第54話
※残酷な描写があります。ご注意下さい。
「ごめんっ……」
この雄竜は。
あのカイユの父親で。
<色持ち>のダルフェでも。
殺すとなれば難儀するであろう特殊個体……まぁ、今の状態のダルフェでは難儀では済まぬ気もするが……。
娘も孫もいる成竜が幼子のように泣く姿が、過去の記憶と微かに重なる。
この世におらぬ四竜帝達のような気もするし。
まだこの世にいる四竜帝達のような気もする。
死んだあやつらも、生きているあやつらも。
我には涙を隠さなかった――隠しきれなかった。
慰めも労りも持たぬ我の前で四竜帝達は泣き、喚き、嘆くのだ。
「ごめん、ごめんねっ……君のティアラ、間に合わなくて……ごめんっ」
人間より、竜族よりも。
長く、永く。
飽きるほどの時を生きてきた我だが。
「ミルミラ、ミルミラ……フェルティエール……フェルティエールッ……」
体外から取り出された竜珠が、このように消え去るさまを見たのは初めてだった。
もし。
万が一にもないことではあるが。
もしも。
我の与えた竜珠が、りこの身体から取り出されたら……。
…………あのように消えるとは、消え去ることができるとは思えぬな。
竜珠はつがいの雌竜から取り出されたものだが、元の持ち主はこやつ自身。
こやつの中にはつがいの雌竜と交換した竜珠があるゆえ、空きはない。
だが我は違う。
試す気はまったくないが、戻せないことも…………まぁ、これに関しては考える必要はないのだ。
今は、まだ。
「僕はあの日、君のティアラを受け取りにスキッテルの店にっ……驚かそうなんて考えずに、君も一緒に連れて行けばっ……」
持ち主であったつがいの雌は、もうこの世におらぬ。
竜珠を盗まれた時に死んでいる。
先祖返りの特殊個体、つまり歴代青の竜騎士の中で最強であってもその場に居らねばつがいを護ることはできぬのだ。
それは、他人事ではない。
だから我は、りこから離れることがとてつもなく嫌なのだ。
りこから離れるのは寂しいうえに、恐ろしいことなのだ。
「君には内緒で……ティアラと揃いのブルーダイヤで、イヤリングとネックレスも注文してあったんだよ? もちろんドレスだって……」
大気に溶けた竜珠にいくら語りかけようと。
どんなに誠心誠意、謝ろうとも。
対象者は死んでいるので、答えてはくれぬのに。
まるで目の前に存在するかのように、語り続ける。
「ティアラの……ブルーダイヤ、僕の眼と似てるからって君が選んでくれて……嬉しくて、嬉しくてっ……この目玉をくり抜いて、君に捧げたいくらいだった」
理解しているはずだ。
つがいはもう、この世にはおらぬことを。
この銀の竜はつがいを失った瞬間より、わかっているはずだ。
「……死ぬなんて贅沢なこと、君を守れなかった僕には許されない。君のいない世界で生きていくことが、僕に与えられたすべきことだ……」
それでも。
死ぬまで、いや、死んでも。
謝罪をやめることはなく、己を許すこともないのだろう。
今のこやつには竜珠を抱きしめる腕も、触れる指もない。
それがつがいを守ることができなかったことへの罰であるとしたら、神とはずいぶんと意地が悪い。
悪魔ならば、魂と引き合えに竜珠を抱く腕を生やしてくれるやもしれぬが。
神に祈ろうが、悪魔に願おうが。
どちらも今ここにはおらぬのだから、どうしようもない。
祈りも願いも無駄なのだ。
「ミルミラ……フェルティエール、フェルティエールッ……」
愛しい妻のつがい名を呼びながら流す涙は、雨の如く透明で。
温度を、温かさを抱いてる。
羨ましい――と、感じた。
涙を持たぬ我の眼から落ちるのは、髪の色と同じ固形物。
りこはその欠片を綺麗だと愛で、美味いと言って食ってくれるが……。
……まぁ、うむ、今はこちらが、ランズゲルグの処置が先なのだ。
「………………どうして?」
膝をつき、うつむいたまま。
カイユの父親、セレスティスは問うてきた。
まぁ、当然の問いだろう。
以前の我ならば、竜珠ごと自動人形を壊した。
「どうして? ………………りこならば、そうするだろうと思ったからか?」
「……なんで疑問系なのかな?」
「それだけではないからだ。それを言葉にするのは、我にはまだ少々難しいのだ」
「……そう、ならしかたがないね。あなたの情緒は、まだまだ成長途中だろうから」
「…………………成長途中の情緒、か」
かなりどころではなく年下のお前に、成長途中と評価された我の情緒。
りこだったらどうするか。
りこだったら何を望むか。
それが我が行動を決める軸となるのだが。
だが、だが…………もしお前が我だったらと、考えた自分が確かにいるのだ。
