第2話
薄暗い廊下を歩いて案内された。
静かな石畳みの廊下に間抜けな音が響く。
ぺたぺた……ぺたぺたぺた。
ああ、思い出した!
寝付けなかったから一階の台所に向かってたんだ。
ポカリでも飲もうかなって。
ぺた……ぺたぺたぺた。
だからスリッパを履いてたんだ。
妙に頭が冴えてきた。
周囲の観察より、今後の自分の処遇が気になるよ!
う〜ん。
これって、高校生のときに夢中で読んだライトノベル的に言うなら‘異世界トリップ‘ってこと?
殴った手がまだ少し痛いから、現実ってことになる。
さっきの青年の様子からすると、望まれての事じゃないね……絶対。
ライトノベル的筋書きなら……魔王を倒すためとか、世界を救う鍵とか、封印を解くとか。
で、王子様・騎士・魔法使い・勇者等のうさんくさい職業の美形イケメンとハッピーエンドになるんだよね。
私はどうせなら職人さんとかを希望したい。
庶民の私じゃセレブ人種とは、価値観が絶対合わないし。
う……って、言うか私は来年の秋に挙式予定!
帰れなかったら?
どうしよう……家族や安岡さんに迷惑かけちゃう。
安岡さん……一応、婚約者だし。
お母さんの知り合いの息子さん。
紹介されて感じの良い人だったし、大手企業のお勤めだってお母さんが喜んでたから結婚してもいいかなって決めちゃったんだよね。
恋愛感情は無かったけど、結婚してから好きになるだろうって。
これって……友達がどんどん結婚してたから、焦っちゃったのかな。
こんな考えで結婚しようとしたから、ばちが当たったのかな?
ばち……。
もしかして生け贄とかで連れてこられたとか?
26歳の私に恋愛ファンタジーが用意されてるなんて、思い上がりだよね……。
ぴちぴち女子高生の役割だよ、それは!
やっぱり生け贄コース?
だから頭を下げたの?
『どうぞ。こちらでお休みくださいませ。御用の時は呼び鈴を遠慮なくお使いください』
おっと! そうでした。
侍女(?)さんにしょっぴかれてる最中でした。
木のドアが開かれ、背中を優しく押され……、ドアを閉めて侍女さんは去って行った。
「なんて言ったのかな?全く分かんないし」
でも、背中を押してくれた手は優しかった……温かかった。
悪意は感じなかった。
見回した室内は薄暗かった。
電気が無いんだね。
壁のランプだけが頼りで……。
広間はとても明るかったのに。
薄暗い部屋より、窓の外の方が明るい……月明かりだ。
ソファーとベットがどーんと置かれた薄暗い部屋は、なんか不安で……。
月明かりに誘われるようにベットを乗り越えて、テラスへ出た。
あ、ガラス戸……ガラスはあるんだね。
外側に押すと簡単に開いたから、ちょっとびっくり。
閉じ込める気は無いんだ。
逃げられないようにしないってことは……生け贄説は除外だ!
外は見事な庭園だった!
うわ〜。
入場料を払ってもいいよ、ここ!
雑誌で見たイングリッシュガーデンみたい。
満月の下で……幻想的な風景に絶句。
あ、月は1つだ。
地球からの眺めと同じで……なんか安心した。
東屋を発見!
さっきのベッドから毛布とか持ってきて、ここのベンチで寝よう!
気温はそんなに低くないし。
薄暗い部屋より、明るい月の下のほうが良い!
私は急いで部屋に戻り、毛布を抱えて寝床を作った……大満足。
枕は羽枕でちょっと柔らかすぎるけどね。
周りは花がいっぱいで、良い香り……。
「……え?」
薔薇に似た花々の上を何か飛んでる……。
白くて、きらきらして……?
なんだろう?
蛾かな?
蛾にしてはでっかいし。
小型犬位ありそう。
危ない生物だったら、どうしよう。
でも、はっきり見たい!
確認したい!
あの飛んでる生き物……私には竜に見えるんだよね。
胴長のアジアっぽい龍じゃなくて、西洋の龍に見える。
さすが異世界トリップ!
