第24話
すっかり寝入ったはずなのだが。
りこの両腕は我の首に巻かれたままだった。
まるで離されるのを拒むように細い……細く華奢な身体が隙間無く我に寄り添う。
このまま抱き上げて連れて行きたいのはやまやまだが、もし……もしも落としてしまったらと思うと恐ろしく行動に移れない。
我の腕から落ちたりこは怪我をした。
脆く柔らかな皮膚から出血するという大惨事があったばかり。
やはり我はまだまだなのだ。
‘抱っこ‘はまだ早かったのだ。
我の愚か者。
欲望に負けて‘抱っこ‘を強行し、結果的にりこに怪我をさせるなど最悪だ。
なので。
今はりこの上半身に手を添えているだけで我慢している。
我は健気だな。
「旦那。いいかげんにやめなさいな。……止まんなくなったら困るの旦那でしょうが。薬で寝かされてる間に手ぇ出されたりしたら姫さんが可哀相です」
りこの頬から口角にかけてゆっくりと滑らせた唇を離し、我は反論した。
「手を出してなどいない。少々、舐めただけだ」
りこの小さな顔に何度も唇を落としたのはりこを安心させようとしただけで。
りこの暖かな咥内から体液を摂取したのは正当な理由があってのことで。
投与された薬剤が身体に悪影響、または副作用がないか確認したにすぎない。
やましいことなどない。
うむ。
少しはあったのか?
ま、些細なことはよしとしてだ。
唾液からの情報によると薬は問題無し。
ただ、カイユが推測していたより効果が持続しそうだが。
疲れていたのだろう。
<青>の馬鹿がきて騒いだからな。
我の所為では無い……と、思いたい。
通常よりも体力が落ちているところにカイユ特製の薬を盛られたのだ。
このままだと7日間は目覚めまい。
ダルフェは5日間必要だと言っていたが。
よくよく考えてみると……。
長すぎるのではないか?
我は我慢できるのか?
5日間もりこの声が聞けないなど、拷問だ。
5日間もりこの黒い瞳が我を見ないなど耐えられない。
駄目だ。
無理だ。
我は、もたん。
「ダルフェ。3日だ。それ以上は我の気が狂う可能性が高い。途中、メリルーシェの支店に降りろ。そこでりこを目覚めさせる」
ダルフェの顔が引きつった。
メリルーシェは4つの通過国の中間よりも帝都に近い位置にあるが、ダルフェの計画では途中はどこにも降りずに帝都に行くつもりだったからな。
「3日? 姫さんを5日間【繭】に入れて帝都まで飛ぶつもりだったんですがねぇ。旦那〜、最高速で飛ぶとしてせめて4日……無理っすね。その様子じゃ。分かりましたよ」
再びりこの顔中に接吻しはじめた我を見たダルフェが額を押さえ、言った。
「【繭】に入れちまったら、触れることも姿を見ることも出来ませんからねぇ〜仕方ないか。好きなだけ味見してて下さい。俺は竜体に戻って中庭に待機してますから。くれぐれも力加減を間違えないで下さいよ? 人間はすぐ壊れますからね」
中庭に向かうために退室したダルフェがカイユに日程変更を告げる声がしたが、我はそれどころではなかった。
少しでもりこに長く触れていたかった。
りこを【繭】に入れたら3日も会えないのだ。
考えただけで辛く、内臓を吐きそうになる。
りこの顔面に臓腑をぶちまけるわけにはいかん、耐えろ我!
りこを【繭】に入れたくはないが、こればかりは仕方の無いことであって。
異界人であるりこの肉体は竜の高速移動に、耐えられない可能性がある。
慎重にならざるえない。
体液の情報から推測して……りこはこの世界の人間と比べるとかなりの虚弱体質だ。
免疫力も信じられないくらい低い。
こんな弱い生物が食物連鎖の頂点に立つ人類として進化したりこの世界。
平和で……無菌なのだろうか?
我が与えた竜珠の力がなければりこは簡単に感染症にかかり、あっけなく死んでいたかもしれんのだ。
そういった‘生物‘なのか、りこが単体として弱いのかは分からないが。
とにかく、強靭な身体を持つセシーのような軍人などとは違うのだ。
あやつらは竜の背に直に乗り、戦場に駆けつけるくらいは平気でするからな。
術式での移動も考えたが……。
空間移動系の術式は心体に負担がかかる。
王宮内での移動程度なら我の術の精度であれば、りこに負担をかける可能性はゼロ。
だが……距離が伸びるに従い危険度が増す。
我の術は人間の術士とは比較にならん精度があるが、万に一つの事を考えるとりこを長距離移動させるのに用いようとは思わない。
人間共の移動手段として術式があまり使われないのはそのためだ。
最も重宝がられるのは戦場であって、まともな神経の持ち主は日常では使わん。
移動した先に手足ばらばらで着く危険を犯してまでやろうと思うまい。
再生能力を持たない人間は確実に死ぬしな。
馬車ならば1ヶ月の旅程が必要な帝都に竜なら5日間。
りこの身体の弱さを考えると1ヶ月の長旅はリスクが高すぎた。
他の大陸にあるような列車や空挺と違い馬車は慣れぬ者には辛いはずだ。
りこの身体に負担をかけてしまう。
カイユは当初、観光しつつ馬車での旅行をりこに楽しんでもらうと言っていたが寝起きの錯乱状態を見て考えを改めたようだった。
思いのほかりこの心身が弱っていると認識したからだろう。
りこが竜帝の口車にのり、帝都行きを承諾してから念話で竜帝・ダルフェ・カイユと話し合った結果が【繭】でりこを保護し、駕籠で運ぶというものだ。
りこの肉体を強化する方法もある……が、まだ早い。
失敗する確立のほうが高い。
これに関しては我に問題がある。
ダルフェも承知している事実なので、提案すらしなかったな。
‘抱っこ‘すら完遂できなかった未熟な我には、無理だ。
「……はぁ」
ため息が出た。
む?
我が、ため息?
この我が。
「りこ。我は今‘ため息‘が出たぞ?」
意識の無いりこからはもちろん返事など無かった。
返事を期待して言ったつもりではないのだが、やはり寂しい。
うむ……‘寂しい‘か。
この我が‘ため息‘をつき‘寂しい‘と感じるとは。
我の感情は全てりこから生まれ、りこに向かう。
我の‘世界‘はりこで埋められ、他の入る余地など無い。
「りこ、りこ。我は‘寂しい‘。これからの3日間……きっと、とてつもなく‘寂しい‘のだな?」
りこの背を撫でる手の力加減に注意しつつ、黒い髪に顔をうずめた。
あぁ、離れたくない。
「……我も共に【繭】に入り」
「駄目です」
我の言葉を途中で遮り、カイユは我からりこを奪い抱きかかえた。
もう準備が終わったのか。
早すぎるぞ、カイユ……。
「ヴェルヴァイド様が一緒に【繭】入ったら内部溶液濃度がめちゃくちゃになります。トリィ様に後遺障害が出てしまいますよ? さ、トリィ様。カイユが【繭】に入れて差し上げます。ご安心くださいね」
ダルフェよ。
お前の‘つがい‘はりこの役に立つ。
だから殺さぬが。
が!
「ああも容易くりこを‘抱っこ‘しおって。我は、我は……あっ!」
し、しまった!
我としたことが!
「ちょ、ちょっと待たんか! もう一度、りこを舐めさせ……カイユ、待ってくれ!」
りこが寝た後、内緒でしている‘お休みの接吻‘をまだしていないぞ、我は!