第34話
「…………助けたんじゃねぇ」
俺は。
「見捨てたんだ、よ」
見捨てたんだ。
「ダルフェ……」
「…………俺はカイユみたいに人間が嫌いじゃねぇけど、好きってわけでねぇし。犬猫のほうが人間より好きかな? あいつ等は鱗系の俺等竜族と違って、ふわもふで可愛いしな」
「好きじゃない? 良く言うわね~。私がいくらお願いしても竜族とではなく、人間の女性とばかり"お付き合い”していたくせに。青の大陸に行ってしまってから、下の関所に貴方に会わせろって何人が押しかけて来たと思っているの!?」
あー、そっか、うん。
なんの前触れも無く、旦那に青の大陸に転移されちまったからな。
音沙汰無くて安否を心配したのか、または一方的に切られたって考えたのか……そこまで深入りしたつもりはないし、あっちもそのつもりだと思ってたんだけどな~。
「…………さあ?」
"お付き合い”……あれを"お付き合い”って言って良いのか?
「まったく……息子の情婦の整理をしなくちゃならなかった母さんに、何か言うことないの?」
「いやいや、情婦とかそんなんじゃ……」
あれは仕事の延長っていうか、営業活動っていうか……。
赤の竜族の収入源の一つである香料製品……香水やバスオイル、洗髪料等の販路拡大に役立つ種類の人間だったから"お付き合い”しただけであって……エキザリ達みたいに、遊んでいたわけじゃねぇんだけどなぁ~。
まぁ、今思うと。
利益最優先だからって、誘われたら基本的には断らないってのは良くなかったが……さすがに男は無理で、愛想笑いで乗り切ったけどな。
「ダルフェ、ごめんなさいは?」
「……ごめんなさい。お手数をおかけして、申し訳ありませんでした」
俺はソファーから腰を上げ、深々と一礼してから。
「ほら、鏡。返す」
母さんの右手を取り、手鏡の柄を握らせた。
指先を飾るのは、赤い爪。
今は素直に、綺麗だと……美しいと思うことができた。
この美しい爪を持つ母さんの手には、赤の竜族の現在と未来が否応なしに結ばれている……。
「この手鏡、素敵でしょう? ドラーデヒュンデベルグ帝国先々代皇帝からの贈り物なの。私のエルゲリストに後宮に来て欲しいなんて言い寄ったから、ぼっこぼこにしてやったの。それからはとても仲良くなって……うふふ、拳で語り合うって感じかしら? 彼、術士と武人の才を持ってたから、人間にしてはなかなかだったわよ?」
母さんがドラーデヒュンデベルグ帝国を贔屓にするのは、先々代皇帝と友人だったからってのは知ってたが、ぼっこぼこって……ってか、母さんが言い寄られたんじゃなくて、父さんなのかよ!?
「そんなことより、ダルフェ。見捨てたっていうのはどういうことなのかしら?」
そんなことじゃねぇし!
先々代って、男だろーがっ!
父親がドラーデヒュンデベルグの皇帝に後宮に誘われたなんて、息子としちゃ衝撃の過去なんですけど!?
「……どうもこうも、そういうことだけど?」
俺を見上げる赤い双眸を、真っ直ぐに見返した。
母さんがピンヒールを履いていても俺の方が背が高く、見下ろすことになる。
いったいいつ、俺は母さんより背が高くなったんだろう?
「…………まぁ、こうなったらどっちでも良いわよ」
「良いのかよ?」
「貴方がどう思おうと、ロワール・ムシェにとっては結果的に恩人なのだから」
「ほんと、どう転ぶかわかんねぇもんだな……」
ほっときゃ死ぬと思ってた餓鬼が、生きていて。
しかも、恩人か……。
「さて、どうしましょうか? 交換条件不成立で辞退されたら困るわ。術士をまた探さないとなんて、面倒臭いからもう嫌っ! 術士協会に仲介を頼む料金、足元見られて年々値上げされるし……可愛い息子が派手においたをしてくれたせいで、ママは色々大変なのよ?」
俺の首に両腕を回し、<黒>の爺さんが見たら憤死しそうなドレスを纏った身を寄せて、そう言った母さんの顔は笑っていた。
愉快げなその笑みは、父さんのは見せることない種類の笑みだった。
「だから、ママはやめろって……」
「<赤の竜帝>として日々頑張ってる母さんを、ねぎらってくれてもいいんじゃないかしら?」
そう、俺の母親は<赤の竜帝>だ。
ただのドSで露出狂の熟女じゃない。
赤の竜族を護るために、その身と心を捧げた四竜帝なのだかから。
確かに契約術士を必要とはしているが、人間とそれなりにうまくやっている現状では居なくても竜騎士の負担が増すだけで特に不便は無い。
でも、赤の竜族が『契約術士を必要としている』という体は、維持しなければならない。
わざと優越感を与えることで、赤の竜族を『いざとなれば制圧できる』と術士協会の連中に思わせている……作った弱みをちらつかせ、思い違いを真実にして。
赤の竜帝の思惑を、おめでたいあいつ等は気付いていない。
人間との共存は、均衡が大事だからな。
「はいはい、ご苦労様です。母さんの好きなデビルズケーキ、焼いてやるよ。<青>の陛下直伝のレシピだから、激うまだぜ?」
額にキスしてそう言うと。
母さんは、笑みを一瞬で明るいものへと変えた。
「<青>のレシピなの? それは美味しそうね!」
「せっかく青の大陸から、家に帰って来れたんだ。黄の大陸に移動するまでは、菓子でも飯でも母さんの好きなモノを何でも作ってやるぜ?」
「まぁ、嬉しい! ありがとう、ダルフェ!」
母さんの細腰に両腕を回し、抱きしめ。
赤い髪に、顔を寄せた。
鼻孔に、懐かしい香り……あぁ、母さんの匂いだ。
すげぇ、久しぶりだな……………………やべぇ、眼の奥が熱くなってきちまった。
身体が弱まると、心も弱くなるんだろうか?
