第19話
「ぐぎゃー! なにしやがる! このじじい、放しやがれ!」
白い光の帯に引きずられた青い竜がハクちゃんの足元でもがく。
小さな手足を激しく動かして脱出しようとしているのに、光は益々強く発光し締め付ける力を増したようだった。
「おい、お前! なんとかしろ……っつ! いてて」
青い眼が私を見て、言った。
「ヴェルを‘抑え‘るんだ! ‘つがい‘であるお前の役目だろうが!」
「わ、私……」
止めないと。
私はハクちゃんの肩に手を伸ばし、服を掴んで引っ張りながら【お願い】した。
「やめて、ハクちゃん! 竜帝さんが怪我しちゃうよ! お願い、止め……」
ハクちゃんの金の眼は足元の竜に向けられたままで、私を見てくれない。
何も言ってくれない。
「ハクちゃ……」
ショックだ。
いつだって私を最優先にしてくれたのに。
どうして?
「ぎゃぎー! や、やめ! こ、の馬鹿」
あがった悲鳴にびっくりして竜帝さんを見ると……。
「な……!」
ハクちゃんの足に頭を踏まれた竜帝さんが短い手足を使って、懸命に足を退かそうとしていた。
「潰れちゃうよ、死んじゃう! やめて、やめて。こんな酷いこと」
私はハクちゃんの胸を叩いた。力いっぱいに。
「……<青>を庇うのか。我より<青>が‘かわゆい‘からか」
「ち、ちが」
ハクちゃんは私を見ずに冷たい声で言う。
「我の腕にいるのに、我以外の雄に心を向ける。今までの女は皆、自分から我に媚、擦り寄ってきたのに」
い、今までの女?
女!
「<青>よ。りこの心を我から奪わせはせぬ。消えろ」
お・ん・な。
「……ハ、ハクちゃんの馬鹿! 最低、最悪!」
私は暴れた。めちゃくちゃに。
なによ、なんなのよ!
女?
過去の恋人と私を比べてたってこと?
「放して、触んないで!」
「り、りこ?」
ハクちゃんの胸や腕を思いっきり蹴り、二人の間に無理やりに隙間を作る。
「放して、降ろして! 早くして!」
他の女の人と比べないでよ。
「りこ、危ない。分かった、降ろすから待っ……」
腕の力が緩んだのが分かり、私は自力で飛び降りた。
「う、いっ……痛!」
ここ何年も運動してなかった私がうまく着地できるはずはなく。
地面に腕をついて落ちてしまった。
手のひらを擦り剥いたのか、じんじん痛む。
痛い。
痛いよ。
痛いよ、ハクちゃん。
「う、う……うっ。ひぇっぐ」
こんなみっともない私。
ハクちゃんと並んだ時につりあうような背も無くて、美人じゃなくて平凡で。
きっと凄い美女と付き合ってきたんでしょう!
私なんて、ちんちくりんのおちびだからさぞ珍しかったでしょうよ!
「う……うぅ……ぇぐ」
地面に座り込んで、自分の両手を開いて確認した。
手首から親指の付け根まで、擦り切れて血が滲んでいた。
膝も痛い。こちらも血が出てるかも。ずきずきする。
どこもかしこも痛い。
「お、おい。大丈夫かよ、おちびちゃん」
青い竜が私の手を見て、頷いた。
「よし。骨折はしてない。立てるか?」
「……竜帝さん、怪我は」
青い眼がくるりと回り、細められた。
似てる。
ハクちゃんに。
「俺様は四竜帝だぞ? こんなのなんともない。ヴェルに踏まれるのは慣れてるしな!」
にかーって笑うと青い歯が見えた。
歯も青いんだね。
それに、笑えるんだ。
ハクちゃんとは違う。
違う。
「光の帯みたいのは消えた、ですね。良かった、竜帝さんが無事で」
袖で涙を拭いながら立ち上がり、ハクちゃんに文句を言うべく振り返り……。
「え」
ハクちゃんは金の眼を見開き、私を凝視していた。
前屈みで、右手を私の方へ伸ばした姿勢で固まっていた。
「ハクちゃん?」
私が呼びかけると全身がびくりと跳ねた。
「ハクちゃん、あのね! 女の人って」
「血」
ん?
「りこ、血の匂いが」
ああ。そうですよーだ! 手を擦り剥きましたから!
