第26話
この時。
我は。
この幼生が、嫌いだった。
我のりこの寵愛を、易く手に入れたこの存在が。
世界一、嫌いだった。
疎ましく、憎々しく、妬ましく…………羨ましかった。
その感情は、我の中から永遠に消えぬものと思っていた。
我は。
この時は、思いもしなかったのだ。
忌々しいこの幼生が。
こやつが、成竜となり。
選んだ“つがい”が。
その、我の感情を。
さらに超えてくることになるなどと。
未来を視ることのできぬ我には。
この時の我は、思ってもいなかったのだ……。
--ねえ、おっさん。ジリのこと、<処分>してくれないかな?
--ならば。【部品】を残せ。
【部品】。
それは、子。
カイユとダルフェの血を継ぐ存在が。
りこのために、我には必要だったのだ。
--……おっさん、相変わらずお馬鹿だね。分かったよ、ヴェルヴァイド。母様の【誓約】に、僕は従う。
ーーお前はりこの『ジリギエ』だ。
ーーおっさん。僕の名前、覚えてたんだ。
ダルフェとカイユが遺したりこの竜騎士となるジリギエが、つがいにした女こそ。
我が、世界で最も嫌いな存在となる者だったのだ。
--お前はいつ死んでくれるのだ? さっさとしてくれぬと、我がこの手で引き裂きそうだぞ?
ーーなんてひどいこと言うのっ!? ねぇ、ジリ! この人、なんとかしてよっ! ジリは強いんでしょう!?
-ーうん、僕は強いよ? 君の頼みなら、何でもきいてあげたいんだけど……ごめんね。さすがに僕でも、このおっさんをどうにかするのは無理なんだよ……なんたって、ゴキ★リ以上の最強生物だから。
流れた時間の、その先で。
我は思い知るのだ。
この幼生の、ジリギエの選んだ女によって。
我は、思い知らされることになるのだ。
最上級の。
“大嫌い”を。
「ジリ、ジリギエ! 俺の息子は世界一可愛いぃいいいいい~!」
……世界一可愛い、だと!?
おのれ、ダルフェめ!
寿命が残り少ない身ゆえ、その目玉までもが劣化しておるのか!?
ふざけたことを言いおって……お前のその緑の目玉は毬藻かっ!?
「可愛いっ、これは可愛い過ぎるでしょうが!? やっぱ俺のジリは、世界でいっちば~ん可愛いっ!!」
うむ、その目玉は藻決定なのだ!
でなければ、あのチンケな幼生が世界一可愛くなど見えるはずがない!
「毬藻目玉ダルフェよ、訂正するのだ! ……我のほうが数倍っ! いや、数億倍可愛いのだっ………ん?」
抱き上げられ、限界まで垂れ下がった目のダルフェに頬ずりされている幼生の姿……その衣類の色に、我はふと気付く。
……緋色のレカサを着ているのか?
「はぁ? 誰が毬藻っすか? ったく、なに阿呆な事を言って………………んん? あれ? ジリ、ちょっと父ちゃんに服を見せてくれっかな?」
ダルフェは我を数秒見てから。
頬を寄せていた幼生の脇に両腕を入れ、高く掲げた。
そのため、我からも人型となった幼生の全身がよく見えて……金糸と銀糸で縫われた毒茸、ではなく彩雲を模した細やかな模様が…………これは似ておるどころではなく、同じではないかっ!?
「あっー、やっぱり! 旦那、ジリとお揃いじゃないっすか! ずっつりぃ~! 俺だってジリとお揃いが着てぇし!」
お、お揃い?
我と幼生がお揃いだと!?
「え……あれ? 本当だ! ハクちゃんの服、ジリ君とお揃いなのね!? 素敵っ!」
我の腹に両腕を回し密着していたりこが、興奮気味に言った。
しかも、その両目が眩しいほど輝いて……。
「……り、りこ?」
なぜ、そんなことで興奮するのだ?
興奮するなら、夫である我の体に触れた時にすべきではないか!?
りこ、興奮の使用方法が間違っておるぞ!?
「なんだかんだ言ってもハクちゃんは、ジリ君と本当は仲良しなのね……良かった!」
我の体から腕を放すと、りこはその手を我の右手に重ね、握り。
そして、笑んだ。
「嬉しい……ありがとう、ハク。好き……ハクちゃん大好き」
その笑みを見た我の心臓は、激しく上下に動き。
脳はりこの笑顔に占領され、幼生のことを考えることなど出来なくなった。
「り、りこ……う、うむ。な、な、なかっ、仲良し? そ、そうなのだ!」
すまぬのだ、りこ!
針を千本飲むから、嘘吐きな我を許してくれっ!
