第50話
ダッ君杯――武闘会の会場は、普段は赤の竜騎士達が野外鍛錬場として使っている円形闘技場だ。
火山灰を原料にした混凝土と、赤の帝都近くの石切場から切り出した赤みの強い石で造られ、観客席は三階建て。
人間だったら完成までに数年間かかる規模のものだが、百年程前に赤の竜族はたった一ヶ月でここを造った。
竜体になれば建築資材の運搬も容易で、人型なら人間の数倍の腕力があり基礎体力が高く、数日間不眠不休での作業も難なくこなす。
竜族は土建業に適し、それらを得意としている。
費用を惜しまず造ったここは、収容人数も他国の闘技場と同等かそれ以上だが、建築後一度も満席になったことはない。
赤の竜族で満席になることは、今後もないだろう。
長命種で強靭な肉体を持ち、食物連鎖の頂点に位置する存在であるにもかかわらず、繁殖力の低さから竜族の数は減り続けている。
俺達竜族の種としての未来に足し算はなく、引き算でしか表せない。
口には出さずとも、竜族ならば誰もが不可避な種の終わりを自覚し、覚悟している。
だがそれは、現在じゃないはずなのに。
神でも悪魔でもない、竜族より短命で脆弱な生物である人間――導師に背中を押され……いや、蹴り飛ばされ、不本意この上ない状況で終わりへ道を転げ落ちそうになっている――。
「逝くな」
雲一つない青い空に、黒い染みを作るような。
不穏で不吉な響きをまとう、旦那の言葉。
それに真っ先に反応したのは、カイユだった。
「ヴェルヴァイド様っ……青の陛下に何があったのですっ!?」
姫さんを横抱きにして跳躍し、旦那の側に立ったカイユの顔にあるのは不安と焦り。
感情を至近距離でぶつけられても、黄金の瞳は動かない。
「…………」
「お答え下さい、ヴェルヴァイド様っ! 代替わりとはどういうことです!? 我が主、青の陛下に何がっ……あぁ、陛下……へい、かっ……」
問いに答えない旦那に焦れ、声を荒げるカイユの声はひどく揺らいでいた。
人間の前では冷酷無慈悲な青の竜騎士であるカイユだが、大切な存在への情は深く強い。
共に育った幼馴染みであり、自分の主でもある青の陛下の側を離れたことへの葛藤や罪悪感は俺の想像以上なのだろう。
「カイユッ……」
姫さんは、情が深いゆえのカイユの弱さも脆さも知っている。
カイユを気遣わげに見上げ……身を離し、呼吸することすら止め、彫像のように立つ旦那へと歩み寄った。
この状態の……意識から周囲を斬り落とし、全てを遮断してしまったかのような旦那に、怯まず声をかけられるのはこの子だけだろう。
「ハクちゃん、ハク! 答えて……教えて! 逝くなって、どういうこと!? 代替わりって、青の竜帝さんに何があったの!?」
「………………………………………りこ」
悲壮な表情のカイユの問いは無視できても、腹部に添えられた小さな手の温もりを無視することは、この人にはできない。
つがいである姫さんの声に導かれるように旦那の視線が流れ、色素の薄い唇が開く。
「……この感覚を、なんと表現すべきか…………そうだな、ランズゲルグが……薄い? が、妥当か?」
首を傾げつつ、旦那は言い。
「薄い?」
それを聞いた姫さんも、同じように首を傾げた。
「竜帝さんが薄い? ハク、それはどういう意味なの?」
「意味? 意味……薄いの意味は、そのまま薄いなのだ」
姫さんと出会ってから飛躍的に感情が豊かになった旦那だが、言葉で感覚を表現するのは、これが精一杯のだったんだろう。
薄い――か。
==ダルフェよ。我はうっかりさんなうえ、お馬鹿さんであったようだ。
旦那は、確かにさっきそう言った。
あぁ、そうだ。
視蟲、視蟲だ!
魔薬を使った第二皇女、姫さんを竜族と勘違いして売ろうとしたゲスい商人、元・赤の竜族の契約術士、俺が殺した赤の竜騎士団の団長だったジュード。
こいつ等の死体の現状を、旦那は俺に訊いた。
で、代替わりがどうって……。
うん、なんつーか、俺としてはどう考えても最悪な、嫌な予感しかしねぇ!
