第62話
猟犬共を市街に向かわせ、我は北棟の地下室へと転移した。
「……これか」
北棟の地下室に転がる術士は<基点>に短剣を深々と刺され、床に縫い付けられていた。
簡素な木製の柄のそれは、術士の肉だけでなく石の床までも貫いている。
世情に疎い我ですら、一目で量販品だと分かる粗悪な短剣。
混じり物だらけの鋼で作られた柔な刃で、こんなまねが出来る器用な竜騎士は……<基点>を見出し、処理したのはダルフェだな。
極めて単純な作業だが、此処まで正確無比に<基点>を貫くことは熟練の技がいる。
りこを喜ばせる料理から<基点>の処理までこなすとは……ああ、奴は裁縫も得意のようだったな。
つまり。
器用……刃物の扱いに長けているという事か。
<赤>と。
ブランジェーヌと同様に。
「……醜いな」
自らの血液と吐瀉物にまみれ、異臭を放つ物体。
人間。
人間?
この醜い物体が、我のりこと同じ種だと?
有り得んな。
却下だ。
これは蛆虫に決定だ。
黄の大陸に生息する大型の蝿の子と、同じような胴回りをしておるしな。
「起きろ蛆虫」
我は<基点>の短剣と投与された薬剤を体内から術式で抜き、床に捨てた。
同時に、絶叫が響き渡る。
「ぎぎぃ……ぐぎゃあああああぁぁ!!」
蛆虫が石の床を激しく転げ回る。
その様はまさに、腐肉から転げ出た蛆虫そのものだった。
術式でわざと‘適当‘に薬剤を転移させたので、他のものも付随していたのだろう。
小さじ1杯程度であるはずの薬剤だが、床に広がったそれらは面積だけでなく体積もあった。
耳障りな奇声を発し、のた打ち回る蛆虫は未だ我の存在に気づかない。
転げ回り、我の足元に自ら移動してきた。
我は左足で蛆虫を踏みつけ、固定した。
力をこめたつもりは全く無かったが、肋骨他を粉砕したようだった。
その感触は、何故か。
りこが可愛らしい前歯で焼き菓子を噛む時の、さくりとした音を思い出させた。
りこが食物を摂取する光景を思うと、恍惚感すら沸いてくる。
ああ、我も焼き菓子やカチの実のように。
柔らかな唇で銜えられ、あの小さな歯に再び指を食まれた……。
「う、うひぃっ! か、か、かんしっ!?」
意識を取り戻した術士が靴底で騒ぎたて、支店での‘がじがじ‘を思い出していた我の思考を中断させた。
「うるさいぞ、黙れ蛆虫」
我の一言で蛆虫は静かになり、今度は震えだした。
奇声を発しつつ転げ回り、騒ぎ立て、震えるとは。
「……随分と元気だな」
不公平ではないか?
貴様のせいで、りこは体調を崩したのだぞ?
薬剤と共に臓腑の一部を千切り取っても、このように動けるとは……予想外に丈夫な蛆だ。
ふむ。
極僅かだが、武人の能力も兼ね備えておる。
これは、不公平決定だな。
こやつは異界人であるりこよりも、はるかに頑丈な肉体に恵まれているわけだ。
蛆虫の分際で。
我のりこが昼食で口に出来たのは、プリンだけだっだのだぞ?
食事することを、楽しんでくれていたのに……異界人のりこは普通の人間共より身体が弱く、体力が無い。
だからこそ多くの食物を摂取し丈夫になって欲しいと、食には細心の注意を払うようダルフェに命じていたのに……邪魔しおって!
