第18話
服を着替えたハクちゃんと衣装室から出ると、ダルフェさんが居た。
彼はハクちゃんを見ると緑の眼をまん丸にし、口をパカーンと開けた。
「だ、旦那……」
ハクちゃんは私を‘お姫様抱っこ‘していた。
私は恥ずかしいよりも緊張で、顔がこわばってしまう。
「ダルフェ、駄目! ハクちゃん、精一杯! 刺激だめ!」
私を支える腕が小刻みに震えているし!
力加減を間違えないようにハクちゃんは必死なのだ。
無表情だけど。
「姫さん、無事か?」
ほっとしたようにダルフェさんが息を吐いた。
ご心配かけて、すみません。
「平気です。ハクちゃん、頑張ってます」
腕が痙攣してんじゃないのかってくらい、ぷるぷるしてはいますが。
なんとか私を潰さずできてます!
私は先ほどのやり取りを思い出し、引きつった笑いを浮かべてしまった。
お風呂の件で私はハクちゃを泣かせてしまった。
本当に‘泣いた‘のだ。
私は男の人とお風呂に入るなんて現時点では考えられない、ってか無理だし。
ハクちゃんは伴侶……一応夫だから将来的には平気になるかもだけど。
今は駄目、無理!
夫ったって、これから世間で言う‘お付き合い‘を始める関係なんだから。
いきなりお風呂なんて、ハードルが高すぎる!
「い、嫌! 絶対、駄目!」
私はハクちゃんから距離をとり、叫んだ。
「変態!……変質者!」
語彙の少ない私は取り乱したせいで今日覚えたばかりの単語を使ってしまった。
言ってから、しまったと思う。
ここで使うのは間違ってる。
違う。
恥ずかしいから、まだできないって言うべきだよね。
「わ、私、えっと」
い……言えない。
なんか、すごく恥ずかしくて。
ど、どうしよ。
「り……」
金の眼を見開き、ハクちゃんは固まってしまった。
そして。
ぽろ。
水滴が眼から落ちた。
たった一滴。だけどこれは涙。
透明な雫。
前の涙が<かけら>だったと、はっきり分かった。
「ご、ごめんなさい! ごめ」
今のは、私が悪い!
「ハクちゃん、あ、あの」
飴と鞭。
飴。
飴!
「お風呂はそのうち! しばらくお休みなだけ、ね? 他、違うことで。出来ることを」
あわあわと焦る私にハクちゃんは言った。
「……竜体の時にりこは我をよく‘抱っこ‘してくれた」
え、うん。
確かに。
抱っこしたり膝にのせたり。
だって可愛かったし。
「我も、したい」
「え?」
「風呂は‘お休み‘。我は我慢する。我は変態や変質者では無いので我慢できる」
根に持ってるな、むむ。
「で、でもハクちゃんは力が強いから。カイユが危険だからって」
そうなのだ。
恥ずかしいとか照れるとか、そんな甘い理由ではなく。
‘抱っこ‘は身の危険……命に係わる大問題!
「りこ」
金の眼が私を見る。
すがるような眼差し。
「……りこ」
ああ、駄目だ。
私はこの種の眼差しに弱いからペットショップには絶対行かなかった。
妹はかわいい子犬や子猫を見れるからって、よく行くみたいだけど。
きゅい~ん
「う、うん。いいよ! な、なんとかなるよ、うん」
撃沈。
完敗です。
骨折、いやだな。せめて打撲で済むといいな……。
「姫さん。あんまり旦那を甘やかすと痛い目みるぞ」
ダルフェさん。あの‘きゅい~ん‘の眼を見てないから、そんなこと言えるんですよ。
雨の中に迷う子犬。
ダンボールの中の子猫。
買い手を求めるペットショップの小さな生き物。
勝てるわけがない。
「何用だ、ダルフェ」
結局、また黒い服を着た‘悪役決定‘みたいなハクちゃんがダルフェさんを見て言った。
横柄に言うハクちゃんにさっきの‘きゅい~ん‘の面影は皆無。
「何って。陛下が来てんですよ。門のとこで旦那の許可待ちです。ハニーが旦那は必ず許可を出すって言ってましたが……」
「陛下って王様?」
私の質問にダルフェさんは疲れた顔で言った。
「青の竜帝が到着したんだよ。あの方は姫さんに会いたいそうだ」
青の竜帝!
「駄目だ」
なんですと~!
「<青>は‘つがい‘を得ていない雄だ。りこに会わせるなどでき……」
「なんで?」
私はハクちゃんの腕の中で抗議した。
せっかく来てくれたんだし、なんたって竜帝なんてなかなか会えないんじゃない? 普通は。
「駄目だ。嫌だ」
会いたい、見たい!
