第37話
「姫さん? どうした……海老、好きだろう?」
壊れた窓に応急処置として、板を数枚打ち付けた居間での昼食件夕食(諸事情により、昼ご飯をとってなかった私でした)がテーブルに並べられていた。
大きな海老は丸ごとオーブンで焼かれ、真っ赤に光っていた。
平鍋で炊き上げた魚介たっぷりのパエリヤそっくりの炊き込みご飯。
レースのような繊細な葉が使われたサラダ。
琥珀色のコンソメスープ。
色とりどりの果物が食べやすいようにカットされ、ガラスの器に盛られている。
一口サイズ可愛らしいケーキが金の模様が施された白いお皿に何種類ものせられて……。
いつもだったらうきうきで食べる私がフォークを手に取ることすらせず、項垂れているのを心配したダルフェさんが側に来て言った。
「もしかして、身体が変なのか? 具合が悪いのか?」
私は首を横に振った。
「ううん。違うの。……ハクちゃん、帰ってこないから。だから、その」
あれから1時間以上経ってるのに。
ハクちゃんが戻ってこない。
なんで?
ご飯の時間だよ?
ハクちゃんの好きな‘あ〜ん‘がいっぱい出来るのに。
私達、新婚(?)さん的状態になったはずなのに。
やることやったら、どっか行っちゃうわけ?!
私の胸が貧弱だからかぁ~って、ふざけんなってんだ泣き虫めそめそ竜め!
日本人じゃ標準だ!
一応Cカップだよ、私……ぐっすん。
「トリィ様……」
カイユさんがダルフェさんの首を片手で掴み、軽々と持ち上げ微笑んだ。
「ねえ、ダルフェ。あのケダモノを回収してきて。……言われる前に行け! この役立たずがぁぁあああ!」
「ハ、ハニー、分かった!……って、おいっ。あれ!」
次の瞬間。
破壊音とともに、応急処置をした窓が吹っ飛び。
カイユさんが私を抱えて瓦礫から守ってくれて。
ダルフェさんが凄い勢いで窓から入ってきた黒い物体を、左手で床に叩き落し。
黒い物体は鈍い音をたてて床にめり込んだ。
すべてが瞬く間に行われた。
見えた。
ダルフェさんの動きも瓦礫が舞うのも。
何かが起こったことより、見えた事のほうが衝撃的だった。
私の眼。
色が変わっただけじゃないかも。
「ちゃんと届けたからな、じじい! じゃあな、おちびっ。帝都でな!」
窓の外にふわりと浮いた青い影。
右手を私に軽く振って、消えた。
え?
あれって。
「竜帝さん?……ちょっ」
窓。
さっきよりも、めちゃくちゃだよ?
あんたの会社の建物だよ?
いいのか?
社長だから、いいのか?
「トリィ様。お怪我はありませんか?」
カイユさんが私を抱えたまま部屋の隅に移動した。
椅子ごと。
こんな細くて美人なのに、怪力ですよね。
「カイユ。竜帝さんが……何、どうしたの? ああぁぁ〜!!」
ダルフェさんが叩き落した未確認飛行物体。
斜めになって床に半分埋まっているあれはっ!
「ハクちゃん!」
鉄鍋の蓋の隙間から。
2つの金の眼が光っていた。
「すまぬ、りこ。……重石を無くしてしまった」
「お……おも、し?」
あ……謝るの、そこなわけえぇ~!?
ハクちゃんのせいで壊滅状態になってしまった支店の部屋。
まあ、竜帝さんが止めを刺したって感じだけどね。
あの惨劇の中。
ダルフェさんはテーブルクロスを引き抜き、料理にかけていたためにご飯は無事だった。
凄すぎるよ、ダルフェさん!
床にめり込んだ鉄鍋に冷たい視線を落として、ダルフェさんはカイユに言った。
「ハニー。ここはもう駄目だ。姫さんを駕籠に連れてってくれ……料理は俺が持ってくよ」
いろんな意味で呆然とする私を抱き上げて、カイユさんはさっさと部屋を出た。
屋上へ続く階段を軽やかな足取りで進み、昼間に見た駕籠の扉を開けて中に入り。
駕籠の一番奥にある寝室のベットに私を降ろしてくれた。
「準備をしてきます。私が迎えに来るまでここでお待ちくださいませ」
そう言うと足早に部屋を出て行き……。
行かなかった。
視線を下に落とすと……開けた扉を勢い良く閉め、私の方を向いて言った。
「トリィ様。ご許可下さればカイユが‘あれ‘をトラン火山に捨ててまいりますが」
は?
