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四竜帝の大陸  作者: 林 ちい
青の大陸編
66/212

第63話

 我が転移した先は、ペルドリヌの王宮にある聖堂内だった。

 セイフォンの離宮と同様に白い石材のみで作られ、円錐型の天井を支える太い柱には過度な装飾が施されている。

 金銀の彫金細工に色とりどりな貴石が無数に埋め込まれ、それが隙間なく柱を覆い下品な光を放っていた。

 中央には祭礼用の純金製の台座が置かれ、絹布の上には赤子の頭程の水晶の珠。

 そして……板ガラスで作られた巨大なステンドグラスが最奥の壁を飾り、陽光に輝きながらペルドリの神を浮かび上がらせている。

「これが我だと? ……有り得んな」

 白い髪に金の眼。

 そして竜の翼を背に生やした異形の魔神。

 しかも……頭部に、やたら長い角が2本ときた。

 阿呆らしい。

 我は牛ではないぞ?

 このような化け物が、いるはずなかろうに。

 人間の想像力とは、我には理解しかねるな。

「蛆よ、お前もそう思わんか?……む?」

 やけに軽いと思ったら。

 我の右手に残っていたのは、蛆の頭部のみだった。

 蛆よ、貴様……死んでるではないか。

 この、根性無しめっ。

 まあ、首から下を失えば普通は死ぬな。

 頭部以外、どこかの空間に千切り取られてしまったのか。


 正直に言うと。


 転移中に細切れになってもそれはそれで可、と考えていた。

 経験者であるダルフェによると、転移中に肉体を損傷するのは通常時より痛みが増すらしい。

 時間の感覚も狂うため、一瞬が永遠にも感じられるのだと……。


 −あんたにゃ想像不可能な、この俺でも発狂しそうなとんでもない苦痛ですよ。


 以前、恨みがましい目をして言っておった。

 つまり。

 我が直に手を下すより、数段上の地獄を蛆は味わったということだ。

 なので、良しとしよう。


 実は……聡いダルフェも流石に気づいておらんので、黙っていたのだが。

 我が転移に他者を同行させる場合、また他者のみを転移させるとしても。

 どんな長距離移動だろうと、無傷で済ませることが我には可能なのだ……多分。

 ようは【やる気】の問題だ。

 基本的に、我は【やる気】が無く生きてきた。

 【やる気】を知ったのは、りこに会ってからだ。

 我がりこに長距離転移の術式を使わないのは、万が一の事を考えると試す気にもなれぬからであって……我は繊細で怖がりな男なので、そのような恐ろしい事は無理だ。

(そして泣き虫なのだと、りこが言っていたな)

