番外編 ~白と赤。そして、瑠璃~
久しぶりの番外編です。りこと出会うずっと前……ハクの、赤の大陸でのとある日のお話です。残酷描写がありますので、苦手な方はご注意ください。
物言えぬ。
小さき者に。
「…………連れて行け、と?」
そう、乞われた。
その者の思考を、我とてはっきりと視ることは出来なかったが。
向けられた“意思”の方向は、理解した。
「…………………そうか」
天を目指し伸びた草が風に踊り、波になり。
大気と絡まり、音を奏でる。
細く長い葉先が、陽に切り込みを入れ。
横たわる我の鼻先に、温い針となって落ちてくる。
「ならば。我は連れて行く」
それは。
この世界にはありふれた光景であり。
消え行く風景、でもあったのだ。
赤の大陸の西方にある、草原地帯。
我の腰ほどの高さまである草に覆われた大地は、季節ごとに色を変える。
今の時期ならば、黄金色のはずだった……。
「……」
我が転移した先には。
我が見る予定でいたものは、何も無かった。
有るべき物も……在るべき者も、無かった。
驚きも失望も、我にはない。
時というものは。
いつも、我を置いていくのだから。
「…………」
そこは窓の無い、陽の入らぬ部屋だった。
床に置かれたランプの灯りに浮かぶのは、ある目的を持って描かれたであろう円陣……。
「……………………魔方陣?」
前回、来た時は。
80年程前には、此処は草原で。
たくさんの“にゅーにゅにゃー”が生息しておったのだが……。
“にゅーにゅにゃー”は鳴声が“にゅーにゅにゃー”であるので、種名を知らぬ我は“にゅーにゅにゃー”と勝手に呼んでいる小動物なのだ。
我は暇だったので……まぁ、いつだって我は基本的には暇なのだ。
ゆえに、草原で群れる“にゅーにゅにゃー”でも観察しようかと思っていたのだが。
「………………」
ここにあったのは、風が遊ぶ草原ではなく人工物。
ここにいたのは、“にゅーにゅにゃー”ではなく人間の女だった。
「やったわっ……わたくしは成功したのよっ!」
女は瑠璃色の毛皮を多用した衣装を着、首には絹布を巻いていた。
頭部には地毛を覆い隠すほど瑠璃色の貴石を大量に使用した装飾品を飾り、顔の面積にあわぬ小さな目鼻を持ち、水鳥を連想させる口を真っ赤に塗っていた。
その身から滲む老いを認めず、顔を白粉で厚く覆う女……ここはこの女の所有する場であり、時代遅れの古式な魔方陣を描いたのはこの女ということか。
「お前が魔公ヴェリエリヴァズアルッ……!」
床に描かれた円陣の中央に立つ我に、女が言った。
……ヴェリエリヴァズアル?
なんだ、それは?
我に向かって言っているということは、我のことか?
ヴェリエリヴァズアル……<古の白>に近いような遠いような……いや、かなり遠いのだ。
これが世で言う“人違い”というやつか?
「魔公ヴェリエリヴァズアルよ!」
……なぜそうも自信満々に断定するのだ?
いったい、その根拠はなんなのだ?
違うのだぞ?
おい、女よ。
人違いなのだぞ?
「悪魔よ! さぁ、わたくしに従いなさいっ!!」
ん?
悪魔?
我が悪魔だと言っているようだが……。
我が悪魔……正確には違う、が。
悪魔だ魔王だと言われるのは、慣れているのだ。
本気で我をそういったものだと考え、書物にまで書き記す輩も多く居る。
つまり、正しくはこの女の間違えではなく、この女の読んだ書を記した者が間違えたわけなのだ。
ここは否定し訂正するのが“親切”というものなのだろうか?
