第32話
「支店長。自宅に皇室から使者が来て、これを……」
おずおずと差し出された封書を受け取り、バイロイトはため息をついた。
カイユから皇室関係の者は取り次ぐなと言われていた。
本来なら無視すべきなのだが……。
内容を確認し、ますます気が重くなってしまった。
異界の無機物が国内の闇市で取引されていた。
組織は潰したが、押収した数点の品物がこの世界にとって害有る無機物か判別できない。
現在、市庁舎に保管中。
<監視者>の判定を求む。
貴族特有のやたらに飾られた無駄な単語を省いてしまえば、内容はこんなものだ。
「あの、支店長。皇室はなんと? 使者は支店長に渡すようにと。なぜ、私に……」
「昨夜来た使者を追い返したからですよ。……4階に滞在している御方の事を皇室が嗅ぎ付けたんです。貴方を介せば<支店長>にはこれが届きますからね」
床に視線をさまよわせ、ぼそぼそと言うシャゼリズに藍色の眼が向けられる。
金箔で花模様を施された最高級の紙を軽く掲げ、バイロイトは言った。
「<監視者>が来てるんですよ。あの御方への鑑定依頼書を装った招待状のようなものです」
薄い茶の眼が見開かれる。
バイロイトはうっすらと笑みを浮かべた。
上品な容姿に不似合いな……嘲りの笑みを。
「なんと愉快で愚かなことでしょうね? あの御方に近づこうとする王族という生き物は。あぁ、貴方はどうしますか術士殿? <監視者>に会いたいと望むならば<支店長>である私が責任を持って会わせて差し上げます」
弾かれたように顔を上げ、食い入るように自分より頭2つ分は背の高いバイロイトを凝視した。
「し、支店長……私はっ」
「命の保障はできませんが」
シャゼリズ・ゾペロという偽名で生きてきた男。
母親は稀代の術士ソフェ・ルイシャン
術士なら皆、彼女の名を知っている。
彼女が天才的な才能を持っていたからではない。
<監視者>に<処分>された術士として記録されているからだ。
小さな小さな羽虫1匹のために<処分>された術士。
「……どこまで‘私‘の事をご存知なんですか? バイロイト支店長」
バイロイトは不似合いな笑みを消し、いつもの柔らかな微笑みを浮かべて答えた。
「さあ? まぁ、今回は<監視者>に会うのはお止めなさい。貴方は失うには惜しい術士です」
優雅な仕草で書状を折りたたみ、胸ポケットにしまう。
「シャゼリズ・ゾペロとしてこのまま生きていきなさい。協力は惜しみませんよ。ソフェの望みは君の幸せな未来だったのだから。……今日はお帰り。明日からは通常営業ですから出勤時間はいつも通りでお願いしますね」
藍の眼は幼竜達に向けているものと同じ……深い慈愛をたたえていた。
シャゼリズは何か言いかけた口を手で押さえ、2回程深く息を吸った。
もっと……もっと早くにこの竜族に会えていたならば。
自分はここまで堕ちていなかったかもしれない。
だが、手遅れなのだ。
「はい。支店長」
契約期間中は‘腕は良いが人見知りでおとなしい術士‘でいよう。
それが自分にとって……幸せだったと思える最後の時間になるだろう。
「これ、コナリが作ったんですぅ~! 早起きして、ダルフェさんと頑張ったんですぅ」
「この変な形の焼き菓子、コナリ作でしょ! トリィ様のお皿に入れちゃ駄目。ラーズが食べなよ!」
「え~、ずるいよミチ! 僕、こんな不気味な形のイヤだよ。コナリちゃんが責任とって自分で食べればいいじゃないか」
お茶会は支店長さん抜きで始まっていた。
三人のお子様達は元気良く挨拶をし、自己紹介をしてくれて。
見た目はまだ小学5〜6年生のこの子達が従業員として勤務してるなんて、内心はびっくりしたけれど……。
日本じゃない。
私のいた世界じゃないのだから。
私の常識で考えちゃ駄目だと思い、顔には出さないようにした。
こんな子供のうちから親元を離れて働いてるなんて。
支店の3階従業員用居住区で支店長さんと4人で暮らしているそうだ。
「コナリちゃんの作ってくれたお菓子、いただくね。ありがとう」
私がぐーすか寝てる間に作ってくれたなんて。
感激だよ!