竜がいるなんて……定番だよね、うん。
せっかくの機会だし、やっぱり近くで見たいし触ってみたいな〜。
私、爬虫類は好きだし。
特に鱗のある蛇・トカゲが好きなのよね。
ひんやり・つるつるで……ううっ、あの竜が鱗系生物ならぜひぜひタッチング希望です!
不安で落ち込んでた心が、美しい庭園と竜らしき生物のおかげで急浮上してきた。
ずぶとい神経っていうよりも……精神の自己防衛機能で、私は逃避したんだと思う。
「りゅ……」
一歩を踏み出すと同時に、驚くべき事がおこった。
「お前は何者だ? ……異界の匂いがする」
日本語……だ。
日本語!
一瞬のうちに、竜が目の前に居た。
瞬間移動ですか?
「違う。普通に移動しただけだ」
金色の眼に私が映ってる……きれいな目玉だね〜、うっとりしちゃう!
うっとりしてる場合じゃないよ、私!
「ねえ! 日本語しゃべってるよね? ぎゃー! やったー! 言葉が通じてるよう……うううううええ〜ん!」
感極まって変な声が出て、涙が噴き出してしまった。
これが嬉し泣きってやつだ!
初めての体験!
「うえっつ、うえ〜……うぐうぐ! わ、わた……しここで、一人で、うう……どうしていいかわからなくて怖くて……えぐえぐっつ、ぐふっ」
多分、かなり見苦しく汚らしい泣き顔になってるはず。
涙・鼻水がどわーっと出てるし、うまく息つぎが出来なくてむせちゃってるし。
26歳の大人の女としては……女として終わった感じの有り様かも。
でもでも、止まんないよ〜、うれしいよ〜〜!
げふげふっ! うう、苦しいなあ。
「すべての思考を我に向けるな、異界の人間よ。うるさくてかなわん!」
鼻が触れ合うほど、眼と眼が覗き込めるほど近くにあった竜(たぶん竜・しかも鱗系だ!)が、くわっと口を開けた。
かわいい歯と牙が見えた。
真珠で作ったみたいなきれいな……まるで宝飾品のような。
ああ、体もきれい。
真珠の光沢を持った純白の鱗!
触りたい、触りたい……触りたい!
「変な人間だな。この我に触れたいとは」
すーっと、私から距離をとった竜は首を傾げながらそう言った。
小型犬サイズの竜のそのしぐさは私にとって、悩殺ポーズに等しかった……うん。
あんまり可愛いから私の涙腺と鼻水が、ぴたりと止まる。
思考回路も回復したみたい。
だって、すごいことに気がついたし。
「……もしかして、私の考えてる事がつつぬけ?超能力?」
竜の金の眼が細くなる。
「つつぬけではない。お前が我に伝えたいと念じたことのみだ。我は声を理解したわけではない
し、日本語とやらも喋れん。念話でお前と喋っている状態だ」
パジャマの袖で顔を拭きながら考えてみた。
むむ。
そういえば、声はしない……聞こえてこない!
だからこの超かわいい子の声質はわからない。
ただ頭で会話の‘意味‘が理解できてるだけって感じ。
本を黙読している感覚に近いかな?
「この我は‘声‘を持たぬからな」
「声がない……。でも念話っていうことができるんだね!」
しかもすっごく、賢い気がするの。
ちょっと古風で俺様っぽいけど。
知性の高さは私なんか及ばない感じ。
羽を動かし浮いている小さな体。
小さいけれど、すごい存在感があるし。
動作もかわいい……ううん、優雅で品がある。
高校生から愛用のパジャマに3足980円のスリッパを履いた私には、触ることなど許されない高貴な……。
袖に涙と鼻水も付いてる26歳。
悲しさを通り越して、笑えるかも。
「満点大笑いです! みたいな?」
「おい。意味がわからんぞ」
とにかく……せっかく出会えた意思疎通のできる存在!
離れたくない……ってか、逃がすか!
「あ、あの。もしも可能ならば私と一緒に居て欲しいの! あなたの存在が必要なの」
どう言ったら良いんだろう。
この子にはこの子の生活があるわけだし。
でも、私も追い詰められた状態っていうか……。
「……我と居たいと? この我を求めておるのか?」
金の眼をくりんと回して私に合わせた竜は、またまた首を傾げた。
うわっ!
