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四竜帝の大陸  作者: 林 ちい
青の大陸編
67/212

第64話

「ほら、<青>よ、【贈り物】だ。受け取れ」

「ん……じじい? うわっ!」

 執務室にある長椅子でまどろんでいた<青>の腹の上に、我は贈り物を置いてやった。

 せっかくの贈り物であるのに、<青>はそれを床に払い落としてしまった。

 <青>の馬鹿が力を加減せずに払い落としたので、せっかくの贈り物は竜の腕力で床に叩きつけられ……半分以上、潰れてしまった。

 目の前で贈り物を潰された我は、少々……いや、かなりがっかりした。

 この我に‘がっかり‘を経験させるとは……歴代<青>でもお前が初めてだぞ、ランズゲルグよ。

 <青>が我からの贈り物を喜べば、りこが褒めてくれると考えていたのに。


「……っ!」


 長椅子から身を起こし、潰れた贈り物を青い目で凝視する<青>には喜びの欠片も感じられなかった。


 おかしいな、我の想像と違うぞ?


「じ、じじい! これ、なんだよ? ってか、これ誰だよ! いったい何を仕出かしやがったんだ、ヴェル!!」

 <青>は元の容姿が分からぬほど潰れた頭部から眼を離さずに、声を荒げた。

「誰だと? ペルドリヌの国王だ。お前が潰したから、顔が分からなくなってしまったのではないか。竜帝ともあろうものが自分の落ち度を棚に上げて我を責め……っ!」

 <青>の後ろにある窓から見えたそれに、我は言葉を失った。

 ペルドリヌから術式で転移してきたので、空模様に全く気づかなかった。


 雨。

 雨が降っておるではないか!


 我は昨夜、りこを先に風呂から出し、竜体でダルフェに天気予報を確認しに行った。


 ー明日っすかぁ……多分、晴れるんじゃないですかぁ? 今夜は見事な星空で、雲1つ無いですし。ま、俺の管轄は基本的に荒事ですから、庶務課に請求しなけりゃ手元に気象関係の資料なんざ回ってきませんしねぇ〜。


 南棟3階にダルフェとカイユは居を移していた。

 竜騎士の宿舎は南棟から離れているために、カイユの強い希望でそうなったらしい。

 荷解きの終わらぬ雑然とした部屋で、床に胡坐をかいて座ったダルフェの手元には小花模様の生地と、裁縫道具があった。

 ダルフェは我の視線に気づき、垂れた眼をさらに下げた。


 −姫さんのですよ。可愛いでしょう、これ? ふっふっふ……男の浪漫ですよねぇ〜。


 りこの新しいエプロンを縫いながら、ダルフェはそう言った。

 はて? 我はエプロンに浪漫など見出せないのだが……。


 −旦那ぁ、今夜は姫さんに手ぇ出さんで下さいよ? 一応、病み上がりだってことをお忘れなく。……俺の貸した本を熟読して、お勉強しといてください。俺が思うに、あんたはあの子に関しちゃ変態の域に達してます。しかもあんたのつがいへの執着は、竜の俺から見てもちょっと異常ですしねぇ。変なことして、姫さんに嫌われたくないでしょう? あんたら2人の痴話喧嘩は周囲にとっちゃ、隕石級の大迷惑なんです。

 

 我が変態?

 それに……変なこととはどういう事だ?

 抽象的に言われても、我にはさっぱり分からんな。

 エプロンの浪漫といい……ダルフェの言うことは時々、我には少々難解なのだ。





「おいっ! 俺様の話を聞け、クソじじい!」

 <青>は立ち上がり、潰れた贈り物を跨いで我に近寄り……りこが女神のようだと賞賛した顔を歪めた。

「……全身、返り血だらけじゃねぇか。こんな、こんなの……らしくねぇよ、ヴェル。ほら、こんなとこまで」

 包帯に包まれた指が我の顔に伸び、右目の下に触れた。

 我はちびな<青>を見下ろし、聞いた。

「何故、喜ばん? ペルドリヌの当代教主の首だぞ? ぶち殺したいと言っておったではないか」

 我の疑問に<青>は答えなかった。

 ただ、唇を噛みしめただけだ。

 <青>は無言で我の右腕を掴み、執務室に隣接する私室に我を連れて行くと浴室に押し込んだ。

 そして、音を立てて浴室の扉を乱暴に閉めた。

 常より大きい足音が、徐々に遠ざかり……どうやら廊下を駆けていったようだ。


 ふと、備え付けの鏡に自分の姿が映っていることに気がつき。

 何故ここに押し込まれたか、理解した。


 我は、非常に汚れていた。

 しかも、臭い。

 我が汚く臭いから、<青>はあのような顔をしたのか?

