第40話
4泊5日の旅は、あとちょっとで終わりだった。
「りこ。帝都上空に入った。すぐに<青>の城が見えてくるぞ」
ハクちゃんが念話で教えてくれたので、私はペンを机に置いて窓を覗いた。
「……見えないよ、ハクちゃん」
こんな条件じゃ、マサイ族だって無理だと思うよ?
まるで台風のような天気なうえに夜だし。
うーん。
街の明かりが微かに見えるかなって程度。
横殴りの雨と稲妻の閃光。
轟く雷鳴。
でも、駕籠は揺れ1つ無い。
ハクちゃんのおかげで。
支店を出た晩は強い風が吹き、雨が降った。
朝になったら晴れたけれど。
風が強くて、その日もハクちゃんは外で術式を使って駕籠を揺れから守ってくれた。
日に日に……風はおさまるどころか強くなる一方で。
ハクちゃんに会えるのは朝の挨拶の時だけになってしまい。
15分位しか顔が見れなかった。
それ以上だとダルフェさんの上に‘置いて‘きた術式が不安定になるからって。
不安定。
私もそうだった。
支店で目覚めてからハクちゃんへの依存度が増していた私にとって、この状況は辛くて。
でも。
ハクちゃんが私の為に頑張ってくれてるから。
我が儘は言えないって思ってた。
だけど。
3回目の朝。
先日からの悪天候は、台風のようになり。
術式を強化するからって。
おはようって言ってすぐに転移しようとしたハクちゃんに。
縋って、泣いてしまった。
行かないで。
離れないで。
もう、いや。
離れるの、いやだよ。
もう、だめ。
ハクちゃん、側にいてよ。
小さなハクちゃんを抱きしめて、年甲斐も無くわんわん泣く私に。
=りこ。りこ、あ〜ん。
条件反射で開けた私の口に。
ハクちゃんは、ほんのり甘い砂糖菓子のようなものを入れた。
私の舌の上で溶けたそれは。
出会ったときにくれた竜珠の味に良く似ていて。
うっとりするような上質な甘みが。
口から咽喉へ。
咽喉から全身に広がって……。
ハクちゃんが足りなくてカラカラだった心に。
じんわりと染み入った。
涙も止まり、落ち着いた私にハクちゃんは言った。
=我ももっとりこに触れていたいが……。
私の顔を……涙を優しく舐めとって。
ちょんって。
とがった口先でキスしてくれた。
=りこを悲しませるのは、泣かれるのはとても辛い。しかし……我が恋しいと泣かれると。
唇に、頬に。
目蓋に、耳に。
=喜びを感じてしまう。震えがくるほどに歓喜と痺れる様な愉悦に満たされて……全てを放り出し、りこに溺れてしまいたいと思う。だがな、りこ。我は少々、賢くなったのだ。
くすぐったいキスに、思わず微笑んでしまう。
「賢く?」
=賢くなった我は気づいたのだ。最初はりこが得られるならば他はどうでも良く、世界の秩序・管理もやめるつもりだった。が、りこを幸せにするには……りこが幸せだと思えるようにするには‘世界‘が必要であり、りこに適した‘環境‘を用意することが重要であり。
「世界と環境?」
=そうだ。その環境を形作るのに、部品がいるのだ。りこが好む‘部品‘がな。
「部品?」
=部品は無数で多種多様。我はそれらを吟味し篩にかけ、さらに選別する。まあ、詳しく語るのは後日にして……。外は雷雨だ。ダルフェが雨に濡れると、りこの心が痛む。今、我がりこの言葉に従えば……後でりこが苦しむのだろう? 自分を責めるはずだ。
「ハクちゃん……」
=我は少し賢くなっただろう? りこのおかげだぞ? これからもっと賢くなって、りこを幸せにするのだ。
金の眼を細めたハクちゃんは。
しっかりと握った小さな手で、私の頬をくりくり押した。
=りこと会ってから、我はとても忙しい。脳は常にりこの事を考え、眼はりこに釘付けで。心はりこだけを想い……この身体はりこが欲しいと、喚き立てる。
真珠色の口から現れた真っ赤な舌が、ぺろりと。
私の唇を舐めあげた。
=りこ。我のりこ。帝都に着いたら、健気な我に褒美を。
「ぶぶっつ! 健気って自分で言う?」
思わず吹き出した私に、ハクちゃんは眼をくるんと回し。
=ふむ。泣き顔もかなり惹かれるが。やはり笑っているほうが良いな。では、行って来る。
「うん。……ごめんね、ハクちゃん」
ハクちゃんは首を傾げて言った。
=違うぞ、それは。「いってらっしゃい、頑張ってね! あ・な・たっ」って言うのだろう?先日読んだ<実録・新婚生活24時! これであなたも円満家庭 第1巻>に書いてあったぞ
「な、なにそのタイトル〜! うぷぷっつ」
=もしや違うのか? ダルフェが読めと……おのれ、ダルフェめっ! 蹴り殺してやるっ。
「きゃー! ま、待って! うん、そうだよね、ごめんねじゃないよね!」
そうだよ、うん。
本はともかく。
ごめんねは、違う。
「えっと……今日もありがとう、ハクちゃん。ダルフェさんから落っこちないように、気をつけてね。いってらっしゃい、頑張ってね。あ、あ、あなた」
あなた。
なんか、照れるなぁ。
=うむ。我は頑張るぞ! りこに褒めてもらい、褒美を手に入れるのだ!
