第26話
「支店長〜! カイユ様から連絡が入ったから伝えてってミチ君が……。到着時間は予定より早くて、なんと夕方には着いちゃうかもって! どうしましょう〜」
メリルーシェ王国東部最大の都市フィルタにある青印商事メリルーシェ支店。
2階の事務所で午後のティータイムの準備をしていたバイロイトは<今週の副支店長>の言葉に耳を疑った。
事務所に駆け込んできた少女は今、なんと言った?
子持ちの自分ではあるが、聴力が衰えるほど老いてはいない。
幻聴か?
あまりの忙しさにやられたのか?
「落ち着きなさい、コナリ副支店長。そんなに早く着くはずがないよ。君の聞き間違えだろう」
巻き毛を頭頂部で1つにまとめ、大きなピンク色のリボンで飾ったコナリ嬢は大きな瞳をうるうるさせながら頷いた。
「コナリも早すぎると思いますぅ。でも、でも〜」
セイフォンを出たのは一昨日の夜だと報告を受けている。
ここまでは通常飛行速度で丸3日以上かかる。
あわてん坊のコナリのことだ。
憧れの人であるカイユが関係した伝言に舞い上がってるだけだろう。
茶器をテーブルに並べ、昨日の昼間に買ってきておいたアチア菓子店の焼き菓子数種を器に盛り付けた。
「ほら、コナリの好きなアチアのお菓子ですよ? 先に食べてていいですからね。私はミチ課長達を呼びに行ってきますから」
事務所の扉を開けた支店長に副支店長が慌てて注意をした。
「違いますよ! 今週の課長はラーズ君ですぅ。ミチ君は係長ですよ〜。支店長はいっつも間違えるんだもん。ジャゼさんを見習ってくださぁい! ジャゼさんは半年先の役職当番まで暗記してますよぉ」
「……すみません。善処します」
今週は副支店長がコナリ、係長がミチ。ラーズは課長。
どうでもいいような気もするが、彼等にはこだわりがあるようなのでバイロイトが合わせるしかない。
コナリ達三人はまだまだ幼いのだから。
幼竜は絶対数の少ない竜族にとっては宝物。
愛情を注ぎ庇護してやる存在の可愛い遊びに付き合うのは、なかなか楽しいものだ。
階段を降り、1階の店舗で納品された新商品の展示作業をしている少年二人の姿に自然と顔が綻んでしまう。
20年もすれば自分の息子も共に働けるようになるのだろうか。
想像しただけで幸せな気分になれる。
「ラーズ課長、ミチ係長。お茶にしましょう。あ、ミチ係長。電鏡を貸してください。後でカイユに確認したいことがあるんです」
濃茶の髪を後ろで三つ編みにしたミチは、にこにこしながら電鏡をバイロイトに差し出した。
「はい、支店長。カイユ様は予定より早く着いちゃうみたい。楽しみです! 僕、お会いするの初めてでドキドキして……。昨夜は興奮しちゃって寝れませんでした」
「僕も、僕も! 竜騎士の中で1番強いんでしょう、カイユ様って? 母様に自慢しちゃいます。きっと驚きます!」
普段は大人しいラーズもぴょんぴょんと飛び跳ねて、落ち着きが全く無い。
「事務所で休憩しておいで。今日は皆、気が高ぶってるようだから店は早く閉めることにするよ。私が戸締りしておくから」
「はーい!了解で〜す」
仲良く手を繋いで階段を上っていた二人を見送り、受け取った電鏡を上着の胸ポケットに入れてから店の鍵を閉めた。
簡素な鍵は外から強く押せば壊れるような脆い作りだが、此処に強盗に入るような命知らずは居ないので十分だった。
青印商事メリルーシェ支店などという地味な名前ながら珍しい4階建てで、なかなかに洒落た外観を持つ建物の主が青の竜帝であるということは誰でも知っている。
店舗入り口の扉は所有者を知らしめる為に特殊な装飾が施されていた。
青い扉に浮かび上がるように彫られた羽ばたく竜の紋。
何を表すかは一目瞭然。
「さて。ジャゼリズには暫く出勤は無しと連絡してあるからよしとして」
シャゼリズ・ゾペロは最近契約した術士で昨日から休んでもらっている。
風邪をひいたらしくずいぶんと咳き込んでいたし、カイユが滞在中は休業していいと帝都の社長から指示が出ていた。
あの金儲け大好き社長らしくない指示だが……。
忙しかったので正直な所、助かった。
