第42話
「ダルフェ、終わった? 怪我は?」
竜体から人型へと変態し、竜騎士の制服を身につけてからのんびりとした足取りで屋上に現れたクルシェーミカは。
持ち主の血で染まったシーツをちらりと横目で見ながら、にこりと笑った。
「はぁ? アホなこと言うなよ、ミカ。全盛期を過ぎたおっさん竜相手に、この俺が怪我なんかするわけねぇだろーが」
足元に転がっている団長の頭部の左右の眼球を潰し、俺は刀をしまった。
クルシェーミカは団長から流れ出る血を踏まないようにしながら、俺の傍に来て首を傾げて訊いた。
「一応言ってみただけだよ。ダルフェ、なんで眼を潰したんだ?」
俺に死体損壊趣味なんかねぇのを知ってるから、疑問に思ったようだった。
「眼球に視蟲が寄生してっから、潰した」
「視蟲? 何それ?」
あ、そうか。
こいつは、あんまり術士には詳しくねぇもんな。
「視蟲に寄生されちまった眼球は、死後数時間は映像を転送することが可能なんだ。だから、潰した。視蟲については、後で氷菓子を食いながら教えてやる。詰め所の保冷庫に苺味とチョコ味のがあったよな? ミカはどっち食いたい?」
「俺、チョコ。ふ~ん、視蟲かぁ~。もしかして、ダルフェはヴェルヴァイド様に教えてもらってたの?」
「じゃあ、俺が苺味か……うん、こないだ教えてもらった。久しぶりに……三年ぶりかな? 城に来たんだよ。深夜に一人で、謎の種を中庭に植えてたんだ」
月明かりの下で竜体の旦那が手で穴を掘って黙々と一人で作業していたから、俺は手伝ってやった。
土を掘りながら、俺が一方的に話して……いつの間にか術士や術式の話になって、なぜか視蟲の話題になった。
「こ~んなでかい大人の頭サイズで、腐った魚を丸めて団子にしたみたいな気持ち悪い種だった」
「へぇ~、ずいぶん大きい種だね。なんの種かな? ………………さて、新団長閣下。ご指示をどうぞ」
クルシェーミカが大げさに礼をして、そう言ったので。
俺は、今更ながら気が付いた。
「あ~、そうか。自動的にそうなっちまうか……団長、か……う~ん、まぁ、仕方ねぇか。じゃあ、ミカが副団やってくれるか?」
「うん、良いよ」
「良し、決定だ! なぁ、ミカ。次の休みこそ、一緒に海行こうぜ?」
「うん、行こう! マーレジャルも誘っていいかな?」
「良いぜ、三人で行こう」
「前の夜出る? それとも朝?」
「う~ん、どうすっかな~……あ、俺が弁当作ってやるよ」
「うわっ、楽しみ!」
切断部から血が流れ出ている団長の死体の前で。
俺達は、次の休みの計画をたてた。
団長を殺したあの日。
俺は、歴代最年少で。
赤の竜騎士団の、団長になった。
ある密猟団のアジトになっていた村を突き止め、俺達は潰しに来ていた。
その頃には俺の背は母さんを越え、父さんを越え。
いつの間にか、旦那と同じ目線になっていた。
「おい、ミカ。これで全部か?」
武器を手に抵抗した男達は、全て殺すように指示し。
無抵抗な住人達は全員、村の中央にある井戸の前に集めさせた。
「ああ、マーレジャルとベッケルスが隠し部屋もチェックした。これで全部だよ」
そいつ等の視線は、俺へと向けられて……赤い髪の竜騎士が団長だってのは、俺が団長になって数十年経った今では周知のことだからな。
自分達の処遇……生死の決定権を持っているのが俺だと分かっているから、村人達は瞬きもせず俺を見ていた。
赤ん坊を抱いた母親のすがるような視線。
憎悪に満ちた老人の視線。
怯えきった子供達の視線。
その他全ての視線を無視し、俺はクルシェーミカに訊いた。
「そうか、思ってたより少ないな。……"仕事場”はあそこか?」
そこは山間にある小さな村で、粗末な家が20ほど密集して建ち。
村外れには、他の粗末な建物とは全く違う近代的な造りをした倉庫があった。
竜体を保管し、解体作業をするのに充分な大型の倉庫だった。
「ああ、そうだよ。あそこが解体施設だ」
「…………」
俺は鍵のかかった扉を蹴り開け、中に入った。
内部には水が引かれ、大小の特殊な器具や保存液の浴槽……ここで何が行われていたか、一目瞭然だった。
