第23話
テーブルの上に1メートルはありそうな‘子豚の丸焼き‘が銀製の角皿に乗せられ、どどーんと置かれた。
子豚がこんなに大きいなら親は牛より大きいのでは……。
「姫さんは豚肉は苦手だから、これな」
ダルフェさんが私の前に置いてくれたのは4種類のお菓子が盛られたお皿だった。
「異界語を俺に使ったから本来はデザート無しなんだが、特別な。姫さんには糖分が必要だ。今日は大変だったもんなぁ〜、お互いに」
うん。
大変でした。
でもね、ダルフェさん。
「ありがとうダルフェ。でも‘大変‘はまだ終わってない」
そうなのです。
‘大変‘は現在進行形です。
「おちびー! じじいをなんとかしろよっ」
竜帝さんが床で叫んだ。
「……足、どけなさいハクちゃん!」
「しばし待て、りこ。<青>に止めを……」
「手出ししないって言ったでしょう?!」
「うむ。手は出してないぞ?」
屁理屈言ってるし!
寒気がするような美貌は無表情。
鍋の蓋を顔面にうけたのに変化なし。
痛くないの?
「足も駄目。蓋、ごめんなさい。やりすぎました」
一応、謝っておこう。
大人気なかったし。
「蓋? <青>がりこを誘惑したことに気をとられてたからな。気がつかなかったぞ? 蓋がどうかしたか?」
はっ?
なんですと?
そのお綺麗な顔面にヒットしたんですけど。
しかも誘惑って何。
「トリィ様。ヴェルヴァイド様は雄の本能に従い他の雄を排除するほうに意識が向いているようです。先ほどまでは抑えていたようですが、トリィ様がその……陛下をお二人の寝所に招くとおっしゃったので。陛下は‘つがい‘を得ていない独身の成竜です。お怒りになるのも無理ないことと……」
カイユさんが苦笑しながら言った。
ダルフェさんが追い討ちをかけるように付け加える。
「あのなぁ姫さん。大事な大事な‘妻‘が他の雄をベットに連れ込もうとしたら人間だって怒るだろう〜が。誘った妻じゃなく‘被害者‘を責めるってのは竜の雄の悲しい性っていうかなぁ。蜜月期中は特に雌至上主義だからどんなに理不尽だろうと旦那が姫さんを怒ることはないんだよ」
わ、私が悪いの〜?
ベッドに連れ込む?
そんなつもりじゃなくて……うひゃー、よく考えたら竜帝さんだって竜族なんだから人型になるのか!
成竜って人間でいえば成人ってこと?
つまり餓鬼竜だと思ってたけど、竜帝さんって大人なのか!
がきんちょだと……10代後半位だと思ってたよ。
む? 10代後半だって大人か!
「お、おちびぃ! 言動には気をつけろ! ってかさっさと助けろぉおお!」
はい。
私が悪かったです〜!
こんがり焼けた豚さんをダルフェさんが手際よく切り分け、竜帝さんのお皿に乗せていく。
それをぱくぱくと食べる小さな青い竜。
数分で豚は残り三分の一程になっていた。
肉食竜だ、絶対そうだ。
付け合せの野菜やサラダは全く口にしてないもん。
しっかし、かわゆいの〜。
川の字計画挫折は非常に残念なのだ。
私の視線に気づいた竜帝さんはフォークをくるくるっと回しながらぶーたれた口調で言う。
「あんまり俺様に見蕩れんじゃねぇよ。おちびの熱い視線に比例してじじいの視線が冷てぇを通り越して痛いんだ。ちったあ学習しろ」
「う、うん。ごめんなさい」
うう。反論できません。
その通りでございます。
「あ、あの。ハクちゃん、今のはっ、その、あのっ」
隣に座ったハクちゃんは殺人光線的視線を竜帝さんに放つのを止め、私に視線の高さを合わせるために首を傾げた。
真珠の髪がふわりと揺れる。
とんでもなく綺麗なのに無表情。
この顔に微笑まれたら……腰を抜かす自信が私にはある!
「りこ。我が一番‘かわゆい‘のだろう? りこは我のことが‘大好き‘なのだろう? ならば他の雄は必要ないのだから<青>は片付けても問題ないではないか。どうして駄目なのだ?」
冷酷悪役美形顔で‘かわゆい‘って……。
しかも大好き発言を此処で言いますか。皆様の前で!
ガチャーン。
「し、失礼」
豚さんを切り分けていたダルフェさんがナイフとフォークを落としてしまい、慌てて拾うと早足で厨房に戻っていった。
カイユさんをちらりと見るとにこにこしている。
竜帝さんは……。
「俺様は帰る。今すぐ帰る……ぶぶっつ」
フォークとナイフをきちんと揃えてお皿に置き、ふわりと中に浮いて言った。
「くくっ……ヴェルに踏み殺される前に笑い死にしそうだ。飯も食ったしな。じゃあな、おちび。帝都で待ってるぞ。カイユ、後を頼む」
青い手を軽く上げた瞬間に、竜帝さんの姿は消えていた。
「えっ、竜帝さんっ! き、きえっ?」
消えちゃった!
