番外編~Ma fille(1)~
「カイユ殿。青の竜帝陛下にお変わりございませんか?」
「…………無いに決まっている」
着飾った貴族達に囲まれたセイフォンの皇太子の言葉に、カイユは上背で劣る相手を空色の瞳で見下ろしつつ応えた。
見下ろしたっていうか……見下し、か?
好意的とはほど遠いあからさまなカイユの態度にも、セイフォンの世継ぎの王子の柔和な表情は変わらなかった。
どちらが『上』か、このお坊ちゃまはちゃんと理解しているのだろう。
青の竜騎士団の団長である俺のハニーは、人間に下げるようなお軽い頭は持っていない。
竜騎士である俺達が頭を垂れて跪く相手は四竜帝と……世界最強で最凶の竜<ヴェルヴァイド>のみ。
青の陛下から預かった祝いの品……最高級の絹布で包まれた、大粒のサファイアが煌めく金の小箱を祝宴の主役である皇太子に手渡した俺とカイユは、好奇と畏怖の混じった人間達の視線を青の竜騎士の証である騎士服ではね除けて、宴の行われている大広間を後にした。
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「……ハニー、腹が空いてないか? 今日は、朝に紅茶を一杯飲んだだけだろう? 昼飯も晩飯も、一口も食ってないし」
「…………セイフォンの人間が触れた食材で作られたモノなど、口にしたくない」
「カイユ……」
「……陛下が殺したら絶対に駄目だって仰ったから、セイフォンの王族を皆殺しどころか一人も殺すことが出来なかったのよ!? 目の前に居たのに!」
主の命でセイフォンに嫌々足を運んだカイユは、ずっと不機嫌だ。
「……なぁ、カイユ。セイフォンに来たついでに近隣諸国の偵察をしていかないか? ……あ~、うん、まぁ、どうしてもってんじゃねぇんだけど。偵察っていうか、気分転換に各国で買い物しながら帰ってもいいかな~って……指輪とかネックレスはどうかな? 髪留めとかドレスとかも……好きなモノを好きなだけ買っていいよ? あ! 舅殿にもお土産を買おうぜ?」
「…………」
うわっ、無視っすか!?
ああぁ~、カイユに冷たくされると俺的には萌えるっ!
罵って足蹴にしてくれればい良いのに!
「う~ん。じゃあ、ここの王宮術士の腕を確認したら直帰する? 余興で異界の物品を出すらしいからさ、いったん外に出て大広間の外壁に跳んで天井付近の窓から中の様子を……」
「…………」
さらに無視。
「カイユ……」
青の竜騎士団の団長であるカイユの四歩後ろを歩く俺は、凜としたその後ろ姿に見惚れつつ、陛下のセイフォン贔屓のせいでカイユにとって因縁あるこの国へ赴くと知った時の舅殿の笑顔を思い出して肩をすくめた。
ーーへぇ~、カイユは妊娠中だっていうのに、陛下はセイフォンなんかに行かせるんだ? ったく、あの糞餓鬼めっ! セイフォン贔屓もたいがいにしろってんだよ! あ、ごめんごめん。心の声が漏れちゃった♪ ……ねぇ、婿殿。僕へのお土産はセイフォン王か皇太子君の首でもいいよ!
王子様スマイル全開の舅殿の言葉は、冗談ではなく本気だから質が悪いんだよな~。
「…………ダルフェが見たいのは異界のモノじゃなくて、術士の腕よね? いいわ、付き合ってあげる。その代わり、帝都に帰ったらタルトタタンとミートパイを作ってちょうだい」
回廊の石床を進む足は止めず、振り向いた俺の愛しいつがいの瞳は冬の空の色。
俺の、至上の宝石。
「うん、君のためにすっげぇ美味いのを作るよ。……愛してるよ、アリーリア」
距離を縮め、銀の髪の流れる背を抱きしめ、形の良い耳に唇を寄せてキスを一つ。
「……ねぇ、テオ」
カイユは俺の手を腹部へと導き。
「うん?」
「私、早く子供達に会いたい……」
そう言って、瞳を閉じた。
「そうだね、俺も早く会いたいよ……」
「子供達が成竜になって大陸間飛行が出来るようになったら、義母様と義父様に会いに行きましょう。陛下もきっと、大陸間飛行の許可を下さるわ」
「うん、行こう。父さん達、絶対に大喜びするぜ? 楽しみだなぁ~」
ごめん、カイユ。
短命な<色持ち>である俺は、子供達が成竜となるまで……多分、もたない。
とうとう吐血も始まっちまったしな。
でも、今の俺はまだ。
君に知られたくない。
この口でそれを伝えられるほど、俺はまだ強くなれてないんだ。
弱い俺でごめん、アリーリア……。
****
激しい雨の降った昨夜と違い、今夜は月が地上を優しく照らす穏やかな夜だった。
大広間の天井付近にあるガラス窓の縁に立つ俺達の姿は、下に居る人間達には見えないだろう。
青の竜騎士の騎士服の『青』は、夜の闇に同化しやすい。
それに見えないっつーか、誰もこっちなんか見上げる余裕が無いっつーか……下に居る人間達の視線はある一点に集中していた。
予想外の事態に、宴は中断されていた。
「カイユ! あの王宮術士、やっちまったぜ!?」
「……なにを?」
広間に背を向け、月を眺めていたカイユが眉をひそめる。
まだあどけなさの残る年若い術士の少女が異界から落としたのはモノじゃなかった。
生物、だった。
「生き物っつーか、あれは人間だ! 異界人だっ!!」
見たところ、性別は女。
まだ若い……十代後半位か?
黒い髪に、黒い目。
小柄な体に、簡素な衣装。
「へぇ~、あれが異界人か。異界人を見ることになるなんて思わなかったな……うん、珍獣が見られて得した気分! でも、これであの術士のお嬢ちゃんは旦那の処分対象になっちまったな~。将来が期待できる逸材って聞いてたんだけどねぇ。もったいねぇけど、仕方ないか……」
セイフォンの宮廷術士がどの程度の術士か……最年少の<星持ち>だとは調査済みだが、どの程度の力量があるか……俺は自分の目で確認しておきたかった。
だから、用事は済んだとばかりにさっさと帰ろうとしたカイユを引き留め、『余興』を見届けるためにここに残った。
空間系の術式が得意な術士らしいが……これで、終わりだな。
「異界人なんて初めて見たけど、こっちの人間と同じなんだなぁ~……角も尾もねぇし、目玉は二つで鼻と口は一つで手足の数も同じだし」
「……王宮術士ミー・メイが余興で行った術式は失敗し、術士も異界人もあの御方に<処分>される。それで終わり。さあ、帝都に帰りましょう」
「まぁまぁ、せっかくだから見てみなさいって! 将来、胎の子供達に話すネタになるしさ! 異界人なんて激レアななんだから、見ておきなさいって!」
旦那の、監視者の<処分>ってのは殺すことだ。
あの異界人にしてみたら、被害者なのに<処分>されるわけで……気の毒といえば気の毒だよな~。
「……子供達に……そうね、私も見てみようかしら?」
カイユが身体の向きを変え、眼下の大広間を空色の眼で見下ろした3秒後。
『ぎゃーっ! 見ないで、変質者!』
異界の娘は突然叫び声をあげ、皇太子君を殴った。