第35話
「…………ジリギエの様子をみたら舅殿に定期連絡をするから、電鏡の間の使用許可を……………………おい、この手は何してんだよ!?」
「え~、私が産んだ身体なんだから、ケチケチしないで触らせてくれたっていいじゃない! 我が息子ながら、良い身体してるわね~」
「息子の尻を揉むなっ!」
両手で俺の身体を撫で回し始めた母さんを、無理矢理引き剥がした。
「あんたは痴女かっ!?」
「痴女!? 失礼ねっ……ちょっと確認しただけじゃないの」
「は? 確認?」
「今回の舞踏会の衣装、貴方に新しいのを作ろうと思って。だから、サイズが変わってるか確認したのよ」
「舞踏会の衣装?」
俺の部屋のクローゼットには、青の大陸に移る前に着ていた礼装用レカサが何着もある。
全部、母さんのお手製だ。
「忙しいんだから、新しいのを作らなくていいよ。前に作ってもらったのを着るから」
「……ダルフェ」
母さんは俺の頭から足へとゆっくりと視線を流し、言った。
「親孝行だと思って、作らせなさい……ねぇ、ちょっと痩せたんじゃないの?」
無駄に鋭いな、この痴女め!
「…………そうかな? 自分ではわからねぇけど。大陸間飛行を高速でしたからじゃねぇか? 俺、大陸間なんてすげー長距離を飛んだこと、初めてだったしな。じゃあ、俺はもう行くから。また後でな」
「ダルフェ、貴方……まさか……」
「はいはい、お触り禁止で~す!」
再度"確認”するために、俺へと伸ばされた母さんの手を避けて。
「こら! 待ちなさい、ダルフェ!」
執務室の最奥にある鉄製の扉へと歩み寄り、黒の大陸製の特殊な暗証番号錠に家族しか知らない11の数字を手早く打ち込んで。
「ごめん、俺も忙しいんだよ」
赤の竜帝の私室へと繋がる通路へと……逃げた。
一度も振り返らずに、駆け出した俺を。
母さんは、追ってこなかった。
だから、見ずにすんだ。
俺の背を見つめる、母さんの表情を……。
執務室の最奥に位置する扉の向こうにあるのは、左右をステンドグラスに飾られた廊下で……この先にあるのが、赤の竜帝の居住区だ。
キッチンに浴室、寝室と居間、そして納戸。
俺が成竜になるまでは、親子三人でここで暮らしていた。
同族しかいない城内だというのに、どこかの軍事施設みたいな厚い鉄製の扉と大げさな暗証番号錠……俺が産まれてから、以前あったモノからこれに変えられた。
特殊で希少な<色持ち>の幼生の俺は、竜族を商品として……特に薬の『材料』として扱う奴等にとっては、何百年に一度手に入るかどうかの超貴重な高額品だ。
だから母さんは、俺が密猟者に狙われることを怖れた……過剰なまでに。
幼生期の俺は、日中は執務中の母さんの髪の中に潜って過ごし、夜は胸に抱かれて眠って……。
赤の竜帝が肌身離さず子育てしている息子を狙うような命知らずな阿呆は、さすがにいやしねぇってのにな……。
「……父さん、俺だよ」
寝ているかもしれないジリギエを起こさないように声を落とし、指先で軽くノックをすると。
扉が内側からが、ゆっくりと開き。
「お帰り、ダッ君。さぁ、入って、入って!」
ベージュのレカサを着た父さんが俺の手を引き、室内へと招き入れてくれた。
「ただいま、父さん。ジリギエは?」
俺の記憶の中にあるものと全く変わらない居間を見回して、ジリの姿を探した俺に。
「ジリ君は寝室で寝てるよ。お店で寝ちゃって、あれからずーっと寝てるんだ。あ……珈琲を淹れようか? ダッ君の好きな、深煎りの珈琲豆があるんだ」
父さんは柔らかな笑みを浮かべ、そう言ってくれたけれど。
俺は、首を横に振った。
「ごめん、ジリの様子をみたら、舅殿に定期連絡しなきゃなんだ。時差を考えると、急いだ方がいいからさ」
「そう、じゃあ、珈琲はまた今度だね。ダッ君、まだまだいてくれるんだから……明日も明後日も、いてくれるんだもんね……」
俺の手を握ったままの父さんの手に、ギュッと力が加わり。
数秒後、父さんは俺の手をゆっくりと離した。
「……父さん。ジリが起きたら、カイユの所に送ってもらえるかな?」
「うん、分かった! ……ダッ君から陛下の匂いがする……ママをギュッってしてあげたんでしょう!? ずるい、パパにもハグしてよ、ハグ!」
「ったく、しょうがねぇな~。はいはい、父さんも"ギュッ”……これでいいか?」
「ふふっ……ダッ君、ありがとう」
要求通りハグしてやると、父さんは満足げな笑みを浮かべた。
俺の両親は昔から、竜族にしてはちょっと異常なほど息子の俺とのスキンシップを好む。
カイユと舅殿も仲良いけど、あんまり直接的な接触はしねぇもんな……俺の前では。
もし、目の前でカイユと舅殿がハグしたら俺は妬く。
妬いて妬いて、妬きまくる自信がある!
