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四竜帝の大陸  作者: 林 ちい
赤の大陸編
168/212

第21話

「…………………まさかっ」


 俺を見下ろす黄金の両眼。

 その眼の中の俺は、なんて小さい存在なのだろう……。

 初めて会った時はちびだった俺も、この人と肩を並べる位に背はでかくなったけれど。

 この人の中では、俺はいつまでたってもあの頃の……独りで死ぬのが怖いと泣く、餓鬼のままなのかもしれない。


「そうだ」


 旦那は。

 自分の血に染まったその手で、俺の髪に触れてきた。


「<黒の大陸>、だ」


 俺の髪を撫でる手つきは、優しい。


「<黒の大陸>っ……の、何処に居るんですかっ!?」


 でも、そこに。


「…………さて」


 “優しさ”など。

 これっぽっちも無いことを、俺は知っている。


「我はとても“ばっちい”ので、風呂に入るのだ」 

「へ? ふ、風呂っ? ……うわっ!?」


 立ち上がろうとした俺の頭を、旦那の右手が容赦無く掴んで後方へ引いた。


「ハクちゃん!?」


 驚く姫さんの目の前で。

 俺は姿勢を直すことも出来ず床を引き摺られ、うちあげられた魚のような無様極まりない格好で旦那を見上げながら叫んだ。


「ちょっと、旦那! 風呂に行くんなら、この手を放しっ……ぎゃぁああっ!? 頭に食い込んでますって! それ以上やると穴開きます! ズボッて脳までいっちゃいますってっ!!」


 ったく、こんなことやってる場合じゃないってのに!

 導師が<黒の大陸>にいるのが分かったんなら、四竜帝を電鏡の間に集めてに報告して、特に黒の爺さんにっ……死にかけてる爺さんじゃなく補佐官に、他の四竜帝から警告と対策を指示しねぇと!!


「旦那っ! いい加減、おふざけは止めて下さいよっ! ……先にすべきことがっ……」

「おふざけ? おふざけ、ではないのだ。お前は使うので“真面目”に持って行くのだ」


 えぇーっ!?

 “真面目”なんすかっ!?

 ならもっと悪いっすってっ…………ん? 

 使うって言いました?


 ==コンコンッ。


 扉をノックする音に。

 俺と旦那は視線を動かしただけ。

 それに応えて扉を開けに行ったのは、姫さんだった。


「あ、はいっ!? すみません、いま、ちょっと大変なことになっ……来て下さったんですね! 赤の竜帝さんっ!」


 そこには、俺の予想通りの人物が居た。

 足音は消していたけれど、気配は消していなかったからな。


「お待たせ、トリィさん。……ちょっと、ヴェルヴァイド! 私の可愛い息子になにしてるのよ!?」


 竜族の聴覚は人間よりずっといい。

 扉の向こう聞いてる時間があったんなら、さっさと入って来いっての!


「<赤>、来るのが遅い」


 相変わらず露出度の高い真っ赤なドレスでご登場の俺の母親は、旦那の言葉に眉を寄せた。


「気付くのが遅れたのは、貴方がこの部屋を<遮断>してたからでしょう!? ヴェルヴァイド、いったいどういうつもりでっ……何があったの? その血っ……まさか、貴方の!? 説明して頂戴!」


 やっぱり、旦那は術式でここを<遮断>してたんだな。

 だから被害が室内だけで……旦那は被害を抑える為にそんなことをするような、“良い人”じゃない。

 母さん……赤の竜帝もそれは分かってるはずだ。


「…………後で、ダルフェが報告する」


 え?

 俺に丸投げ俺かよ!?


「<赤>、りこを連れて行け。カイユにりこに着替えと食事をさせろ。……りこ、ここは見ての通り居住空間として使えぬ。<赤>と行け。我はとても“ばっちい”状態なので、風呂に入ってから行くのだ」

「え?」


 旦那の言葉に、姫さんの表情が曇る。

 そりゃそうだろうなぁ。

 あんなことがあった後に、この人から離れるのは不安だろう。


「でも、ハクちゃんっ……」

「大丈夫なのだ。なんの心配もいらぬ。……さぁ、行け。カイユが茶を淹れて待っているぞ? あの忌々しい幼生と共に、な」


 ああ、カイユね……って、はい?

