第47話
「……りこ?」
ぐったりとしたりこは、我の声に反応しなかった。
柔らかで温かな身体をまさぐっていた手を止め。
「りこ」
耳元で囁くように呼んでも、反応なし。
「……む?」
健康管理の為に体液を採取しようと思い。
うむ。
まあ、その。
健康状態を確認しつつ、少々(?)交わろうかなと。
いや、逆か。
交わりつつ、健康状態の確認を……。
我は欲張りすぎたか?
健康状態は問題なしだったが。
我はかけらを1度に与えすぎたな。
馴染むまで、身体機能が一部停止状態に陥ったか……。
りこの小さな肉体では日に3粒程度にすべきだった。
せっかくの機会を自ら潰すとは。
我の馬鹿。
なんたる失態!
「まだ……加減がどうにも、難しいな」
かけらを人間に投与するのは初めてなので。
まあ。
かけらを作り出したこと自体、りこと出会ってからなのだ。
こういうのを試行錯誤というのだな、多分。
意識の落ちてしまったりこの顔をじっくり眺めた。
閉じた瞳。
濡れた睫毛。
ほんのり染まった頬。
我に貪られ、光る唇。
汗ばんだ額に張り付いた黒髪。
「どう見ても……りこのほうが我より‘かわゆい‘が似合うと思うのだが」
りこは我をかわゆいと言うが。
我にとってはりここそ‘かわゆい‘の頂点であり。
あまりにかわゆくて、無いはずの食欲を刺激されるほどだった。
「りこの血液……」
無意識に舌なめずりしてしまう自分に反省しつつ、りこの事を考えた。
もっとも、我の脳内はいつだってりこでいっぱいなのだがな。
甘い体液から得たりこの情報を、脳内で整理してみると。
「うむ……与えすぎたかけらが馴染むまで、1時間弱か」
りこは我の血肉を摂取するのは抵抗があるようだったが(以前、朝食に志願したら食べてもらえなかった。硬くて食べずらそうだしな)。
かけらは美味いといっていた。
我のかけらを味わう表情が。
菓子を食べる時に浮かべる微笑みよりも。
どことなく艶めいて見えるのは、常に我がりこに飢えているからか?
「あぁ、りこよ。我はもう、りこ以外の女はいらん。他の女には触られたくない……りこだけに触れて欲しいのだ」
りこは、我が初めての男だった。
竜珠を与えた時に採取した唾液からの情報は多岐にわたり、しかも正確だ。
人間は寿命が短いので(他の動物よりは長いが)26年も生きていれば、未通の女はめったにいない。
貴族階級になると、初潮を迎えぬ幼い娘すら嫁に出す。
この世界では26前後の女は母親となり、数人は産んでいるな。
だが、りこは違った。
唾液からもたらされた情報に、どんなに我が歓喜し感謝したことか!
他の者の‘気‘が全くついていないまっさらな状態。
都合が良かった。
我の‘気‘でりこを染め上げ、作り変えるのに。
非常にやりやすくなる。
りこの世界は晩婚が主流なのだな、きっと。
まあ、婚約者がいたらしいがな。
我のりこに婚約者……考えただけで内臓を吐きつつ、暴れ狂いそうになるな。
そやつが腑抜けで良かった。
接吻の仕方すら、りこに教えていなかったようで。
支店の屋上ででりこがしてくれた接吻は、唇を合わせただけのものだった。
我は。
あのような接吻は初めてで。
衝撃のあまり、息をすることも忘れた。
どんな女の官能的な接吻も、りこがくれたあの接吻にはかなわない。
我は陶酔の中で。
我慢しきれず求婚した。
今思えば……既にあの時、我の理性は切れてたな。
恐るべし、りこ!
なんの技巧もないりこの‘ちゅう‘1つで、我はおかしくなってしまったのだから!