私がクッキーを取ろうとすると、お皿ごと奪われた。
賑やかだったお子様達がおしゃべりをやめ、固まった。
「ハクちゃん……?」
私の隣に大人しく座っていたハクちゃんが動いたのだ。
緊張しながら話かける子供達を完全無視して、分厚い書類を見ていたのに。
その失礼な態度を注意しようとしたら私がお子様3人に……注意することを止められた。
「いいんです! 僕達は、その、あのっヴェルヴァイド様を怒らないで!」
リーダー格らしいミチ君が手をぶんぶん振りながら言う脇で、ラーズ君とコナリちゃんが激しく頭を上下させていた。
あわあわする3人の希望に従い、ハクちゃんは放っておいたんだけど。
何故にお皿を強奪しますか~!
「これは駄目だ」
冷ややかな金の眼がお皿の上の謎めいた形をしたクッキーに注がれた。
クッキーが瞬間冷凍されちゃうような冷たい声音と視線にお子様達が凍りつく。
ま、まずいよ!
怖がらせてるよ~!
「な! ハクちゃん、駄目ってなんでっ」
「これはスプーンが使えん」
はい?
スプーン?
「りこには、スプーンを用いる食物を希望する」
ダルフェさんとカイユさんが顔を見合わせ、困惑した表情を浮かべた。
お子様三人は凍りついたまま動かない。
「スプーンが無くても給餌はできますよ。菓子を指で摘んで彼女にお与えになれば良いんです」
遅れてすみませんでしたとニコニコしながら空いていた席に腰を下ろした支店長さんは、ほっそりとした長い指でクッキーを1つ挟み……。
「ラーズ君。あ~ん」
固まっていたラーズ君の口を強引にぱかっと開けて、クッキーを入れた。
「ね?」
上品に微笑むナイスミドルなおじ様に、悪魔の尻尾が見えた気がした。
「りこ。あ~ん」
白い指がクッキーを私の唇にむぎゅっと押し付けた。
皆の視線が私に集中した。
ひぃい~っ!
お子様達の前でですか?
昨日の昼・晩ご飯……そして今朝の朝食と‘あ〜ん‘され続けてきた私ですが。
ハクちゃんのきらきらお目目に負けてきた私ですが。
支店の人達に私を「見せたくないが、りこの望みなら耐える」と、うるうるの瞳で言われて思わず自分から進んで‘あ~ん‘をしちゃった私ですが。
無理。
駄目。
嫌。
こんなかわいい子達の前で……い・や・だぁー!
私にだって26の大人としてのプライドが~!
「い、いや……むぎゅがっつ?!」
唇に押し付けられていたクッキーが口に不法侵入した。
最悪なことに……クッキーだけじゃなく、指まで入ってきてるぅぅうう~!
押し込められたクッキーと、二本の指。
恥ずかしいどころじゃない。
そんなかわいい事態じゃないよ!
く、苦しい!
「ぐ、がっ、ごほごほっつ!」
クッキーが気管に入りそうになり、盛大にむせた。
さっさと抜いてくれない指のせいで変なむせかたになり、呼吸ができない。
私は死に物狂いでハクちゃんの手を掴み、引き抜いた。
「うっつ……げぇっ」
吐き出されたクッキーが床にぽとんと落ちる。
咽喉を押さえて咳き込み涙を流す私にカイユさんが駆け寄り、背中をさすってくれた。
ひゅーひゅーと変な息と咳が止まらない。
なんなのよ、これ。
新手の嫌がらせか拷問かぁ~!
「わかりました! だから、まだ……もごっ」
悶絶する私の姿に、支店長さんが何か言いかけた。
カイユさんのおかげでかなり楽になった私が顔をあげると、支店長さんの口をダルフェさんが塞いでいた。
「世界平和の為に黙れ! このお節介オヤジがぁ!」
世界平和。
まずい!
ハクちゃんだ!
