第5話
「そんなものをどうするのだ?」
ハクちゃんの涙(涙だと思うんだよね。あの状況だと)を拾い集めていると、不思議そうに聞いてきた。
首を右に少し傾けて言うその姿……!
ああ、なんてかわゆいんでしょう。
普通の人間同士の夫婦とかとは、私達は全く違う。
ハクちゃんとは‘うふふ‘‘あはは‘的恋愛物語は成立しないわけだし。
お互いを思いやり、大切にして一緒に生活……生きていく関係かな?
私はこっちの世界で人間男性と恋愛する可能性は無い……と思う。
26年間彼氏無しなのは、私自身の恋愛感情の未発達が問題だった気がする。
姉妹しかいないせいか、基本的に男性は苦手。
だから私から異性に近寄ることは、必要以外しなかった。
別に彼氏が居なくたって、不便は無かった。
出かけるのだって女友達がいるし、ドライブや旅行は一人で気ままにするのが好きだった。
でも。
友人達にどんどん彼氏ができて、遊んでもらえなくなって。
中には結婚する子までいて。
そうなってくるとさすがに……焦った。
恋愛はともかく、結婚はしないとって。
いつまでも恋人の一人もできない私に、お母さんが心配し始めて。
私は自分と親のために、安岡さんを利用したんだ。
だから結婚がこんな形で駄目になって……安心している私は最低だよね。
「ハクちゃんの涙、とっても綺麗だから貰っていいかな?」
5ミリ程のそれを、1粒1粒拾い集めた。
意識をハクちゃんから反らしながら。
頭の中を勝手に読んだりしないのは、分かってるけど。
感情の波は自然と伝わってしまうみたいだったから。
「涙? それがか? 我も初めて出したから確信は無いが、違うと思う」
おいおい、何をおっしゃる!
私の感動を壊す気?
「だって、眼からでてきたよ。人間でいうなら涙じゃない」
せっせと拾いながら反論した。
人間は液体状だけど、竜なら固体もありな感じも……。
ハクちゃんは指を1本だけ伸ばし、くいっと曲げた。
すると、私の手のひらに白い粒が一瞬で集まった。
左手で地面の粒を拾って、右手にのせてたそれが一気に山盛りになる。
山が崩れる前に、慌ててパジャマのポケットにしまった。
こんなこと出来るなら、最初に言ってくれたら良かったのにな~。
腰をかがめての地味な作業は、短時間でもけっこう辛いもんなのに。
腰がちょっと固まって、痛い。
なんか悲しい。
腰が痛いなんて、異世界トリップ・ラブストーリーには普通は出ないよね。
ま、ラブストーリーじゃないか。
相手がちっちゃい竜だし。
ハクちゃんをちらりと見ると涙の粒(私的には涙認定)を1粒、口に放りこむところだった。
「やはりな。これはかけらだ。我の‘かけら‘」
「……かけら?」
なにそれ?
「我の‘かけら‘。さきほどは無自覚のうちに少し崩れてしまったんだろう。存在が壊れかけたのだ。だから身体が崩れてこぼれた」
な……?
身体が崩れて、壊れた?
「内部から壊れたために、眼から落ちたんだろう」
たっ大変!
この粒はハクちゃんの内臓の成れの果てって事?
早く戻さないと死んじゃうとか!
ぎゃーっ!
やばいではないか!
ひええ~!
「念が強すぎだ、りこ。少々うるさい」
「何、落ち着いてるのよ! 急いで全部食べなきゃ」
ポケットに突っ込んだ手が震えた。
ああ、なんてことだろう!
「必要ない」
何を言ってんのよ!
「……朝食のくだりで再生能力が高いと言ったが。聞いてなかったのか?」
「え?」
言われてみれば……そんなような事をきいたかな?
細かくは記憶してないけど。
「その‘かけら‘は必要無い。すでに再生し終わっている」
「じゃあ、平気なんだ。良かった~」
焦って損しちゃった。
でも、竜って凄いっていうか……私の常識外生命体だ。
これから色々と教えてもらわなきゃ。
うん。
‘つがい‘なんだから相互理解が早急に必要だよね。
昨夜の部屋は、すぐ近くだった。
寝ちゃった場所からテラスが確認できた。
毛布と枕を抱えて戻った。
ハクちゃんは自分が持つと言ってくれたけど、辞退した。
だって私が使ったものだし。
それに小型犬サイズのハクちゃんに運ぶのは無理だと思ったから。
「我はかなり力があるのだぞ」
とか言ってたけど、疑わしい。
体重はめちゃくちゃ軽いし。
しかも精神的ショックで壊れ、崩れるような身体の作りとは!
繊細というか……ガラス細工みたいな生き物に違いない。
その脆い身体だから、再生能力が発達したのかな?
今後ともハクちゃんの取り扱いは注意しなきゃ。
力いっぱい抱っこしたら、ぼろぼろと砕けちゃうかもだし。
「さて、毛布は畳んでここに置いてっと。ここに洗面所とかついてるかな?」
顔と手を洗いたい。
そういえば……トイレにも、行きたくなってきた。
この世界のトイレ文化って、どうなってるのかな?
トイレはそもそも存在するの?