「我のこの両腕を切断しお前に与えてもつかぬし、絵本の魔法使いのように瞬時に生やしてやることもできぬ。そのことをお前に申し訳ないとは微塵も思わぬが、可能ならばそうしていたかもしれぬな」
「………………………ミルミラの好きな絵本では、魔法使いは悪者だった。お姫様をさらって王子様に退治されていたよ。だからあなたは魔法使いでなくていい」
震える銀の睫毛から。
また、雫が落ちる。
竜の雄はつがいの事に関しては、よく泣く。
つがいが絡むと雌より雄の方が感情の制御が難しくなるのは、竜族の特徴でも有る。
「魔法使いでも医者でもない我は、こやつの裂かれた腹も壊された臓腑も治せぬ」
治せぬが。
まぁ、うむ。
治せずとも、生かす術はある。
「僕がいながらこの子に、主である陛下にこんな酷い怪我をっ……カイユに会わせる顔がないよ」
「ならば会わねばよい」
「はぁ? 会うよ? だって僕が居ようと居まいと、この子の選択は変わらなかったと思うしね」
……殊勝な態度はもう終わりなのか、あっけらかんとそう言った。
「そうだ。砂糖まみれの脳で考えた策がこれだ」
この怪我は、ランズゲルグの自業自得。
自業自得どころか、我を即時に呼び寄せるためにわざと死にかけたのだ。
己の身体も命も躊躇なく手駒の一つにするのは、四竜帝達共通の思考だ。
「四竜帝ではないお前とは違い、こやつにならば我は与えることができる。それをこの阿呆は知らぬ。それでもこの選択をしたのだ」
そう、できるのだ。
我にはできることがある。
我だけにできることがあるのだ。
導師は知らぬだろうし、我がこれから行うことを知ることもない。
りこを模した自動人形の眼球は人工物だった。
視蟲を仕込み、盗み見ることはできぬ。
「第二皇女の死体がまだ保管してあるならば、眼球は潰せ。他に導師との繋がりが疑われる個体があれば、生死に関わらず眼球を潰せ。視蟲寄生の可能性がある」
「視蟲? 寄生って……気持ち悪いね。どういうこと?」
「視蟲については後でダルフェに訊け。この阿呆は完全に安定するまで、竜体に変態はさせるな。肉体が負荷に耐えられず死ぬ」
「安定って、どういう意……っ!?」
視線で質問を封じ。
意識無く横たわるランズゲルグの側に膝をつき。
己の胸郭へ、右の指先を置く。
爪を短剣程度に伸ばし。
衣服の上から貫いて斬り込み、切断面から手を入れ……肘まで体内に沈ませた。
「なにすっ……」
「……必要な部品を取り出すには、もっと開かねばだな」
言いながら左手も体内に挿入し、両手で上下左右に胸部から腹部までを開くと。
りこには聞かせたくない音とともに吹き出した血液が、着衣だけでなく我の顔も汚した。
猟師のような熟練された解体技術を持たぬ我なので、汚れるのは嫌なのだが仕方がない。
……それにしてもよく出るな。
大動脈を傷つけたせいか?
我は解剖学に詳しくないゆえ、よくわからぬのだ。
「……こやつの損傷部位は右肺中葉、肝臓、脾臓……腸もか? 心臓は……まだ使えるな」
ダルフェが幼竜の頃に貸してくれた『トリッターデン博士のお子様図鑑シリーズ③~教えて博士! お腹の中ってどうなってるの!?~』の17ページに記載されていた解剖図と脳内で照らし合わせる。
人型時の竜族ならば、あのお子様図鑑を参考にしても大丈夫だろう……多分。
違っていたらその責任は我ではなく、トリッターデン博士にある。
我は悪くないのだ。
「どれ……ん?」
ランズゲルグの体内を確認しながら己の臓器を探ると、血液が喉を逆流し咥内に溜まった。
「っ…………が、はっ」
吐き出したそれが、ランズゲルグの顔面を直撃した。
りこの気に入りの美女顔に嘔吐物をかけ、汚してしまった。
わざとではない。
不可抗力だ、うむ。
「……まったく、世話が、焼け、る……ごふっ、ぐっ……ダルフェもおまえ、もっ………………」
今度は吐き出さず、我の血で染まった顔に唇を寄せ。
舌で歯をこじ開け、血液を唾液ともに移す。
自力では嚥下できぬと判断し、舌で奥まで押し込む。
同時に己の体内に挿入した手で邪魔な肋骨を砕き、臓腑をゆっくりと取り出し……ランズゲルグの中に移していく。
こちらを凝視しているであろうセレスティスから、息を呑む音がした。
ランズゲルグの体内はかなり痛んでしまった。
使えなくなった物は、使える物に入れ替えればよいだけだ。
使える我の中身を、移し入れればよい。
治すことは、医者ではない我にはできぬが。
与えることは、<古の白>の肉体を持つ我にはできる。
お前を我は、死なせない。
お前はまだ、逝かせない。
ランズゲルグ、お前はりこのお気に入りなのだ。
「……」
ゆっくりと唇を離すと、赤い糸が互いのそれを結び……切れた。
舐めとりながら、ふと考える…………りこの気に入りでなければ、ランズゲルグを放置しただろうか?