「…………ッ」
ーー<色持ち>として、お前が産まれた時。父親は跪き、我に息子の延命を祈った。母親は自分の寿命を息子と取り替えてくれと願い、我に縋った。
あの時の、旦那の言葉が。
ーーブランジェーヌは、自分の寿命をお前に与えたいと言った。我は神ではないので出来ぬと答えると、ブランジェーヌは怒り、責めた。出来ぬと答えた我ではなく。自分自身を怒り、責め、泣いたのだ。
俺の脳と心臓に、楔を撃ち込む。
「……ダルフェ?」
「………………幼生の時、俺は母さんの髪の中に潜って過ごしてたんだよなぁ~って……」
「そうよ、私が貴方と一分一秒も離れたくなかったから……今だって、叶うことならずっと傍に……でも、貴方はもうカイユさんの夫で、ジリギエの父親で……ふふ、私は我慢しないとね」
ーーお前の母親は阿呆なお前と違って賢く……強かだぞ?
旦那は、母さんの想いを悟っていた。
母さんが導師の術式を利用して、自分の竜珠を俺の延命に使おうとしていると……。
ーー賢いブランジェーヌは阿呆なお前と違い、術式が不確かな状態のまま自分の命を賭けたりしない。必ず“試す”、ぞ?
ーーふっ……ふざけんなっ!! 先代の<青>が人間を買って実験したみてぇに、母さんが竜族を買って実験するってあんたは言いたいのかっ!?
「……………………恩人の件だけど。調べみたらとっくに死んでた、または行方不明てことにしとけば? 顔を覚えてないなら、俺に会ったってばれねぇよ。問題ねぇだろ?」
ーーお前を<色持ち>として産み落とした瞬間から。ブランジェーヌは四竜帝である前に、母親になったのだ。
「名乗り出る気はないのね?」
ーーお前自身が、お前への愛が。ブランジェーヌを堕としたのだ。
「ない、よ」
俺が、<色持ち>として生まれちまったから。
母さんは……。
「そういや、ジリと父さんは?」
母さん、母さん。
俺、カイユに会えて、愛してもらえて。
すげぇー可愛い子供もできて。
旦那に、ヴェルヴァイドに最初で最後の竜騎士だって言ってもらえて。
「奥の部屋でお昼寝中よ。エルゲリストったら、今は私よりジリギエに夢中みたい」
生まれてきて、良かったって。
俺を産んでくれたことに、感謝してるから。
「じゃあ、様子を見てくる。ジリが起きてたら、カイユのところに……あ、今夜の飯は俺が作るよ。何かリクエストある?」
母さん。
もう、俺のことで自分を責めるのは止めてくれ。
「貴方が作ってくれるなら、何だって嬉しいわ……ダルフェ、エルゲリストにはジリギエの急成長は寿命の欠損のためだと伝えてないの。……ごめんなさい、まだ言えなくて……」
「俺だって、言えねぇよ。わざわざ悲しませるようなこと、言う必要ねぇだろ?」
「……自分だけ知らされないっていうのも、辛いのよ?」
「だとしても、だ。教えたいなら、俺が死んだ後にしてくれ。もう、嫌なんだ。父さんを悲しませるのは、嫌なんだよ……父さん、すぐ泣くし」
父さんも、母さんも。
もう、悲しませたくないのに。
「意気地無し」
「何とでも言ってくれ」
なんだって、こう、うまくいかねぇのかな……。
「そうだわ、ダルフェ。セレスティス殿への定期連絡、忘れないでね?」
俺の腕の中に居るのは。
赤の竜帝であることより、母親であることを選んだ……選んでしまった。
俺の母親……ブランジェーヌ。
「この俺が、舅殿関係のことを忘れるわけねぇでしょーが。あの人、ある意味旦那より怖ぇんだぜ?」
「…………私、彼が先代<青>に酷い扱いを受けていたのを知っていたのに、何もできなかった……いえ、しなかったのよ……なのに、彼は私を一言も責めない……」
「舅殿は、セレスティスはそういう人だ……この先、俺が逝った後もカイユにだけは、先代が舅殿を繁殖実験に使ってたことを絶対に知られないようにしてくれ。頼むよ、母さん……カイユを、カイユの心がこれ以上傷付かないように、壊れないように護ってやってくれ……」
「……ええ、勿論よ。ダルフェ」
愛してるよ、ブランジェーヌ。
だから、もう。
先に逝く俺のために生きるのは止めてくれ、母さん。
ダルフェの舅殿であり、カイユの父親である青の竜騎士団の団長セレスティスの繁殖実験につきましては、四竜帝の大陸外伝『僕が、君のティアラ』にて書かせていただいています。