第60話
ダルフェさんに連れられて、昼食後に現れた3人には見覚えがあった。
泥棒のおじさんを追いかけて消えた少年達と。
今朝、ハクちゃんとお話してた女性……ヒンデリンさんだ。
高い位置で結われた群青色の長い髪、雪が降る前の空のような灰色の眼。
「旦那、姫さん。こいつ等は……おいっ、ヒンデリン!」
彼女はダルフェさんが何か言おうとしてるのを遮るように、進み出て。
「私の名はヒンデリン。青の竜騎士です。今回、私の愚かさが貴女を危険にさらす結果を招きました。この剣で、私をお好きになさって下さい。……ヴェルヴァイド様。幼い2人の分も、私が罰を受けます。この幼竜達は、お許し下さいますよう……」
腰から剣を抜き、銀色に反射するそれをテーブルに置いて。
ヒンデリンさんは、深々と頭を下げた。
見慣れぬ大きな刃物と言われた内容に、ぎょっとした私の様子に気づいたカイユさんが。
「ヒンデリン……トリィ様は、剣など触ったことのない方よ? こんな物騒なもの、置かないで。トリィ様が怪我でもしたらどうするの。ここに居る全員の首が飛ぶだけじゃ、済まないわよ?」
カイユさんはテーブルから細身の剣を取り、それヒンデリンさんに投げ返した。
剣は縦にゆっくり1回転し、ヒンデリンさんは慣れた仕草で柄を掴み。
「……配慮が足りず、済まない」
カチンッと、腰の鞘にしまった。
か……かっこいいです、ヒンデリンさん!
お侍さん(ちょっと違うかな?)みたいです。
「へ〜! カイユさん、マジで奥方様の侍女やってんだ。かなり意外なんだけど。あ、僕はパスハリスだよ。パスって呼んでいいよ。で、これはオフラン。オフは僕の舎弟だよ、ぱしりに使っていいからね」
ヒンデリンさんの後ろから、ひょこんと顔を出したのは。
癖の強い金茶の髪を無造作に編んだ、中学生位の男の子。
いたずら好きな子猫みたいなアーモンド形の瞳は、薄いブルー。
子供らしい丸みが残った輪郭は、支店のミチ君達と同世代のように見えたけれど。
身長は……なんと、竜帝さんと同じくらいある。
だからミチ君達よりも、年齢がいくつか上だと……それにしても、この子は背が高い。
ハクちゃんにちびと言われた竜帝さんだけど、日本人から見たら長身で……180センチはあったと思う。
パスハリス君は顔付きはすごく幼いのに、背だけがひょろりと高くて……。
パスハリス君の言葉に、隣に立っていたもう1人が反論した。
「誰が舎弟だ! 黙れ低脳竜。 奥方様、先ほどはこの馬鹿共々失礼致しました。俺はオフランと言います。以後、お見知りおきくださいませ」
パスハリス君より頭1つ分背の低い彼は、子供らしからぬ優雅な動作で挨拶してくれた。
柔らかそうな淡い茶の髪がふわりと揺れ、大きな翡翠色の瞳が私の膝に視線を……。
「……」
彼は何も言わなかった。
どうやら「見なかったことにしよう」と考えたらしく、不自然に眼を逸らしたのを私は見逃さなかった。
うう、ハクちゃんったら子供にまで気を使わせて〜!
