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四竜帝の大陸  作者: 林 ちい
青の大陸編
55/212

第53話

「御子を望まれないと…。ならば奇跡など起こらぬほうが、良いですな。無用な奇跡は災厄となる。貴方にとっても、奥方にとっても」

 <黒>は枯れ枝のような指を皺で弛んだ顎に添え、軽く頷き。

「ふふ……竜と人の間には、天地以上の種の違いがある。自然交配など、有り得ない。貴方が御子を疎むなら、まず安心ですな。……今後、人間との混血実験を貴方は許さないでしょうから」

 今までの我は。

 先代の<青>の実験に、意見も興味もなかったが。

「なぜ、そう思う?」

 <青>の憂いた竜族の未来。

 緩やかだった滅びへの道は、数代程前から加速し。

 つがいの間に子が1人しか出来ぬという、最悪のところまできて。

 ようやく足掻き始めたが。

「貴方には<竜と人の間に子は出来ない>という、揺ぎ無い事実が必要です」

 その通りだ。

 もし。

 万に一つの可能性が存在し。

 それを知ったりこが子を得たいと強く望んだなら。

 りこが本気で、心から望んだら。


 我は、負ける。

 勝てるはずが無い。

 りこは我の女神であり、支配者なのだから。


 我は、負ける。

 我の子に、りこを奪われる。


 この世に存在し得ない、我とりこの子が。

 我の、唯一の敵。

 絶対に勝てない、最強の敵だ。


「私の願った誇り高き滅びを、貴方は与えて下さるでしょう。人間との混血? 冗談ではありませんよ! あのような下賤で野蛮な種と血を混ぜるなど我慢なりませんっ……ふふっ、黄泉でセリアールの馬鹿が、地団駄踏んでますな。あぁ……全て異界の姫のおかげですなぁ、感謝しなければ」

 <黒>の人間嫌いは相変わらずか。

 黒の大陸の科学力を駆使すれば、セリアールの実験成果も違ったやもしれん。

 だが、<黒>は一切の生体科学の提供を拒んだ。

 その大陸の竜帝の許可がなくば、他の竜帝は書物一冊、葉の一枚さえも手に入れられぬ。

 同族での争い……殺し合いを避けるために、竜帝には多くの枷が科せられている。

 この件に関しては、それが幸いしたな。

 セリアールよ、今は亡き<青>よ。

 我を呪いたければ、呪え。

 もっとも、お前に呪われたぐらいでは。

 我はなんともないどころか、気づきもせんが。

 我は、強い。

 竜の叫びも、悲しみも……未来も、叩き壊せるほどに。

 逃げ道など、残さず。

 完膚なきまでに、消し去ろうか。


 む?


 このような思考は。

 りこが怒るか?

 りこは鱗のある生物が、お気に入りなのだ。

 我のりこが、竜族を残したいと願うなら。

「……もし当代の<青>が実験再開を希望した場合。人間以外を使うのなら、我は一向にかまわんぞ? ふむ……豚が良いのではないか? 実験に使った後、食えるしな。竜族は家畜の肉を好むから一石二鳥だな」

 珍しく慈悲深い我の提案に。

「な、なんですと?! 誇り高き竜族にぶ、ぶ、ぶぶっつ!」

 妙に甲高い声で言う<黒>に、我は親切にも訂正してやった。

 赤子だったこれも、枯れ木になったのだ。

 思考も劣化したのやもしれん。

 天才と賞賛された捻くれた頭の内部も、もはやスカスカか?

「ぶぶっつでは無い。豚だ、ぶた。老いて脳も萎んだようだな<黒>よ」


「ぶ、ぶ、ぶ……ぶた」


 <黒>は激しく震え。

 真後ろに倒れ。

 消えた。

「忙しい我を自分から呼び出しておいて、会話を勝手に止めるとは。<黒>め、大陸を移ったら仕置きだな」

 りこの元に転移しようとした我を。

 ダルフェが引き止めた。

「旦那。教えてください。竜族はいったい、何処に向かってるんですか? あんたなら分かる……知ってるんじゃないんですか?!」

 分かっている?

