第38話
*本文中に残酷な描写、R15表現があります。
「娘のためなら四竜帝だろうが<監視者>だろうが、利用できるモノは全部利用し尽くしてやるぜ?」
そう言って笑った、カイユと同じ色をした舅殿の瞳の中に居る俺を。
カイユへの、アリーリアへの想いに喘ぎ、もがく俺を。
そんな自分を見たくなくて、見ていられなくて。
「……ッ」
両眼を強く閉じた俺に。
「……では婿殿、導師の件に戻ろう」
"王子様”に戻った舅殿が。
俺が眼を開け、カイユと同じ色のその眼をしっかりと見つめ返すのを待ち、言った。
「四日前、導師は<監視者>殿の欠片を練り込んだ術式をぶち込んできて、<監視者>殿はそれを砕いた。以後、両者共に特に動きは無し。それは今日も変わらずかい?」
舅殿が少し首を傾げ……銀が髪をさらりと流れた。
俺のカイユと同じ、真っ直ぐな銀の髪。
暗い電鏡の間で煌くそれはまるで、躊躇いを断ち切る鋭利な刃のようだった。
「はい。旦那は、ヴェルヴァイドはあれから導師の件を放置状態です。姫さんが導師について訊ても、答える気がないようでした。導師は術式のはね返りを喰らっちまって、再度仕掛けてくる余力はないでしょうが、城内の警戒態勢は最高レベルを維持しています」
まぁ、術式を使えない俺等が……赤の竜騎士団で出来る警戒態勢なんてのは、たかがしれてるけどな。
実際、城内に術式をあんなにも易々とぶち込まれちまったんだし……。
あ、契約術士のお試しも早く済ませねぇと。
「しかし、<監視者>殿の欠片を術式に練り込んでくるなんてね。僕も陛下も驚いたよ。そんなことが可能だとは……僕は残念ながら、君ほど術士に詳しくないからね」
俺達竜族は術式が使えない。
だから、術式に関して全てを理解しできているとは言い難い。
俺が舅殿より多少術士や術式に詳しいのは、餓鬼の時から旦那と付き合いがあったからだ。
旦那は自分から術士や術式のことを俺に教えてくれたわけじゃないが、根気よく質問すれば稀に答えてくれた。
「旦那は導師がしばらく仕掛けてこない、仕掛けられないってのは確信があるみたいです」
「へぇ~……確信、ねぇ」
姫さんの質問には答えねぇのに、俺にはそう教えてくれた。
母さんが訊いても無視してたってのに。
う~ん、なんか怪しいんだよな~……あの人はド天然だが、馬鹿でも阿呆でもない。
言わねぇだけで、あの人なりの考えがあってのことだろう。
「旦那が言うには、今回の術式のはね返りで導師は死ぬ1.5歩手前位じゃないかってことでした」
「1.5歩? はぁ~、中途半端だね……さっさと殺っちゃって欲しいけれど、僕達の意見を聞いて動いてくれるような人じゃないしね」
溜め息をつき、"王子様”は苦笑した。
その表情に、導師という敵をすぐにかたづけられない事への焦りの色は見えない。
それどころか、どこか愉しげですらあった。
「ええ、あの人を動かせるのは姫さんだけです」
あ~、なるほど。
これはセイフォンの皇太子君の時と同じだな。
ミルミラは、竜珠を奪われ殺された。
竜珠を奪う特殊な術式は、導師が創りあげたものだ。
この人にとって、導師は竜族の敵である前にミルミラの仇だ。
だから、楽に死なせてやる気がない……この人は、導師が旦那に殺されるまでの過程を愉しんでいる……処刑台への階段は数が多ければ多いほど、断罪への恐怖が増すのだから。
「おちびちゃん次第、か。まぁ、<監視者>殿に殺しを"お願い”するなんてことは、あの子には出来ないだろうけど……この世界での『家族』のためならどうだろうね? 母親のカイユ、父親の君、弟のジリギエのためならしてくれるんじゃないかな?」
姫さんには、確かにとんでもない利用価値がある。
俺だって、あの子を利用する気だった。
今だって、そのつもりだ……実際、利用している。
カイユのために、ジリギエのために……。
「そうかもしれませんね……でも、させたくないと思っちまうのはいけませんか?」
旦那へ直接的に殺しを願うのは、あの子にとっては"罪”だろう。
あの子の心に、消えない傷を付けてしまうことになる。
旦那も、それは望まないはずだ。
俺自身も、あの子の心を傷付けたくはないと思っている……。
「いいや、かまわないよ。君はおちびちゃんには優しい。だからこそ、<監視者>殿が君をこんなにも贔屓にしてくれるんだ。そこは変える必要はない。今後のためにも、ね」
旦那が俺を贔屓?
