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四竜帝の大陸  作者: 林 ちい
赤の大陸編
204/212

第48話

 真珠色の髪に咲いた、一輪の薔薇。

 可愛らしいベビーピンクのその花は、今何を思うのだろう?

 世界最強で最凶の竜<ヴェルヴァイド>を己が飾ることに歓喜するのか、それとも恐怖するのか……。

 喋れぬ花は、口を開くことはなく。

 黙して咲き、その時を待っていた――。



 カイユから受け取った刀の鞘は朱色で、それを握った旦那の手指の白さがいっそう際立つ。

 何ものも穢せぬような白い手が、この世で最も恐ろしい手であることを。

 清雅なその白い手が、過去に同胞を屠ってきた手であることを。

 蛇竜に堕ちた赤の竜帝<ヴェリトエヴァアル>を処分(ころ)したことを、ここに集う赤の竜族達は知っている。

 そのヴェルヴァイドがお遊び用の模造刀ではなく真剣を……青の竜騎士団の団長だったカイユの愛刀を手にしたことで、お祭りムードは一転し、驚きと緊張感でこの場の空気を一気に氷点下に下げてしまった。


「……りこ」


 そんな赤の竜族達の変化や視線など気にしない、いや、気にする神経など持ってねぇ旦那は、カイユの隣に立つ姫さんへと身を屈め。


「どうだ?」


 傍目には無表情な顔で、そう訊いた。

 どうだ――と訊かれても、普通ならいったい何が()()なんだって感じだが、訊かれた姫さんは文句も不満もないのだろう。

 その質問を聞くと、少し強ばっていた表情を柔らげ……笑み、答えた。


「大丈夫よ、ハク。そのお花、あなたにとても似合ってるわ」


 相変わらずの言葉足らずな旦那の物言いも、伴侶(つがい)である姫さんには言いたいことが伝わるのだろう。手を伸ばし真珠色の髪に触れながら、最強最凶の竜が欲した言葉を難なく口にした。


「ふふ、すごく可愛い」


 姫さんが言う『可愛い』は見た目のことだけでなく、可愛くありたいという旦那の思考もひっくるめての『可愛い』ってことだろう。

 この人を可愛いなんて言える女は、この世界であんただけだ。

 