「……りこが命懸けで我を愛してくれたのに、我は肉体強化に失敗したのだ。……あのような目に合せておきながら」
我は自分の能力の限界を知った。
四竜帝を引き裂き、世界を壊すことは可能でも。
愛する女に不死を与えることは不可能で。
「りこ、りこよ。我を責めて、罵れ」
りこが憶えていなくとも。
我は憶えている。
我はりこのか弱く、脆い身体を欲望のままに貪ったのだ。
力の加減も忘れ、骨を砕いた。
意識を失ったりこを。
りこの身体を。
狂喜し、抱いた。
りこの肉に溺れ、血に酔いしれ。
それでも。
りこは。
嬉しかった……幸せだったと言ってくれたのだ。
だから。
我は決めた。
りこが欲しがってくれなくては、我はりこと身体を繋げてはいけないと。
身体は我を拒んでいないと、体液で分かる。
人間の肉体は強い快楽を与えてやれば、容易に陥落するものだ。
快楽に弱いからこそ繁殖能力が高いともいえる。
そのような造りの生物なのだから。
でも、我は。
快楽により求められるのではなく。
心の底から。
存在全てで、求められたい。
りこの口から。
言って欲しい。
この唇で。
我が欲しいと。
我だけが欲しいと。
「りこ。我を欲しがってくれ……」
我はりこから身体を離し、術式で温室の外に出た。
振り返ると。
強化ガラスのむこうで。
小さなりこが毛布に包まり、寝入っている姿が目に入る。
気象条件の厳しいこの地で過ごすため、<青>が用意したこの温室は。
りこ専用の豪華な鳥籠だ。
<外>では長く生きられぬ、か弱い小鳥の為の。
我の宝を護る宝石箱。
脆く弱い、我のりこ。
救いは。
再生能力の移行だ。
りこは我の再生能力を受け取ることが出来る。
再生能力に付随し、回復力が高まっているために今回も大事に至らなかったが。
肉体強化は全くなされていないので風雨に負け、高熱を出した。
再生能力が高まったとしても。
か弱いりこは、容易く死ぬ。
我と違い、心臓を刺されれば即死し。
致死量の毒を摂取すれば助からない。
それに加えて。
りこは心が弱い。
過度の心労は肉体だけではなく、精神も破壊してしまうだろう。
自分が世界中の者からどのような目で見られるているか、まだ大まかにしか理解できていない。
現実は、厳しく残酷だ。
この我の‘つがい‘となった者が人間で、しかも本来は<処分>対象であるはずの異界の生物。
多くの者が好奇の視線を向け。
地につくほどに深く頭を下げながら、心中はりこを羨み妬み。
化け物の妻だと蔑み、嫌悪するだろう。
暖かで優しく弱い、我の妻を。
いつの日か。
我のせいだと。
りこが我を疎み、罵るのだろうか。
りこの心が我から離れるなど。
許せない。
耐えられない。
だからこそ。
りこの周りは綺麗で美しく、温かなモノで覆い隠して。
真実から遠ざけた。
「我の‘つがい‘を探りに来るか、人間共よ」
潜む気配は術士のもの。
人間共はりこを殺したりはしない。
我を恐れている限り。
間者を忍ばせるのは、りこの情報が欲しいからだろう。
りこの姿、衣食住の好み、そして。
<監視者>がどれほどまでに‘つがい‘に重きをおいているか。
人間の‘つがい‘に支配されているか知りたいのだろう。
りこの利用価値を探っているにすぎん。
「くだらんな。さて、りこに触れるこの手は汚したくないのだが」
りこが好きだといってくれた、冷たい手。
りこに触った、この手は。
だが。
引き裂いてずたずたにしたい。
「目障りすぎて、癇に障るな」
「だから、俺を使いなさいな。旦那」
ダルフェが音もなく、傍らに降り立ち。
「引きずり出しておいてくれりゃ、こっちで処分しときます。旦那の望み通りの殺り方でね」
ダルフェと。
「お久しゅうございます。ヴェルヴァイド様」
ダルフェと同じ竜騎士。
群青の髪を持つ竜族の雌。
灰色の眼は、幼い頃と変わらないが。
あんなに丸かった顔が、ほっそりとしたものになっていた。
「ヒンデリンか。なるほど……<青>の采配か」
前に見たときは幼竜だったが。
あれから成竜になるほどの時が、過ぎていたのか。
花も、人も、竜も。
どれも同じ。
我の前を足早に通り過ぎて行く。
違うのは、ただ1つ。
愛しい半身のみ。
「術士は3人。うち、1人が<星持ち>だ。北棟の地下室に転移させておく。多少ばらばらになっているだろうが。口がきけぬほど損壊していたら、頭だけ残して捨てろ」
「了解。ま、旦那が暇なときにでも‘視‘に来て下さい。腐んないようにしとくんで」
「我に暇なときなど無い。りこに会ってから、我は毎日が忙しいのだ。りこが寝入った深夜にでも時間を作る」
ああ、そういえば。
「りこの茶は3時なのだろう? ダルフェ、茶はどうするのだ」
りこは茶が……茶の時間が好きなのだ。
いつも楽しそうにしている。
我にはそれが何故かは、まだ理解できていないのだが。
りこが楽しい気分になると、我は嬉しいのだ。
「ああ、茶か! ハニーと陛下の事も姫さんに教える約束しましたっけねぇ。しっかし、今回はやりすぎですよ旦那。様子見てきましたがねぇ〜陛下の身体の中、あんなにぐちゃぐちゃにしちまって。殺されたほうが楽でしたね、ありゃ。まぁそこんとこは、姫さんに内緒ですね」
内緒?
あの時の会話から察するに。
りこは。
支店での性交について<青>がけちをつけ、我が仕置きをしたと察したようだった。
仕置きしたことは怒られなかったぞ?