尻尾をぶんぶん振って、術式で‘出勤‘した頼りがいのある小さな旦那様を見送り。
私は思案した。
褒美。
ご褒美。
う〜ん。
私、基本的には私物がほとんど無いし。
お金も、もちろん持って無い。
でも。
ご褒美を……あっ!
「良い考えだよ、それ!」
私はベットから降りて、居間で朝食を準備してくれているカイユさんに向かっって駆け出した。
ハクちゃんに贈り物を。
今の私に出来るもので。
「おはようございますっカイユ! 裁縫道具、貸してください」
竜体では、人型のように共通語を発音することが不可能だ。
旦那とは念話で意志の疎通をする。
竜族が使う特殊な音波による会話も可能だが、旦那相手だと念話が手っ取り早い。
=旦那が俺まで雨風から守ってくれてるなんて、陛下が知ったらぶったまげますねぇ。ま、姫さんの為とはいえ今回は助かりますよ。
この悪天候はセイフォンにいるときすでに、ある程度の予測が出来ていた。
だからこそ【繭】を使い高速飛行でさっさと帝都に着いてしまいたい、という考えもあった。
竜族の気象予報はかなり正確だ。
陛下が大陸中に気象観測官を配置し。
他の大陸の竜帝と気象情報を交換し、専門機関で予報をたてる。
何の為か?
金儲けのためだ。
気象情報はあらゆる分野の商売に重要な<武器>になる。
特に、気象条件が輸送に必須な貿易による利益は莫大で。
国を持たない竜族は、現時代では四竜帝により<会社組織>としてまとめられている。
世界最大の大企業。
人間より圧倒的に数が少ない俺達は竜帝達に雇用され、守られている。
充分な収入に社会保障制度。
それに比べ。
この大陸の人間共は、古い体制に縛られている。
愚かな貴族に飼われ、搾取され続ける民達。
国によっては奴隷制度の残るところさえあるのだから。
=我のりこはお前を気に入っている。お前はりこの‘部品‘として役に立つしな。そういえば……りこに泣かれたぞ。側に居てくれと。……我が染め上げた瞳が涙に濡れるさまは、思わず貪り食いたくなる程に魅惑的だったが我慢した。‘褒美‘は後にとっておき、たっぷりと……ゆっくり時間をかけ、しっかりといただくことにしたのだ。うむ、我は賢くなったな。
=うわぁ、姫さん可哀相に。ほどほどにして下さいよぉ、旦那。カイユにまた怒られちまう。
=カイユ……あれは良い‘部品‘だ。りこにとって、とても良い。りこは今後も、あれには執着するだろう。あれの血には末々まで、りこは執着するぞ?
旦那は俺の額にちょこんと座り。
笑った。
声無いそれに、背筋が凍る。
=もっと、もっとだ。この世界にりこを閉じ込める餌が必要なのだ。我の愛しいりこの執着する‘部品‘がな。以前……我はりこに世界をやろうと言ったのに、断られた。欲しがらぬなら、欲しがるようにしむけるだけだ。
ああ。
可哀相な人だ。
旦那は、まだ分からないのか。
姫さんが、どんなにあんたを愛しているか。
気づかない……気づけないのか。
解らないのか。
どんなに想われても、愛されても。
足りないのか。
不安なのか。
怖いのか。
=ま、そりゃそうと。ねぇ、旦那、陛下はどうです? 姫さんの‘部品‘になれますか?
=審議中だ。りこにふさわしくないなら<処分>して、新しい<青>に替えるだけだな。
=まったく、旦那はおっかないっすねぇ。腹、真っ黒なんじゃないですかぁ?
俺の言葉に。
旦那は自分の腹に視線を落とし。
「白いぞ?」
と、言った。
翌日も暴風雨で。
旦那は朝の挨拶の時だけ寝室に帰り。
常に念話で姫さんと繋がりながら。
俺の額で術式を展開し続けた。
天候は酷くなるばかりで。
まるで。
世界が叫び狂っているかのようだった。
陛下の城にある発着所には、衝撃吸収用の装備が完璧に整えられているのが上空から確認できた。
明かりは無い。
竜族は人間よりも眼が良いし、竜体の時は夜目がかなりきくので問題は無かった。
人影は……小さな竜がわたわたと走り回っているなぁ〜、陛下だな。
駕籠の固定器具を準備しているらしいなぁ、1人で。
ま、仕方ねぇよな。
旦那が雄の存在を嫌がるから担当の奴等は、使えないし。
女子供を夜に……こんな悪天候の野外に出すわけにゃ、いかんし。
=さあ、着陸体勢に入れ‘赤い髪‘よ。我は風雨と気流の調整をする。振動1つ許さぬ。もし、揺れあらば……カイユの腹を引き裂くぞ?
無駄に‘賢く‘なった<白金の悪魔>は、脅し文句も進化した。
俺自身を傷つけられるより、ハニーに何かされることのほうが……愛する者を傷つけられる事のほうが恐ろしいと。
この悪魔のように美しく、天使のように無知な男は知ったのだ。
=降りたら……我は、りこにご褒美をおねだりするのだ。……カイユはお前が抑えておけ。次に邪魔されたら流石に我も、カイユを殺しそうだ。りこに嫌われたくないので、カイユは手にかけたくない。
腹を引き裂くという極悪非道最低最悪発言で、すでに嫌われるんじゃないのかと思ったが。
俺の額の上で。
短い足を使ってステップを踏むご機嫌な様子に、口を噤んだ。