第43話
ダルフェがカイユと息子を連れ、電鏡の間に向かったのをりこが見送って。
その後、我はりことダンスの練習を開始した。
完璧に覚えていた我に、りこはとても感心し。
それはそれは、褒めてくれた。
惚れ直したかと、訊くと。
りこは、はにかみながら頷いてくれた。
我はとても嬉しく、"ご機嫌”になって……ダンスを完璧に覚えていたご褒美に、頭を"なでなで”してもらおうと身を屈めた瞬間。
ーーバンッ!
勢いよく扉が開き。
「ヴェルヴァイド様っ! あたしと一緒にきてくださいっ!!」
カイユに腕を切断された赤茶の髪の雌が、駆け込んで来た。
「………………<赤>の駄犬はノックすらできぬのか? まぁ、我も"りこ待ち”以外でしたことはないが」
我の場合、ノック=催促だからな。
「ッ!? ハクちゃん、駄目!」
右手に抜き身の刀を持ち、腹を左足で踏んでいる我と。
我の右腕を両手で握り、愛らしい顔を強ばらせるりこを。
「え? え? あ、ああ、あっ……ひっ!? あ、なに? なんで? あたし、なんで倒れっ……あた、あたしの刀?」
"なでなで”を邪魔した雌は。
床に仰向けになり。
全身を震わせながら……焼きすぎた栗のような色の瞳を見開き。
見上げていた。
「お前のせいで我は、"なでなで”してもらい損ねたのだが?」
「な、な、なでな……で?」
喉元に、刃。
自分の刀がなぜ、己のそこにあるのか。
この雌には、理解出来ておらぬようだった。
「どう責任を取る気なのだ?」
左足に、少し力を加えると。
雌の顔が歪んだ。
それは。
痛みによるものではなく、恐怖によるものだろう。
この雌は、竜騎士。
恫喝などしなくとも。
本能的に、我を怖れる。
「あ、あたっ……ごめ、なさっ……お、おゆし、くださっ…………ヴェ、ヴェル、ヴァイドさっ……」
「己の罪を理解しておらぬお前の謝罪が、何の役に立つというのだ?」
「……あ、あああ、あぁ……ああ、あああああ、っあ」
極限まで見開かれた眼から。
堰を切ったように涙が溢れ出ると。
「ハクちゃん、ハクッ! もう止めて! お願いっ……後でいっぱい撫でてあげるから、止めて!」
りこは我の腕から手を離し、庇うように雌の頭部に覆い被さると。
厳しい顔を、我へと向けた。
「……止めるも何も。我はまだこの雌を殺しておらぬし、傷付けてもないぞ?」
「ハクちゃん、早く足をどけて刀を捨てて! 怒るわよっ!?」
「……りこ、すでに怒っておるのではないか?」
「ハクちゃん!」
「…………」
なぜ、我がりこに怒られねばならぬのだ。
悪いのは、この雌であるのに。
我は悪くないのに、りこに怒られた。
あぁ、この世は理不尽と不公平で満ちているのだ………………まぁ、りこにばれぬよう殺すのは、いつでもできる。
今は"良い子のハクちゃん”でいたほうが賢明であろう。
「………………………………………………はい、なのだ」
我が雌の腹から足をどけ、刀を放ると。
りこはハンカチで雌の涙を拭き、背に手を当てて上半身を起こしてやった。
「ダルフェと同じ制服を着ているから、赤の竜騎士さんですよね? ハクが酷いことをしてごめんなさい。大丈夫? どこか打ってませんか?」
心配げな顔で、りこが声を掛けると。
「あ……お、奥方さまっ……う、ふぇ、ええ~ん……こ、こ、こわっ、怖かったぁああああ! 怒った陛下の百倍、ううん、千倍怖かったよぉおおお!」
雌はりこに抱きつき、盛大に泣き出した。
こやつ、我のりこに抱きつきおって……りこがここにおらねばその首、ねじ切ってやったものをっ!
「ごめんなさい、怖かったですよね!? もう大丈夫だから、泣かないで……ハクちゃんからも、何か言ってあげて! 女の子にあんな乱暴なことをするなんて……私の妹と同じ歳位の女の子なのに!」
妹。
妹?
また、妹か!?
第二皇女の時も、妹の"けーたいでんわ”と同じだと…………異界の妹など、二度と会えぬし会わせぬのだから、異界語同様さっさと記憶の奥に沈めて忘れてしまえば良いものを!