ごめんね、オフラン君。
昼食に使ったテーブルは長方形で、かなり大きい。
納戸にある椅子を足せば、全員座れるのに。
ダルフェさんがすぐに帰るから、必要無いって言って。
座ってるのは、私だけ……かなり居心地が悪い。
座った私の右隣にはカイユさんが立ち、その表情はいつもより少し険しい。
ダルフェさんはテーブルの向こうに、3人と共に並んでいた。
お揃いの青い騎士服を着ているせいか、4人並ぶと迫力ありますね。
皆さん、長身ですし……幼竜の2人だって大きくて。
私って竜族の人達から見たら、子供以下のおちび……だからハクちゃんだけじゃなく、カイユさん達も私に過保護気味なのかな〜。
それにしても、ハクちゃんや竜帝さんもそうだったけど。
竜族の人達って髪と眼のカラーが、1人1人全く違う。
クリスマスカラーのダルフェさんに初めて会った時も、かなり驚いたっけ。
セイフォンの人達は、普通の西洋人と変わらなくて。
異世界も人類は地球と大差ないんだって、思ってたから。
今までの常識で有り得ないダルフェさんの色の組み合わせに、ここは異世界なんだって改めて思って……。
このヒンデリンさんの群青の色も、すごく綺麗。
ついつい視線が……。
そんな私に気づいたヒンデリンさんは、髪色に見蕩れてるとは考えなかったらしく。
眼が合うと、ちょっと不思議そうに灰色の眼で私を見返して。
微かに首を傾げた。
その仕種がちょっと意外で……可愛くて。
彼女の印象は、私が今朝感じたものとずいぶん変わった。
さっき。
剣を鞘にしまってから、ヒンデリンさんは私の側に来て。
「緊張して、忘れてました。どうぞ」
微かに微笑みながらくれたのは、淡い黄色の小花が可愛らしいピンクのリボンでまとめられた花束だった。
そういえば、ずっと左手に下げてましたね。
内心、気になってました。
だって、初めて見る種類のお花だったから。
無数の金平糖で出来たみたいなそれは、すご〜っく可愛くて。
窓から差し込む日光にきらきら反射して、とっても不思議で。
もしかして私にくれるのかな〜って、期待してました。
こんなずうずうしい女で、すみません。
お礼を言って受け取ると。
柑橘系の良い香りがした。
憶えのある香り……。
あっ、ダルド殿下のマントだ。
彼への……セシーさんとミー・メイちゃんへの手紙、まだ書き終わってなかったっけ。
今夜、続きを書こう。
「姫さん、こいつ等は俺と同じ竜騎士だ。城の警備も俺等の仕事なのに、捕まえてた侵入者を不手際で逃がしちまった。姫さんを怖い目に合わせて……すまなかった。で、まあ。早い話が、姫さんから旦那に、ちょこっとお願いしてくんないかなぁ〜」
ダルフェさんは私の膝で丸くなったまま、微動だにしないハクちゃんを緑色の眼で……チラリと見て言った。
そして……端正な顔に似合わない、引きつった笑みを浮かべた。
どうしたんだろう?
もしかして、ハクちゃんと念話で話したのかな?
「私がハクちゃんに、お願い……あっ、分かりました!」
なるほど、そうだよね。
ハクちゃんは、私の夫だもの。
「ハクちゃん! ハクちゃんからもお礼言って、お礼! 私、この子達のおかげで攫われなかったの。この子達が泥棒のおじさんを追い払ってくれたから……ね、ハクちゃんも皆さんに、ご挨拶して下さい」
「へっ? 姫さっ……ま、いいかぁ」
私は膝の上で円くなっていたハクちゃんを、ひょいっとテーブルの上に移動させた。
ハクちゃんは昼食が終わってからずっと私の膝で丸くなって、眼を閉じ静かで。
寝てはいないはずなんだけど……疲れちゃったのかな?
目玉が真っ白になったくらいだし、ここへ戻って来た時もなんか様子が変だった。
ダルフェさんがヒンデリンさん達を連れて来ても、体勢を変えず。
一瞬薄目を開けてちらりと見ただけで、完全に無視していた。
私の膝で丸くなって、動かない。
疲れてるにしろ、あんまりなその態度。
でも。
失礼極まりないその態度を、諌める人は誰もいなくて。
全く普通に会話が進められていき……。
私は内心はらはらしていたので、これはチャンスと……。
「パスハリス君とオフラン君、さっきはありがとう! ヒンデリンさん、お花をありがとうございました。とっても嬉しいです! えっと、私はとりい・りこです。トリィって呼んで下さい。ご、ご存知かと思いますが、このハクちゃ、ハクのつがいです。先日からここで、お世話になっています。夫共々、ご迷惑をかけることも多いかと思いますが。あ、もうかけちゃってるんですがっ……よ、よろしくお願いしますっ!」
立ち上がって、頭を下げて挨拶した。
かなり緊張してしまう。
帝都に来て早々に、竜帝さんを病院送りにしちゃったし。
薬草園周辺も、めちゃくちゃにして。
私とハクちゃんはお城の人達に、迷惑掛けてる……ものすごく。
それに。
一ヶ月以上この世界に居るけれど。
ハクちゃんの妻として誰かに挨拶するのは、初めてでして。
ううっ、結婚後に旦那様の友人や上司に挨拶するのって、こんな気分なのかな?
語彙が少ない私には、この程度のレベルの挨拶しか……だ、大丈夫だったかな。
恐る恐る顔を上げた私が見たのは。
生真面目な表情のままのヒンデリンさんと。
ポカーンと口を開けた少年2人と。
額を押さえるダルフェさんだった。
え、やだっ!