休業して、カイユの任務をちょっと手伝うだけでいいというし。
「さて。カイユは何泊するのかな? そういえば何の任務中なんだろうか。社長はカイユの指示に従えってしか、言わなかったしな。私は電鏡とあまり相性の良くない体質だから、ミチにカイユからの連絡はまかせっきりにしていたけれど……。高速移動中のせいか、ミチもカイユの言葉が聞き取りずらいと漏らしていたな」
電鏡は手の平に乗る程度の小さい物を、この支店では使っている。
携帯に便利なことが売りの製品だが、大型の物より1回の使用時間が短いのが難点なのだ。
カイユが使っているのも同じ物だから1回に3分程度しか使えないし、1度使うと1時間程休ませないと音声がぶれてしまう。
携帯用電鏡はいくつかを使いまわしするのがこまめに連絡をとりたい場合のコツだが、カイユは運悪く1つしか持っていなかった。
帝都から4つも持って出たが、割ってしまったらしかった。
電鏡はガラスほどの強度しかない。
見た目より乱暴で凶暴な性質をカイユが持っているのを知っているバイロイトは驚くこともなく、そうだろうなと思っただけだったが社長は怒っていた。
電鏡は高級品だ。
カイユが壊した3つ分の金額は……考えると頭痛がしそうなので考えない。
頭痛。
バイロイトは電鏡と相性が悪く、使用中は酷い頭痛がするからなるべく使いたくなかった。
が、そうも言ってはいられない。
ミチから伝えられたカイユの希望は最上階を貸し切ることと、新鮮な魚介類と野菜などの食料品の備蓄(なぜか大量のラパンの実も)。
はっきり分かってるのはこれだけだ。
他にも要求はあるようだが……ミチには聞き取れなかったのだから、仕方ない。
カイユが電鏡を1つしか持っていないので、1時間程しないと連絡事項の確認も不可能。
「ゆっくりとお茶をして、こちらから連絡を入れてみましょう。あせっても無理なものは無理。不確かな音声では、重要なことを間違えてしまう恐れもありますからね」
細身の長身に品の良い顔立ち。
灰色の髪はきっちりと後ろで1つに縛られている。
珍しい藍色の眼は、彼の妻のお気に入りで。
華美ではなくすっきりとした衣服は最近流行っている黒の竜帝の大陸風の背広の上下。
性質は穏やかで優しく、生まれてから1度も声を荒げたことすらない。
そんな支店長を悲劇が襲うのは数十分後。
彼は頭痛ぐらい我慢するべきだったと、死ぬほど後悔することになった。
「今の、なんですかぁ?」
のんびりと紅茶と焼き菓子を楽しんでいた4人は窓の外を上から下に落ちていった物体を目撃し、カップを置いた。
人間よりも優れた視覚を持つ彼らだが……コナリは一応、支店長に聞いてみた。
「私には扉に見えました……ね」
「それはコナリだってわかりましたよぅ! なんで扉が空から降ってきたんですかぁって質問したんですぅ。だって、あの扉って特1等級貴人用駕籠のじゃないですかぁ! 高級品ですよぉ、もったいないから拾ってきます」
扉を回収すべく事務所を出て行ったコナリは階下への階段に向かったが、バイロイトと少年2人は逆方向を目指して走った。
あれは空から降ってきたのではない。
支店の屋上は竜の発着所になっている。
つまり、屋上から落下したのだ。
「支店長! この時間に竜の着地予約は入っていません。今日はカイユ様が来るから、他の予約は僕、みんな断りました!」
ラーズの言葉にバイロイトは確信した。
カイユが到着したのだ。
早すぎる上に、静か過ぎる着陸がなんとも不気味だ。
彼女らしくない。
しかも駕籠だと?
単騎できたわけではない……同行者がいるのだ。
特1級を使うような、とんでもない上客。
食料の件もこれで納得がいく。
陛下……社長と同じく肉を好むカイユにしては野菜と魚介類など、おかしいと思っていたのだ。
あの粗暴なカイユがそこまで気を使う客。
陛下の使いでセイフォンに行っていたカイユ。
カイユはいったい、誰を連れて?
「ミチ、ラーズ。二人はここで待っておいで。私が良いというまで動かないようにね」
「はい、支店長」
屋上まで数段の所で足を止め、不安げな少年達の頭を撫でてやってからバイロイトは一人で足を踏み入れた。