以前の我なら、確実に放置だろう。
選択肢などない。
竜帝は死んでも代わりが生まれる。
死んでも困らぬのだから、このような面倒なことはしない。
逝くなと、そう思うことすらなかっただろう。
「……ふむ?」
りこの顔が、脳内に浮かぶ。
悲しそうな顔をしていた。
今にも泣き出しそうな、とても悲しそうな顔で我を見ていた。
ランズゲルグのこの状態が、りこにそのような表情をさせていまうのだろうか?
とても、とても悲しそうで……やがてそれは、痛みに耐えているかのような苦しげな表情になった。
すると、不思議なことに。
「ん?」
唐突に。
「っ!?」
この身の痛みを、痛みとして認識した。
……あぁ、これは痛みだ。
痛いのだ。
慣れすぎて痛みを痛みだと思えなくなっていた我なのだが……痛い気がする。
自分で腹を開き、臓器を取り出したのだ。
普通ならばこの痛みで狂うやもしれぬが。
これで狂えるようなまともな存在ならば、我はとうの昔に狂って……狂えている。
「……セレ、スティス……我と、ともに……よう、え……き、原液にっ…………ひつ、よっ……」
互いの開腹部が重なるようにランズゲルグに覆い被さり、無言のままこちらを凝視するセレスティスにこの後の処置を伝えた。
頭部を損傷したわけでもないのに思うように喋ることができぬ我の身体に、新鮮な驚きを感じた。
なるほど、さすがに我でもここまですればこうなるのだな。
再生は……このまま放置でも大丈夫だ。
それでは時間がかかりすぎる。
竜帝同様、己で傷付けた場合は多少とはいえ再生能力が落ちる。
時間短縮は必須事項なのだ。
我にはこの後に大事な予定がある。
舞踏会。
舞踏会、なのだ!
りこと舞踏会なのだ!
我は踊るのだ、りこと。
りことダンスを踊るのだ!
我と踊るのを、りこ楽しみにしている。
いや、りこ以上に楽しみにしているのは我なのだ。
我はりことのダンスが、お気に入りなのでな。
他の者はどうか知らぬが、我はりこと踊っていると性行為とは異なる次元の快感が味わえるのだ。
語彙力の低い我ではうまく言えぬのだが、りこと手を繋ぎ踊っていると、とても気持が良いのだ。
ゆえに我は舞踏会が非常にお楽しみなので、可能な限り早くりこの元へ帰らねばならぬのだ。
「我の血肉っ……ようえ、きに混ぜ、溶かっ…………」
両腕の無いこやつには、我とランズゲルグの移送すらできぬだろう。
しかし、こやつの手足となる竜騎士下共が……ん?
他の青の竜騎士は街の防御に出ていて不在と言っておったか?
「…………」
さて、どうしたものかと。
ランズゲルグに身体を重ねたまま視線だけ動かし、見ると。
「承知致しました」
先ほどの幼子のような泣き顔は完璧に失せ、青の竜騎士の顔に戻ったセレスティスがゆっくりと……深く頭を垂れた。
「主を、我が友カッコンツェルとインテシャリヌの子をお救い下さいましたこと、心より感謝申し上げます。<古の白>様」
……ふむ、こやつならば腕が無くともなんとかするであろう。
ダルフェが高く評価する竜騎士だからな。
「……………………」
……急速に感覚が遠のいていく。
口が重く感じ喋るのも、考えるのもがおっくうになり。
やめた。
「××、×××××っ×! ×××、×っ!?」
言葉が、耳を音として通過していく。
視界が狭まり。
薄ぼんやりした闇に、意識が覆われる。
ああ、そうか……我は臨死体験真っ最中、なのだな。
「×××っ! ×××、××っ!!」
ん?
なにやら激しく喚き立てているな。
騒いでおらんで、さっさと誰か呼んでこい。
そしてランズゲルグを、我ごと溶液にぶち込め。
我のやるべきことは、これで一段落なのだ。
ランズゲルは死にかけたが死なぬ。
そして、俗に言う怪我の功名?
いや、芋づる式?
まぁ、そんなことはどうでもよいのだ。
カイユの母親の竜珠も回収できた。
短時間で消えてしまったが、自他共に認める不器用さんである我が竜珠を潰さす回収できたのだ。
この件を報告すれば、りこはきっと満面の笑みで褒めてくれるに違いない。
えらかったと頭をなでなでして、頬にちゅうをしてくれるだろう。
きっと、そうなのだ――そう思っていたのに。
『……ハクちゃんっ……ハク、ハク……』
沈む意識の中で見たりこは。
泣いていた。
大粒の涙を流し、目を真っ赤にして泣いていた―――。
なぜ泣く?
我の行いを、喜んでくれるのではなかったのか?
なぜなのだ?
教えてくれ、我のりこ――。