第20話
「…………驕るなっ……」
ハクの、真っ赤な両手は。
その身を裂いた蛇を、無鷲掴みにし。
「導師ッ!!!」
身体から引き抜き、床に叩き付けると。
青白い炎が石の床を駆け、うねり、蛇達を飲み込む。
同時に。
ハクの反った背が、床に引き寄せられ……え?
「ハクッ!?」
「ちょっ……旦那っ!?」
仰向けに倒れたハクが後頭部を強打する音が、荒れた室内に響いた。
「ハ……ハハハ、ハク! 頭、大丈夫!? ハクちゃっ……」
「なーにふざけてんですか!? もう、意外とお茶目さんっすねぇ~。ほら、さっさと起きてくださいよ! 姫さんがびっくりして…………旦那?」
「ど、し……たの? ねぇ、起き…て、ハクちゃっ……」
死にたくても死ねないくらい丈夫なのだと言っていたハクが、仰向けに倒れたまま……ピクリとも動かない。
「ハクちゃ……ハクッ!?」
ハクの黄金の眼は、閉じられたまま。
呼んでも、返事をしてくれない。
「ダ、ダルフェ! ハクちゃんの様子が変よっ……」
ダルフェさんに抱えられたまま、彼の胸を叩いた私の手が震えた。
「あ、あ……どうして……ハク、ハクちゃ……」
「……」
鮮やかな緑の瞳で、パニック寸前の私と床に倒れたままのハクを交互に見てから、ダルフェさんは私を床におろし、言った。
「姫さん、ここでちょっと待っててくれ」
「ダルフェッ……」
ダルフェさんが歩み寄り、長身を屈めて仰向けに横たわるハクの体に手を伸ばし、その上半身に触れた。
「……………旦那、あんた全く治癒してないじゃないすかっ!? 一体どうしっちゃんで……え?」
「、、、……」
ハクの口元が。
ダルフェさんの声に反応して、微かに動いた。
「……、、……、、、」
「……………………姫さんを、ですか?」
私には聞き取れなかったハクの言葉を聞いたダルフェさんが、私へと振り向き。
「姫さん、まぁ、うん。そういうことだから勘弁な?」
赤い騎士服の、左腕の袖口の折り返しに右手の指を入れ。
「……え?」
そこから、鋼色の糸をすーっと引き抜いた。
……それ、なんに使うんですか?
、
あの嵐は、室内だけでの出来事だった。
窓の向こうでは庭木の緑が陽を浴び輝き、沢山の小鳥が集まり賑やかに鳴いていた。
あんな事があったのだから、すぐに赤の竜帝さんやお城の人達、カイユさんが来るかと思っていた私だけれど、この部屋の惨状と室外とのギャップに、ここに居た私達以外気がついてないのかもと不安になった……。
「ダルフェ! これ、早く解いて下さいっ!!」
私は手足を縛られて、滅茶苦茶になった部屋の隅に転がっていた。
縛ったのは、ダルフェさん。
鋼色の糸は、細いワイヤーだった。
「駄目。旦那がやれって言っ……あぁ、こりゃひでぇな。術式でこれだけ中身やられても意識はあるって、あんたやっぱりすげぇっすねぇ……」
私を縛り、瓦礫を除けた場所に放置した張本人であるダルフェさんは床に横たわるハクの側に片膝をつき、彼を観察していた。
「旦那、上半身がすっかすかっのぐっちゃぐちゃっすよ?」
ちょっと!?
すっかすかっのぐっちゃぐちゃって何!?
「ダ、ダダダルフェッ! 見てないで、早くハクを手当てしてあげてっ……は、早くして! こっちも早くっ、これ解いてください! お願いっ!!」
ダルフェさんはハクの応急処置すらする様子も無く、いくら叫んでも喚いても、私のワイヤーを解いてもくれなかった。
彼が私の動きを封じたのは、倒れたハクに私が駆け寄る寸前、『りこを我に寄せるな』とハクが彼にそう言ったらしいんだけど、私には聞こえなかった。
かすかに動いた、血で彩られた唇の動きを間近で見たダルフェさんには分かったようで……読唇術?
