第31話
ダルフェは、赤の<色持ち>として生まれた。
そして、竜騎士でもあった。
<色持ち>は必ずしも、竜騎士の性質を兼ね備えて生まれるわけではないが。
ダルフェは、竜騎士だった。
<赤の竜騎士>となったダルフェは、この大陸で多くの人間を殺した。
男も、女も。
老人も、子供も。赤子も。
愉快げに、笑いながら。
嗤いながら、人間を殺していた。
「ただの"殺戮”、だったんだよ」
赤の竜族を害されたならば、五十の人間を斬り刻み。
百の人間の首を、地に落とした。
「さつ、りく?」
「そう、殺戮。または虐殺?」
人殺し。
殺戮、虐殺。
「だから、姫さんも」
りこ、りこよ。
ダルフェがしたのは、ただそれだけのことだ。
我からすれば、"ただそれだけのこと”なのだ。
人の子が蟻を踏みつぶし、蝶の羽をむしるさまも。
ダルフェが人間を裁ち、屠るさまも。
我には、同じなのだ。
「俺のこと、怖がってもいいんだ」
「…………ダ、ダルッ」
りこ。
我は、貴女の想像以上に。
我は、貴女には想像できぬほど。
殺し、壊し、滅ぼした。
それを。
知られたくなかった、隠したかった。
だが、我は。
我は……それを知った時の、貴女の表情を見たいとも思ってしまうのだ。
「……りこ」
「……ぁ、ハクちゃっ……」
ダルフェの言葉よって強ばった、りこの身体。
りこ、我のりこ。
ダルフェの数倍、いや、比較にならぬほど多くを殺した我の、この腕の中で。
貴女は何を感じ、思うのか?
「……わ、私はっ……」
あぁ、今ここで。
貴女のその心の内を、暴いてしまいたい。
我のこの手で、その柔肌から引きずり出して晒してみたい。
剥き出しになった貴女の心を、この口で喰んで、この舌で舐め、この歯で噛み砕き。
一欠片も残さず味わい、嚥下し、胃に収め。
情愛の酸で溶かして、この身に混ぜてしまいたい……。
「…………ダルフェよ」
「なんです?」
ヴェリトエヴァアル、我の殺した赤の竜帝よ。
黄泉より我を、見ておるか?
良き妻を得て、賢くなった我は。
"寂しい”、だけでなく。
多様な感情を得たのだ。
そして。
食わぬ我が。
"喰らう”悦びをも、知った。
喰らい、味わう悦びを知ってしまったのだ。
「お前が千を虐げ、万を殺そうと」
我が味わうのは、愛しい女の柔肉や甘い体液だけではなく。
心も、想いも、その存在全てを魂ごと味わうのだ。
「我が妻は、お前を忌むことなどできぬのだ」
「……でしょうねぇ」
それはそれは美味であり……一度喰らえば、くせになるほどの……。
「だから、"かまわんぞ”だったんでしょうからね……」
貼り付けていた笑みを、その顔から剥がし。
緑色の眼を細め。
我のりこを、真っ直ぐに見たダルフェの顔を。
「まったく、しょうがない人ね……そんな表情するのなら、言わなければよかったのに」
「……ごめん、カイユ」
カイユの両手が、覆い隠した。
このカイユというつがいを得て、ダルフェは変わった。
りこを得た我が、変わったように。
その後。
ダルフェがカイユとりこに見せたい景色があると言い、帝都の外れへと足を向けた。
そこは、正確に言うならば帝都の外れではなく端だった。
赤の帝都の端は、崖だ。
柵などはもちろん無い。
落ちた場合、人間ならば死に。
竜族ならば、多少の怪我をし。
竜騎士ならば、無傷。
その程度の、高さなのだが……。
「カイユ、姫さん。赤の帝都は数千年前に隆起した巨大な岩頸の上に……簡単に言えば、でっけー岩の上に作られた要塞みてぇな都なんだ」
我の希望で抱っこ続行中のりこは、ダルフェの言葉を聞くと。
「大きな岩の上?」
視線を下へと向け、その高さを確認し。
「ッ!?」
身を、固くした。
「ひっ……たっ、高いっ……ハクちゃん、絶対にこれ以上前にいかないでね!?」
「誤って落ちても大事ないが? 試すか?」
「や、やめて~! 落ちてく途中が怖いの! 私、絶叫系は苦手なのよ!?」
「絶叫系?」
「と、とにかく崖から離れて!」
「……わかったのだ」
どうやら、りこにとっては恐怖心をもつほどの高さのようだった。
セイフォンから青の帝都へ向かう道中の、駕籠からの景色は楽しんでいたはずなのだが……あちらのほうが高度があるのだが……りこにとって、怖いのは高さでは無いのか?