 【やる気】があっても全てがうまくいくわけではないことを、りこと出会ってから我は学んだ。

 それまでの我は【やる気】などとは無縁だった。

 そのせいか、どうにもうまく使いこなせてない。


 記念すべき初抱っこではりこを落としてしまい、怪我をさせた。

 念願の初性交においては、りこの肉体強化に失敗した。

 ぱじゃまも我なりに頑張っておるが、まだ1人では着れん。


 どれも我としては【やる気】に満ちておったのに……。

「我は【やる気】初心者だからか? ふむ……あぁ、やっと来たか。反応が遅かったな、探知能力はメリルーシェの皇女以下か」

 空間が揺れ、一人の術士が転移してきた。

 近距離での転移術に‘揺れ‘があるなど、セイフォンのミー・メイの方が術士の才は上だな。

 あれは特に転移に優れていた。

 魔女を伴った転移においても、まったく‘揺れ‘が無かった。 

 我の気配を感知し現れたその男はペルドリヌの国王であり、教主でもある術士。

 りこがこの世界に落とされるまで我が滞在していたメリルーシェの竜宮に、この男は数回訪れていた。

 ペルドリヌに新たな竜宮を建立したので居を移して欲しいと願い出て、第二皇女と揉めておった。

 だから顔は知っていた。

 名は、知らぬ。

 名乗っていたが聞く意志が無かったので、聞き流していた。

 ダルフェ同様、我もペルドリヌに興味がなかった。

 初代教主とは面識があったが。

 面識といっても……あの女とは数回、身体を繋げただけだ。

 顔すら憶えておらぬし、名も知らぬ。

 憶えようとも、知ろうとも思わなかった。

 今回の件がなくば、思い出すことも無かっただろう。

 あの女は優秀な術士だったが、徐々に我が神だとか訳の分からん妄想を言い始めた。

 あまりに煩いので他へ移り、それっきりだったのだが……こんなことになるのなら<処分>しておけば良かったな。

 竜体を持つ我が人間以上に術式にたけ、強い力と永遠に等しい時間を生きるのは竜族でもなく、神であるからだ……などと言い。

 我は特別な存在で、いつの日か世界を粛清するのだとほざいておった。 

 そして我を古の魔神信仰と結びつけた……狂った女だった。

 我と出会う前から狂っていたのか、我に出会った所為で狂ったのか。

 まあ、どっちだろうと関係ないが。

 ペルドリヌが他国より我に関して詳しいのは、あの女が異常なまでに我を<研究>していたからだろう。

 監視者・魔王・悪魔など、どれが最も我の存在を表すのに適したものなのか。

 我はいったい何者なのかと、古い文献を掻き集めていた。

 我に直接問うてきたこともあったが、我だとて自分の事を全て知っているわけではないし、答えてやる気も無いので無視していたが。

 そういえば……我が名乗らずとも女は<ヴェルヴァイド>の名もどこからか調べ上げ、我をその名で呼んでいたな。

 数多くの人間の女と接してきたが、それは非常に希な事だった。

 だから顔は憶えておらぬが、存在は記憶に残ったのやもしれぬ。


 いつのころからか、人間共は<ヴェルヴァイド>は禍々しい存在……魔王や悪魔などに当てはめるようになり、竜体の我……<監視者>とは別物だという考えが広まっていた。

 一部の研究者達は<ヴェルヴァイド>も<監視者>も同一のものだと理解しているようだが、それを声高に叫んだりせず、沈黙している。

 今の状態の方が人間共に都合が良いからだと、我は思うのだが。

 <青>は異を唱えておったな。


 −じじいが怖ぇーからに決まってんだろうが! 知れば知るほど怖くなって、黙っちまうんじゃね?


 我としては、我のどこら辺がそんなに怖いのか分からんのだ。

 長い間、生きてきた我から見ても<人間>が最も残虐な生物だったぞ?

 我を恐れながらも狂女のくだらん妄想を受け継ぎ、国を興すとは。

 人間とは、まったくもって不可解な生き物だ。

「おお! <監視者>様! 御降臨なさって下さったのですな」

 声は歓喜に満ちていた。

 その男は跪き、言った。

「至高の神よ……お待ち申し上げておりました」

 そう言って上げた喜色満面な顔は、次の瞬間には真っ青に変わった。

 我が右手の蛆、いや、もう蛆ですらない物体を家畜のような見てくれの中年男……教主に転がしたからだ。

 蛆の親は蝿ではなく、豚だった。

 まあ、蛆はすでに蛆ですらない状態なので豚でもかまわんがな。

 ごろりごろりと白い床を汚しながら、転がった物体。

「返す」

 教主は蛆のなれの果てを凝視し、言った。

「こ、これが何か粗相をいたしたので? 末端の術士ゆえ、貴方様への信仰心が足りずご無礼を……?!」

 信仰心?

 そやつの脳にそのようなものは、欠片も存在してなかった。

 あったのは欲望だけだ。

 手柄を立て金と地位を得たいという、ごくありふれた欲望だ。

「それは我の妻を侮辱し、手を上げた。つまりお前等ペルドリヌの民は神と崇める我に、唾を吐きかけたわけだ」

 我の言葉に教主……剃りあげた頭に趣味の悪い金細工の冠をのせ、宝石をちりばめた純白の法衣に身を包んだ豚は、震えながら答えた。

 歯が鳴る音が、耳障りだった。


 カチカチ、カチカチ。


 まるで、狂った時計のような音だ。

「ち、違います! 決してそのような意図はっ……異界の姫君を娶られたときき、祝いの品をお送りしたく姫君の好みなどを少しでも把握できればとっ」

 喋りながらもカチカチと歯を鳴らす。

 さすが二足歩行が出来る豚だ、器用なものだ。

「……我の妻に婚儀の祝いを?」

 我の反応に冠を飾った豚は、急に生き生きと語りだした。

「竜族などという原始的な生き物の住処では、奥方様もさぞご苦労されているのではございませんか?……大蜥蜴共になど貴方様の大切な奥方様のお世話を、お任せなされますな。そのお役目、ぜひ我らペルドリヌに賜りますよう。我らは異界の姫を<女神>としてここへお迎えいたしたく……」

 術士こそが選ばれた存在だという選民思想は、あの女には無かった。

 80年に満たぬ短い期間で次々と教主が変わり、自分達の利益になる教義を増やしたのか。

「このぺルドリヌは歴史も浅く、国土も広いとは言えませんが術士を他国に貸し出すことで莫大な富を得ており、奥方様には王侯貴族以上の贅をご用意することが出来ます。選ばれし民の国こそ、貴方様に相応しいのです! わが国には、世界を統べる<監視者>様の手足となる優秀な術士が揃っております。我らと貴方様で無能なる旧人類を排除し、人の皮を被るおぞましい大蜥蜴共を一掃し、新たな世界を……ひぃっ!」