……と、我は思うが今は"良い子のハクちゃん”なので言えぬ!
「妹? 何を言っておるのだ。そやつは竜族なのだから、りこより数倍生きておるのだぞ? 比べるなら妹ではなく曾祖母であろう? そもそも、妹など……」
「ハクちゃん! そんなことどうでもいいから、とにかくこの女の子に謝って!」
りこよ、どうでも良いのか!?
いや、そもそも何故、我が謝らねばならぬのだ!?
これではまるで、我がこの雌を虐めたかのようでないか?
被害者はそやつではなく、"なでなで”をしてもらい損ねた我なのだぞ!?
「…………命拾いしたな、駄犬。我が妻に礼を言うが良い」
「だ、駄犬っ!? ハクちゃん、なんてこと言うのよ!?」
駄犬ゆえ駄犬と言っただけだが、りこはそれが気に入らぬようだった。
ふむ、難しいのだ……。
「ひっ、うぅ……お、奥方様、あ、ありとう、ございます……あのっ、あたしっ、マーレジャル、です……ダ、ダルフェが、だから、だから、あたしっ、急いで服着て、走って、だから……」
「マーレジャルさんっていうんですね? 私は、トリィです。ダルフェがどうかしたんですかっ!?」
りこよ、我が駄犬と言ったのは根拠があるのだぞ?
扉が開くと同時に我がその腰から刀を抜き、脚を払い倒したことを。
こやつが理解するまで、どれほどかかったと思うのだ?
しかも、ダルフェやカイユならば、何事もなかったように避けておったような速度だったのだぞ!?
ゆえに、駄犬で正解なのだがな……。
「……お前を寄こしたのは、ダルフェか?」
我はりこの胴に腕を回し、雌から剥がして抱き上げ、訊いた。
「は、はいっ! ダルフェが、あの、詰め所で倒れてっ……ヴェルヴァイド様を呼んで来いって言ったから、だから、あたしっ……」
ダルフェが、倒れた?
なるほど、な。
我の考えていたより早く拒絶反応が出たのか……。
「ダルフェがっ!? ハクちゃん、大変! すぐに行ってあげなきゃ!」
「詰め所、か。ふむ……りこ。少しの間、眠っていてくれ」
我はりこの額に唇を落とし。
「え? ハクちゃっ……」
りこの意識を奪い。
雌を放置し、<赤>の執務室へと転移した。
「あら? どうしたの? ヴェルヴァイド。……トリィさんを眠らせて連れてくるなんて、何があったの!?」
「……」
我はソファーにりこを寝かせ。
少々乱れてしまった黒髪を撫でて整え、両の目蓋と柔らかな唇に接吻をして。
厳しい顔で立つ<赤>に、言った。
「ブランジェーヌよ。我が戻るまで、カイユとその息子以外はこの部屋に入れるな。術式で此処に簡易結界を展開した。我は防御系の術式はあまり得意ではないので、他の者等が入室すると頭部が瞬時に破裂するぞ」
術式の跳ね返りで死ぬ1.5歩手前の導師が仕掛けてくる可能性は、限りなく低いが。
万が一、ということもあるからな。
「……ああ、あれね? 分かったわ。貴方は何処へ?」
我の術式が青白い炎となって、部屋の四隅を這うのを一瞥し。
<赤>が、そう訊いてきたので。
「我は、お前の息子に少々用があるのだ」
我が、応えると。
<赤>が訝しげに眼を細めた。
「ダルフェに? ……ヴェル、もしかしてダルフェに何かあったの!? まさか、あの子っ……」
死んだ、とでも思ったのだろうか?
「いや、大事ない。想定内、なのだ」
瞬時に顔色を変えた<赤>に、我がそう言うと。
「想定内っ!? 貴方、あの子に何かしたの? 私のダルフェに何をしたのよっ!?」
声を荒げた<赤>の頬に、真紅の鱗が浮かびあがった。
興奮のあまり、竜体に変態しかけておるな……こやつは息子のこととなると、昔からこうだ。
お前の息子はとうの昔に、お前の手を離れ。
一人で、歩き出しておるというのに。
「そのように興奮するな、抑えろ。たいした事はしておらん。我の体液を体内に入れただけだ」
噛んで、傷付け。
血を採取し。
咥内で我の唾液と血とを混ぜ、戻しただけだ。
「貴方の体液を、あの子の体内にっ!? う、うそ、そんなっ……まさかっ……貴方、欲求不満でダルフェに手を出したんじゃないでしょうね!? 男は駄目って言ってたクセに!」
「はて? 以前より、我はダルフェに手も足も出しておるが?」
この手で殴り。
この脚で蹴り飛ばすなど日常茶飯事だが?