「消えてはない。通常の動きの範囲内の動作だがりこの視力では捕らえられまい。で、りこ。
何故<青>を始末したら駄目なのだ。あれがいなくなったとて次代はすぐに‘発生‘する。世界の秩序になんら影響は無い。我はりこが少しでも‘かわゆい‘と思った者は目障りだし、とてつもなく不快な気分になるので処分したいのだ」
ハクちゃん。
なんだってこんなに心が狭いというか、器が小さいというか。
竜族の雄だからってあんまりなんじゃない?
ハクちゃんは普通の竜族じゃないって竜帝さんが言ってたけれど。
その自己中思考回路はなんとかならないのかな〜。
さっきの中庭でのやりとり、忘れたの?
聞いてなかった?
ハクちゃんがそんなんだから、世界を滅ぼす悪キャラ認定されちゃうんだって!
それを止める勇者役が私になっちゃってるんだよ〜。
私はそんなキャラじゃなぁ〜い!
平穏・平凡・平和が好きな小市民キャラですって。
なのに、なぁ〜のぉ〜にぃい。
うう。顔が引きつるのが自分でも分かるよ。
口の端がぴくぴくする。
「……怒るよ?」
私の言葉にハクちゃんは大げさなほどびくりと肩を揺らした。
「お、怒るな。りこ、我が悪かった。我が全部悪い! すまなかった」
顔色を伺うように言うハクちゃんにますます私はイラッ〜としてしまう。
「悪かったと思うなら、どこがどう悪かったか言って。説明して」
悪の大魔王様はおっしゃった。
「……一人で部屋に行き、着替えてきたことだな? りこに何も言わず離れたうえにまた、黒い衣服を選んだから……。しかし、我はやはりりこの持つ色を身につけたく……」
違うよ。
違うよ、ハクちゃん。
やっぱり。分かってない。
さっきの会話と繋がってないし。
その頭の中はどうなってるの。
なんだか……可哀相になってきた。
可哀相で、悲しい。
ハクちゃんは自分でも言っていたから。
‘足りない‘んだって。
感情が乏しかったから人の気持ちを察することが難しいって……出来ないって。
「術式を使ったから気づかれないと思った我が浅慮だった。着替えれば分かるものだ……りこ?」
両手を伸ばした。
私の動作に合わせるようにかがんでくれたハクちゃんの首に腕を回し引き寄せる。
男に人に自分から抱きつくなんて以前の私なら考えられなかったけど、ハクちゃんに関しては違う。綺麗過ぎて人間っぽくないからか、おちび竜の印象が強いせいか……自然と触れるできてしまう。もっとドキドキするものだと思ってたけれど。
ドキドキではなくて……安心感に近いかな。
「体調が変なの治った? もうなんともない?」
金の眼が細められた。
微笑んだようには見えない。
ハクちゃんは微笑まない……微笑む表情が作れない。
他の人から見たら眼を細めたハクちゃんはかなり怖い顔かもしれないけど。
でも、私には。
「うむ。全器官復旧したぞ。痺れも無い。心配をかけてすまなかった。だが……何故か嬉しかった。りこが我を‘心配‘してくれて。すまないと思うのに、それ以上に‘嬉しい‘のだ。こういったことは‘普通‘なのか、それとも‘異常‘な思考なのかが判別できぬのだが」
私には……はにかんだように見えるの。
金属のような冷たい印象の金の眼も、私にはお日様のように優しく暖かく思えるの。
「異常じゃ無いよ。それは」
心配してもらうと、愛情を感じるから。
私が手を擦りむいた時、ハクちゃんの取り乱しようを見て私もちょっと嬉しいって思っちゃったもの。
白状すると……私のことで大魔王(?)になっちゃうハクちゃんを見ると心がぽわ〜んってなっちゃうの。
あぁ、この人は私のこと本当に好きでいてくれてるって安心する自分がいる。
こんな私でもハクちゃんは本気で‘つがい‘にしてくれたんだって実感してしまう。
愛情確認方法としては間違ってるのかもしれない。
でも。
だって。
私はハクちゃんみたいな‘特別‘な存在じゃない。
なんの力も持ってないし、ハクちゃんと釣り合う美貌も無い。
ハクちゃんに豪華な衣装を買ってあげれる財力どころか無一文で、居候だし。
自信なんか持てる要素ゼロ。
‘つがい‘という言葉に縋るしかないんだもの。
「ハクちゃん、ハクちゃん。私、私ね……ハクちゃんのことが好きなの。好きになっちゃったの。だから、だから……」
あれ?
なんか、おかしい。
「りこ?」
身体に力……入らない。
「りこ!」
瞼が重い。
頭の中がふわわ〜んって。
あれ?
私、どうし……。
「お? 薬が効いてきましたね。姫さんの意識が完全に落ちたら出発しますよ旦那。んなに睨まんで下さい。ハニーが姫さん用に調合したもんだから安心ですって。ハニー、駕籠を中庭に廻してくれ。俺が飛ぶよ」
え? く……くすりって、薬?
「ごめんな、姫さん。説明は目が覚めたらな。おやすみ」
ちょっ!
あ、あれれ……。
「……安心して眠るが良い。我の愛しい‘つがい‘よ。りこ、我もりこを……りこだけを愛している」
冷たいのに柔らかで優しい感触。
それが顔のいたるところに何度も落ちて来るのを感じながら、私は意識が溶けていき……。
ねぇ、ハクちゃん。
今、言ったこと。
目が覚めたら、もう一回言ってね。
あれは夢だったなんて、言わないでよね?
あ。
デザート……まだ全部食べ終わってない。