りこの高さを怖がる基準は、なんなのだろう?
「良い景色ね……遠くにある海まで見えて、青の帝都からの眺めとは全く違う……。この高さなら、人間では自力で登ることも降りることも難しい……でも、武人や訓練された兵士ならば……。ダルフェ、赤の帝都の総面積は青の帝都の半分を少し越える程度でしょう? なぜ、造らなかったの? それとも造れなかったの?」
ダルフェに寄り添うように立ち、風に眼を細めていたカイユが何を言いたいのか。
「カイユ?」
何を造らなかったのかを問うたのか、我には察せられたがりこには分からぬようだった。
「造るのはいつでもできるしな……」
「なら、どうしてさっさと壁で囲ってしまわないの?」
「そこまでしちまうと、赤の大陸の人間達によけいな勘ぐりをさせるだけだ。まぁ、下に関所があるってだけでも、大なり小なり反感買ってるんだけどね」
「勘ぐり? …………そう。赤の大陸は、竜族が最も生き難い大陸なのかもしれないわね」
「そんなことはないさ。昔と比べれば、良い状況だぜ? 関所破りなんてのも、めったにないしな」
短くなったカイユの髪に手を伸ばし、風に弄ばれて乱れた髪を手櫛で整えてやりながら言うダルフェの言葉に。
「関所?」
りこが首を傾げた。
「赤の帝都は、下に竜騎士が常駐してる関所っていうのがあるんだ。外部から来た人間の馬や馬車は、ここで預かる。運搬係の竜族が、人と荷を商用の籠に乗せて上まで運んでるんだ」
「下で、赤の竜騎士さんが入国審査みたいなことをしてるってことですか?」
「うん、そう。密猟団や盗賊の手下、軍関係者、密偵、違法術士……まぁ、そういった人種を帝都に入れないようにな」
「……み、密猟団? 密猟って、まさか竜族を!?」
青の大陸と赤の大陸では、密猟による被害は数倍の差がある。
「赤の大陸には竜族の密売組織が大小いくつもあって、潰しても次から次に湧いてくる。いたちごっこ状態なんだよ。まぁ、それだけ需要があるってことだ」
血肉だけでなく、骨、鱗等……。
それらの薬効を信じる者達が、赤の大陸には未だに多い。
用途は他にもある。
見目の良い者は術式で人型に固定し、高値で売買される。
人間と違い、多少雑に扱っても壊れず長持ちする。
奴隷として、玩具として。
竜族は、最高の商品なのだ。
「密売組織っ……私をアリシャリから買いに来た人って、そういう人だったんですね……」
そうであった。
りこは、竜族の雌として捕らわれ、売買されるところだったのだ。
……あの場に居た術士は、元はブランジェーヌの雇った契約術士であったようだが…………赤の帝都を追放された後、導師と……それは偶然ではなかろう。
つまり、数十年以上の期間にわたり、青の大陸だけでなく赤の大陸での竜族の動きも、導師は常に監視しておったということだ。
黄と黒の大陸でも同様だろう……ずいぶんと気が長く、執念深い…………導師とやらは、よほど暇なのだろうか?