 ジリギエッ!?

 あいつ、溶液からもう出てきてんのか!?


「え!? ジリ君もっ!?」


 あ~……姫さん、ジリを気に入ってるからな。

 旦那、汚ねぇな~、ジリで釣りやがった。


「…………ダルフェ、報告は執務室でね?」

「え? ああ、うん。了解」


 母さんは何かを悟り、何かを諦めたような微妙な表情を浮かべたが。

 それを一瞬で消し、柔らかな笑みを姫さんに向けた。


「さあ、トリィさん。部屋を移りましょう。ヴェルヴァイドにはダルフェがついてるから、大丈夫よ? 母親の私が言うのもなんだけど、ダルフェは“出来る子”だもの」

「あ、は、はいっ!」


 姫さんは大きく頷いた後。


「ハクちゃん、待ってるからね? ダルフェ、ハクちゃんをよろしく御願いします」

「……あ~……うん」


 俺に向かって、深々と頭を下げたてから。

 母さんの後について、姫さんは部屋を出て行った。


「…………」


 俺は旦那に頭を鷲掴みにされたまま、それを見送り……。


「……ダルフェよ」

「な、なんすか?」


 頭上から降ってきたのは、感情を含まない平坦な声。 


「喜べ。お前に我を洗わせてやるのだ」


 だが、内容は平坦じゃなかった。


「へ? え、ぇぇええっ!?」


 俺が旦那を洗うって!?

 ちょっと、そういうの勘弁して欲しいんですけど!?


「遠慮するな。褒美、だ」


 褒美ぃいいいいい!?


「どこがっ!? いやそれ、絶対罰ゲームでしょーがっ!!!」


 旦那が俺の髪を撫でるなんて奇行に出た時点で逃走すべきだったと、屠殺場に連れて行かれる家畜のように、有無を言わさず俺は風呂場まで引き摺ずられて移動しながら後悔した。








「……狭い浴槽、だな」


 旦那はそう言いながら、俺の頭から手を離すと。


「……」


 淡い若草色をした唐草模様のタイルが敷き詰められた床に立ち、動きを止めた。

 風呂に入ると言っていきながら、自分で服を脱ぐ素振りすらない。


「……青の城みたい広いのが良かったですか? こっちじゃこういったのが普通なんですよ? でもねぇ、狭いからこそのお楽しみもあるわけですし……いい本有りますから、参考に貸しましょうか?」

「……」


 あらま、エロ話にものってこないでスルーっすか……。


「旦那は泡風呂好きっすか?」

「……」


 返事は無い。

 俺は陶器製の白いバスタブへと湯を溜めつつ、入浴剤や化粧品が置かれた飾り棚から小瓶を一つ選び、手に取った。

 あんたが好きだろうが嫌いだろうが、泡風呂決定だっつーの!

 自分より良い身体だろうが、男の裸なんか見たくねぇし。


「この入浴剤、城にある工房で作ってるんすよ? 他大陸への輸出も本格的に始めたらしくて……」


 俺が選んだのは、ベリー系の香りのものだ。

 これは女子や子供に人気の商品であって、成人男子が使用するにはちょっと遠慮したいほど甘~い香りなうえ、泡の色が可愛らしいピンクをしている。

 ふっ……こんなささやかな嫌がらせくらい許されるっすよね!


「母さんは商売のセンスがあんまねぇみたいでね、青の陛下がいろいろアドバイスしてくれたみたいです。金儲けのことなら、やっぱ青の陛下が一番っすよね? まぁ、ほかの点は難有りの甘ちゃんな坊ちゃん竜帝陛下ですけど」