 知っている?

 そんなはずなかろう。


 我は神ではない。

 我は、ハク。

 りこの、ハク。


「我に未来は読めぬ。我は創り出すことは出来ぬ、破壊するのみだ。お前も知っているだろうが」

 ダルフェは真紅の髪を掻き毟り。

「……っち、全く。やっぱり、あんたは使えない人だよっ。 ……黒の爺さん、頭の血管がぶち切れちまったんじゃないっすか? 死んじまってりゃスッキリしますがね。竜族至上主義の爺さんに、あの豚発言はかなり威力があったでしょうよ」

 床に放ってあった掛け布で黒専用電鏡を覆いながら、ダルフェは言った。

「姫さんとの子の件は、旦那らしいと思いますよ。あんたの姫さんに対する執着は、竜の雄と比べたってちょっと異常ですからねぇ。……時機を見て姫さんに、竜である旦那とは子供が持てない話をきちんとしたほうが良い。竜が人間とつがいになること事態がかなり稀な事だって話も、どうせしてないんでしょう? 普通の娘は、結婚したら家族を持つのを夢見るもんです。あんまり長引かせちゃ、姫さんが可哀相ですよ? あの子はもう、26だ。家庭を持って、3〜4人の餓鬼のいる歳なんですからね」

 竜と人。

 子と家庭。

 家族。

「……何故、互いだけでは駄目なのだ? 竜も人も……何故、愛する者が1人だけでは足りないのだ。数が増えれば愛が分散され、薄まってしまうのではないのか? お前達……限りある命の生物の愛とは無尽蔵なのか、無限なのか。何故、愛する者が自分以外の者に愛を与えるのを許せるのだ……それが真実の愛ならば、我の愛は? りこに感じるこの愛は、何なのだ?」

 子が欲しいとは思わない、思えない。

 家族など、興味も無い。

 りこしかいらない。

 りこしか、愛せない。

 我が感じているのこの強い想いは、愛では無いのか?

「……んな難しく考える必要あるんすか? 旦那は旦那でいいんじゃないっすかぁ。考えたって、結果は1つなんでしょう?」

 

 そうだ。

 1つだ。

 これが愛であろうとなかろうと。

 我には、りこだけ。

 貴女だけ。 


「え……うわっ旦那、良い顔できるようになったんですねぇ! そんな風に、微笑むことが出来るようになるくらい、姫さんのことが好きなんだなぁ。かなり遅い青春満喫っつーか、微笑ましいっつーかなんというか。あんたのその妙に素直なとこ、俺は好きですよ」

「好き? 我は男と交尾する趣味は無いので、好くな。昨日は微笑むことが出来るようになった褒美に、りこにちゅうをしてもらったのだ。りこのちゅうは最高なのだぞ……りこ?」

 りこの声。

 少々。

 薬草園から、ずれているな。

「りこが我を呼んでいる。ダルフェ、昼食にはカイユを連れて来い」

 薬草園に飽いて、散歩でもしたのだろうか。

「俺だって男は無理っす。……ハニーを?」

「りこにはまだ‘母親‘がいる。脆い精神を安定させるのに、カイユの母性が役に立つ……りこ? りこっ!」

 気配。

 気が、揺らいでいる。

 何かあったな!

「旦那? ちょっ……!」

 りこ、りこ!