「ハ、ハクちゃん! ……ハクちゃんっ」
隣に居たはずのハクちゃんがいない。
立ち上がって見回したけれど、目に付くと所には姿が無い。
「トリィ様、ヴェルヴァイド様は……」
カイユさんが不安げな声をあげた。
私は支店長さんに抗議すべく彼の側に早足で移動し……。
ダルフェさんが彼の口から手を離すと同時に。
頬を引っ叩いていた。
私、この世界に来てから手が早くなった気が。
ハクちゃんの影響かな?
でも。
だって!
「ハクちゃん、傷つきました! 貴方があんなこと教えたからです!」
ハクちゃんは素直で、不器用で。
自分の手が私を傷つけるのをとても怖がっていたのに。
苦しそうに咳き込む私を見て、どこかで自分を責めているに違いない。
不用意にあんなことをハクちゃんに教えるなんて。
未だに手をにぎにぎしている彼に。
どこかでまた、内臓を眼から出しちゃってるかもしれない。
泣いてるかもしれない。
私の可愛いハクちゃんは繊細なのだ!
支店長さんの藍色の眼が細まる。
温和そうな顔が一瞬で鋭い印象に変わった。
「貴女が給餌行為に抵抗したからでしょう? 傷つけたのは貴女でしょう?」
なっ!
「貴女を独り占めしたい、隠しておきたい彼の気持ちを理解せずこうして暢気に他の雄竜と会っている。貴女の軽はずみな行動が彼を苦しめるんです」
支店長さんはゆっくりと私に向かって両腕を伸ばし。
「自覚をしなさい。貴女自身の為に」
意図を察した私が下がろうとする前に、支店長の腕に捕まり引き寄せられた。
端正な顔が私に落ちてきた。
キス。
キスされた。
口に。
支店長さんに。
他の男の人に。
「い……い、や」
ハクちゃん。
悪寒が身体を走り回る。
思いっきり手で押すと、支店長さんはすんなりと腕を離した。
両手で口元を抑え、言葉を失う私に彼は言う。
「貴女はとても弱い生き物なんです。常に守られていなければ。簡単に殺すことも犯すこともできる」
ハクちゃん。
私、キスしたこと無かったの。
「貴女はあの御方の全てを受け入れるしかないんですよ。貴女自身と、貴女に関わって<監視者>の怒りを買い消される者達を出さない為に」
私。
26だけど‘大人のお付き合い‘はしたこと無かったから。
「バイロイト! 貴様、狂ったか! トリィ様に……!」
カイユさんがダルフェさんに羽交い絞めにされている。
「離せ……殺す! 私の大事なトリィ様になんてことを! 四肢を引き裂いてやる!」
「待て、ハニー! ここに居たらやばい。おい! ちび共、逃げ……っつ」
ハクちゃん。
初キスはハクちゃんと。
ハクちゃんとしたかったのに。
「りこ。泣くな、りこ」
ハクちゃん。
来てくれた。
恐ろしい程、綺麗な顔が下から私の顔を覗くようにして言った。
「りこの心が我を呼んだからだ。竜珠が‘心‘を我に送ってくるほど悲しかったのだな?」
床に両膝を付いたハクちゃんは蕩けるような金の眼で。
「ハ、ハクちゃん! ハクちゃん……わ、私っ」
私はハクちゃんの首に両腕で抱きついた。
「誰に泣かされた……我以外の雄がりこに触れたな。この匂い。あれか」
え?
匂い?
「連帯責任という便利な言葉を知っているか? 幼竜達よ」
初めてハクちゃんが子供達に喋りかけた。
冷たい声だった。
「支店ごと全て潰そう。建物も、愚かな雄も……お前達もな」
「都市……いや、メリルーシェごと潰すか。今の我はとても気分が悪いので。全て消してしまいたいほどだ」
私の身体に慎重に触れ、抱き上げたハクちゃんは……微笑んだ。
その笑顔を間近で見た私は凍りついた。
こんな微笑みがあるんだ。
ぞっとした。
「りこから他の雄の匂いがする。……あぁ、怒りのあまり世界をめちゃくちゃにしそうだぞ」
こんな微笑み。
させたくなかった。