝って欲しいなっ」


 ハクちゃんの髪から顔を離し、金の眼に映る自分の顔を確認しながら言った。


 大丈夫。

 笑えてる。

 私は、笑えてる。

 

 もっと、もっと。

 たくさん笑おう。


 私の笑顔が好きだと言ってくれた、貴方のために。


 私が死んでも。

 私の笑顔が。


 愛しい貴方のその眼の中に、残るように。


 いっぱい、笑おう。


「楽しそうだな、りこ。りこはケーキを作るのが好きなのか? ……そうして笑っていてくれると、我はとても嬉しい。りこ、我は全力で卵を泡立てるぞ! 必ずや期待に応えて見せようではないか」


 私、笑うから。

 いっぱい、笑うから。


「うん! うふふっ……頼りにしてるよ、旦那様」





 

 

 

 





 ねぇ、ハクちゃん。

 約束したよね?


 私が死んだら。












 全部、食べてね。

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