「ダッ君、寝室に行こう」
「あ、うん……」
ハグをとき、父さんと寝室へと足を向けた。
そっと扉を開けて中に入ると、キングサイズのベッドの右隅でジリギエが丸くなって寝ていた。
その隣には、ジリギエより二回り大きな熊のぬいぐるみが……。
ジリギエ、“くまたん”と寝てるじゃねぇかっ……うう、我が息子ながら鼻血が出るほど可愛いぜ!
「ジリ、よく眠ってるな……」
手袋を外し、ふっくらとした頬に素手で触れた。
「あったけぇな……」
幼竜は成竜より、基礎体温が高い。
ジリギエの体温が、接した皮膚を通して俺の心を柔らかく包んでくれた……。
「……ほっぺ、ぷにぷにだ」
自分でも、顔が緩むのが分かった。
子供がこんなにも可愛くて、愛しい存在だなんて……赤の竜騎士団の団長をやってた時は、思いもしなかった。
つがいも子供も、俺には無縁のものと思ってた……。
ジリギエ、ジリ。
俺は、お前のためなら。
お前とカイユのためなら、何だってできる……。
「……ほんと、ジリは可愛いな」
安心しろ、ジリギエ。
俺がいなくなっても、お前とカイユは旦那が護ってくれる。
世界最強で最凶の竜ヴェルヴァイドが、俺の代わりに……姫さんが生きている限り、は。
「ふふっ、ダッ君ったらますます目がたれちゃってるよ? うんうん、ぷにぷにで可愛いよねぇ~。ダッ君が小さい時も、ほっぺがすごくぷにぷにでと~っても可愛かったんだ! あ、ダッ君はぷにぷにしてないがっちがちの今も、すごく可愛から安心してね!?」
「いやいや、俺は可愛くなくていいから」
俺はジリギエの頬に触れていた手をひき、ベッドから離れ。
外した手袋を、戻した。
これから俺は、舅殿と電鏡の間で定期連絡、それから赤の竜騎士団の詰め所に行ってミカ達と契約術士のことを少し話して、晩飯の仕込みして、寝る前に母さん用の菓子を焼いて……。
あ、晩飯後には旦那に武闘会のことを……模造刀を持っていって、使い方を確認…………旦那が刀を使えるようなら、一度くらい真剣で殺り合ってみてぇな~。
「……さ~って、舅殿に会いに行ってくるか」
舅殿に伝えるべきことを脳内で再度整理し、確認しながら寝室から居間へと歩き出した俺に。
「ダッ君。執務室で陛下と、何のお話しをしたの? あ! ダッ君杯の横断幕、気が付いてくれた!? 僕のアイデアなんだ!」
「ああ、見たよ。研ぎ師のマーサおばちゃんも、見たって言ってたぜ?」
「……もしかして、ダッ君杯って嫌だった? 奥ゆかしいもんね、ダッ君は」
後ろ手で、寝室のドアをそっと閉めた父さんが訊いてきた。
ああ、ダッ君杯ね~。
ってか、俺が奥ゆかしいって……父さんの中の"ダッ君”って、どんなキャラ設定なんだ?
「別に、大丈夫だよ。母さんと話したのは、新しい術士の事なんだ。それと、旦那が武闘会に参加したいって言うからその相談もしてきたんだよ」
「へぇ~、そうなんだ~。ヴェルヴァイド様、出てくれるんだ!? ヴェルヴァイド様ってお顔は怖いけど、全身白くてアルタ産の最高級のカマボコみたいに綺麗だから、きっとお花が似合うね!」
「え? うん? そ、そうかな?」
カ、カマボコ?
空耳じゃねぇよな!?