あれ?
捨て……って、まさか。
カリ。
カリカリ。
カリカリカリ……。
猫がドアをひっかくような音がした。
まさか。
「りこ~、りこぉおおお」
念話。
私はベットから慌てて扉に走り、開けた。
床にいた。
そこに居たのは。
蓋をした鉄鍋。
底の部分から白い鱗に覆われた2本の足が突き出ていた。
小さな真珠色の爪には木屑が……この扉と同じ水色の。
絶句した私にカイユさんが言った。
「どこへ捨てても戻ってきますね、これは。……埋めてしまいましょうか?」
「え、えっと。あのっ……」
あきれたように言ったその顔は……柔らかな笑みを浮かべていた。
「トリィ様のお好きなようになさいませ。‘これ‘は貴女様のモノですから」
足の生えた鉄鍋を掴んで無造作に部屋に放り投げ。
静かに扉を閉めて。
カイユさんの足音が遠ざかり。
寝室には私と……。
「すまぬ、りこ。<青>に探させたが重石が、そのっ……どうしても見つからなかった。せっかくりこがのせてくれた重石だったのに。不甲斐無い我を許してくれっ」
足の生えた鉄鍋と2人きり。
なんなの、これ。
なんだ、これはっ!
「……ぶっ!」
だ、だめ。
我慢できな〜い。
「ぶぶっつ……うははひゃひゃあぁぁ〜!」
「りこ?」
だめ、やっぱり……だめだ。
この子にはかなわない。
「な、なんで鍋のままなの? うう、おもしろすぎるよ」
ハクちゃんは金の眼をほんの少し蓋をずらした隙間から覗かせ言った。
「出てはいけないからだ。りこが許してくれるまでは駄目だから。術式も使わなかったぞ? 我は反省中なのだ」
鍋の底の足が引っ込み、蓋が完全にしまった。
床にあるのは一見すると普通の鉄鍋になった。
「我は……我は、りこを傷つけてばかりだ……心も、身体も」
ハクちゃん。
「我はりこを、りこだけを愛してる。傷つけたくない……大切な、大切な我のりこなのに」
ハクちゃん。
やっぱり。
貴方にはかなわない。
「ハクちゃん。初めての‘愛してる‘が鍋の中からじゃ、さすがにちょっとね。感動が笑いに傾いちゃうよ」
私は鉄鍋に近寄って、しゃがんだ。
蓋をそっと外して中を覗き込む。
白い竜が身体を丸めていた。
お腹にくっつけるように曲げられていた小さな頭がゆっくりと持ち上がり。
金の眼に私が映る。
「……りこ」
きらきら光る金の眼の中。
私が笑っていた。
ハクちゃんとお揃いの金の眼で。
幸せそうに。
微笑んでいた。
「もう1度。‘愛してる‘って言ってね。抱きしめて、言って。私だけを愛してるって」
ハクちゃん。
大好き。
可愛い貴方も、怖い貴方も。
「愛してるよ、私のハクちゃん」
「こ、こ、このケダモノがー! トリィ様から離れろっ」
人型になったハクちゃんに抱きしめられて。
顔中に……ひんやりとした唇の感触。
柔らかで優しいそれに、心が蕩けてしまいそうで。
キスの合間にたくさんの「愛してる」をもらった。
だんだん深くなるキスに意識がぽわ〜んとなって……身体がふわふわなんだかじんじんなんだか、訳が分からない状態になってきた時。
カイユさんの怒声で我に返った。
「えっ……ちょ、な、うっきゃあぁぁ~!?」
なんでベットの上?
なんでワンピースがぬ、ぬぬ……脱げかけてんのよっ!
うわっ?
な、なんてところを触ってんのよ、このでかい手は!
て、ていうか。
なんで、いつの間にこの体勢に持っていったんだぁあ~!!
「出て行け、カイユ。我は昼間の失態を挽回す……ぐがあっ!」
私はのしかかっていたでかい身体のお腹に、両足をそろえてキックを入れた。
もちろん手加減なしだ!
敵(?)がひるんだ隙にベットからダッシュで逃走し、カイユさんの腕の中に避難した。
「トリィ様! お怪我はありませんか?」
カイユさんが乱れた服を手早く整えてくれた。
うううぅ……は、恥ずかし~い!
「り、りこ! 今度こそ、我は必ずりこに最高の悦楽を与えてみせよう! 誓う! だから、もどって来い。な? さあ、こっちに……」
ハクちゃんの金の眼が細められ。
無表情だった美貌が……艶やかな笑みを浮かべた。
男の人なのに。
とんでもなく、色っぽい。
その顔を直視した私の全身に震えが走った。
本能が危険を叫び、脳内にサイレンが鳴り響く。
危険。
近寄るべからず!