「トリィ様。義父様が作ってくださったプリンです。紅茶でよろしいですか? 珈琲、緑茶もありますよ?」
磨きこんだ石で作られた円形のテーブルの上に、カイユが皿を置いた。
椅子に座ったりこの前に供されたそれは、食べられることを喜ぶのか嘆くのかは不明だが、ふるふるとその黄色い身を揺らした。
“ぷりん”の頭頂部(ん? 正しくはなんと言うべきなのだ?)には粘度のある濃い茶色の液体と生クリームがのり、“ぷりん”を囲うように見目良く切られた数種の果物が添えられていた。
「ありがとう、カイユ。紅茶でお願いします……わぁ、美味しそう!」
「……ぷりん」
我は、りこの膝の上に立ち。
テーブルの縁に顎を乗せ、“ぷりん”を確認した。
……我は人型をやめ、竜体になっていた。
あの幼生とお揃いなど、嫌だからな!
「ハクちゃん、良い香りがするよね……ベリーの香りの入浴剤だったの? とっても良い香りね」
幼生とお揃いなど、虫唾が走るのだ!
我がお揃いでいたいのは、りこだけだ!
「気に入ったのか? では、今度は一緒に入ろう。我がりこを洗ってやるのだ」
両手を“にぎにぎ”しながらそう言うと。
「え? 竜体のハクちゃんが……その可愛いにぎにぎの手で、あわあわスポンジを握って、私の背中を……」
りこの頬が、染まった。
……りこの脳内では、我はこの姿のようだが。
我はそのようなことは一言も言っておらぬぞ?
「おい、りこ。我は人がっ……」
「じじさまのぷりん! ジリ、とってもうれしね!」
「……」
幼生の癇に障る声が、我の言葉を遮った。
まあ、良い。
これで、「我は言おうとしたが、幼生に邪魔されたのだ!」と、りこに言えるのだ。
「お! 親父のプリンか、久しぶりだな~。ジリ、まだ指がうまく使えてないだろ? 父ちゃんが食わせてやっからな」
「はい! ととさま、あ~ん、なのです!」
幼生は人型に慣れず、四肢の動きが安定していない。
ゆえに、スプーンを手に取ったダルフェが膝に座らせた息子の口に“ぷりん”を運んだ。
……ふん、面倒な事だ。
どうせなら皿ごと、その生意気な口に突っ込んでやればよいものを!
「りこには我があ~んをしてやるのだ。カイユ、スプーンを寄越せ」
りこの前に置かれた皿には、スプーンもフォークも添えられていなかった。
それらを手に持ったカイユが仁王立ちし、我を見下しながら言った。
「ヴェルヴァイド様。スプーンをお渡しするのは、お話しが済んでからです」
「話し? 説教の間違いでは無いのか?」
その冷たい視線はどう見ても、“お話し”ではないのではないか?
「……扉を蹴るなんて! 鯰の時といい、まったく貴方様はなんて足癖が悪いのかしらっ!」
我よりカイユのほうがよほど悪い……という言葉が脳に浮かんだが。
「……」
我は、黙った。
ここでその事実を正論として述べた場合、我はスプーンは得られない可能性があるからだ。
うむ、我はりこを得て以来、かなり賢くなった気がするな……。
「あのような事をして、扉がトリィ様に当たったらどうなさるおつもりですか!?」
眼をつり上げ、カイユが言ったので。
「お前が室内に居るのだから、そのような事態にはならんのだ」
我が、そう答えると。
「そんなことは言われるまでも無く当然のことなのです!! もっと常識的な立ち振舞いと、物を大事にするお気持ちを持って頂きたいのですっ!」
カイユの手の中で、スプーンとフォークがぐにゃりと曲がった。
やわい銀製品とはいえ、まったく……カイユこそ、物を粗末にしているではないか。
しかし、少々賢くなった我は、それを指摘する事は今この場ですべきではないと判断し。
「まぁ、そのように怒るな。もう若くないのだから皺になるぞ?」
当たり障りの無い事を、口にしてみたが。
「ッ!?」
「ハクちゃん!? し、信じられないっ……なんて失礼なこと言うの!? カイユ、カイユ! ごめんなさい!」
それを聞いたりこは我を残し、萌黄色のレカサを着ているカイユへと駆け寄り。
深々と頭を下げた。
「? りこ?」
りこが去ったので。
結果、我は顎をテーブルに乗せ、ぶら下がることになった。
「カイユ、ごめんなさい!」
「いいのですよ、全く気にしてませんから。さぁ、お顔を上げてください」
「カイユッ……」
りこに頭を上げさせると。
使い物にならなくなったフォークとスプーンを持たぬ方の手で、りこの髪を優しい手つきで撫でながら。
「……ヴェルヴァイド様。あちらに土鍋がありますわよ?」
顎で部屋の奥を指し示しつつ、そう言った。
鍋(反省部屋)を提示されるとは。
「……」
はて?
我は、一体なにを失敗したのだろうか?
前半部分の内容は『ジリ君とおっさん(1)』未来編http://ncode.syosetu.com/n7480o/8/と話しが繋がっています。