あの旦那を最高級のカマボコみたいで綺麗って……。
う~ん……我が親父ながら、旦那とは別方向系ド天然だな。
「あ! 基本はお花4つだけど、ヴェルヴァイド様だとハンデで花の着ぐるみ状態になっちゃうんじゃ……動きにくそうで気の毒だから、おまけしてあげたらどうかな? ヴェルヴァイド様って、年齢的にはハイレベルなお年寄りなんだし……」
ハイレベルなお年寄り……すげぇ表現だな。
「……父さんが気になるのって、そこなのか?」
「うん、そうだけど?」
「死人や怪我人の心配とかはしねぇの?」
「なんで? ヴェルヴァイド様は成竜なんだから、参加するならルールを守ってくれるでしょう?」
旦那が成竜……。
年齢的にはそうだけどなぁ~、中身は微妙っつーか。
まぁ、否定するのもなんだし……。
「そうだな、うん」
「…………ねぇ、ダッ君。ヴェルヴァイド様は……」
さっきまでのものとは明らかに違う、その声音に。
退室しようと扉の取っ手を掴んだ手はそのままで、後ろにいる父さんへと顔を向けた。
「父さん? 旦那がどうかした?」
「そのっ、えっと……ヴェルヴァイド様はトリィさんを、そのっ……食べちゃったりしないよね?」
……ああ、そのことか。
人間の娘をつがいにして喰っちまった、赤の竜帝ヴェリトエヴァアル。
このことに関しては、青の竜族では詳細を知っているのは竜帝と竜騎士、それとごく一部の者だが、赤の竜族ならば誰もが知っていることだからな……気にするなという方が、無理だろう。
街にいた同族達も、口には出さなくても誰もが父さんと同じように不安を感じたはずだ。
「父さん……」
「ご飯を食べないヴェルヴァイド様なら、トリィさんも食べないよね!? 絶対にそんなことしないよね!?」
「……」
確かに、旦那は飯は食わない。
でも、姫さんの体液は"甘い”と言って口にしている……味覚のない旦那が、甘くて美味いと……。
喰う、さ。
あの子なら骨まで、髪一本残さずに喜んで旦那は喰うだろう……。
「あの可哀想な陛下みたいな、悲しいことにはならないよね!?」
だがな、父さん。
食べたくても、食べられないんだ。
喰らいたくても、喰えないんだ。
「父さんは、そんな心配はしなくていいよ」
旦那は、ヴェルヴァイドは。
知っている、分かってるんだ。
あの子を喰っちまったら、どうなるかって……。
「旦那は、姫さんを喰ったりしねぇよ」
「ほ、本当?」
喰っちまったら、もう二度と。
温かな肌に、触れられない。
言葉を交わすことも、できない。
笑顔をみることも、できない。
全てを、永遠に失ってしまう。
「ヴェリトエヴァアルの野郎が喰ったのは、死肉だ。死んじまったから、喰ったんだ。生きてたら、きっと喰ってねぇよ……愛してる女を、喰えねぇよ」
「ダッ君……」
姫さんに愛され、愛したあの人は。
あの人はもう、独りに耐えられないから。
"とりい りこ”を食べたりしない。
「旦那だって、姫さんが生きてる限りは喰わないさ。どんなに腹が空いたって、指しゃぶって我慢するしかねぇんだ」
ヴェルヴァイド、あんたに "とりい りこ”は喰わせない。
この先も、ずっとおしゃぶりだけで我慢してもらうぜ?
「じゃ、じゃあっ、パパに良い考えががあるよ!」
「良い考え?」
「ダッ君の使ってたおしゃぶり、ヴェルヴァイド様に貸してあげたらどうかな?」
「……は?」
俺の脳内で、渋々おしゃぶりを咥える旦那の姿が浮かび……。
「お、おしゃぶっ……ぶっぶぶぶっ、あはは、あははははっ! う、うははっ、ひぃ~、腹、痛っ! 笑いすぎて腹痛ぇよ!」
身体をくの字に曲げ、腸がねじ切れる勢いで笑ってしまった。
「こら、ダッ君! 笑いすぎ! ジリ君が起きちゃうでしょう!?」
「ご、ごめっ……だって、ぶはっ、はははっ……」
城の食堂の調理員だった父さんに惚れて。
一方的に押しまくって、つがいの座を手に入れた母さんの気持ちが。
「父さん、やっぱりあんたは最高だよ!」
なんだか少し、分かった気がした。