ホントにラブリーだよ〜!
念話にならないように……自分自身に語りかけるように心がけた。
だってこんなマニアックな目線で見てるのがばれたら、変質者と思われて逃げられちゃうかも!
「うん、うん!ずっと一緒にいたいの。私でできることは何でもする!」
「ふむ。……では、我に名前を与えてくれ」
え?
名前?
この子は名前が無かったの?
こんなにかわいいのに!
なんて役得なんでしょう。
おいしい展開だよね、これ。
こんな可愛い竜(鱗系!うれしー!)に私の考えた名前をつけれて、一緒にいられるなんて。
「無理ならよい。我はいままでもそうだったのだから」
ほんの一瞬、金の眼が揺らいだように見えた。
「はい、決定しました!白からとって<ハク>に決定!」
「お前……名前を……」
私は即決してた。
安直な名前だけど、これしか浮かんでこなかったし。
何より名前を……て言われたら<ハク>がぱっと出てきたし。
「あなたはハク。私は鳥居りこです。これから末永くよろしくね!」
「……我はハク。そうか、そうだったのか! くくっ……はは」
ハクが笑った。
金の眼が細くなって、かわいい歯と牙が見えるほど口が開いてたけど声は聞こえない。
ちょっとだけ寂しい気がした。
「あのね、鳥居は名字で、りこが名前なのよ」
「……しばし待て」
ハクは小さな手を合せ、お祈りでもするかのように眼を伏せた。
私はその動作があんまり可愛くて凝視してしまった。
あれ、指の隙間から淡い光が。
ハクがそっと手を開いた。
「わ〜、きれいだね。真珠みたい」
直径は2センチ位かな。
きらきらしてる球体……淡く発光してて、すごっく綺麗。
「なに、それ……うがあっつ!」
口にハクの手が!
ぎゃー!
いきなりグーをつっこむ? 普通さ!
悶絶する私の口の中でハクはゆっくり手を開き、舌の上に何か置いた。
置いた瞬間、砂糖菓子の様にそれは消えた……少し甘かったかも。
ハクが手を私の口からずぼっと取り出し、べろんと舐めた。
な……なっ、何?
ぎゃー、私の唾液の付いた手を舐めてるよ!
しかも丹念に!
だいたい何をつっこんだの?
あ、もしかして……さっきの真珠みたいの?
「あ……あ、飴をくれるなら普通にちょうだいよ! びっくりしたよ」
「飴ではない。竜珠だ」
竜珠って……お菓子の名前かな?
こっちの世界のお菓子か!
なるほど。
「我の名を呼べ、りこよ!」
手を腰にあて、ふんぞり返ったハクが妙に偉そうに言った。
ナイスポーズ!
これまたかわゆい。
デジカメも携帯も無いのが悔やまれる。
「ハク……ハクちゃん、うう。デジカメ〜!」
「? でじかめ……とは何だ? しかも<ちゃん>とは何だ。女・子供じゃないぞ」
まずい。
思わず言ってしまった。
だって、かわゆいからさ〜。
誤魔化さねば!
「わ、私の国では親しい相手に愛情を込めて使うのよ! 愛情表現だよ。うん!」
「なるほど。我もりこちゃんと呼ぶべきなのか?」
「ううん。必要ないよ。りこちゃんはにこちゃんみたいで好きじゃないの。だからりこって呼んでくれたら嬉しい」
小学生の時にニコチャンマークってからかわれたのが、辛かったんだよね。
今、考えてみるとたいしたことじゃないんだけど。
当時は泣いたな……くすん。
「わかった。りこだな。で、これからどうする?」
「え? どうするって? もう夜だから寝ようよ。明日はハクちゃんの力を借りて、今日会った人達にいろいろ質問したいし」
さすがに、疲れました。
ハクちゃんという味方ができたからか……張ってた気がふにゃふにゃだよ。
私はふらふらと東屋に戻り、スリッパを脱いで毛布に潜り込んだ。
「おい、りこ! こんな場所で寝るな……りこ、りこ!」
うう……だめ。
意識朦朧って、このことだ。
すべては、朝になったら考えて……。
とにかく、寝よう。
「おやす……み、ハクちゃん」