「いや、下手に触ると再生の邪魔になるからこのままが……旦那、そろそろ喋れるんじゃないですか? 姫さん、このままじゃ興奮し過ぎて脳の血管切れちまいますよ?」
「………こ…………が?」
ダルフェさんのその言葉に、ハクの唇が動く。
眼は閉じられたままだったけれど、真珠色の睫毛が吐息に同調するように揺れた。
「お! やっぱ喋れますね。で、あんた一体どうしちゃったんです?」
「…………ダ、ルフェ……さき、ほ……どりこに触れ、たことは、……不問、にする。額を……床、に擦り……我に、感謝……す、るが良いっ」
綺麗な薄い紫をしていたハクのレカサは、澱んだ暗褐色へと変わり果て。
金糸で縁取られていた襟と袖は、切り刻まれていた。
真珠色の髪は、赤く染まり。
ハクの周囲の床は彼の血液が溜り……徐々に拡がっていく様から、出血が続いていることが分かった。
「はぁ? 床にぶっ倒れながらも相変わらずの上から発言っすかぁ~? 姫さん、あんたはこんな性格悪い俺様男のどこがいいの? そりゃ、顔と身体は最上級だけどねぇ~」
ダルフェさんは片眉を器用にあげ、半目になった顔を私へ向けた。
口元には、笑み。
その笑みが、ハクは大丈夫なのだと私に言っているようだった……けど、でもっ!
「ダルフェ! 早く解いてくださいっ!!」
無理やり身体から引き抜くなんて無茶なことしてっ……他に穏やかなやり方なかったの!?
自分の体を過信し過ぎよ!
世界一頑丈なんだか丈夫なんだか知らないけど、もっと自分を大事にして欲しい!!
「ハク、ハクッ……大丈夫!? 喋れるの、辛くない? すぐ、側に行くから……っ」
丈夫だから、平気で無茶するの!?
再生能力があるから、自分の体を粗末に扱うの!?
死なないから、死ねないからって……そんなハクでも、痛みを感じるってこと私は知ってる!!
「……り……だ……め、だ」
駄目?
「な、なんでよっ!?」
痛いでしょ?
痛いよね?
私には傷を治す事は出来ないけれど、貴方のその痛む体に寄り添うことくらいさせてよ!
頬を撫で、手を握って……側に居させてっ!
「お、おねっ、御願い……ハクッ……怪我してっ……治ってなっ……」
また、涙が落ちていく。
あぁ……私の涙は、なんて役立たずなの?
いくら流しても、流しても。
ハクの傷を治す事ももちろんできないし、この胸の痛みは増すばかり。
私の涙は、ハクの涙のように想う相手を内側から癒してはくれないっ……。
「……我……に、りこは近寄るべ……きではない、のだ」
横たわるハクは、喋れるようにはなったけれど。
傷が、傷が。
「ハクちゃっ……なんでよ!?」
裂けた肉が、皮膚が。
まだ、治らない。
「……………………りこには、そばっ……にきて、欲しっ……くない、の、だ……」
「え?」
……そばにきて欲しくない?
私には?
ダルフェさんはいいのに!?
「な、なんで……なの?」
確かに、私は役立たずだけど。
側にてあげることだけは出来るって思ってた……うぬぼれてた?
「ハ…クッ」
全身から、力が抜け。
私の額は、床へと吸い込まれた。
硬い床石は、落ちていく私の身体は受け止めても、心までは支えてはくれない。
貴方に愛されている……その思いが、私を高慢にしていた?
「…………ぇぐっ……う、ううっ……わ、わたっ……わっ……」
言葉が、単語が出ない。
言うべき事が、言わなきゃいけない事が脳内でぐるぐる回って弾けてしまう。
「……り……こ、わ…………我は……すっ、かす、かっ……の、ぐっ、ちゃぐっ……ちゃ、なの、だろうっ?」
……え?
すっかすかっのぐっちゃぐちゃ?
「ハク? なに言って……」
聞こえきたハクの声に、私の頭部も心も一瞬で引き上げられ。
私は曲げた体を動かし、膝立ちになった。
「すっかすかっのぐっちゃぐちゃが何!? それだけ酷い怪我をしてるのよ、ハクちゃんは!」
両足首に巻かれたワイヤーのせいか、膝立ちで前に進むと姿勢がどうしても前のめりになってしまい、私からはハクの怪我がよく見えない。
でも、歩くよりけど、ちゃんとハクに向かって進めている。
「く……るなっ……さいせっ……おくれっ……ゆえ、血肉がっ……骨がうごっ……り、こに……き、みが、悪いとおもっ……」
「……え?」
ハク……私が……気味が悪いって思うなんて、考えてたの!?
「気味が悪いなんて、そんなことないわよ! 治ってるからそうなるんでしょ!? それって、逆に安心するところでしょ!?」
言いながら、私の視線は床へ……ハクから目を逸らしたかった訳じゃなく、膝に湿りを感じたから。
「ッ!? ハクちゃっ……」
それは。
ハクの身体から、流れ出す血液。
まだ失血が止まっていない……止まらない。
「ハク! 止血しなきゃ! 止血ってどうしたらっ……」
学生時代に受けた救急講習は、横たわった人形に人工呼吸したり……出血してる場合は腕を縛ったような……上半身全体が怪我してるんだから、上腕を縛ったって止血にはならないよね!?