「なぜ、りこに内緒なのだ? 仕置きしたことはばれてるぞ?」
「旦那……あのですねぇ。仕置きの限度を軽く越えて、拷問の域に達してた自覚あります?」
拷問?
「ないな」
ダルフェは大きく溜め息をついて、ヒンデリンに言った。
「な? やっぱりだろ? すげーだろ、旦那って」
「……」
ヒンデリンは答えなかった。
すげー?
我のことか?
意味が全く分からんのだが。
取りあえず、優先すべきは。
「ダルフェ。茶だ」
竜騎士2人は我の顔を凝視して。
ヒンデリンは一礼して去り。
ダルフェは笑い転げた。
はて?
我は特に面白いことなどなかったが?
〜おまけの小話・ハクちゃんの秘密〜
りこが寝入ったのを確認し。
我はデルの木の下へ術式で移動した。
根元に座り。
両手を月明かりにかざした。
硬い鱗。
4本の短い指。
鋭い爪。
りこの手を思い出す。
柔らかな皮膚。
ほっそりした5本の指。
小さな貝殻のような可愛らしい爪。
我を抱き、撫でてくれると気持ちが良くてうっとりしてしまうのだ。
それに比べ。
我の手は……。
見慣れたこの竜の手が。
醜くおぞましく感じてしまう。
「我だって」
爪で鱗をむしりとる。
むしっても、むしっても。
一瞬で再生されて。
「我だって、りこに触れたいのに!」
毎朝、我のりこの髪に触れているのは。
我のこの手ではなく、<青>が送り込んできた竜族の雌の手で。
黒い髪を梳かし、結い上げ。
花を飾り……。
「我のりこだ! この我のつがいだ! 我の、我のっ!」
あの髪に触れ、肌に触り。
「こんな爪は、いらん!」
鋭い爪は。
剥がしても、剥がしても。
減ってくれない。
再生するなと命じても、我の意のままにはならなくて。
「……指ごと落とせば」
「やめときなさいな。指だって生えるに決まってますよ、旦那」
ダルフェは我がむしった鱗と剥がした爪を拾い集め。
デルの木の根元に埋めた。
「不毛な自虐行為はやめましょうや。姫さんが知ったら悲しみますよ?」
「なぜ、りこが悲しむ?」
ダルフェは土の付いた手を掃いながら言った。
「相変わらず使えない頭っすね」
ますます分からなくて首をかしげた我の隣に、ダルフェは腰を下ろした。
「あの姫さんは感性がずれてるっていうか、なんというか。不思議な事に、旦那の竜体に惚れ込んでますからねぇ〜。傍から見ると、ちょっとやばいくらいあんたの竜体に執着してます」
そんなこと、分かっている。
だから、この姿でいるのだ。
「りこは鱗が好きなのだ」
ダルフェは額を押さえた。
「まあ、鱗趣味はおいといて。姫さんは旦那を好いてます……雄としての認識は無いとしてもね。だから旦那がこんなことしてたって知ったら、泣きます。絶対に」
我は焦った。
「り、りこが泣くなど駄目だ! 我の宝物なのだ! りこを泣かせるなどっ」
「じゃ、練習しましょう。ラパンの硬さがちょうどいいっすから!」
はて?
「姫さんを傷つけないで、触る訓練ですよ。俺、天才! さっそく今夜からしましょうねぇ」
なんだか良く分からぬが。
りこに触れるようには、なりたいので。
「やる」
待っていてくれ、りこよ!
必ず成功(?)させてみせるぞ!
「姫さんには秘密で頑張りましょうぜ、旦那。ある日突然、優しく手を握り……指に接吻して甘い言葉を囁くんですよぉ!……これで姫さんは落ちますって」
「そうなのか?! ダルフェは物知りなんだな」
感心した我にダルフェは言った。
「俺は<これで貴方もモテ男! 月刊・恋愛サバイバル>の購読者ですからねぇ〜。任せてください!」
意味がさっぱり分からんが。
こやつも妻帯者だから、女心には詳しいのであろう。
『ねえ、ハクちゃん。最近、ダルフェさんが作るお菓子って同じ果物ばかり使ってるよね? お買い得だったのかな〜。安くて美味しいなんて、いいよね! なんていう果物か知ってる?』
違うぞ、りこ。
ラパンは高級品なのだ。
庶民は一生見ることさえないような果物で。
<青>の会社の力でダルフェが買占めた。
時期はずれで、入手困難な貴重品なのだ。
「ラパンだ。よく使うのは……旬だからではないか?」
『ふ〜ん。ラパンっていうの。美味しいね』
ラパン。
それは秘密の実。
『どんな実なのかな〜? いつも刻んであったりペースト状のものが厨房にあって、原型を留めてるのが見当たらないのよね』
「そ、そうなのか?」
甘酸っぱい、秘密の果実。