第21話
「砂糖を減らして、蜂蜜を入れろ。生地にヘゼの実の粉末を少々加えると高貴な味になるんだよ。てめぇもまだまだだな、ダルフェ」
テーブルに置かれた焼き菓子を咀嚼しながら言う竜帝さんに、ダルフェさんが苦笑した。
「ヘゼの粉末なんて貴重品はセイフォンじゃ手に入りませんよ。蜂蜜か……次から使います」
小さな手で器用にカップを持ち、紅茶を飲む竜帝さんは記念撮影したいほど可愛かったけど。
私はハクちゃんの事が気になってそれどころじゃなかった。
厨房から借りてきた平鍋に柔らかな布を重ねて敷いた簡易ベット(?)で休んでいるハクちゃんの身体にタオルをそっとかけ、様子を確認した。
眼は閉じたままだけど半開きだった口は閉じられ、涎も止まっている。
「ヴェルを鍋に入れるなんて、凄い女だな〜。そのまま蓋して、じじいを煮込んじまえよ」
竜帝さんは紅茶のお替りをダルフェさんに注いでもらいながら言った。
ハクちゃんと違って飲んだり食べたりしているし。
しかも、声があるんだよね。
竜帝さんは普通に喋れる。ハクちゃんとは違う……。
が! 口が悪い。
‘竜帝‘のイメージが壊れてしまった。
「じじい、じじいってなに? ハクちゃんのどこがじじいなわけ?」
そりゃ、長く生きてるみたいだけど(詳しい事は良くわかんないけれど)。
人型は20代後半の青年だったよ?
小竜の姿だってものすご〜っく、ラブリーだし。
まったく……かっちーんだ!
なんでこの子(口調とこの感じからして若い、絶対! 餓鬼決定!)はハクちゃんに対してこうなの! 頭くる〜!
「じじいは、じじいだ! おい、おちび。そのタルト、食わんなら俺様が食べてやるから寄越せ。ダルフェ! 晩飯は? ちょっと早いが腹減ったぞ。帝都から道中、なんも食って無かったしな」
私のお皿からタルトを強奪した青い竜に私は抗議した。
「あぁー私のタルト! あんた勝手に……ちょっと、焼き菓子全部食べちゃった? 私はまだ一個も食べてない! それに‘おちび‘って失礼! あんたの方がちびです」
「俺様はちびじゃねー! それに、あんた呼ばわりすんな。俺様を誰だと……」
「ふんだっ。私はあんたの部下じゃないです」
あぁ、もっと語彙が豊富ならこいつに罵詈雑言を浴びせてハクちゃんの仇を……。
「陛下。飯を食いにわざわざ帝都から来たんじゃないだしょうが。さっさと本題に入って下さいよ。姫さんが気に入ったからって遊んでないで……」
ダルフェさんの言葉に竜帝さんは即、否定を叫んだ。
「こんなおちび、趣味じゃねぇ! 俺様は乳がでかくて腰のくびれた大人の女しか興味無い! こんなちびで、鶏がらみたいな身体の子供に発情できんのは鍋ん中のじじいぐらいだー!」
言葉が良くわかんなくても、悪口を言われるとピンとくるというか。
なんかものすご〜く、侮辱的な発言をされたような。
でも、ここは分かったのだ! 子供って言った。子供?
「私、26歳。成人してます! 子供じゃない。身体が小さいのは人種」
この青い竜の目はどうなってんよ!
サイズは小さいけど顔とか身体つきとかで大人だって分かるでしょう? 普通は。
こっちの世界の他の人は私がちゃんと大人だって分かってたよ?
こんな老けた(自分で言うのは悲しいけど)子供はいないって!
「26? 人間の26って子供を3〜4人は産んでるような歳だろう?」
青い眼が細められた。疑ってるのかな? まったく失礼な竜だよね。
もう、いい。 この人に説明するの疲れるし。
「ふ〜ん。そうか、うん」
なにやら一人勝手にうなずき、納得している。 ほっとこう。
「ダルフェ。竜帝さんの用事なに?」
私は餓鬼竜を無視し、ダルフェさんに聞いた。
「おい、おちび! 俺様にきけよ、俺様に」
無視だ、無視。
かわいいけど。鱗だけど。
無視。
「姫さん。陛下も調子に乗りすぎたが、許してやってくれないか? 旦那はさっき本気で陛下をぶっ殺そうとしたんだしあいこってことで。な?」
そうだった。言われてみれば。
ハクちゃんは竜帝さんに酷い事してたんだ。
うう。
ハクちゃんと竜帝さん……どう考えてもハクちゃんのほうが容赦なかった。
一方的に攻撃し、踏み潰そうとしたのは鍋のベットで丸くなって休んでいるこのラブリーな生き物……あぁ。なんてかわゆい姿!
猫鍋なんて目じゃないよ。やっぱり竜のハクちゃんは最高にかわい〜い!