「手と足!? あ、そっちね、そうよね! あぁ、良かった~…………あ! ちょっと、待ちなさいよ、ヴェルッ!」
訳の分からぬことを口にし、一人で納得し頷く<赤>の制止を無視し。
我は、赤の竜騎士団の詰め所へと移動した。
※※※※※※※※
「…………ダルフェ、起きろ」
赤の竜騎士団の詰め所に転移した我は。
ソファーに寝かされたダルフェの額に指をあて。
"でこぴん”をした。
「ッツ!?」
ダルフェは瞬時に、眼を開けたが。
身体は動かすことが出来ぬようで。
「……だんっ……ヴェル、ヴァッ…………イドッ…………お、俺、どうしっ…………血が、煮えちまったみてぇ、に……あ、熱くて……あんた、俺に、なにをっ……」
言葉を発するだけでも苦しいらしく。
汗で濡れた髪を顔に張り付かせ、緑の瞳を再び閉じ…………こやつ、また意識を失ったのか!?
せっかく起こしてやったのに……まぁ、良い。
必要なのはダルフェの身体であって、意識ではないからな。
「ダルフェ。覚えておるか?」
我はダルフェの顔を覗き込むようにして、身を屈め。
「我とお前で、この城に種を埋めたことを」
熱を持っているのに。
徐々に赤みを失い。
蝋人形のような色へと変わってゆく肌を、皮膚を。
間近で、眺めた。
「芽は出なかったが。微塵も、我は残念だとも惜しいとも思わなかった……思えなかった。……ん? 呼吸が止まったか?」
物言わぬダルフェの唇は。
呼吸することも止め。
「ダルフェよ」
常なら饒舌なダルフェが。
「我はりこに出会い、愛し愛され、変わり。お前はカイユに出会い、愛し愛され、変わった」
黙って、我の言葉を聞いていた。
「変わった今のお前は、お前の命は」
ダルフェは、幼いときから。
我の前で、よく喋った。
我の返答の有る無しに関わらず、喋った。
「我にとって」
今、此処で横たわるダルフェは。
我がこんなにも傍におるというのに、喋らない。
一言も、喋らない。
「あの種より、ずっと価値があるのだぞ?」
不思議なことに。
我は、それが少し。
ほんの少しではあるが………………寂しい?
我は、寂しいと感じているような気がするのだ。
少し、だけだが。
ほんの、少しだけなのだがな。
「………………この我に、ここまでさせおって」
我を見ないダルフェの顔に。
手を伸ばし、触れ。
「まぁ、良い」
左手で顎を持ち。
右手で唇をなぞり。
「今のお前は、我にとってそれだけの"価値”があるのだから」
唇を。
重ね。
ふう、と。
息を、送り。
舌で、咥内を探り。
ダルフェの舌と、絡め……。
「…………」
そして。
離れた。
「……………………………………りこに言ったら、殺すぞ?」
己の最速で駆けてきたのだろう、荒い息をつきながら戸口に立ち。
我とダルフェを凝視していた赤茶の髪の雌竜……マーレジャルとりこに名乗っていたな……に、告げた。
「は、はいっ、はい! ヴェルヴァイド様がダルフェにべろチューしてたなんて、奥方様には絶対に言いませんっ!!」
マーレジャルとやらは、真っ赤な顔を。
壊れた自動人形のように、カクカクと上下させ。
そう、応えた。
「……チュー?」
以前、ランズゲルグの口に噛みついたら、りこに怒られたので。
我はりこを眠らせ、<赤>に預けたのだが……。
「…………べろチュー? 今のがか?」
「は、はい! ものすっごいべろチューでした!」
べろチュー?
べろチュー……。
べろは舌のことで。
チューは、"ちゅう”だな?
「なるほど。べろチュー、か…………」
では、"なでなで”ではなく。
「おい、駄犬。カイユを呼んで、ダルフェを回収させろ」
「は、はい! ヴェルヴァイド様っ!」
べろチューを、りこにおねだりするとしよう。
青の大陸編第54話で、ハクはランズゲルグの口に噛みつき(りこから見たらキス)、りこにすごーく怒られました。