番外編~Ma fille(4)~
ダルフェは。
テオは。
どんなに愛しても、共に過ごせる時間は長いものではなく、先に逝くことが分かっている……手の届く所に別れが有るという恐怖を越えて、私を愛してくれた。
私を、強く深く愛すれば愛するほどその恐怖は増していく。
それでも貴方は幸せだと言い、笑ってくれる。
毎夜、私の腹部を撫で頬ずりし、キスをする貴方の顔はとても優しく穏やかで……先に逝く恐怖も悲しみも、その笑顔の下に押し込んで……それで、私から隠しているつもりなの?
馬鹿なダルフェ。
愚かなテオ。
一緒に逝こうと私に言えない、言ってくれない意気地なしの貴方を誰よりも愛しているわ。
****
黒い髪と瞳の"あの子”を見たとき。
私の腹部が、きゅっと痛んだ。
泣いている"あの子”を抱きしめたいという衝動をぐっと抑え込めたのは、ダルフェが隣に居たからだった。
もし、一人だったら。
衝動に抗えず、窓を足で蹴り割って広間に降り。
あの子を泣かせた王子の首をこの手でねじ切り。
この胸に"あの子”を抱いて、連れ去っていた……私は人間なんて大嫌いなはずなのに、なぜ?
「陛下! 私がっ……カイユがあの子の、ヴェルヴァイド様のつがいの娘の侍女になり、人間共から守ります!」
ヴェルヴァイド様が“あの子”をつがいにしたことを、ダルフェが携帯用電鏡で陛下に伝えた直後に、私は自らそう願い出た。
=はぁ!? お前が侍女って、何言ってんだよ!?
「カイユッ!? ……はぁ~、うん。そう言うと思ってましたけどねぇ~」
ダルフェが陛下のものと繋がっている携帯用電鏡を持ちながら、天を仰いだ。
ふざけた動作をしつつもその頭の中は、既に段取りを始めているはず……蜜月期の雄竜となったヴェルヴァイド様は危険極まりない状態で、その扱いはとても難しい。
同族といえど、他者を雌に近づけるのを極度に嫌がる。
無理強いすれば、私とダルフェはヴェルヴァイド様に殺される。
でも、この世界のことを何も知らぬ赤子のようなあの子には、世話をする者が必要だということくらいは、ヴェルヴァイド様とて理解しているはず……侍女として仕えることを拒まれる確率は、低いと私は考えていた。
==はぁ!? 家事を全てダルフェに丸投げしてるお前が、侍女なんて女子力のいることは無理だろうがっ!
「あら、陛下はご存じないのですか? 私、お茶を淹れることなら出来ます。他はダルフェが完璧にこなしますから、何の問題ありません。ねぇ、そうでしょうダルフェ?」
「え? ああ、もちろんだよハニー! 自分で言うのもなんだけど。俺はそんじょそこらの奥様方に負けない家事スキルがあるもんな! カイユが侍女……つまり、メイドさん! 君のメイド姿が拝める時が来るなんて、夢みたいだ! 魂込めて衣装を作るよ!」
==……生殖機能停止中だってのに、そーゆーとこはぶれねぇな。ダルフェは。
私はダルフェの手から携帯用電鏡を奪い、主である青の陛下に訴えた。
「どうかお許しを! 陛下、私はっ……カイユはあの子の傍にいてあげたいのです!」
==カイユ? お前、なんでそこまで……おい、ダルフェ! お前もカイユに何か言ってくれよ!