どうしよう、どうしよう!?
誰か、教え……ダルフェさん!
「ダルフェ! 止血の方法を教えてください! あと、せめて痛み止めとかっ……」
「痛み止め? 必要無いっつーか、血の流れを止めるとかえって組織再生の邪魔になる。出血量が多いのは、多分、再生が活発になったからだ。まぁ、放っておくのが一番だぜ?」
「……ダルフェッ……」
その言葉に、私は唇を噛み締めた。
放っておくのが一番なんて……そんなの、そんなっ……!
あぁ、でも。
ハクのことを私より知っているダルフェさんがそう言うのだから、それは正しいことで……でも、気持ちがついていかない!
「……泣く……な、りこ。……泣、くなっ……」
涙の落ちた先にあるのは。
ハクの血。
私の涙を彼の血液が受け止め、包んで、混じり合う。
「……ぇ、ぇぐっ……ご、ごめんなさっ……」
なにもできない私は、謝ることしか出来ない。
「なに……をあや、まる? り、こ……今の、この……我を、見られっ……るのは……き、れいでもっ、かわい、くっ……も、ない、我、なの、だっ……少し、待っ……くれ、ぬか?」
「ハクちゃっ……」
「治った、ら、風呂に……我は、汚い、のは……いやっ……りこ、に……い、やっ……なのだ……」
言葉を、息を、途切れさせながら喋る貴方。
こっちを、見てくれないのは。
血に汚れた口元を、私になるべく見せないためなの?
「旦那……いじらしいっすけど、なんかずれてるっつーか……この状態で綺麗とか汚いとか、気にするのそこなんすか? 姫さん、この人ね。姫さんは綺麗なもの、可愛いものが好きなんだって、よく言うんだ。だからさ、血肉で汚れた姿なうえ再生中のグロい状態が丸見えじゃ、あんたに嫌われちまうかもって怖がってんだよ……最凶最悪の竜であるヴェルヴァイドを怖がらせるのは、この世であんただけだぜ?」
ダルフェさんの垂れ目が、さらに下がった。
彼は、微笑んでいた。
その微笑みは、私に向けられたものではないと……視線で分かる。
「嫌うなんて、そんなこと……ないのに」
綺麗じゃない?
貴方は、いつだって……こんなに綺麗な、まっすぐな心を私にくれる。
可愛くないからって、何?
こんなに切なくて、可愛い事を言ってるくせに!?
「ば、馬鹿ねハクちゃっ……ハクはいつだって綺麗で可愛いのっ! ……ハク、ハクッ……ハクちゃっ……ダルフェ、ダルフェ!」
「姫さん?」
ねぇ、どうして?
どうしてまだ、治らないの!?
世界一丈夫で頑丈なんだって、本人だけじゃなく皆も言ってたのに!
「ダルフェ! ハク、絶対変よ!? ……傷が、治らないなんてっ……」
なぜ?
なぜなの?
ハクちゃんは再生能力が桁外れなんだって、皆が言ってたよね?
なら、どうして治らないのよっ!?
傷が塞がらないから、ハクがあんなに切なくて可愛くて……悲しいことを言うのよ!?
私がいくら綺麗だし可愛いから大丈夫って言っても、ハクは信じない。
ハク以前、大丈夫だって私が言っても小さな手をぎゅっと握って、爪を隠していた……すごく繊細な人だから……!
「あのな、姫さん。まったく治癒が進んでいないわけじゃない。いつもより遅いだけだ……なぁ、旦那。あんたにしては、今回は異常に遅い。でも、その様子じゃ原因も理由も自分で判ってんでしょ? ……さっきの術式は導師なんすよね? あいつ、あんたに何かしたんですか?」
ハクの側に片膝をついていたダルフェさんは立ち上がると、緑の瞳で横たわるハクを見下ろし、言った……導師って人がハクに何かしたから、まだ治らないの!?
「………四竜、帝が……自分自身でつけ……た、傷の治り、が、遅……いのを、知っている……か?」
ハクの言葉は。
私ではなく、ダルフェさんに向けられたものだった。
「あ~まぁ、少しですが。俺が荒れてた時、母さんが自分で自分を責めて傷つけて……それを見ちまったんで、知ってます」
ダルフェさんは、黒いブーツでハクの流した血を踏み。
靴底でその感触を味わうかのように、ゆっくりと動いた。
「…………我の……欠片は導師の手……にあ、るよ、う……だ」
え?