速やかに退避せよ!!
「りこ。さあ、我の愛しい妻よ」
白く長い指が私を手招く……。
ひっいぃいいぃ~!
「りこ……」
金の瞳がきらりと光った。
ぎ……ぎゃあぁー!
い、い、いやー!
怖い、怖すぎるぅうう~!
「ハ、ハクちゃんの馬鹿、最低! ……何考えてんのよ!? ちっとも反省してないじゃない! もうっ! ……当分の間、駄目なんだからね!」
ベットの上でお腹を押さえる素っ裸の旦那様を残し、私はカイユさんの手をひいて部屋を出た。
駕籠の中はまるで豪華なホテルのようだった。
さすがに異世界!
飛行機のファーストクラスよりすごいんじゃない?
ま、そんなのテレビでしか見たことないけれど。
後で探検しようっと!
中央部分のリビングスペースに行くと、テ−ブルにはさっき食べそこねた料理が並べられていた。
「カイユ。ありがとう。ダルフェが来たら皆でご飯、食べよう!」
なるべく皆で食卓につくようにしてもらっていた。
一人でカイユさんに給仕されながら食べるのは嫌だったから。
カイユさんは私がにこにこしていることにほっとしたような顔をした。
「トリィ様。無理していませんか? あのような事があったのですから、触れられることすら恐怖なのでは……。私からヴェルヴァイド様にはっきりと言いましょうか? あの方にはトリィ様の心情を察して行動するなんて高等なことは無理ですわ」
「ううん、いいの。あの時は……無理やりとかじゃない。ハクちゃんは、悪くないの。それに、えっとね。その……私」
あ。
言わなきゃ。
カイユさんには。
この人は本当に私のことを考えてくれている。
だから。
言わなきゃ。
「私、やめてって……あの時、言わなかったの。ハクちゃんを止めなかったの」
「トリィ様……」
言わなきゃ、駄目だ。
「私。欲しかった、あの人が。傷つけるの分かってたのに、泣いてるの知ってたのに。ハクちゃんが欲しかった。これで、この人は私のものになるって思った。……ずるいでしょう? 酷いでしょう?」
自己嫌悪で顔を伏せた私の頭を、カイユさんが黙って抱いてくれた。
「この世界に勝手に連れこられて。……大切だったもの、全部無くなったの。なんにも持ってない私になっちゃって」
カイユさん。
私を軽蔑しますか?
「こんな世界、嫌い。大嫌い」
優しい手が、頭を撫でてくれる。
「帰りたい。でも、ハクちゃんが……ハクちゃんが私を、私に」
カイユさんは、良い香りがする。
抱っこされるたびに思っってた。
懐かしい香り。
記憶には無いのに、懐かしいと感じる。
懐かしいの。
すごく、すごく……懐かしい。
「私に……全てをくれるって。私の望みは全部かなえてくれるって」
ハクちゃんは言った。
望めば。
私に‘世界‘をくれるって。
「世界なんかいらないの。私の望みは」
ずっと。
ずっと、探してた。
私だけの誰か。
私だけを想ってくれる人。
私だけを。
あきらめてた。
夢物語だと。
そんな人は、いないんだって。
有り得ないって。
でも。
見つけた。
やっと、見つけた。
私の全てを捧げます。
家族も、世界も捨てるから。
だから。
お願い。
もう。
独りにしないで。
「カイユ。私はあの人の全てを、手に入れたいの。全部、欲しいの」
髪の毛1本も、鱗の1枚だって。
誰にも渡したくない。
私だけの貴方にしたい。
カイユさんが私の耳にそっと囁いた。
「……仰せのままに。私のかわいいお姫様」
カイユさんの長い銀色の髪が。
さらりと流れた。
《異界にいたのね、可愛い私の娘。愛しい子。母様は貴女の味方よ。私が土に還っても、胎の子が貴女の側に。アリーリアの血は貴女と共に。……竜族が滅びるその時まで》
この時の言葉は私の耳には届かなかった。
竜族のみに聞き取れる特殊な周波のそれを、聞いていたのは3人。
壁の向こうに居た白い竜と。
駕籠を足に持ち、夜空に飛び立った真紅の竜と。
そして。
カイユさんのお腹にいた、あの子。
私がカイユさんの【誓約】を知ったのは。
ずっと先のことで。
‘母様‘に、2度と会えなくなってからだった。