「姫さんに輪止を使って声を奪ったあの馬鹿は、うちの契約術士だったんだけどさ。図に乗りやがってムカついたから、術式の発動に必要な基点を潰してここから捨ててやったんだ。……そういや、カイユ。新しい契約術士の面接があるって、母さんが言ってたよな?」
「ええ、確かにそう仰っていたわ」
「赤の大陸じゃ、竜帝に雇われてもいいって術士は希だ。それに星持ちクラスしか雇わねぇから、なかなか見つからねぇ。面接って事はスカウトしてきたんじゃなく、自分から売り込んできたってことか? そんな術士、初めてだな……そいつ、大丈夫なのか? ……ん~、久々に俺が"お試し”してみるか……」
"お試し”?
ああ、術士が使えるかを確認するのか。
ダルフェは以前、その"お試し”相手の情報を得るためだとか言い、ゲルドルフ公国の娼館にドラーデヒュンデベルグ帝国の軍人と詐称して逗留しておったな。
ダルフェが身を偽る時は、目立つ赤い髪を染め粉で変えていた……我は借りた本を返しにそこに転移しただけであって、女共を侍らせていたダルフェと違いなんらやましいことはないのだ。
りこよ、我は金で女を借ったことなどただの一度もないぞ!
我は常に無一文なのだから!
だが、取りあえず。
この件は、りこには内緒なのだ。
「ダルフェ、赤の竜帝さんは契約術士さんを募集中なんですね?」
「俺があの馬鹿をポイ捨てした後、後釜が決まらなくてずーっと募集中なんだ。給料はそこいらの王侯貴族に負けないくらい出すし、退職金もはずむ。でも、難しいんだよな~……まぁ、俺が悪いんだけどな」
「え? ダルフェが悪いって、どういうことなんですか?」
ダルフェはまったく悪いと思っていないとしかとれぬ、愉快げな表情で言った。
「術士を殺し過ぎて、術士協会から何度も警告くらってんだよ、俺。術士ってのは貴重だから、基本的には生きて捕らえ、協会に引き渡して更正を試みるってのが赤の大陸の術士協会では決まって……あれ?」
ダルフェの視線が、動き。
一点で、止まった。
「こっちに走ってくるあの丸い物体っ……もしかして、研ぎ師のマーサおばちゃんかっ!?」
ダルフェの視線を追い、カイユもりこもそちらへと顔を向けた。
我は"研ぎ師のマーサおばちゃん”に興味はなかったが。
数秒遅れたが、我も皆を真似て"研ぎ師のマーサおばちゃん”を見た。
うむ、これが団体行動ということなのだろう。
「マーサおばちゃん! 久しぶりだな!」
「青の大陸から帰って来たダルフェが、嫁さんとヴェルヴァイド様と奥方様を連れて街に来てるって、金物屋のイシンが教えてくれたんだよ! お帰り、ダルフェ!」
街の方からダルフェめがけて駆けてきたのは、竜族の雌だった。
中高年期の雌竜で、樽のように肥えていた。
「おいおい、マーサおばちゃん。俺が居た頃より腹回りが3倍はでかくなったんじゃねぇか!?」
親しげな笑みを浮かべたダルフェが歩み寄り、自らの腹を叩きながら言うと。
「あはははは! これは幸せ太りだから良いんだよ!」
雌竜は腹同様に大きな乳を揺らしながら、ダルフェの指摘を豪快に笑い飛ばした。
「ねぇ、ダルフェ。聞いておくれよ! あんたが密猟者から助け出してくれたうちの娘、一昨年に子を産んだんだよ! あたし、お祖母ちゃんになれたんだよ!」
「孫かよ!? おめでとう、マーサ!」
ダルフェの垂れ気味の目が、さらに下がった。
子が産まれる事は、個体数の少ない竜族にとって最も祝うべき事であるからな。
「幼生の時に浚われて、あんたが探し出した乾物屋のメリザも肉屋のトキダも、無事に成竜になった。ダルフェに助けてもらった他の皆も、元気で暮らしているよ!」