日本レベルは無理だとしても、便座のあるトイレであって欲しい。
私は部屋を観察した。
昨夜は薄暗くて、見えてなかったから。
「なんかけっこう豪華だったみたい。うわー、損したかな」
旅行雑誌でみた、ヨーロッパの古城ホテルみたい!
猫足の家具がまたメルヘンだ。
暖炉まである。
ファブリックは全体的に、緑系のカラーで統一されてる。
品があり、暖かみも感じられる素敵な部屋だった。
テラスに向かって右に扉を発見し、早速確認!
「やった。良かった」
洗面所だよね、ここ。かなり広いけど。
おお、あそこにあるのは洋式便座!
きゃー、猫足バスタブじゃありませんか!
「ハクちゃん、ハクちゃん! ちょっと来て」
ぱっと見は素敵だったけど。
なんか違和感を感じて、ハクちゃんに聞くことにした。
だって、どことなく私の世界の洗面所と違うんだよね。
「このトイレ、どうやって使うの?」
便座事体は蓋が無いだけで、同じっぽい。
壁から1メートルは軽く離れてて……タンクが見あたらないんですけど。
水洗じゃないの?
しかも便座の横には、洒落たサイドチェストがある。
3つある引き出しの1段目は、桃色の紙が入っていた。
2段目も紙。
これはクリーム色だった。
3段目もやっぱり紙……水色だ。
「まさか……この硬い紙がトイレットペーパー?」
いや、硬すぎるよね。
お尻が痛いって、絶対!
私はトイレットペーパーはソフト・ダブル派なのです。
「りこ。なあ、ここはどういった用途に使う場所だ?我は初めて見たのだが」
なんですと!
ハクちゃん、知らないの?
「ハクちゃんは外で済ましてるとか?」
竜だもんね。
確かに便座サイズが合わない。
っていうか、人間とは生活様式が違って当然だった。
人間じゃないんだ、ハクちゃんは……。
「済ます?」
「トイレ。はっきり言えば排泄行為かな」
こんな単語を躊躇い無く口にする私って……女子高生なら、恥らってもじもじすべき場面だったよね。
しかし、そんな事に恥らってたらやってらんない。
漏らしたら、本末転倒!
漏らすとか言っちゃうような性格も、彼氏が出来なかった一因かも。
「我は動物と違って糞尿は作らない」
「糞尿……」
上には上がいるもんだ。
はっきり言い切ったね。
「案ずるな、りこ。これを使え」
渡されたのは銀色のハンドベル。
ベッド脇の小さなテーブルに置いてあったやつだね、これ。
「鳴らせば侍女が来る。部屋の担当は対になる鈴を持っているから、すぐに現れる」
「へー。便利だね! 仕組みは分かんないけど」
私の‘分かんないけど、まあいいや‘は話をちゃんと聞きましょうに次ぐ欠点らしく、家族・友人・教師にさんざん注意されてきた。
治る兆しゼロで現在に至るけど。
ハンドベルを振ってみた。
イメージは商店街福引コーナーで、当りが出た感じ。
振ってからしまったと感じた。
お姫様が呼び鈴を鳴らす……あのイメージにするべきだった!
呼び鈴だよ!
ハンドベルじゃ無い。
「ねえ、音がしなかったよ。壊れてるのかな?」
ハンドベル……ではなく呼び鈴は鳴らなかった。
「鳴るのは侍女の鈴だ」
「ふ~ん」
まだトイレは我慢出来る状態だったから、侍女さんを待つことにした。
洗面・お風呂の使用方法も知りたい。
それでもって、昨日の人達に会わせてもらい説明を……。
「……りこ。もっと奥に」
ベットに並んで腰掛けてたハクちゃんが、ふわりと浮きながら言った。
金の眼を細めて扉を見てる……睨んでる。
私はスリッパを脱ぎ、ベットに上がって隅に移動した。
「どうしたの?」
「足音が雑だ。侍女とは思えない。しかも複数で駆けてくる」
侍女さんじゃないの?
女性ならトイレの事が聞きやすかったんだけど。
複数って……何人か来ちゃうのかな。
1人で充分だけど。
「男……が三人。女が二人」
私の耳にも足音が聞こえた。
部屋のすぐ側まで来たってことだよね?
数秒後、音を立てて開かれた扉から飛び込むように入ってきたから驚いた。
ノックなしかい。
乱暴だな、この国は。
あれ、なんか知ってる顔が!
『何故、生きている?……<監視者>?』
先頭で入ってきたのは、昨夜のイケメン君ではありませんか!
他の人達は……あ、美少女もいる。
金髪だったんだ。
眼は紫だ。
綺麗~。
おじ様二人と、やたら色気のある熟女は初顔だ。
なんか、迫力あるメンバーです。
女性が2人いるから、トイレの使用方法をきこう!
ハクちゃんに通訳してもらって……。
「な、なになに?」
全員が片膝をつき、頭を下げた。
どうなってんの?
ハクちゃんは私に訊ねた。
「りこ。こやつ等に何を望む?責任を取らせるが良い。我はりこの望みの結末を用意する」
「言ってる意味がよく分からないよ!」
もう!
望みとか責任とか……そんなことより!
「トイレの使い方を聞いてよ!」
怒鳴ってしまった。
だって……とうとう限界間近になっちゃったんだもん!