「まさかっ……ダルフェッ! 後をお願い!」
「え? 母さ……あ、おい!」
青の陛下が薄い……その言葉の意味を後方にいた母さん――<赤の竜帝>は青の陛下の生命の危機と解釈したんだろう、俺の返事を待たず瞬時に竜体へと変態し飛び去った。
多分、電鏡の間に向かったんだ。
黒・赤・青・黄の四竜帝と古の白の繋がりは、特殊であり特別だ。
赤の竜帝である母さんは旦那の言葉を聞き、そして、姫さんへの返答を聞いてから動いた。
旦那は「逝くな」と言い、姫さんの問いに「薄い」と答えた。
「逝った」ではなく、「逝くな」……。
つまり――そういうことか。
まだ大丈夫、だ。
間に合う!
「カイユ、君も母さんと電鏡の間にっ……カイユ?」
「……」
冬の空の瞳が、瞬くことなく見つめるのは。
大切な主を救える、世界最強で最凶の竜――ではなく、黄金の瞳を一瞬で捕らえ虜にする異界の娘。
術式も使えず、剣もふるえず。
守られる事でしかこの世界で生き延びる術のない、か弱い異界人。
でも、そんな彼女が望めば、願えば。
この白い竜は、如何様にも動く。
「薄い……もしかして、気配が薄いってこと? それって、危険な状態ってことなんじゃ……行きましょうハク! 竜帝さんのところへ急がないと! 早く、早く転移を!」
硬い表情で急かす姫さんに、旦那は眼を細め首を横に動かし答えた。
「断る」
「ハク!?」
「あなたを連れて行くことはできぬ。万が一、りこに大陸間転移の負荷が……我は万能の神ではないからな」
「ハクちゃっ……」
「大陸間転移の負荷により、りこの身に何かあったらっ……考えただけで、今にも臓腑を口からぶちまけそうだ。もしそんなことになったならば、我は後悔と恐怖、己の無能に絶望し青の帝都どころか大陸を壊し、沈めてしまうやもしれぬぞ?」
「ハク……」
タチが悪いのは、これを冗談で旦那が言ってるんじゃないからだ。
それをしちまう力があるから、俺達には「そんなこと言ってねぇで、さっさと行け!」とは言えない。
言えるのは、この世で唯一人だ。
「なら、私を置いてあなただけで行って! 早く!」
旦那の力を、あの人を制御できるのは、つがいである姫さん……“りこ”だけだ。
「だが、だが……りこ、我は、りことっ……貴女ともう二度と、一時も離れたくないのだっ……嫌だ嫌だ、嫌なのだっ……」
駄々っ子のような旦那を、姫さんが険しい表情で一喝した。
「今すぐ行くの! 青の竜帝さんのところへ行きなさいっ、ハク!」
「りこっ……だが、その、我はっ」
未だかつてない姫さんの剣幕に押され、たじろぐ旦那の姿に周囲がざわつく。
無理もないな……あぁ、まぁ、うん。
これで赤の竜族達も姫さんがどんなに重要な存在で、この世界にとって『脅威』かってことを再認識しただろう。
「私もあなたと同じよ、離れるのは寂しいっ……嫌だわ、とても」
「り、りこ……」
姫さんはつま先で立ち、自分を見下ろす旦那の顔へ両手を伸ばすと。
「ハク、ハク」
白磁のごとき頬へ、両手を添え。
「ハク、よく聞いて、よく考えて。第二皇女様に知らない場所に転移させられて、独りになってしまったあの時とは違うでしょう? ほら! 周りを見てちょうだい、ハク!」
ぐいっと、力技で旦那の顔を動かし。
周囲を眺めるように促し。
旦那の好きな、表情で。
「見て! カイユもダルフェも……赤の竜族の皆さんも、こんなに大勢いてくれる! あの時とは違う! 私はあなたを置いて行かない! ここであなたの帰りを、皆と待っているわ!」
笑顔で。
「行って、青の大陸に! 竜帝さんのところに! そして、私のところに帰って来て…………“お願い”、ハク、行って!」
蜜月期の雄竜が、つがいの願いを断れないことを知っていて。
「りこ……」
旦那が姫さんを奪われた期間……どんなに苦しんだが、知っているのに。
行けと、言った。
俺の『娘』は母親のように優しく……母親のように残酷だ。
その残酷さは、つがいに精神的に依存する傾向が強い雄竜とつがうには、必要不可欠なものでもある。