あ、こういう時に使うのか。カイユさんはハクちゃんが駄目って言うのを分かってたんだ!
「ハクちゃん、お願い」
ハクちゃんの金の眼が私を見下ろす。
「お願い、です」
「りこ」
ハクちゃんはため息をつくと、私の首筋に顔をうずめるようにして……。
「我から離れるな、りこ。……死人を出したくないのならな」
物騒な言葉に絶句する私にダルフェさんが追い討ちをかけた。
「竜帝と旦那が本気でやりあったら巻き添えで俺とハニーはあの世行きです。セイフォンも消えると思いますよ。姫さん、頼みましたよ?」
勘弁してよ、もう!
私たちは離宮の門まで移動することにした。
ハクちゃんは会うことは許してくれたけど、竜帝さんを敷地内にいれるのはどうしても嫌だと言って譲らなかったから。
傍らを歩くダルフェさんが言うには、会うことを許可したことが奇跡に近いらしい。
竜族の雄である彼がそう言うのだからハクちゃんの譲歩は、感謝すべき事なんだろう。
でも。
「私、歩け……」
「駄目だ」
ハクちゃんは私を降ろしてくれなかった。
ずーっと‘お姫様抱っこ‘なのだ。
加減をつかんだらしく腕は震えてないけど。
こんな状態で竜帝さんに会うなんて、かなり恥ずかしい。
どんだけ‘らぶらぶ‘なのよ、バカップルかいな。
自力で降りようとした私にダルフェさんがげっそりした顔で懇願した。
「姫さん、頼む! 俺とハニーと胎の子の未来の為に耐えてくれぇ!」
しかたないか。
竜帝さんにあきれられたって、それで皆が助かるなら。
それに。
門が近づくにつれ、ハクちゃんが変なのだ。
体格差のせいで顔がよく見えない。
ハクちゃんが意識して私に目線を合わせてくれないと……。
「ハクちゃん? どうしたの?」
なんかぴりぴりしてるっていうか。
警戒?
不安?
私が呼んでもこっちを見てくれない。
いつもは私が呼べば必ず返事をしてくれるのに、一点を見たままで。
何を見ているんだろう。
広間を抜けると、ダルフェさんが扉を開けてくれた。
この扉の向こうには見事な庭園が門まで続いている。
多種の花は白で統一されていて、幻想的な雰囲気で……。
あ、カイユさん発見!
彼女は門の内側に立ち、私たちに向かって一礼してからとんでもなく重そうな鋼鉄の門を軽々と押し開いた。
「あ」
完全に開けられた門から見えた小さな青。
それはふわふわと漂う小さな……。
きらめく青。
「竜。青い……」
小さな青い竜が、竜が……やった!
鱗だ、う・ろ・こ~!
「うっきゃー! かわいい、かわゆ〜い! 触りたぁい! 抱っこした」
私は口をつぐんだ。
ハクちゃんの視線が頭頂部に突き刺さるのを感じた。
さっきは無視したくせに……と言いたかったけど無理だった。
凍りついた空気にさすがの私も黙った。
チリッ。
ピカッ。
視界の隅に何か光ったような?
「だ、旦那! ハニー、退け!」
それは一瞬だった。
真っ白な光が青い竜に向かって伸び、意思を持つかのような動きで避けようとした小さな身体を締め上げた。
「……だ」
ハクちゃんがつぶやく。
え?
なに?
「りこの‘かわゆい‘も‘抱っこ‘も我だけだ!」
ちょっ!
「‘かわゆい‘のは世界に我だけでよい! お前は消えろ<青>!」
ぶちぎれたように言うハクちゃんには‘表情‘があった。
冷徹な美貌が浮かべたのは憤怒。
見てるこっちの心臓が止まりそうな怖い顔だし!
「おい! 姫さん、なんとかしろ。陛下が殺されちまう!」
「トリィ様! 陛下をお助け下さい!」
初めての表情が憤怒って。
普通は笑顔のほうが物語的展開としておいしいんじゃない?
「こら! 逃避してる場合か。姫さん、旦那を……うわっ」
何かに弾かれたようにダルフェさんが後方に跳んで行った。
地面に叩きつけらる寸前でカイユさんが受け止め、その勢いのままさらに後方へ投げた。
カイユさん、ダルフェさんが死んじゃいますよ!
あ、離宮の壁に……刺さってる!
ひえ~!
「トリィ様! お教えしましたよね、飴と鞭ですわ!」
晴れやかな笑顔で手を振り、言った。
「中庭に茶会の準備をしておきますから。お二人を連れてきてくださいね」
にっこり微笑んでダルフェさんを回収しながら、カイユさんは去っていった。
そ…そんなぁ!