「そうか、良かった……」
「ダルフェ。赤の一族は皆、あんたには本当に感謝してる……貴女がカイユさんだね? こんにちは! あたしは研ぎ師のマーサ!」
"マーサおばちゃん”は、ダルフェの傍らに立つカイユへと笑顔を向けた。
「はじめまして、マーサ殿。ダルフェのつがいになりました、青の竜騎士カイユでございます。以後お見知りおき下さいませ」
カイユが胸に手を当て膝を折り、正式な礼で挨拶をすると。
"マーサおばちゃん”は、笑みをさらに深くした。
「いやいや、すごいべっぴんさんじゃないか! ダルフェったら、とんでもない面食いだったんだね~。エスリードやムルファ達が色仕掛けで言い寄ったって、なびかないはずだよ」
「…………色仕掛け?」
「お、おい、マーサッ! 昔のことはっ」
「ダルフェ、お黙り! 失礼しました、マーサ殿。どうぞ、お話しを続けて下さい」
「え? ああ、あのね、カイユさん! ダルフェは多少口は悪いが優しいし、腕っ節もめっぽう強い。一族自慢の団長閣下様だったし、しかもあの御両親の息子だけあってすごい男前だろ? えらいもててねぇ~。祭りではダルフェと踊りたい若い雌竜達が、長い列になったもんだよ!」
赤の竜族は他の竜族より奔放で、つがいと出会うまでは基本的に"自由”だ。
"自由”に付き合った相手が、後につがいとなることも多いが……。
保守的な青の竜族であるカイユには、赤の竜族のこの性質は好ましいものではないのかもしれんな。
「……あら、そうなんですか?」
カイユがにこりと笑み、チラリとダルフェを見ると。
ダルフェの肩が、ぴくりと動いた。
「え? あ~、いや、そんなことないって! マーサおばちゃんの気のせいじゃねぇかな? アハハハ……」
視線を泳がせたダルフェの姿に。
”マーサおばちゃん”なる雌竜は木の実のような眼を細め、言った。
「カイユさん。ダルフェはね、ずっとあたしに研ぎを任せてくれてたんだ。だから、ダルフェが命を張って竜族を護ってくれていたってことを、刀を研いでいたあたしは他の者達より知っているつもりだよ? ……ダルフェ、ありがとう。あんたは最高の赤の竜騎士団の団長閣下様だったよ……」
なるほど、な。
研ぎ師ならば、刃を見れば分かってしまうか……ダルフェがいかに多くの者と闘い、殺してきたのかを。
「マーサおばちゃん……こっちこそ、ありがとな。黄の大陸に移動する前に、一回研ぎに出すからよろしく頼むよ?」
「あいよ! 待ってるからね、ダルフェ! カイユさんのも研がせておくれね! ヴェルヴァイド様、奥方様。お散歩のお邪魔しちゃって、ごめんなさいね!」
「え? い、いえ!」
”マーサおばちゃん”は、我とりこに深々と一礼し。
「じゃあ、またね! お城での舞踏会と武闘会、あたしも皆も楽しみにしてるからさ! "ダッ君杯”、きっと盛り上がるよ!」
現れたとき同様。
樽のような体軀からは想像できぬほどの俊足で。
"マーサおばちゃん”は、去って行った。
「……最高の赤の竜騎士団の団長……良かったわね、ダルフェ」
「ああ、カイユ………ん? そういや、マーサおばちゃん、"ダッ君杯”とか変なこと言ってたよな?」
「そうね、何のことかしら?」
ダッ君杯。
その奇妙な言葉の意味を、ダルフェが知ったのは。
転移で街から城門前へと移動し。
「げっ!?」
そこに張られた巨大な真紅の横断幕を、目にした時だった。
「あら?」
「ほう?」
「え?」
その真紅の横断幕には祝賀行事の告知と。
父親が口にしている、自分の愛称が大きく書かれていた。
「………………………………………………………………」
それを見たダルフェの目は。
死んだ魚のようだった。