「そうか、可愛いか。ならば良い」


 黄金の眼を細め、満足げに旦那は頷いた。

 その顔に浮かんだのは、透明な薄氷のような笑み。

 一瞬で消えたその笑みは赤の竜族達の眼球に焼き付き、張り詰めていた空気を緩めた。

 自分が姫さんから見て可愛いか、そうでないか。

 この人にとっては、竜族の未来以上に重要な問題だ。

 旦那は姫さんに可愛いと思われたいと、常日頃から公言している。

 可愛ければ姫さんにもっと、もっともっと好いてもらえるかもしれないから……。

 その思考回路は、確かに少しは可愛いが。

 外見的には……氷獄を統べる魔王様みてぇに冷酷な美貌の男を『可愛い』と表現するのが適切かどうか問うと、百人中百人が不適切だろうと答えるだろう。

 でも、まぁ、旦那が可愛いと思ってもらいたい唯一の相手である姫さんが可愛いと言ってくれれば、あの人はそれで大満足なわけだ。


「可愛い我はダルフェと殺し合いではなく、試合をする。りこはカイユと下がっていてくれ」

「はい、ハク。……これはダルフェの里帰りを祝う武闘会なんだから、ダルフェに怪我をさせないだけでなく、あなたも怪我をしないでね?」

「分かった」


 殺し合いではなく試合だと、旦那はそう言った。

 特に大きな声で言ったわけじゃないが、耳の良い竜族達にははっきりと聞こえ、皆の間に安堵感が広がる。だが、俺としては試合より殺し合いがしてみたかった。

 うん、まぁ、それを口に出すほどお子様ではないし、空気が読めないわけもない。

 模造刀ではなく真剣でできるだけでも、ラッキーなことだしな。


「ダルフェ、はい」


 気配なく背後に立った母さんが差し出したのは、俺の刀だった。

 黒の竜帝陛下に餓鬼の時にもらったその刀身は、カイユの刀より長い。

 俺は振り返ることなく後ろ手に模造刀を差し出し、空いたその手で漆黒の刀を受け取った。


「ありがとな、母さん」


 礼は、刀を持ってきてくれたことではなく。

 真剣を手にした旦那を、止めようとはしなかったことへの礼だった。


「ふふっ……羨ましすぎて妬けてしまうわね、ヴェルと刃を交えることができるなんて。こんな機会はそうそうないわ。楽しみなさい、ダルフェ」


 俺の背をぽんっと叩き、母さんはそう言った……言ってくれた。

 つまり。

 ルール違反だがこの試合だけは真剣でやり合う許可が、武闘会主催者である赤の竜帝から出たわけだ。

 ―――ので。


「じゃ、はじめましょっか?」 


 カイユに先導された姫さんが、一番手前の観覧席に腰を下ろすのを瞬きもせず見つめていた旦那に声をかけると。


「…………」


 無言のまま俺へとその身と視線を、旦那は向けてくれたものの。


「…………」


 刀は抜かず、鞘を掴んだまま仁王立ちままで……。

 まるで彫像のように、ぴくりとも動かない。

 黄金の眼は俺に固定されたまま、瞬き一つしない。

 

「……え~っと、もうはじめてるんですがね? 分かってま……ッ!?」


 斬られたのは。

 俺の喉ではなく、大気。

 かわせたのは、<色持ち>の身体能力と実践経験のおかげだな。  


「……なぜ避けるのだ?」


 小首を傾げて、色素の薄い唇で問う旦那の右手には、抜き身の刀。

 左手には、朱色の鞘。

 これって、まさか……。


「抜刀術かよっ!? 避けねぇと死ぬでしょうが!」


 殺し合いじゃなく試合をするって、さっき言ったのはあんたですよね!?

 しかも抜刀術って……あんた、刀の扱い方知らねぇんじゃないのかよ!?


「避けなければ、落ちるのはお前の頭部ではなく花だった。予想外に動いたので頭を落とすところであったぞ? そのようなことになったら、我がりこに怒られてしまうではないか」


 旦那は鞘に刀身を収めながら、そう言った。


「あのねぇ、旦那。俺の頭を落としたら、姫さんに怒られるじゃすまねぇと思いますけど?」


 て、いうか。

 おいおい、マジっすか!?

 俺の右耳にさした花を狙ったってのは……う~ん、そりゃおかしくねぇか?

 首を狙ったしか思えない動きだったぜ?

 そう見えたのは、旦那の抜刀が早過ぎたせい……いや、どんなに早くても俺が見間違えるわけがねぇ。

 つーことは、だ。

 もしかして、旦那は……。

 旦那は刀の扱いを学んでいない。

 俺と違って、実践での使用経験もない(多分)。


「……」


 一つの仮定が、頭に浮かんだ。

 青の大陸でのダンス練習の時、旦那は……俺とカイユが手本として踊り、それを記憶して……。

 あー、うん、なるほどねぇ。

 そういうことか!


「旦那。あんたのそれは、ただの模写っすね? それも、あんたにしてはだいぶ雑だ」

「……そうだ。我は剣術に興味がないのでな。当時、()()正確に記憶しようとする気がなかったからな」


 模写。

 つまり、真似。

 この抜刀術は旦那の記憶による再生動作であって、学んだものじゃない。

 ダンスの時と同じで、旦那の抜刀術は模写に過ぎない。

 だから、眼で見て記憶した対象との体格差や刀身の長さの違いで誤差が生じて、旦那の中で()()が生じている。

 しかも記憶した対象が竜族か人間かは分からないが、旦那と身体能力がまったく違う。

 そこでも()()が生じているわけで……。

 旦那に肉を斬る気はなくても、見誤って斬ってしまう可能性大だな。

 殺す気はなくとも、まさに母さんが危惧していた旦那のうっかりミスで致死傷を負う可能性も無きにしも非ず…………面白いな、うん。

 これはこれで、すげぇ面白い!