おっと。
ずれちゃった。
えっと。
つまり、どっちが悪かったといえばハクちゃんが悪かった。
冷たい美貌に浮かべた憤怒の表情は、ものすごっく怖かった。
もともと悪役美形顔だけど。
ああなると魔王様だか大魔神だかっていうか……。
世界征服を狙ってるんじゃなくて、世界を滅ぼしに来た悪役的かも。
似合いすぎだ!
て、いうかハクちゃんの思考・行動ってまさにそうだし。
わ……笑えない。ひぇ〜。
「え、えと。うん。ハクちゃんもちょっと、いけなかったね。乱暴だったかも」
「あん? ‘ちょっと‘ ‘かも‘ あれがか? 俺様じゃなかったら瞬殺だったんだぞ。おちびは分かってねぇな。……ま、分からせるために俺様が来たんだがな」
竜帝さんはカップを置き、テーブルの上を歩いて私の目の前に来て言った。
「帝都に来い。いや、来てくれ」
青い竜は小さな頭を深々と下げた。
「この世界を……【ヴェルヴァイド】から【世界】を護る為に」
竜帝さんと同時にダルフェさんとカイユさんも地面に膝をつき、頭を下げる。
先ほどまでの穏やかな(?)雰囲気は一瞬で消え、緊迫した空気に変わった。
切り替えについていけない私は間抜けな声しか出せない。
「へ……へぇい?」
ハクちゃん。
貴方は悪者決定ですか?
「じじい、いや【ヴェルヴァイド】は最強の存在だったが今では‘最凶最悪‘だ。原因はお前だ、おちび。この世界にヴェルの‘つがい‘は存在しなかった。だから【ヴェルヴァイド】は最強ってだけで世界にとって脅威でも災厄でも無かったが」
竜帝さんは顔を上げ、青い目を私に向けた。
硝子玉のようでもあり、宝石のようでもある不思議な瞳。
「全ては‘つがい‘であるお前次第。あの猛獣を繋いでおける鎖はあんただけだ」
「わ、わたし……っ」
分かってる。
私だって、分かってる。
私がしっかりしないと駄目だって。
「唯一の頼みの綱である‘つがい‘が人間……しかも異界人であるおちびじゃ鎖どころか蜘蛛の糸だ。見た目は綺麗だが細く柔で……油断するとすぐ切れる」
私が頼りないってことだよね?
反論の余地無しだよ。
さっきだって止めたのに、ハクちゃんは竜帝さんを……。
「だから、俺達がおちびを支える。竜族はおちびの‘糸‘を最高最強の‘鎖‘にして世界を【ヴェルヴァイド】から護る。つまりだ」
青い目がくるりと回り、きらりと光る。
「おちびがいつも笑って幸せで過ごしてくれれば、あの凶悪じじいも世界をどうこうしようなんて考えねぇよ。……おちびがこの世界を愛してくれれば、な。愛するって言葉分かるか? 好きになる、大好きになって大切になって……かけがえの無い、失えないものだ」
愛するって単語……言葉。
さっきは分からなくて、使えなかった言葉。
これで覚えた。
けど……。
愛する?
この世界を?
「わ……わ、わたしは。私は」
私は。
この世界を。
この世界を愛せるだろうか?
「それにヴェルの……<監視者>の‘つがい‘が異界人だってことはセイフォン王宮から情報が駄々漏れだったせいで各国の上層部に知れ渡ってる。<監視者>が果たすべき‘役目‘よりも‘つがい‘に重きをおいた行動をとっている事実が一部の奴等を浮き足立たせるんだ。おちびを懐柔して<監視者>の力を手に入れようって人間をな」
ハクちゃんは‘つがい‘である私には優しい。
なんたって自分の身体を私の朝食に提供しようと考えるくらいの……。
彼の最優先は私。
うぬぼれとかじゃなく、この一ヶ月間一緒だったからはっきり分かる。
ハクちゃんは私を幸せにしたいと言ってくれた。
でも、ハクちゃんは‘りこの幸せ‘が分からないと……。
幸せにしたいのに‘幸せ‘が理解できないハクちゃん。
幸せ。
私の‘幸せ‘って?
家からパジャマ姿で連れてこられて。
生まれた世界から余興の失敗で‘落とされ‘て。
言葉も文字も勉強しなきゃならなくて。
生活するにはダルド殿下の‘良心の呵責‘につけいらなくちゃ一文無しの私は生きる術が無くて。
お気に入りの服もバッグも、ローンがやっと終わった車も秋に予定してた結婚式も。
お母さんもお父さんも姉妹も友達も。
私の生きてきた26年間でこの手にあった全てを失ったのに。
奪われたのに。
この世界を愛する?
ふざけんな、だ。
私はそんなお人よしじゃない。
聖人君子じゃ無い。
幸せ。
私の幸せ?
持ってたものを全部失った私……。
この世界での‘私の幸せ‘って?
ねぇ、ハクちゃん。
私にも分かんないよ。
私の……私達の‘幸せ‘が。