ハクの欠片を、導師が!?
「! なるほど、そういうことっすか!」
ダルフェさんは長身を屈め、左手をハクへと伸ばし。
「ここっすね?」
投げ出されたハクの右手に触れた。
「さっきの術式は、あんたの右手を通って来たんですね? 導師は術式に手に入れたあんたの欠片を練り込んできた……だから、治癒が遅いってことですか?」
----さっきの術式に、あんたの欠片……
ハクの、欠片?
術式に……練り込む?
「我が欠片を……この、手に……戻そうとして、ここに【道】が、出来……た。それを辿って……術式を……一度使った【道】はもう使えぬ……二度目、は、無かろう……とりあえずは、な……」
少しずつ、しっかりと喋ることができるようになってきてはいたけれど。
ハクの言葉は、まだまだ吐息に寸断されていた。
そんなハクの姿にも、ダルフェさんは顔色を変えること無く。
淡々と会話を続けた。
「なるほど。つーことは、あの商隊から消えた女ってのが導師の手下か、もしくは本人だったか…………舅殿の話だと、導師は幻術系や遠隔操作系の術式に優れてるって話でしたからねぇ、その女を操ってたって可能性のほうが本人って線より高いっすね」
無くなったネックレスを導師が!?
こんなことになったのは……ハクが私のために、ネックレスを戻そうとしたから?
ネックレス、ハクは要らないって言ってたのに私が頼んだからっ……!
「ハク、ハク……ご、ごめんなさっ……わ、私がっ……」
「……泣く、な……りこ……大丈夫、なのだ……りこは悪く、ない……我が、見誤ったの、だ……」
違う!
貴方の怪我は、私のせい!
私が、また私が……私のせいだ!
「……うぅ、ぇ、ぐっ……ごめ、なさっ……」
「りこ、泣、かない……で、くれ」
無理よ。
そんなの、無理っ……涙腺が、私の意志ではもうどうにもならない。
だって、私の、私なんかのせいで。
貴方に、こんなっ……。
「だって、私っ……だって、ハクッ……ネックレス、取り戻したいなんて言ったから……私がっ……」
何も言わず、緑の瞳で私を見ているダルフェの黒いブーツを視界に入れながら膝を擦るように進む。
あともう少しなのに、横たわるハクの体にはまだ届かない。
手を伸ばせば簡単に届く距離なのに……手首も背で、ワイヤーで結われているので手が使えない、伸ばせない。
「りこ……っ……ダルフェ、りこを、外に連れっ……」
「ここから連れ出せって? 絶対うらまれるから、それは嫌っすよ」
ダルフェさんは両手を肩まで挙げて、ひらひらと振りながらそう言った。
よ、良かった……ダルフェさんが断ってくれて!
「ハクちゃっ…………痛っ!」
膝を滑らせ、バランスを崩し。
私は顎を床に打ち付けてしまった。
「あっ……」
手足を縛られた私が、最初に触れたのは。
私の顎が、触れたのは。
床を流れ伝った、ハクの血液。
温度の無いそれは。
来るなと言った、ハクの言葉とは違い。
私へと、流れ……彼へと導く。
「ハク……」
顔をあげると。
そこには、黄金。
ハクの黄金の瞳が開かれ。
私を、見ていた……見てくれていた。
「……りこ、の顔、が、汚れ、たっ…………」
ハクは眉を寄せ、心底嫌そうに言い。
「……す、まぬっ……ごめ、んな……さいなの、だ」
謝罪の言葉を、口にした。
「な……なんでハクが謝るのよ!? 謝らなきゃなのは、私でしょうっ!?」
「……りこ、が?……なぜ、なのだ?」
「なぜって……私のせ」
せいでーーと言う前に。
私の言葉は、封じられた。
唇に触れた、その指先で。
「そ、れは……ちがう」
「……ハク」
ハクは。
「り……り、こ。りこ、りこ……先程、顎をうっ……たな? 痛かっ……ただろう? 怪我は、無い……ようだが、顔が……我の血、で……りこ、が汚れ、てしまっ……」
ハクが。
手を。
さっき、ダルフェさんが見ていたその手を。
右手を、ゆっくりと動かして……私の方へ差し出し、指先で唇を撫でた。
「汚し、て……す……まぬ、な……ごめ、んなさいっ……な、のだ……」
「ッ……ハクッ、ハクちゃっ……ハク、ハク!」
真っ赤な手は。
中央に、空洞。
「ハク……ハクちゃ……手が、手もっ、こんなひどっ……」
切り取られたみたいに。
円形に、無くなっていた。
「ダハクッ、手が……ハクの手、ハク、ハクちゃ……」
さっき、ダルフェさんはこれを確認していたの?