 

「……なるほどな。<青>は綺麗好きなのだな、きっと」


 だから贈り物を喜ばなかったのか、確かにあれも汚かったな。


 


 ペルドリヌの聖堂で、教主の首をもぎ取った後。


 国ごと消すか、民の頭を一気に刈取るか思案していたら数十人の術士が転移してきた。


 我の気配と教主の異変を察知したのだろう。


 それらに我への敵意は無く……あるのは強い恐怖心のみだった。


 ならば望みのままに、と。


 恐怖を与えてやっただけだ。


 面倒なので、手当たり次第引き裂いて投げ捨てた。


 それはほんの数秒で終わり、白かった聖堂内は赤く染まっていて……汚かった。


 我は、ペルドリヌは消さなかった。


 この聖堂の惨状を、残しておくことにした。


 <監視者>がつがいの為に動いた事は、一部の者はすぐ悟るだろう。


 それらの者達は世界の安寧を維持する為に、各国に働きかけるはずだ。


 我を刺激しないよう……<監視者>のつがいには、必要以上に接触すべきでは無いと。


 りこを……存在を諦めていた我のつがいをこの世界に落としてくれた礼に、暫しの猶予をお前等に与えてやろう。

 

 今後、お前等人間がどう動くかで世界の行く末が決まるのだ。


「……風呂に入るか」


 外は雨。

 りこはまだ、目覚めない。


「ふむ。1人で風呂に入るのは、初めてだな」


 我は風呂が好きになったはずなのに、やる気が全く沸いてこない。

 我のやる気は、何処にいってしまったのだろう?


 やはり、我は。


「りこが側に居てくれないと‘ふにゃふにゃのへろへろ‘だな」


 





「カイユ! おちびを呼んでくれっ……ヴェルが、なんかやばいんだ。つがいであるおちびの協力が……カイユ!!」

 南棟に戻ると、温室から居住区に繋がる扉の前で<青>とカイユが揉めていた。

「お下がり下さい、陛下。私は貴方の竜騎士ですが、竜騎士であるからこそ絶対的強者であるヴェルヴァイド様の命が<竜帝>の命より優先されてしまうのです。……申し訳ございません」

 雌である自分より背の低い<青>に深々と頭を下げたカイユの右手には、剥き身の刀。

 細身の刃は緩やかに湾曲しており、小波のような刃紋が冷たい金属に優美な印象を持たせていた。

 使い手によっては金属さえも切断可能な片刃のそれは、通常の剣より軽量なうえに強度においては他の追随を許さない。

 普通の竜族より強力な力を有する竜騎士達は、剣より刀を好むものが多い。

 一般の剣では竜騎士の力に耐えられんからな。

「<青>よ。何を騒いでいる? とっとと執務室に帰り、我からの贈り物をもっと堪能しろ」

 我は後ろから<青>の頭を右手で掴み、持ち上げてこちらを向かせた。

「うわっ! じじい?!」

 足をばたつかせながら、<青>は言った。

「離せよ! てめぇ、俺に断りもなく竜騎士共を動かしやがったな……って、ヴェル! 頭から足まで全身びちゃびちゃじゃねえか! 足元、水溜りできてんぞ」

 青い眼が床と我を交互に見て、数回瞬きをした。

「まさか……このまんま、湯に入ったんじゃねぇだろうな? 」


「入った」


「なっ!? 風呂に入る時は、服を脱げ! ったく……常識欠落しまくりだよな、じじいは。せめて拭いてこいよ、タオルあっただろうが」

 衣類を脱ぐ?

 汚れてるのは外側だったので、衣類を脱ぐ必要性を感じなかったのだ。

 蜥蜴蝶を使った衣類は表面で全ての汚れを受け止めるので、簡単に洗い流せる。

 戦闘服や軍服の素材として蜥蜴蝶が重宝がられるのは丈夫さだけでなく、そういった利点があるからだ。

 だからこのまま、湯船に入った。

 それのどこが悪いのだろうか?