「竜族の解体専門の村か……いったいこの赤の大陸には、こんなのが何カ所あるんだよ。潰しても潰しても湧いて出る。ったく、キリが無いぜ……ん?」
中央に置かれた金属製の作業台に、血で汚れた鱗が一枚張り付いていた。
俺はそれを丁寧にはがし、ハンカチで包んでポケットにしまった。
「……帝都に連れて帰って、家族を探してやるからな」
竜族は血肉だけで無く骨も鱗も珍重される。
鱗一枚でもこうして回収できることは、めったにない。
手に入っただけ、運が良かった。
だが、この鱗を受け取った家族は「もしかして」という望みを捨てることになる。
残酷な真実を告げるのは、団長である俺の仕事だ。
「……」
後に続いて納屋に入ってきた副団長のクルシェーミカが、俺の横に立ち訊いた。
「ダルフェ。あいつらどうする?」
間に合わなかった自分の無能さを。
罵ることは、簡単だ。
でも、それは。
今、ここですべきことじゃない。
俺のすべきことは……。
「いつもと同じに決まってるだろう」
命ってのは、不思議だ。
それが大事で尊いもんだってのは誰だって……俺だって知ってるし、分かってる。
でも、それぞれ"価値”が違う。
俺には百の人間の命より、竜族一人のほうが比べようもないほど価値がある。
他種族なうえ知り合いでもなんでもない人間の命なんか、俺にとっては価値がない。
俺には無価値の命でも、あの赤ん坊を抱いていた母親にとっては全世界の人間より、胸で泣く赤ん坊一人の命のほうが価値があるんだろうな……。
俺の殺した団長は、同族の命とつがいの雌と息子の命を秤にかけて、迷わず家族の命を選んだ。
団長にとっては、そっちの方が価値があったからだ。
「皆殺し、だ」
なぁ、ヴェルヴァイド。
気持ち悪くて不気味な種も、餓鬼の時からの付き合いの俺も、今ここで首を飛ばされて死んでいく人間達も。
優劣なく平等な、同じ命なんだろうな……あんたから見れば、どれもこれも、無価値な命で。
あんたにとって"価値”のある命なんて、この世界に存在しないんだもんな……。
「御意、団長閣下」
なぁ、ヴェルヴァイド。
あの腐った魚を団子にしたみてぇな、変な種。
結局、芽がでなかったな……。
※※※※※※※※※※
「ダルフェ……テオ」
愛しい人の声にひかれ、目蓋を開けると。
「…………アリーリア?」
カイユが俺を覗き込んでいた。
……あれ?
うそっ!?
これって、膝枕じゃねーか!?
カイユが膝枕してくれてるなんて、明日は未曾有の嵐が来るとか!?
「ダルフェ、すごい高熱だったのよ? もう、平熱まで下がったけれど……」
窓からやわりと染み込む月明かりをまとうカイユは、まるで精霊のように儚げな美しさで……。
瞬きをすることさえ忘れ、俺を見下ろすカイユに魅入った。
「……カイ、ユ」
ーーダルフェ、お前にも俺の気持ちが分かる時がくるさ。
ああ、団長。
あんたの言ったとおりだ。
俺にも、分かったよ……あんたの"想い"が。
「…………」
瞬きもせず、食い入るように見つめていると。
「ダルフェ? どうしたの? ……大丈夫?」
カイユの指先が、俺の額から頬へと流れるように動き。
両手が、頬へと添えられた。
うわ~、カイユがすげぇ優しいんですけど!?
「……あぁ、うん。もう大丈夫……夜になっちまったのか……俺、けっこう長く意識を失っちまったんだな。あ、晩飯の支度どうしよう? 仕込みが間に合わないから、父さんの店に皆で食いに行く?」
「………………晩飯?」
右頬へ添えられた手を掴み唇へと引き寄せ、甘噛みしながら訊くと。
カイユは、左頬を優しく撫でてくれていた手で。
「なに寝ぼけたこと言ってるのよ!?」
「え? カイッ……うわっ!?」
勢いよく、頬をひねりあげ。
そのまま容赦なく持ち上げた。
「ちょ、カイッ……………い、いででででぇえええええっ!!」
ーーゴンッ!!
俺はカイユに膝から大理石の床へとぶん投げられ、頭部を強打した。
「夕飯の心配より、明日の"ダッ君杯”の心配をしなさいっ! 貴方、このままじゃヴェルヴァイド様にうっかりミスで殺されちゃうわよ!?」
「あ、明日っ!?」
つまり、夜が明けたら武闘会当日ってことか!?
俺、旦那に模擬刀の使い方をまだ教えてないんだぜ!?