「貴様は凄いな、蛆虫よ。……この我を、ここまで不快にさせるとは。褒めてやろう」
我は微笑んだ。
人間共が望んだように。
それらにふさわしいであろう種類の笑みを作り、顔にのせる。
悪魔や魔王などという、居もしない<役>を我に与えた人間共よ。
その望み、叶えてやろうではないか。
「蛆虫よ、我が思考を読み取れることは知っておるな?」
充血し、濁った目玉が我を見上げ。
前歯を折られた口が、黄色い泡を作り出す。
「触れずに必要な情報を読み取るのは、今の我にとっては造作ないことだが」
昔過ぎて、いつだとはっきり憶えていないが。
ふと、人間という生物の思考回路に興味を持った。
「自分がそのような事が出来ると気づいておらぬ我は、とりあえずこうしてみたのだ」
蛆虫が再び絶叫したが、我はかまわず指をさらに奥まで進めた。
「このように、直接触ってな」
記憶を探り、抉り、掻き回す。
「皮膚を使って読み取ったのだ。何故方法を変えたか? 手が汚れてしまうからだ」
訊かれもせぬのに、喋ってしまう。
我の右手を頭部から生やした蛆虫には、質問することなど不可能なのに……。
そのまま腕を掲げ、眼の高さまで持ち上げる。
指先で脳を弄り、閉じた眼を強引に開けさせた。
汚水の塊のような目玉に、我の顔をしっかりと映させるために。
痛覚・聴覚そして視覚を保つ必要がある。
恐怖をより強く感じさせるには、感覚を鈍らせてはならないのだ。
「我を見よ。恐れ恐怖し、生まれてきたことを後悔し絶望に沈め。安心しろ、貴様はまだ死なん。我がうまく‘中身‘を調整しているので、舌を噛み切ろうと死ねんぞ? ゆっくりと……地獄を楽しむが良い」
何か言いたげに、蛆虫の口角が動いたが。
蛆と会話を楽しむ趣味は、我には無いので無視した。
それに。
喋りたいから喋ってるだけであって、返事は無用だ。
我が常より饒舌なのは。
こうして少しでも感情を吐き出さねば【気】が暴走し、帝都を潰しそうだからか?
もはや、自分でも分析できぬな。
脳髄が煮えたぎり、最近自覚した‘心‘が咆哮を上げ……思考力が鈍る。
まずいな。
我はまだ、この世界を壊すわけにはいかんのだ。
りこと夕焼けを見に行く約束をしたのだ。
失くすわけには、いかない。
でぇとが出来なくなってしまうからな。
「……我の大切な妻を」
蛆からは、脳を触らずとも既に記憶を読み取っていた。
こやつがりこに何を言い、何をしたのか。
我のりこに。
「雌蜥蜴と罵り、手を上げたな? りこのような愛らしい生き物の頬を躊躇い無く打つなど、貴様はこの上なく冷酷な鬼畜だ。……我など、貴様の足元にも及ばぬな」
蛆の記憶の中で、りこは。
頬を打たれたことをすぐには理解できぬ様子で……金の眼を見開いて、呆然としていた。
暴力など知らず、親にさえ手を上げられたことなど無く育ってきたのだろう。
慣れぬ暴力に恐怖し、動けなくなり……。
「さらに稚拙な転移術で、りこの身体を痛めつけるとは……」
この我でさえ……りこを伴う術式での移動においては、徹底した安全管理を心がけているのだぞ!
尽きず湧き出る怒りのために、蛆を殺しそうになるが……耐えた。
まだ、早い。
「まったく……憤死しそうだな。死ねん身体で良かった、りこを未亡人にしなくて済む」
蛆の記憶から、りこに関する全てを奪った。
簡単なことだ。
脳の一部を溶かせば良いだけだ、術式を使うまでも無い。
蛆の脳内に我のりこの姿を置いておくことなど、断じて許せぬからな。
蛆は蝿の子。
子の不始末は親の責でもあると、人間はよく言っておることだし。
ペルドリヌ。
異端の神を崇める、狂信者達の国。
蛆の罪は、蝿の罪。
蝿を放置すれば、蛆虫は増えるばかりだ。
「セイフォンより遠いが、転移すれば一瞬だ。……この距離で術式移動をすると、到着時にはこやつの手足は一本も残っていないであろうな」
本来、蛆とは手足の無いものだ。
それが自然な姿なのだから。
手足など、蛆虫にはいらぬ。
「……手袋は正解だったな。汚らわしい蛆の肉に、直に触らず済んだ」
さて。
まずは、猟犬共の様子を見に行くとしよう。
与えられた仕事がこなせぬような駄犬なら。
「全員<処分>だな」
「なんでそれの頭に、手をぶっこんでるんすか?」
答える必要性を感じなかったので無視し、西街を見下ろした。
市街に来たのは何年、何十年前だろうか?