“お願い”される立場の雄竜もそれを理解しているし、言葉の裏にある想いもちゃんと伝わっている。
“お願い”と言った笑顔の下で、愛しいつがいに苦行を強いる自分を責めていることも……。
「…………りこ、りこよ。我を待っていてくれるか?」
今、この時。
旦那の黄金の瞳に映るのは、この世界で唯一人。
「ええ、待っているわ」
長い、永い時を過ごし。
ずっと探して、諦めて――――見つけ、手に入れた愛しい半身。
「…………待っていてくれる貴女のもとに、我は帰る」
旦那は身を屈め。
「うん、あなたを私は待っている」
姫さんに額に、愛を語ることを覚えた唇を落とし。
「……我は変わった。以前ならばランズゲルグがどうなろうがさして興味もなく、放置できたというのに。我があれのことを思い言葉に出した時点で、決めていたのやもしれぬな」
ゆっくりと離しながら、言った。
「りこ、りこよ。我は帰るべき場所を、帰りたい場所を得た。ゆえに我は<監視者>は辞めぬ」
「ハク……」
<監視者>として、こちらの世界に落とされた異界の生物を。
罪なき、被害者たるその者達を。
これからも、この先も殺し続ける――。
俺には、そういう意味に聞こえた……直後。
姫さんには聞きとれないほどの、砂粒以下の小さな、小さな。
瞬時に大気に熔けて消えるような声で、旦那は言った。
「我に替わる者が現れるまでは、な」
今、旦那は何て言っ…………“我に替わる者”?
「旦那、あんた今っ……」
俺には、聞こえ。
姫さんには、聞こえず。
「カイユ! 今、旦那がっ……」
「ダルフェ?」
聴力に優れた竜族であるカイユの反応は、俺の思っていたものと違った。
って、いうことはつまり……俺だけに聞こえたのか?
俺だけに聞こえるよう、聞かせるように旦那は言ったってことか!?
「だんっ……」
「りこ。行ってきます、なのだ」
問う間もなく、旦那は転移し。
「行ってらっしゃい、ハク」
<監視者>の帰るべき場所、帰りたい場所となった姫さんの左手には、旦那の右耳に挿してあったベビーピンクの花が……旦那が転移と同時に、置いたのだろう。
地には、深々と突き刺されたカイユの刀。
「……陛下を、我が主をどうかお助け下さいませ。ヴェルヴァイド様」
大切な刀をぞんざいに扱われたことへの呆れも怒りも、カイユは見せず。
刀を引き抜くと胸に抱き、両膝をつき頭を垂れた。
労るように、カイユの背を姫さんが撫で………………ん?
ん?
んんっー!?
ちょ、ちょっと待て!
俺の眼、まだ使えてるよな!?
見間違えじゃねぇよな!?
「姫さん、手! 手、手がやばいことになってるぜ!?」
「え? 私の手がどうかしましたか? ダルッ……え?」
「失礼致します、トリィ様っ!」
刀を鞘にしまったカイユが、驚きに眼を見開く姫さんの両手を取り、食い入るように見つめる。
「これはっ………………」
手を俺とカイユに凝視され、姫さんは困り顔で言った。
「カイユ、ダルフェ。そんな心配そうな顔しないで」
「ですが、トリィ様っ……瞳の色が変わった時のことを考えると……まさかっ……」
瞳の色が変わった時――あの時、姫さんは瀕死の状態だった。
「まさか、昨夜また!? ヴェルヴァイド様が欲に負け暴走をっ……」
溶液から出た姫さんは、蜜月期の雄竜の激情で壊された肉体が完璧に修復されていただけでなく、瞳の色が変わってしまっていた。
だから目の前のこの状態、変化を旦那の暴挙によるものとカイユが疑うのもしかたない。
「いいえ、そんなことハクは私にしていない。でも、どうして……私、自分のことなのにぜんぜん気が付かなかった。でも、うん、大丈夫! 綺麗なだけで痛くも痒くもないんだもの、問題ないわ」
言いながら掲げた指先を彩る、その爪は。
「ったく、姫さんは暢気だな~。あのなぁ、眼だけじゃなく爪まで旦那と同じになっちまうなんて、かなり問題ありなんじゃねぇかと、俺は思うぜ?」
世界最強最凶の竜ヴェルヴァイドと同じ、真珠色へと変化していた――。