私、失敗しちゃったってこと?
うろたえる私に、カイユさんは水色の眼を細め。
頭を下げたときにずれてしまった、髪に挿した白い八重咲きの花に手を伸ばし。
丁寧に直してくれながら、言った。
「トリィ様がヴェルヴァイド様の‘つがい名‘を口にされたので、少々驚いただけですわ。貴女様は人間で……異界人ですから。人前でヴェルヴァイド様を‘つがい名‘でお呼びになっても、全く問題ございません。ヴェルヴァイド様だって、トリィ様を‘つがい名‘でお呼びになってるんですし……ねぇ、役立たずもそう思うでしょう?」
カイユさん……なんか無理やり感が。
「う、ま、まあなぁ。餓鬼共にはちょっと、刺激が強かった気も……」
ちょっと、やっぱりどこかおかしかったんじゃないですか!
はっきり言って下さいよぉ〜、今後の為に!
「カ、カイユ! 私っ」
「りこ」
私の言葉を遮ったのは。
テーブルの上に座った、小さな旦那様だった。
気だるげにだらりと伸ばしていた短い足で、ピョンッと立ち上がり。
顔を私に向け、金の眼をくるりと回し。
「りこ、我は着替えてくる」
え?
着替えって……人型になるってこと?
全員の視線が、テーブルの上から私を見上げる白い竜に集中した。
ハクちゃんの姿がテーブルの上から消えると。
「はぁ〜……ったく、参ったなぁ。完全無視ときたかぁ……ありゃ、かなり御機嫌斜めだぜ」
ダルフェさんが腰に手を当て、深いため息を吐き出して言った。
ヒンデリンさんは、灰色の眼を細め……ゆっくりと頷き。
パスハリス君とオフラン君は。
「うぅ……僕、吐きそう。ちびらなかった自分を、褒めてやりたい! 怖かったよぉ〜」
「俺も、同感……はぁ、限界だ」
その場にストンと、しゃがみ込んでしまった。
あれ?
ハクちゃんは今までで1番、大人しかったと思うんですが?
挨拶とか、会話とかは、やっぱり無理だったけど……文句の1つも言わなかった。
支店でのお茶会前みたいに、うじうじもしてなかった。
あの時は承諾してもらうのに、けっこう大変で……うう〜、思い出すと赤面しちゃいそうだから考えるの止めよう。
で、今回は。
竜騎士の皆さんに会うのは「かまわん」って、すんなりオッケーだった。
私の周囲から、他人を排除したがった彼も。
きちんと結婚したら、そんな態度も少し軟化してきて。
街に私を連れ出してくれる気になるほど、気持ちに余裕が出て……。
良い方向に変わってきたかもって、私はそう感じてたんだけど……あれれ?
心配になり、側に立つカイユさんを見上げたら。
「トリィ様。気になさらないで下さい。この子達は……緊張しすぎただけですから。ね、そうよね、ダルフェ」
カイユさんはそう言って、ダルフェさんに水色の眼を向けた。
「あ〜、まあ、そういうことで。うん。……おい。パス、オフ! お前ら、旦那の人型を見るの初めてだったなぁ? 旦那の顔見て、ちびんのだけは勘弁してくれよぉ?」
ダルフェさんが座り込んだままの少年達の頭を、ぱしぱしと叩いて言った。
ううっ、私はすっかり慣れちゃったけど。
ハクちゃんの顔、確かに怖いもんね……一応、美形だけど。
基本的に無表情で、愛想皆無。
甘さのない冷めた美貌は、好感度どころか……いや、でもですね!
よ〜く観察してもらえれば、微かな変化があるんだけどな。
感情で眼差しも変わるし、目元もちょっと動いたり……けっこう可愛いの(ぽっ)。
なんたって、微笑むという必殺技も習得できたんですよ、ハクちゃんは!
「……さあ、<ヴェルヴァイド>のお出ましだぜ」
ダルフェさんの言葉に、皆の目が居住区へと繋がる扉に集まり。
内側からゆっくりと開いた扉から。
現れたのは、白。
全てを覆い、染め替える様な強い純白。
まるで。
絵本に出てきた、綺麗で冷たい<氷の帝王>と呼ばれた魔物のような。
「……ハクちゃん?」
白い服を着ていても。
貴方はやっぱり、魔王様だった。
なんで黒い服より、魔王様パーセントが上がっちゃうの?