    

「お帰りなさいませ、ヴェルヴァイド様。……何か拭く物をお持ちいたしますか?」

 朱色の漆が塗られた艶やかな鞘に刀をしまい、カイユが我に問うた。

 その鞘には見覚えがあった。

 <赤>が同じような物を持っていたな。

「いらぬ。カイユ、りこはじき目覚める……ちょうど茶の時間だな? 我のかけらが身体になじめば体調も回復し、食欲も出るはずだ。菓子だけでなく、軽食も用意しろ」

「承知いたしました」

 一礼し、温室を去ろうとしたカイユに<青>を突き出した。

「これも、持って行け。<青>よ、我の許可無くりこに近づくな。次は殺すぞ? 止めてくれたカイユに感謝するがいい」

 もし、りこの眠る居住区へ一歩でも踏み込んでいたのなら、我は<青>を殺していたただろう。

 ランズゲルグは我を殺せぬが、我はこれを躊躇い無く殺せる。

 カイユはこの若い竜帝よりも、我の事を理解しているからこそ<主>を守ることができた。

「お、俺は……」

 そのカイユを見る<青>は、またも唇を噛んでいた。

 癖なのか、それとも……言うべき言葉が見つからないからか。

 薄く紅をさした女のような唇に、うっすら血が滲む。

 ふと、思いつき。

 <青>の血液を、舐めてみた。

 やはり、我の味覚はりこ専用なのだな。

「味を全く感じんな……ん?」

 <青>はもう、唇を噛んではいなかったが。


「どうした、顔が真っ赤だぞ?」


 <青>に問うた我に、カイユが言った。

「……トリィ様の前でそのような行為は、絶対にしないで下さい」

 ああ、そうだったな。 

 むやみに口を使うと、りこは怒るのだ。

 <青>を黙らせるのに、口を使ったらとても怒られた。


 怒った姿も可愛くて、もっと怒られてみたいと感じたのは秘密だな。


「わかった、今後は気をつける。で、お前は何故赤くなったのだ?」

 <青>の顔は赤から青へと一瞬で変化し、我の手を振り解き叫んだ。

「う、うるっせぇー! んなの知るか、このエロじじい!」

 ばたばたと走り去る姿には、竜帝としての威厳は欠片も無かった。

 幼い時もああして、我の周りをぐるぐると走っていたな。

 成竜になっておるのに、落ち着きが無いというか。

「……<青>の成長不良は、脳にまで及んでいたのか?」

 走り去った<主>を苦笑で見送ったカイユの言った言葉は、我には少々難解だった。

「ヴェルヴァイド様の前以外ではきちんと<竜帝>ですから、ご安心ください。ただ……ご両親を早くに亡くされたせいか、陛下は大人の雄に‘弱い‘んです。早くつがいの雌と巡り会っていただかないと……いろいろ心配で」


 弱い?

 いろいろ心配?

 カイユもダルフェも時々、訳の分からん事を言う。


「……お前等夫婦は、よく似ているな」


「貴方様とトリィ様も私から見れば、よく似ていらっしゃいますわ」


 我が分かりたいのは、りこの心。


「……そうか」


 りこの心を分かる我に、なりたい。

 

 



 

 寝室まで歩くと、我の通った跡はくっきりと濡れていて……まるで自分が蝸牛にでもなってしまった様な気がした。

 ドアノブを掴もうとして、赤茶に変わってしまった手袋をしたままだった事に気づいた。

 とても不快だったので剥ぎ取り、居間にある暖炉へ放った。

 りこには、こんなモノを見せたくない。


「りこ」


 寝台で眠るりこを眼にした途端、あたたかなものが我の中に満ちる。

 これがなんなのか、我はそれを表す適切な言葉が分からない。

 りこと居ればそのうちに、必ず分かる時が来るだろう。

 それは予感などという不確かなものではなく……。


「りこ。貴女と離れた数時間は、我にはとても辛かった」


 布など使わずとも、術式を用いれば一瞬で乾くのに。

 我はそれはせず寝台に歩み寄り、りこの寝顔に魅入った。 

 寝台の端で……扉の方に寄って眠る姿は、我の帰りを待ちわびてくれてるかのようだった。

 可愛く、綺麗な我のりこ。

 我は帰ってきた。

 貴女の元に、帰ってきた。


「りこ。我はびしょぬれなのだ。目覚めたら……いつものように、拭いてくれるか?」


 風呂上りの我を柔らかなタオルで包み、りこは優しく丁寧に拭いてくれる。

 それはとても気持ちが良く、心が和むのだ。

 我はタオルなどを使わずとも、乾かすことが可能なのだが……‘ふきふき‘してもらうのが大好きなので、りこには内緒にしている。

 我はりこに<内緒>にしていることが、多くある。

 総てを貴女に曝け出せるような勇気など、我は持っていない。

 穢れなど気にならなかったのに、貴女に会って我は変わった。

 確かに我は変わったのだが……変わらぬ部分の方が、多いのだ。


 どんなに壊しても、多くを殺しても我は何も感じない。

 罪の意識など、我の中には存在しない。

 