 鼻の奥まで絡むような甘い香りが満ちてピンクの泡が現れても、旦那の顔に変化は無かった。

 あー、うん、この程度のことじゃこの人は反応しないっつーか、気にしないって分かってはいたんだけどねぇ~……。


「ったく、ほら、さっさ入ってくださいって!」


 動かない旦那の体から俺はレカサを斬り取り、背を押した。

 そう、脱がしたんじゃない。

 刀で斬った。

 いちいち手足をどうこうしろなんてのは、面倒っていうかぞっとするんで無理っす。


「……」


 意外にも大人しく、旦那はバスタブに自分から入り……ピンクの泡が、バスタブから溢れ出す。

 旦那の眼が溢れ出た泡を追うように、微かに動く。


「ったく……姫さんに洗ってもらえばいいのに。あんたら、いつも風呂は一緒だったでしょ? ……どうしてだんまりなんです? 姫さんに会う前のあんたみたいだ」

「……」


 以前のこの人は。

 いくら話しかけたって、喋る気にならなければ何時間でも何日でも一言も口をきかないなんてことは当たり前だった。 


「……りこには」


 けど、今は違う。

 だから、この人は喋る。


「見せたくない、のだ……」

「何でです? もう、綺麗に治ってますよ?」


 見せたくないと言うが、上半身には傷痕ひとつ無い。

 元通りの、滑らかな肌だ。


「……見て、ほしくないのだ」


 見て欲しくない?


「旦那、なんでそんなこと……」


 旦那は両手でピンクの泡を掬い取り、自分の顔に押し付け。


「ダルフェよ。何故、我の“心”は」


 ゆっくりと、その手を顔から離し。

 黄金を熔かして固めたような瞳が傍らに立つ俺を見上げ、言った。


「我の血に涙するりこを見て、悦ぶのだ? 悲しませ、泣かせて…………満足し、安堵するのだ?」


 そこには、感情の色など一切無く。

 不透明なその瞳の奥にあるものを、俺が推量ることなど出来ないけれど。


「…………俺的には、それが普通っすよ?」


 喋って、くれるから。

 昔と違って。

 今の旦那は、こうして俺に話してくれるから。


「心なんてそういうもんなんですよ。それでいいんじゃないですか?」


 俺は、答える事が出来る。


「まぁ、あんたのその中身(こころ)の濁りは、俺には落とせないけれど」

「…………」

「外側だけなら、この赤竜印の石鹸を使って全部落としてツルピカにしてあげますよ?」

「…………ツルピカ?」


 でもね、旦那。 

 自分の血で染まったあんた、綺麗でしたよ?

 なんてあかが、似合うんだろうって……今日、改めて俺は思いましたよ?


「そう。ツルツルのピカピカです」


 真っ白だったあんたに、異界から来たあの子は。

 いろんないろを、鮮やかにつけてくれる。


「……ツルツルのピカピカ…………それは清潔(きれい)になる、いうことか?」

「そうです。……この先、あんたが姫さんのために何千何万殺したって……誰を殺したって、何を壊したっていいんです。大丈夫なんです」

「……ダルフェ?」


 そのいろは。

 言葉では言い表せないほど、多種多様で。

 明るく、暗く。

 淡く、濃く。

 澄み、濁る……。

 

「これからもこうして洗って汚れを落とせば良い。……大丈夫、どんな汚れだって、俺がなんとかしてみせます。俺がいなくなったっても、ジリギエがいますから……ジリギエがいなくなった後は、あいつの子があんたを清潔(きれい)にして……綺麗でいさせます(・・・・・・・・)

「……ジリギエ……りこはあれを気に入っている。とても、な。……あの幼生も、いずれ子を作る。りこは、きっと喜ぶな?」

「ええ、そうです。ジリギエだけじゃない。俺の孫もひ孫もその先の子供達も、姫さんは絶対に気に入りますって! ……だから……ねぇ、旦那。俺にね、良い案があるんですけど? これからあんたの髪を洗いますから、それが終わったら訊いてもらえます?」


 過去も現在(いま)も、未来も。

 きっと、きっと。

 あんたは、色々な想いに心を染めて変わっていくだろう……俺には、傍でそれをずっと見ることは出来ないけれど。


「良い案?」

「ええ、姫さんのことで」

「りこの?」


 旦那……ヴェルヴァイド、大丈夫です。

 情念にまみれて、その心が穢れても。

 その身が、どんなに血肉に汚れても。


「ええ。あの子にとって、重要で大事なことです」


 その度、想うがゆえに心は色を与えられ。

 あんたのその美しさはさらに彩られ、損なわれずに増すばかりなのだから。


「……………………わかった。後で、聞いてやろう」


 大丈夫。

 どんなあんたでも。

 きっとあの子は、誰より何よりあんたを愛してくれる……はずだから。


「ありがとうございます」

 

 もし。

 そうでなければ。


 【鳥居りこ】に、この世界での価値は無い。









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