「誰を見て、旦那は記憶したんです? ま、ずいぶんといい加減な記憶ですけど」


 旦那にそれを見せた相手に興味があったので訊くと。

 

「インヴァ=イング、なのだ」


 聞き覚えのない名前が、返された。


「は? インヴァ=イング? どこの誰っすか、それ?」


 名前の感じからすっと、竜族じゃねぇな。

 インヴァ=イングってのは多分、人間だ。

 

「インヴァ=イングは、青の大陸にいた鍛師だ」

「鍛師……青の大陸の……」


 姫さんの隣にいるカイユに視線だけで問うと、首を左右に動かし答えてくれた。

 カイユはインヴァ=イングを知らない……つーことは、ずいぶんと昔に存在した人間だって事だ。


「インヴァ=イングは<監視者>で試し斬りをしてみたいと、セリアールに直談判しに来たのだ。未だかつて無い初めての申し出に興味がわき、我はそれを承知した。試し切りをされるさいに、動きを見た」

「<監視者>で試し斬り!? 」


 <監視者>で試し斬りをしたいなんて、普通の人間なら思いつきもしないだろう。

 しかも、先代青の竜帝に直談判してまで、旦那を呼び出してもらうなんて。

 生きることに飽きて慢性的に退屈だったであろう旦那が、興味を持つの納得だ。

 度胸がいいというより……狂気だな。

 己が造りだした刀への、狂気のような探究心。


「すげぇっすね、その鍛師の男」

「男? インヴァ=イングは男ではない、女だ」

「は?」


 その鍛師、女なんすか!?


「女って……あんた、まさか……」


 この距離じゃ人間の耳に俺達の会話は正確には聞こえないのは分かっているが、思わず姫さんを流し見た。旦那はそんな俺の視線から察したのだろう、訊いてもないのに自己申告してきた。

 昔の女関係に関しちゃ第二皇女の一件以来懲りて、姫さんのために持っていないはずの気遣いを絞りだしてるからな……。


「心配無用だ。あれは女が好きな女だったので、我は寝ておらぬ」

「そうっすか。まぁ、うん、やっちまってても時効でしたけどね」


 姫さんの隣にいるカイユに片眉がピクリを上がったのには、気付かなかったことにして。

 俺は手の平で柄巻きの感触を味わいながら、旦那に視線を戻した。


「話しを戻しますがね。俺が思うに、応用が苦手なあんたはその女鍛師と自分の体躯と身体能力の誤差を、脳内で正確に補正できてない」

「…………」

 

 旦那にも自覚があるのだろう、俺の考えは否定されることはなかった。


「あんたの抜刀術はしょせんは不出来な真似事で、俺のは実戦の積み重ねで得たモノだ」


 本気で覚えようとて見て記憶したダンスも、自分ものとして身につくまで旦那はかなり躍り込んだ。

 記憶力は異常にいいが不器用なんだよね、この人は。

 出血させた方が負けってルールだからな。

 刀を使いこなしていない旦那には、それはけっこう難しい。


「この勝負、俺の勝ちっすよ」


 そう言った俺だったが、自分の甘さをすぐに知ることになった――。  


「……………………………………………………ダルフェよ」


 瞬きを放棄したかのような黄金の眼球が俺を捕らえ、頭のてっぺんからつま先までを測るかのように上から下に動いて映した。


「お前の体軀は、我のものと近いと思わぬか?」

「………はい?」


 そう言われて、気づいた。

 今日はやけに、旦那の視線を感じていたことを。


「あ」


 旦那は、俺を見ていた。

 赤の竜族達の、相手をする俺を。

 ただ見ていたのではなく。

 記憶し記録し。

 こうして対峙するまでに、脳内で補正と微調整をし。


「さっきのは、あんた自身の最終確認かよ!?」


 あの動作で、俺と自分と刀との誤差を修正していたこしたら!?


「…………旦那。あんた、やっぱ最高だな」


 称賛半分、嫌味半分でそう言うと。

 旦那は、左に少し首を傾げ。


「どういたしまして、なのだ」


 そう、言った。

 いやいや、ここで『どういたしまして』ってのは、さすがにねぇから!

 旦那は未だに、『どういたしまして』が使いこなせてないんだよな……。

 ホント、不器用なお人だよ。

 思わず吹き出しそうになるのを堪え、俺は。


「じゃあ、仕切り直して始めましょうかね?」


 刀の鯉口を、切った。


  


カイユの父親セレスティスが愛用している、先代青の竜帝セリアールから贈られた刀がインヴァ=イングのものです。セリアールは特に何も言わず「以後、これを使え」とくれたので、セレスティスも制作者の名を導師に言われるまで知りませんでした。

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