「嫌です。俺、カイユのメイド服姿を見たいですから。まぁ、メイド服って特典がなくても俺はカイユに従います。それが竜の雄ですからねぇ。……それに、これからあの異界人には、人間よりも竜族に好意を持ってもらわなくちゃならない。これは重要な“任務”になります。頭の中を視れる旦那を相手にするには、本物の好意を異界人に持って接しなきゃ通用しない。不本意ながら今のカイユは適任だって、陛下だって分かってるくせに」
==ダルフェ……ちっ! 俺がセレスティスの嫌み口撃に耐えれば良いんだろ!? 分かった。お前等でヴェルのつがいが自らの意思で望んで、帝都に来るようにしてくれ。
「お任せください、陛下。あの子は私が、青の竜騎士団の団長であるこのカイユが人間達から守り、ヴェルヴァイド様と共に帝都に連れ帰ってみせます!」
陛下の許しが出なければ、私はヴェルヴァイド様に直談判をしに行っていただろう。
私がそう考えていたことなどお見通しであろうダルフェは、陛下との会話を終えて電鏡をしまうと。
「……ハニー、カイユッ……頼むから、絶対に無茶はしないでくれよっ!? 頼むよ、お願いだアリーリアッ……君に何かあったら俺はっ……俺は狂っちまうっ!」
私を抱きしめ、懇願した。
その腕は、身体は小刻みに震えていた……。
四大陸最高位の竜騎士、<色持ち>のダルフェでもヴェルヴァイド様には勝てない。
少しでもあの方の気に障れば、私達は一瞬で死ぬことになる。
……それならそれで、良い思った。
二人で共に、殺されるなら……。
****
ダルフェが一晩で縫い上げた侍女用の衣装を着て、竜宮に出向いた。
ヴェルヴァイド様は、あの子の身の回りの世話をする側仕えとしてダルフェと私を受け入れて下さった。
陛下の根回しだけでなく、ダルフェが幼少の頃よりヴェルヴァイド様と面識があったという点も良い方に働いたのだろう。
=りこ。赤い髪がダルフェ、銀の髪がカイユなのだ。これとこれが、竜宮でのりこの生活を手助けするそうだ。
『……ダルフェさんと、カイユさん?』
小さな白い竜を抱きしめた小柄な“あの子”が、私達を見上げた。
言葉の通じぬ見知らぬ世界で、今、この子の頼る者は……心を許しているのはヴェルヴァイド様だけ。
私を映すその黒い瞳に不安と怯え、そして警戒の色を感じて胸が痛んだ。
「はじめまして、トリィ様。貴女様の侍女となりました、カイユでございます。これは夫のダルフェ。下男としてお使いください」
=りこ。“はじめまして、トリィ様。貴女様の侍女となりました、カイユでございます。これは夫のダルフェ。下男としてお使いください”と、言っているのだ。これらは絶対にりこを傷付けない。安心して顎でこき使ってやるがいい。
私が乞わずともヴェルヴァイド様が通訳をしてくださったのは、つがいの不安を少しでも和らげたいという想いからだろう。
『カイユさんとダルフェさん? ……カイユさんが、侍女さんになってくれたの? なんて綺麗な人……ハクちゃん、この人達は今までの人達とは違うわよね? 私とハクちゃんを見る目が、違う気がするの……』
つがいに出会い、この方は愛を知り始めた。
もう以前のこの方とは違う。
心を得たこの方は、これからどんどん変わり……竜の雄として、成長していくのだろう。
『私、鳥居りこといいます。トリィと呼んでください! よ、よろしくお願い致しますっ!』
ヴェルヴァイド様を抱いたまま、勢いよく頭を下げたあの子の……トリィの黒髪に私は手を伸ばし、撫でた。
「トリィ……トリィ様。これからは、このカイユがお傍におりますから何の心配もありません」
この数日の心労のためか、顔色の悪い頬に手を添えた。
唇も荒れているし、目の下にはくまが……ああ、可哀想に。
人間の侍女共の心ない視線に晒され、どれほど辛く悲しく心細い思いをしたのだろう?