 我は腕を伸ばし、教主の法衣で右手を拭った。

 豚の話には興味が無かった。

 我は蛆虫の時と同じく、豚と会話を楽しむ趣味は無いのだ。

 豚の陳腐な野望より、白かった手袋の汚れの方が気になっていた。

 脳やらなにやらで酷く汚れていたので、近くにあった布……教主の白い法衣を使った。


 汚いのは、嫌だ。

 我は綺麗でいたい。

 りこが洗ってくれているこの身体を、汚したくない。


「……落ちんな」


 蛆の肉は染みとなり、白かったそれは赤茶に変色してしまった。

 内側に滲みてこなかったのが、せめてもの救いだな。


「汚れは、落ちんのだな」


 いくら拭いても我の手は、けっして……本当の意味では綺麗になれはしないと分かっていても。

 りこの前では、綺麗でいたい。


「か、か、かんっし……さ、ま?!」


 りこに触れるこの手は、貴女が好きだと言ってくれた冷たいこの手は。

 どんな高価な石鹸で洗ったとしても。


「豚よ、礼を言う」


 毎晩風呂で、りこが一本一本丁寧に洗ってくれても。


「お前等のおかげで、我は思い知った」


 柔らかであたたかな貴女の手で、指で……我の全身を優しく、優しく擦ってくれても。

 我の‘穢れ‘は落ちはしないのだ。


「我は<ヴェルヴァイド>なのだ」


 冷酷なる魔王。

 白金の悪魔。

 氷の帝王。


 世界の【闇】は、我の中。


 りこ、りこよ。

 どんな我でも、側に置いてくれるのだろう?

 どんな我でも、愛してくれるのだろう?


「教主よ。特別に我の妻が好きなものを、教えてやろう」


 異世界から落ちてきた、我の宝物。

 小さな花のような貴女。

 我は貴女の虜。

 もっと……もっと、我を貴女に縛り付けて。


「おぉ、なんと光栄なっ! どのような宝飾品がお好みでしょうか? すぐに取り寄せ……」


「鱗だ」

「……は?」


 我の手を、離さないで。

 この手は、汚れているけれど。

 そして、これからも汚れ続けるけれど。

 

「我の可愛いあの人は、鱗が好きなのだ」


 我は、貴女を離さない。


「う、うろ……うろこ?」

 我の言葉が理解出来ぬのか、弛んだ口角をひくひくさせて呟いた。

 頭部だけとなった蛆のものと良く似た色の目玉を、忙しなく動かしてから我を見上げた。

「う、うろことは、希少な宝石の一種ですか? そ、それとも……ああ、珍しい果実ですかな?」

 教主の言葉は、我を少々驚かせてくれた。

 鱗も分からんのか、この男。

 このような低脳が教主である宗教の神が、この我なのか!

 最悪だな。

「鱗は、鱗だ。貴様は脳まで豚並みか、見た目通りだな。りこの世話は今後も、竜族に一任する。……りこが竜族を気に入ってる限りな」

「う、うろ……鱗?」


 愚かな人間共。

 何故、分からない?

 何故、気づかない?


「……りこがこの世界で憎んでいるのは、お前等人間だ。【世界】を奪ったお前等を、りこは永遠に許さぬだろう」

 りこの意に反し、この世界に落とされてしまったからこそ、我はりこを手に入れることが出来た。

 セイフォンの愚か者共には、その点は我とて感謝している。

 が、そのせいでりこの心の底には消せぬ【闇】が漂い続ける。

 その【闇】は永久に貴女を苦しめ、泣かせるだろう。

 だが。 

 貴女の中にある【闇】も、我にとっては狂おしいほど……愛しい。


 あの時、我には聞こえていたのだ。

 貴女はこの世界を見捨て、我を選んでくれた。


 そう。

 真の魔王はりこ、貴女だ。

 世界を滅ぼすのは、貴女。

 <ヴェルヴァイド>は貴女の心に潜む【闇】。


 ヴェルヴァイドは、貴女。



「り……り、り、りこ?」



 豚の口からこぼれ落ちた、それに。

 脳が指令を下すより早く、手が動き。

 

 豚の頭をもぎ取り。


 返り血を弾く術式を使うことすら忘れたまま、豚の胴を踏み潰した。



「その名は……<りこ>は夫である我だけのものだっ!!」




 数分後、脳が正常に動き始め。


 楽な死を与えてしまった事に気づき、後悔したが。

 挽き肉となったそれを元に戻すことは、神ではない我には不可能だった。

 

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