「私、手のひらを擦り剥い……」
「け、怪我をしたのだな? 血が……」
ハクちゃんはへなへなとその場にしゃがみ込み、私から眼を離さずに言った。
「わ、わ……我がりこに怪我を。血をなが、なが、な……」
わなわなと震える口……。
「りこが怪我をした! 血がー!血が!」
四つんばいで私ににじり寄り、スカートの裾にしがみ付きながら言うその姿を見たら……。
見た目と中身のギャップが酷くて、過去の女の人に捨てられたんではないかとすら思えた。
「 た、大変だ! 今、医者を……りこ、りこ。血が、血が出っ!」
「てめぇのせいだぞ、ヴェル。あ〜ぁ、可哀相になぁ。人間には再生能力がねぇから、しばらく痛むぞ」
竜帝さんの言葉を聞いたハクちゃんの両手がびくんと震えた。
「い、い、痛むのか? り、りこ。血、血が」
ハクちゃんの取り乱しようを見ていたら、逆に私のほうが冷静になってきた。
見た目は悪の帝王(?)みたいな成人男性が私のスカートを握ってぷるぷる……。
しかも切れ長の眼は今にも洪水を起こしそうだし。
私が手を擦り剥いただけでハクちゃんは……。
ちょっと、嬉しいかも。
うん。
過去の女の人に嫉妬したって、しょうがない。不毛だよね。
「痛いけど、これくらい平気」
それに、気づいたの。
私はやきもち焼いたんだよね?
嫉妬したんだよね?
ハクちゃんが好きなんだ、私。
好きなのは分かってたけど。
すごく、すごく。すごく好きなんだね。
「りこ、すぐに医者を」
立ち上がろうとしたハクちゃんの首に腕をまわししがみついた。
頬と頬を合わせ、腕に力をこめる。
「ごめんね。不安にさせて」
ハクちゃんもさっきの私みたいな気持ちになったのかな?
比べられるように感じて悲しかったのかな?
どんなに美形だって力があったって、不安なんだね。
私のことを本気で好きでいてくれるから……。
「私の一番はハクちゃんだから」
本当は愛してますって言いたかったけど。
言葉が分からなかったから。
「大好き。私の白い竜」
愛してる。
かわゆくて、綺麗で、怖い貴方を。
「ちょっと擦り剥いただけだから……わぁわぁっ?」
瞬きをする間も無く景色が変わった。
あれ?
寝室だ。ベットの上。
術式で移動したんだ……。
腕の中にはハクちゃんはいない。
「ハクちゃん?」
私の左脇にこんもりとした黒い山。
これ、ハクちゃんが着てた服?
もこもこと中央部分が動き、布の間から白い竜の顔がぴょこんと現れた。
金の眼が私を見て、くるんと回った。
私は重みのある黒い生地から小さな身体を引っ張り出し、自分の膝に座らせた。
あ。
手足……丸めてる。
「カイユがすぐに来る。手当てをしよう」
念話だ。
竜の姿だとハクちゃんは‘声‘が無い。
私は手の平をハクちゃんに見せた。
「血、止まってる。平気」
ハクちゃんは私の手の平を見て、数回瞬きをした。
小さな手を伸ばし、触れる寸前でギュッと握りこんだ。
「我は……」
「トリィ様!」
カイユさんが部屋に飛び込むように入ってきた。
小ぶりな木箱を抱えている。
私の手を確認してから箱を開け、中から小瓶と包帯を取り出した。
「傷薬を塗りましょう。お手をこちらに」
「傷、軽いです。平気ですよ?」
薬なんて大げさな! 逆に恥ずかしい〜。
「りこ。手当てを」
ハクちゃんはふわりと浮いて膝から離れ、窓へ近寄り小さな手を器用に使い窓を開けた。
ひんやりした風が室内に入ってきた。ほんのり花の香りがした。
「我は中庭にいる」
「え? ハクちゃん、あの……」
「<青>には手を出さぬ」
「あ、う、うん。ありがとう」
あの〜。
私がしたさっきの告白はスルーですか?
しかも竜に戻ってるし。
なんか微妙な気分です。
窓から外にふわふわと飛んでいったハクちゃんを見送った私の手をカイユさんがそっと掴んだ。カイユさんは綺麗な顔をしかめながら濡れた布で土をふき取り、小瓶の薬を少量ずつかけて指の腹で優しく塗りこめてくれた。
「足のほうからも血液の匂いがしてます。膝も擦り剥いてしまったようですね。まったく、ヴェルヴァイド様ったら何やってるんだか」
「ハクちゃん、悪くないです。私、自分から落ちたの」
「直接では無くても結果的にはお怪我をなさった。つがいに怪我をさせるなんて、竜族の雄として最低ですわ」
手厳しいです、カイユさん。
竜族の女性って強い。
「カイユ。ハクちゃんを怒らないで? ハクちゃんは意外と繊細。かわいそう」
カイユさんは水色の瞳を細め、微笑んだ。
「トリィ様。あの方を‘繊細‘と言うのは、言えるのは世界に貴女様だけです。ヴェルヴァイド様の伴侶がトリィ様のような方で本当に良かった……」
会話しながらも手際良く手当てをしてくれたカイユさんは木箱に薬をしまうと、私の脇にあったハクちゃんの服を手に取った。
「カイユ。ハクちゃんは竜に戻ったの。なぜ?」
慣れた手つきで畳むカイユさんに聞いてみる。
「さぁ。あの方の考えは私などには……。あら?」
カイユさんが服の中から何かを見つけたらしく、片手を入れて動かした。
「何かしら? 真珠?」
彼女の手には10粒程の白い球体。
小さなそれは。
「……真珠ちがいます。内臓です」
「は?」
ハクちゃん。
かなりへこんでますね。