……う~ん、まぁ、確かに昔より贔屓してくれてるとは思う。
姫さんが俺を気に入ってるから……だけでなく。
うぬぼれかもしれねぇが、最近は旦那自身が俺を気に入ってくれてるような感じも……。
「今後、ですか?」
「そう、今後……君、いつまで刀がふるえると、自分が戦えると思ってるのかな?」
「それはっ……」
「過信は止めなさい。周りが迷惑するだけだから」
「ッ……」
言い返す言葉が見つからない俺に、表情を柔らかなものへと変えた舅殿が。
「あのね、僕は"ダルフェ”としてだけでなく、おちびちゃんの保護者として……父親としても<監視者>殿にもっともっと君を贔屓してもらいたいんだ。僕、あの人に君を護って欲しいんだよ。僕のカイユとジリギエのためにも、ね」
まるで小さな子供に言い聞かせるように、ゆっくりとした口調で言った。
「それにね、婿殿。カイユを救うためなら君の記憶を消すことすら躊躇わないけど、僕なりに君を気に入ってるんだよ?」
「……」
「カイユのつがいにさせたくなくて、君を殺そうとした僕だけどね。今は君がカイユのつがいで良かったと、そう思っているから……」
「……ありがとうございます」
あんた、ずるい人だな。
こんな時に。
あんな会話をした後で。
そんな風に、言うなんて。
「そういえば赤の竜族では、君の子が双子じゃないってことは、どういう扱いになっているのかな?」
流れ落ちる前髪をかき上げたくとも、両腕がない舅殿は。
もどかしそうに顎を左右に動かし、訊いた。
ああ、そういえばその件に関しては舅殿には言ってなかったな……俺のミスだ。
「娘は産まれてすぐに死に、そのせいでカイユが姫さんを娘のように可愛がってるってことになってます。カイユが出産したのが雄のジリギエだけだったことは、ふせられています」
青の竜族には、カイユが産んだのはジリギエだけだと知られちまっていたが。
それに対してどうこう言うような奴は、城には居なかった。
青の竜騎士団の団長だったカイユは城の皆に尊敬され、愛されていたからな……個体数の少ない竜族にとって、双子が産まれるというのはとてもめでたく望ましいことで、カイユが俺の子を妊娠したときは帝都中の竜族が祝福してくれた。
カイユが産んだのは雄のジリギエだけだったが、双子を産むことのなかったカイユを、姫さんを娘として慈しむようになったカイユを……陛下を始め、城の誰もが優しく見守ってくれた。
「そう……ならいいけど。<色持ち>である君の子は双子であるべきなのに、産まれたのが雄だけだったことに対して雌側に欠陥があったんだろうなんて……雄勝りの団長閣下様じゃ<色持ち>のつがいに相応しくなかったんじゃないかなんて、陰口叩かれるのは我慢ならないからね」
カイユに欠陥!?
俺に相応しくない!?
なんだよ、それっ……同族を大事にする竜族だが、中には下卑た思考を露わに心ない発言をする奴だっている。
そんなことは百も承知だ……でもこれは許せねぇっ!