ん? まだ<青>が赤子だっだような……つまり百年以上前か。
ダルフェの視線が我の右手に向けられ、不快感丸出しの体で言った。
「旦那。そんなもん引きずって転移してきて、しかも手を頭に突っ込んだままなんて。……んなのさっさとばらして、どっかに捨てちまえばいいのに」
帝都は中央にある湖の小島に竜帝の城が建ち、城から4本の橋が街へと繋がっている。
市街は東西南北に分けられ、それぞれの街が特色と役目を持っていた。
我とダルフェが立っているのは西街中央にそびえる、この街で最も高い塔……時計台の上だ。
このように高くしては人間には目視できないが、これは帝都上空を行きかう竜の為のモノなので問題は無い。
「これは持ち主に返す。……礼と共にな」
「礼っすか?……旦那のお礼参りを受ける奴等に、さすがに同情しちまいますねぇ。俺だったら旦那が来襲する前に、さっさと自分で死んでます」
眼下に広がる西街は、商いの街だ。
数箇所に市場が常設され、大小数え切れぬ程の商店が並ぶ。
竜族だけでなく人間の出入りも激しい。
単なる買い物客や観光を楽しむ者、取引に来た商人。
それらを収容するための簡易な宿泊施設も多い。
帝都で最も賑わい、雑多な街。
「で、成果は? 返答次第では貴様ら全員の首を落とし、西街を焼き払うぞ」
ダルフェは緑の眼を細め、額を押さえた。
「ったく、勘弁してくださいよぉ。荒れまくってんのは分かりますがねぇ〜。……ま、狩りは滞りなく進行してます。半時もありゃ、現在帝都にいる連中は一匹も残りません。今のところ術士11人、武人8人処理済みです。死骸はまとめてトラン火山にでも、捨ててきますよ」
今日の狩りは恙無く進行し、そして今後も続行される。
我がりこを連れ、大陸を移るまで。
「隠れていた獣まで、うまく見つけたようだな。が、手際が良すぎるな……短時間で事が運びすぎる。<青>の契約術士を使ったのか?」
<青>が個人契約を結んでいる術士は、我から見てもなかなかの逸材だった。
大陸上位の術士であり、セイフォンの魔女以上に優れた武人の才を併せ持っていた。
<青>は良い買い物をしたな、あれは掘り出し物だ。
「いえ、奴は関わってませんよ。……ハニーが先手打ってました」
カイユ?
帝都に到着してから、あれは城から一歩も出ていないはずだが……。
カイユはりこに必要なので、常に城に居るように命じてあった。
気配も常に城内にあったぞ?
「どういうことだ、ダルフェ」
我の問いに、ダルフェは苦笑した。
「さすが【団長】ですよ。陛下が姫さんの後見人の件を諸国に告知すると同時に、帝都に間者共が押しかけるだろうって、親父殿を市街に配置してたんです。……やっぱ、母親は強いですねぇ〜。陛下も俺も……旦那すら出し抜いて行動を起こしてたってわけです」
なるほどな。
りこに対し誓約をするだけのことはある。
カイユが何故、異界人のりこにそこまでするのか、我にも分からぬが……。
「カイユは自分の父親を使ったのか」
「ええ。親父殿が間者共の居場所から何から全て把握済みで、あの人の指示通りにパス達は狩りを行ってます。あの親父殿が出てきたんなら俺の出る幕なんぞ、ありませんよ。……なんたって前団長ですからねぇ」
我はカイユの父親と面識は無いが、ダルフェがそこまで言う相手なら大丈夫だろう。
ダルフェは<赤>に似て、個体の能力を的確に判断できる。
近年、益々似てきたな。
血が繋がっているからか?
まあ、そんな事はどうでもいいことだ。
猟犬共の狩りは、問題無いようだ。
ならば……我は、ペルドリヌに行くとしよう。
この蛆を伴ってな。
「ダルフェよ、お前は知っているか? ペルドリヌが崇める異端の神を」
額に掛かった赤い髪を鬱陶しげにかき上げ、吐き捨てるようにダルフェは言った。
「あ? 興味無かったんで、あの国のことはほとんど知りませんよ。どうせ、ろくでもないモノを神だとか言ってんでしょう? 異端の神? って……まさかっ?!」
見開かれた緑の瞳に映るのは、我。
<監視者>でありながら、時代や地域によっては魔王や悪魔とされてきた人型の我。
「異端の神……ペルドリヌは魔神信仰の教団が興した国だ」
奴等の崇める魔神とは。
「自ら崇める神に、滅ぼされるならば」
我が神?
あまりに馬鹿馬鹿しくて、放っておいたのだが。
「奴等も本望なのではないか?」
神になど、なりたいとは思わない。
「我は、神などではない。……<ハク>だ」
なりたいものは、ただ1つ。