 貴女のことを知りたくて、もっと貴女に好かれる我になりたくて。

 貴女の言葉や行動を、我なりに注意深く観察してきた。

 

 セイフォンの連中を心の底では憎んでいるのに、我に報復を願わなかった。

 我が魔女を軽く弾いただけで、真っ青になっていた。

 離宮で初めてダルフェの骨を砕いた時は、悲鳴をあげた。


 りこは我と違い他者を傷つけること、それを目にすることに強い抵抗感があるのだと知った。

 破壊・暴力・殺戮……そういったものに関わらず、穏やかに生きてきたであろう貴女。


 つがいの雌に対する竜族の性質は、人間の……しかも異界人のりこにとっては好ましいとは言えぬだろう。

 まして我は、普通の竜ではない。

 見た目は竜族だが、中身は……我の思った以上に中身も竜族になっていたようだが。

 我がりこの為に何人、いや何千と殺したとしても竜族達は異論を唱えない。

 穏やかな気質を持つ竜族だが、つがいの雌に危害を加えられた場合に相手を許すという選択肢は存在しないのだから。

 四竜帝は人間と竜族の均衡を考慮し、意見してくるやもしれぬが……我の場合は力が強い分、報復の規模が一般の竜族もより大きくなるからな。

 まあ、我は四竜帝のことなどどうでもいいのだ。

 我が気にかけるのは、りこの反応だ。 

 異界人であるりこの目に、心に……我はどう映るのか、どう思われるのか。


 貴女に、嫌われたくない。


 我は愚か者だから。

 好きだと、愛していると言ってもらえても。 

 貴女は世界より、我を選んでくれたのに……不安が消えない。


 こんな愚かな我だから、自分に自信など持てぬ。


「りこ。我は贈り物で、ランズゲルグを喜ばすことは出来なかった」

 呆れるか?


「りこ。我は1人では、うまく風呂に入れなかった」

 軽蔑するか? 


「りこ。我は、たくさん殺してきた」

 嫌悪するか?


「我は……」






「ん……ハクちゃん?」




 ゆっくりと開いた金の眼は、寝起きのためか潤んでいた。

 

「おはよう、りこ」


 その眼の中に、りこの好む微笑を浮かべた<ハク>が居た。

 りこの頬がほわりと染まり、はにかむような笑顔が浮かぶ。

「お、おはよう、ハクちゃん。 ……きゃぁっ! どうしたの?」

 髪から水を滴らせ、葡萄酒色の絨毯に染みを作る我を見たりこはあたふたと寝具をどかし、寝台から出ようと動いた。

「ハクちゃん、びしょびしょじゃない! 風邪ひいちゃう……雨?」 

 雨音で外の様子に気づいたりこは、窓に視線を向けた。

「ハクちゃん、雨に降られちゃったの? そっか、雨になっちゃったんだ……残念だけど、夕焼けはまた今度にしようね。私、タオルを取ってくるから、ちょっと待ってて」


「行くな、りこ」


 我はりこの腕をとり、細い腰を捕まえるとそのまま寝台へと引き戻し、頬に口付けた。

 おはようの接吻だけして、‘ふきふき‘してもらうつもりだったのに。


「ハ……ハクちゃん?」


 触れてしまったら、そんなことは吹き飛んでしまった。

 カイユが着替えさせたのだろう。

 すべるような手触りをした薄い夜着に包まれた身体を、壊さぬように抱きしめた。


「りこ、我のりこ」


 柔らかな身体に手を這わせ、常より早い鼓動を刻む胸に顔を埋め……懇願した。


「我は、貴女が欲しい」

 

 小鳥のような貴女。

 翼を折って、飛べぬようにしてしまおう。

 鳥籠から逃がさぬように、雁字搦めに縛ってしまおう。


「鳥居りこ」


 穢れたこの身体を貴女の綺麗なそれと、交ぜてしまおう。

 交ぜ合わせ、1つにしよう。


 我から、離れられぬように。

 

「共に濡れ、堕ちてくれ」


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