「………………そんな馬鹿げたこと言いやがった奴は、どこのどいつです?」
咥内に満ちる、血の味。
背筋を熱が駆け上り。
舅殿の眼の中に映る俺は左頬から額にかけて、真紅の鱗が浮かび上がっていた。
「今すぐ飛んで行って、俺がこの手でそいつをミンチにして豚の餌にしてやりますっ……」
怒りのあまり、竜体へと変態しかけた俺を。
「こら、婿殿。竜体化を抑えなさい。吐血の始まっている今の君に変態はかなりの負担になるはずだ」
舅殿は右つま先で鏡面をこんっと蹴って、止めた。
「それに、とっくに僕が殺っちゃったしね。手足をちぎって、鼻と耳を削いでからトラン火山の噴火口に蹴り落としておいたよ。ふふふっ、もちろん意識の有る状態でね」
「……青の陛下には?」
竜騎士は仕事としての同族殺しは許されているが。
私怨での同族殺しは、許されていない。
「ばれてないに決まってるでしょう? 陛下の行方不明者名簿に一行増えただけさ」
にこりと微笑む"王子様”には。
主を欺くことにも、同族を酷たらしく殺したことにもなんの呵責も感じられない。
「そいつ、僕が東街を警邏中だってのに、飲み屋で昼間っからくだらないをお喋りを大声でしてくれちゃって…………馬鹿だよね~」
「…………」
やっぱり、城勤めじゃない奴か。
カイユに接したことのある竜族ならば、そんなことはくだらねぇことは言わねぇからな。
「……もし、赤の竜族の中に子のことでカイユを責めるようなことを言う奴がいたら、俺が処理します。二度と同じような奴が出ねぇように、公開処刑にして殺りますよ」
俺が赤の竜族を殺すことは、母さんの顔に泥を塗るどころか唾を吐くようなもんだ。
そうだとしても俺は自分を止められないし、止める気もない。
都合の良いことに、今の俺の立場は旦那の"モノ”みてぇなもんだから四竜帝も罰せることができないしな。
「うん、そうしてね。今後もカイユに関しては細心の注意を頼むよ。何かあれば、僕も全力でフォローするから」
「はい……」
赤の竜族は社交的で陽気な性質で、好奇心が強い。
赤の陛下から、カイユや俺に死んだ娘のことは触れてくれるなと前もって通達があったらしいが……。
俺が傍にいなければ、カイユに悔やみ言葉と共に死因すらずけずけと尋ねかねない……城内といえど、一人で出歩かせるのは止めるべきかもしれないな……悪意の無いささいな一言が、綻びの原因になる怖れもある。
今のカイユの中に、娘の死を悼む感情はない。
娘への悔やみの言葉をもらっても、悪質な嫌味としかとれないだろう。
それはそうだ、腹から消えた娘は異界から帰って来て<監視者>のつがいになり、共に暮らしているのだから。
「婿殿、ジリギエはどうかな? 寿命の欠損については赤の陛下から聞いたけれど、心身に副作用的なものは出ていないかい?」
深い悲しみも不都合も矛盾も、全てを柔らかなヴェールで覆い隠すことで。
俺は、俺達はカイユの心を護っている……。
「まだ完全に安定したわけではありませんが、想像以上に幼竜体への移行は順調です。俺の不注意でジリギエがこのようなことになり、申し訳ありません」
頭を下げ、そう謝罪した俺に。
孫を溺愛している舅殿とは思えない、厳しい言葉が返ってきた。
「なんで君が謝るの? ジリギエの寿命の欠損に関しては、あの子の自業自得だろう?」
「いいえ、旦那のところにあいつを置いてきちまった俺のミスです」
「あのね~、婿殿。あの子自身が選択し、行動した結果だ。謝るとしたら、ジリギエ自身が謝罪するべきだ。周囲に心配を掛けたこと、何より君とカイユに与えられた大事な命を短慮で削り、悲しませたことを謝罪すべきだ。明日の面会時に僕はあの子を叱り、謝罪させるつもりだよ」
「あいつはまだ幼くて、転移の負荷についてもしらなかったんですよ!? こんな結果になるなんて、ジリギエは分かっていなくてっ……父親の俺の責任です!」
俺としては当たり前のことを言っただけであって、幼い我が子を庇ったつもりなかったけれど。
舅殿は片眉を上げた。
「こら、婿殿。ジリを甘やかさないで」
「俺はジリを甘やかしてなんかいません。ただ、幼生のあいつには旦那についていったらどうなるかなんて判断は、無理だったってことをっ……」
「新米パパはお黙り! 僕の父親としてのキャリアは、君よりず~っと上なんだよ?」
似たようなセリフ、父さんから聞いたばっかりだぜ!?