ここから、ここを術式が通ったって……!
「……俺もさ、姫さんにはこういうのはさ、あんまり見せたく無かったんだよ。組織が再生するのって、普通の人間が見て、気持ちいいもんじゃないだろうし」
言いながら、ダルフェさんは刀を抜き。
手足を縛っていたワイヤーを斬ってくれた。
「ハク、ハク!」
私は自由になった体全身で、ハクの手に縋り付くように身を寄せ。
両手で、その手を包み。
胸元で、抱きしめた。
「ハク、ハクちゃん……」
氷のように冷たい手だった。
でも、私にとってはかけがえの無い温もりを与えてくれる手……私の手の中で、ハクの手からは微かな振動。
あぁ、良かった。
これって、治ってきてるってことなんでしょう?
新しい骨が、肉が、皮膚が。
愛しい貴方を、造っていくのが手のひらから伝わってくる……。
「で、旦那。あんた、さっき何を“視た”んですか?」
私とハクから離れ、壁に背をつけ腕組をしたダルフェさんは緑の瞳を細めて言った。
その険しい表情に、彼の問いがとても重要なことだと私にも分かった。
「居場所が分かったんすね?」
居場所?
誰の…………あ!
導師の居場所って事!?
「あんたの欠片を手に入れてたってことは、奴は赤の大陸にいたんすよね?」
左胸に手を当て片膝を床に着き、深々と頭を下げ、ダルフェさんは言った。
「……ヴェルヴァイド、我が主よ。お許しくださるならば、このダルフェが導師を狩り、貴方の御前に……」
口調を変えて言ったダルフェさんのその声は低く……目に見えない何かが冷気をまとって私の足元を這ったような気がした。
「ハ、ハクちゃん……」
思わず、彼の手を握る私の手に力がこもる。
すると、私の手の中にあったハクの手が。
「………………その必要はない。あれは、お前、に、は……向かない獲物だ。多分、な」
するりと動き、私の手の甲を大きな手が包む。
「あ……」
傷の治ったその手をを見て、私の目からはまた涙が溢れた。
「向かない? 多分? ……まぁ、それはさておき…………で、この大陸のどこっすか?」
口調を戻したダルフェさんに、どこと問われたハクはゆっくりと上半身を起こし……敗れ、変色したレカサの下の肌は血に汚れていたけれど、傷はふさがり、なめらかな皮膚が戻ってきていた。
言葉も、途切れることなく発することができて……。
「“この大陸”?…………ダルフェよ。お前は意外と低脳なのだな? 寿命と共に、脳も減っているのではないか?」
「ハクちゃん! なんてこと言うの!?」
戻ってきたのは 皮膚だけじゃなかったようで。
「りこ? 何故、怒るのだ? このような愚かな問いをするならば、そう言われてもそれは当然ではないか?」
「なっ……」
口の悪さも元通り……ううん、以前より悪い!?
どう見たってトップレベルな出来る男であるダルフェさんが低脳だったら、私なんか貴方の基準ではどうなっちゃうのよ!
「はぁ? 寿命は減っても脳は減らねぇーよ! さっきまで姫さんに嫌われたくなくて、いじいじしてたクセによ! ほんと、むかつくお人だねぇ~……で、赤の大陸のどこに居るんです? 低脳の俺に教えてくださいよ!」
ダルフェさんがその場にどかっと腰をおろし、胡坐をかくと。
ハクは私の手を離し、立ち上がり、ゆっくりと歩き……。
「……ダルフェ。今のお前は我にとって、にゅーにゅにゃーよりが価値がある。ゆえに我は…………」
ダルフェさんの前に立ち、ハクを見上げる形になった彼の髪に右手で触れた。
「は? にゅーにゅにゃーって……旦那?」
「……寿命は減っても、脳は減っておらぬならば分かるな? 何故、カイユの父親は奴を仕留められなかった? 何故、この手に【道】を通してやった我が、その【道】を辿り引きずり出さなかった? 何故、我が奴を追わなかったか……見逃してやったか分かるな?」
ダルフェさんの赤い髪に触れたハクの手には、乾いた血……艶のあるダルフェさんの髪と対照的な赤……。
「…………………まさかっ」
ハクを見上げる緑の瞳が見開かれ。
黄金のそれと視線が混じり合う。
「そうだ」
ハクは。
自分の血に染まったその手で。
まるで、小さな子供にするかのように。
「<黒の大陸>、だ」
ダルフェさんの髪を、優しく撫でた。