「……遅くなって、ごめんなさい。もう大丈夫よ? 私とダルフェで、貴女を守ってあげるから」
言葉が通じなくとも、この想いは伝わるはず。
私は“トリィ”を抱きしめた。
『あ、あのっ……カ、カイユさん?』
=おい、カイユ! 我のりこに勝手に触れっ…………カイユ? お前のその思考は………………孕んでいるからか? まぁ、良い。お前はりこの役に立つだろう。
私の頭を覗いたのだろう、ヴェルヴァイド様は断り無くつがいに触れた私を罰しなかった。
「だんっ……はぁ~、まぁ、うん。旦那、ハニーは無事に特別枠獲得っすかね? ほっとしましたよ」
ダルフェが大きく息を吐いて、安堵の言葉を口にした。
蜜月期の雄竜であるヴェルヴァイド様が、雄で男であるダルフェが側に存在することを許可しているのには理由があった。
つがいの私が妊娠中のために、ダルフェは生殖機能が停止している。
だから、存在を許されている。
「……さぁ、トリィ様。お茶に致しましょう。私、お茶を淹れることだけはできますから。ダルフェの作った美味しいお菓子がありますから、たくさん召し上がって下さい」
『え? あの? カイユさん?』
=茶にしようと言っている。ダルフェの作った美味い菓子があるそうだ。
『お、お茶? お菓子って……え? ダルフェさんって、パティシエさんなの!?』
ああ、私。
今、きっと微笑んでいるわね?
だって、とても嬉しくて……お腹の中の【ジリギエ】も、とっても喜んでいるのが分かる。
貴女のに触れた、その瞬間。
私には分かったのよ?
この子は、あの子だと。
私のお腹を飛び出して、異世界まで遊びに行ってたなんて……母様はとても心配したのよ?
やっと、母様のところに帰ってきてくれたのね?
『……ねぇ、ハクちゃん。カイユさんって、とても良い香りがする。すごく優して、安心するような不思議な香りなの……』
=そうか? 我には何も感じぬが……。どうだ、りこ? カイユは気に入ったか?
『カイユさんもダルフェさんも、ハクちゃんがいても怖がってないでしょう? 私、それが嬉しくて……すごくほっとしたの。……カイユさん、お茶に誘ってくれてありがとうございます!』
「……トリィ様?」
後半は私へ向けた言葉のようだったけれど、名を呼ばれたこと以外は理解出来なかった。
ごめんなさい、私は貴女の言葉が分からないの……でも、大丈夫。
ヴェルヴァイド様の竜珠をその身に持つ貴女なら、きっとすぐにこちらの世界の言葉に馴染むはず。
だって、貴女はこちらの世界で生まれて育つべきだったんだもの。
落とされたんじゃない、帰ってきたの。
トリィ。貴女は帰ってきたのよ?
****
いずれ、私の愛しいこの子は知ることになるだろう。
竜族のつがいとなった、人間の残酷な末路を。
「カイユ。私はあの人の全てを、手に入れたいの。全部、欲しいの」
「……仰せのままに。私のかわいいお姫様」
でも、私は信じている。
竜族の雄であるダルフェから見ても信じ難いほどに、強く激しくこの子を愛しているヴェルヴァイド様ならば。
二人で歩む未来を、必ずその手に掴めると。
《異界にいたのね、可愛い私の娘。愛しい子。母様は貴女の味方よ。私が土に還っても、胎の子が貴女の側に。アリーリアの血は貴女と共に。……竜族が滅びるその時まで》
私の娘は、必ず幸福になるのだと。
あの子の母親である私は、そう信じている。
けれど、もし。
そうならなかったら?
「……聞こえてるわね? ジリギエ。もし、ヴェルヴァイド様が最愛の者を喪う恐怖に屈してしまいそうになったら、お前は姉様を連れてお逃げなさい」
誰が死のうが。
「これは母様とジリギエだけの秘密だから、誰にも言っては駄目よ? 母様はね、今のお前と同じようにまだ胎内にいる時に……お前の御祖母様のお腹にいる時に、教えて貰ったの……」
世界が滅びようが。
「…………四竜帝全ての竜珠を奪い※※※※※に喰わせれば、【門】は開くのだと……」
愛する子供達のためならば。
「姉様と逃げなさい」
喜んで、この世界を悪魔にだって売る。
だって、私は。
この子達の。
「………異界、へ」
母親。
なのだから。