この二人、意外なところで共通点あるんだな。
「ですがっ……」
「あのね、君も知識では知っているだろう? 竜騎士は育て方を間違えたら、本人も周囲も辛く悲しい結果になるってことを。特にあの子の成長後の強さは未知数だ。将来のことを考えて、徹底的に分別を身に付けさせないといけない」
「……ッ」
舅殿のその言葉は、旦那の言ったことを俺に思い出させた。
ーーダルフェ。お前ならば“あれ”を、単騎で国の二つや三つや十は潰せる程度の竜騎士には仕上げるのだろう?
ーー国の二つや三つや十? 馬鹿にしないで下さいよ? 四竜帝の首だって獲れる竜騎士にしてみせます。
そう答えた俺に。
ーーそれで、良い。我を失望させるなよ?
旦那は、そう応えた。
失望させるなってことは……そうなることを期待しているって、ことだ。
無理だとは、旦那は言わなかった。
つまり、旦那からみてジリギエは『四竜帝の首だって獲れる竜騎士』になれる可能性が有る。
俺の育て方次第で、過去に例のない最強で最高の竜騎士にジリギエはっ……。
「…………申し訳ありません。以後、気をつけます」
「うん、それでよろしい。<監視者>殿とおちびちゃんはどう? <監視者>殿は久しぶりに会ったおちびちゃんに、無理強いしてないかい?」
「その点は大丈夫です。あの人もそこまで馬鹿じゃないんで、ちゃんとセーブしています。メリルーシェの時のようなことにはなりません」
姫さんを傷つけるような抱き方は、旦那はもう二度としないだろう。
蜜月期の抑えきれない激しい情動を経験している俺からすれば、肉体の欲求を精神力で徹底的に押さえ込んでいる旦那の想いの強さと深さに驚きと……感動すらおぼえる。
さすがに舅殿には言えねぇが……最近の俺は、蜜月期の雄竜じゃねぇのに自分でもどこかおかしいんじゃないかと思うくらい、カイユを欲しがっちまう。
蜜月期以外、人間と比べて格段に性的欲求が低い竜族にしては異常なほどに……。
今の俺がカイユを求めちまうのは、子を得るためじゃなく……。
逝く俺を、カイユの奥深くに刻みつけたくて、薄れることのないように……これ以上はないほど濃く染み込ませたくて、俺を記憶だけじゃなく身体でも覚えていて欲しくて。
俺の肌の感触も、肉の堅さも。
吐息の熱さも、汗の匂いも……体液の味も。
この手が、指が。
どんな風に触れて、カイユを愛したか。
この唇が、舌が。
どれほどその肌を這い回り、慈しんだのか。
全て、全部、覚えていて欲しくて。
だからこそ、執拗なまでに……もし、残された時間を二人だけで過ごせるなんてことになったら、俺は蜜月期の時以上にカイユを離せなくなっちまうだろう。
旦那がメリルーシェで姫さんにしちまった以上のことを、俺はカイユにしちまいそうだ。
充分な睡眠時間が確保できねぇくらい忙しくしてるほうが、カイユのためには良い……。
昨夜もカイユに、酷い事をしちまったしな……………身体的に悦ければ良いってもんじゃねぇのに。
「え? あの人、お馬鹿さんでしょ? 最強なくせに目の前でつがいを底辺術士の情婦に奪われるなんて、竜族史上最高の最上級のお馬鹿さんだよ!」
劣情に負けた昨夜の行いを反省しつつも、甘い蜜のようなその艶めかしい記憶を脳内に浮かべてしまい。
頭蓋の中で舐め回すようにそれを味わっていた俺を、舅殿の苛立つ声が引き戻した。
「第二皇女の件だけじゃないんだ。君が青の大陸に来る前にも色々あったんだよ! 下半身の管理がなってなかったあのお馬鹿さんのせいで、陛下がどれだけ迷惑したか知ってる!?」
最強最凶の竜ヴェルヴァイドをお馬鹿さんと罵り、連呼できるあんたはやっぱりすげぇよ。
「まぁ、勘弁してやってください。あの人、下半身の管理がなってないんじゃなくて、そもそも下半身と脳が連動してなかったっつーか……」
あの人は、誰一人愛さなかった。
愛情どころか好意の欠片すらなく、誰一人としてちゃんと見てはいなかったんだ。
そんなあの人が今、見ているのは『とりい りこ』唯一人、だ。
……下半身と脳が見事に連動しちまった旦那も、まぁ、色々と大変なんですけどね。