 我のりこ。


 我の、宝物。


 薬草園から北門へ向かった林の中。

 りこは蹲っていた。

「りこ」

 我は膝を付いてりこを引き寄せ、胸に抱いた。

 りこの身体からは。

 雄……人間の男の臭いがした。

 触れた。

 我のりこに。

 男が。

 穢れた血の付いた、薄汚い手で。

 怒りに脊髄を焼かれながらも、耐えた。

 りこが震えている。 

 顔を上げることすら出来ぬほど、憔悴していた。 

 制裁は後回しだ。

 

 りこの身体に何がおこったのか。

 我の腕の中で、意識が朦朧としているようで。

 震えは止まったが、全身の力が抜けていた。

 体調の変異を確認するため、唾液を採取しようと。

 小さな顔に手を添えて、上向かせ。

 

「りこ、どうし……なっ?! りこ、りこ!」


 我の大切な、大切なりこ。

 その左頬が。


 赤く、腫れていた。


「りこ!」


 血の気の引いた、白い顔。

 なのに、頬は赤く。


「ば……ば、かな。わ、我の……り、りこに」


 先ほど。

 我との会話の途中で。

 急に、顔を……頬を染めたりこは。

 とても、愛らしく。

 とても、綺麗で。

 その。

 柔らかな頬を。

 打ったのか。

 我の宝に。

 手を上げたのか!


 華奢で、可憐な我の花。

 不用意に触れれば、簡単に折れてしまうのに……散ってしまうのに。


「……っ」


 怒りを超える哀しみが。

 我を飲み込む。


 りこの小さな顔に。

 我の涙が、降り注ぐ。

 白い頬に。

 赤く腫れた痛ましい頬に。

 

 柔らかで甘い唇に。


 止められぬ、溢れる涙が。



 胸が。

 痛い。


 

 りこ。

 怖い。


 我は、怖い。

 腫れた頬が。

 我に、突きつける真実は。


 りこの死。

 その、可能性。


 哀しみを超える恐怖が。

 我を喰らい尽くす。


 りこ。

 われは、こわい。


 こわい。



 






 キリンレモン。

 シュワーっとして、甘酸っぱいの。

 夏になると、飲みたくなる炭酸飲料。

 最近飲んだのは、いつ?

 今、9月だったから……ん?

 違う。

 一番最近は、あれです。

 涙。

 ハクちゃんの、涙。

 竜のハクちゃんの涙は、キリンレモンの味がした。

 これは。

 涙の、味。

「……ハクちゃん?」

 眼を開けると。

 鼻が付くほど近くに、ハクちゃんの顔があって。

 ちょっと、びっくりした。  

「な、泣かないの、私、だいじょうぶだから、ね、泣かないで」

 私は慌てて、彼の頬に手を沿え。

 袖で涙を吹いてあげた。

 ハクちゃんが、泣いていた。

 ぽろぽろを通り越し。

 ぼろぼろと。

 涙を止めてあげたくて。

「あっ……ほっぺ腫れてたから吃驚しちゃったの? ごめんね、ごめんなさい。もう痛くないから、心配しないで。泣かないで、ハクちゃん」

 目元や頬にハクちゃんの好きなちゅうをしても。

 全く止まる気配がなくて。

 何も喋ってくれなくて。

 精巧な蝋人形のように、微動だにしない。

 金の眼をこれ以上はないって位、見開いて。

 いつもはちょっと縦長の黒い瞳孔が、真ん丸く。

 あれ?

 真ん丸になっただけじゃない。

「ハ……ハクちゃ、ハク?!」

 見る見るうちに瞳孔が、大きくなって広がって。

 ハクちゃんの金の眼が。

 真っ黒に変わった。

「……きゃっ!」

 黒い外套を、白い光が包み。

 眩しくて、眼をつぶった。

 私を抱いていた腕がなくなり。

「ハ……ク?」 

 そっと眼を開けた。

 尻餅を付いてしまった私の目の前には、白い竜。

 服は見当たらない。

 きらきらした粉が風に舞って消えて……。

「ハクちゃん?」

 地面にぽてんと座って。

 私を見上げる小さな竜の眼は。


 真珠。

 中央に、細い金の線が1本。


「なっ! ……ハクちゃん、どうし」


 ハクちゃんの口が。

 限界まで開き。


 真珠色の歯。

 真っ赤な舌が見え。


「ーーーーーーーーーーーーー!!!」


 声の無い、絶叫が。

 青い空に向かって、放たれた。


 大気が揺れ。

 振動となって、木々を押し潰し。

 青かった空を。

 白い稲妻が縦横無尽に引き裂く。

 ガラスが割れるような音が絶え間なく響き。


 全てが凍りつき、割れ、壊れ。

 消え去る。

 

 ホワイトアウトのように真っ白な視界。

 白く、激しく、残酷に。


 なのに。

 私の周りには。

 暖かな、春の空気。

 優しく甘い、花の香り。

 貴方の、匂い。

 胃液が逆流して苦かった口の中は。

 爽やかで、ほんのり甘いキリンレモンの後味が。


 貴方はいつも、いつだって。

 私を護ってくれる、助けてくれる。


 初めて会ったときから。

 私の心を支えてくれて、護ってくれた。

 異界から間違って連れてこられたんだから、都合が悪くなったら牢に入れられたり殺されたりするんじゃないかって。

 ダルド殿下に身の安全を約束してもらっても、内心は疑心暗鬼で。

 不安で、怖くて。

 これから自分はどうなるんだろうって。

 毎日、考えてた。

 ハクちゃん以外は信用しちゃ駄目だって、びくびくしてた。

 そんな私を、ハクちゃんは。

 誰からも危害を加えられないように、いつだって側にいてくれて。

 全てから……ハクちゃん自身からも護ってくれてた。

 小さな爪が、私を傷つけないように。

 強い力で、壊さないように。


 すごく強いのに、脆くて繊細で。

 優しくて、怖がりな貴方。


 とっても怖がりな、愛しい貴方。 

「ごめんね、怖かったね……」

 多分。

 このままだと。

 ハクちゃんは、本物の魔王様みたいになってしまう。

 とっても怖がりだから。

 もう、怖いことが起こらないように。


 壊してしまう、無くしてしまう。


 なんで。

 私はこんなに落ち着いてるんだろう?

 大変な事が起こってるって、分かるのに。


 ああ、そうか。

 優先順位。

 私の一番大切なもの。

 貴方。

 帝都が無くなっても、世界が壊れても。

 貴方が側に居てくれるなら。


 いらない。

 何もいらない。

 欲しいのは、貴方だけ。

 私の方が、まるで悪魔。

 

 この世界にとって。

 恐ろしいのは貴方じゃなく、私なのかもしれない。


「ハクちゃん、ハク」


 氷で作られた人形のような小さな身体に、手を伸ばし。

 抱き寄せ。

「もう、怖くないよ? こうしてれば、怖くない。2人でいれば、怖くない」

 真珠色の瞳に、私が映ってる。

 金の眼の、私。

 貴方に愛された、私が。

「怖くない。私は貴方の側にいる……永遠に」

 決めた。

 魂だけになったって、醜いお化けになったって。

 離れない。

 貴方から、離れることなんて。

 やっぱり、私には無理だよ。

「ずっと、2人でいよう」

 小さな貴方を、私の腕の中に閉じ込めて。

「2人だけで」

 貴方を。

 誰にも渡さない。

 貴方が。

 私以外を愛するなんて、許せない。


 魔王は私。

 この世界を壊す悪魔は。


「ハクちゃんだけで、いいの」


 それは、私。 


『病める時も、健やかなる時も』

 私は、誓う。

『死が2人を分かつ時がきても』

 この身が土に還り。

 魂だけに、なろうとも。

『貴方を離さない』


 大きく開いた、白い竜の口に。

 唇を寄せ。

 

 赤く長い舌に。

 貴方が、私にしてくれたように。

 自分のそれを絡ませて。

  



 愛しい貴方に。

 誓いの接吻を。

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