……だが、我は“親切”ではないし、我が“親切”である必要も無いので今まで同様放置としよう。
否定しようが、訂正を求めようが。
ある人間は、我が悪魔であると断定し。
またある人間は、我が神であると讃える。
その時、その場の都合で。
人間は我に、自分達に都合の良い『役』を与えるのだから。
「人間を玩ぶ悪魔は高位なほど美しい姿形をしてることが多いのだと書物にあったけれど……本当だったわね」
人間にとっては。
我は便利な『駒』なのだ。
「でも、悪魔なのに髪も服も肌も白いなんて……穢れのない、色を持つなんてっ……」
両の手を赤く染めた女は。
「こんなに美しい姿をしているなんてっ……汚らわしい悪魔のクセにっ……わたくし、気に入らないわっ!」
吐き捨てるように言い。
「悪魔にはこれがお似合いよ!」
我の顔に、伸ばしたその手を擦り付けた。
血臭が濃くなり、我は知る。
「…………」
これは…………竜族の血液。
「“大蜥蜴”の血を、悪魔は好むんでしょう?」
“大蜥蜴”、か。
なるほど。
この女は。
胡散臭い呪術書に書かれたことを鵜呑みにし。
竜族の血で、床に魔方陣を描いたのか。
……竜帝にばれたら、首が飛ぶな。
何親等まで処罰されることになるやら……まぁ、一族を殺害された場合の報復の基本は根絶やしだが。
「あははは! いい気味! お綺麗な自慢の顔が、血だらけね!」
「女。お前は耳を病んでおるのか? それとも、お前の被害妄想が生んだ幻聴か?」
女の言葉に、我は答えた。
この女と会話する気など無かったのだが。
気が変わったのは……女の背後の扉が音も無く開いたからだ。
「な、なんです……って!?」
「我は、この顔をお前に自慢した覚えは無いのだ。確かに人間の一般的美醜感覚で我は美しく、お前は醜いが。<赤い髪>、お前はどう思う?」
「ッ!?」
女の顔が、瞬時に沸騰し。
我の視線に気づき振り返る前に。
落ちた。
「…………仕事か?」
<赤>は、すでに知っていたのだな。
「ええ。今日の“仕事”はこれで最後なんで、一緒に飯でも行きませんか? あんた、どーせ無一文でしょうから、俺がおごりますよ」
刀を、女の身に着けていた絹布で拭ったのは。
赤い髪に、緑の目玉を持つ赤の竜騎士。
「我は、金も無いが食欲も無いのだ」
「ははは、知ってますよ。言ってみただけですって! いや、久しぶりっすねぇ~……80年ぐらいぶりですかねぇ?」
「………………」
刀を握るダルフェの手は、躊躇いがちに我の袖をひいていた頃よりずっと大きく。
この個体の特徴である赤い髪は、長く伸ばされいた。
今のダルフェは、人間でいうならば18前後の年齢か……。
「あんた、こんなとこで何やってんですか? あ~あ、なんすかぁその顔? 血だらけじゃないですか……ほら、拭いてあげますって」
ダルフェは口を使って左の手から手袋を外し、それで我の顔を拭い。
同族の血で色を変えた手袋を緑の目玉でちらと見てから、無造作に放り。
「もしかして“これ”、あんたの愛人かなんかでした? だとしたら、すみませんね」
そう言いながら、黒革のブーツの先で床に転がる頭部を数度つつき……笑みながら、蹴った。
「これよりずーっと良い女、紹介しますんで勘弁してください。髪色、眼の色、胸のサイズ、尻の形、淑女タイプに淫乱タイプ。処女、人妻、熟女。ドSにドM。ご希望があればなんでも言ってください」
赤の竜騎士であるダルフェに蹴り飛ばされた頭部は、形を変えて壁に張り付いていた。
女は、壁板を飾る悪趣味なオブジェとなった。
醜悪なそれは誰にも観賞されること無く、朽ちるのだろう……赤の竜騎士であるダルフェが此処に居るということは、そういう事だ。
ダルフェは、ここでの最後の仕事が終わったと言った。
つまり、この女が竜族の血液を手に入れることに関係した者や血縁者を、“殺し尽くした”という事だ。
「……いや、女は要らぬ。ダルフェよ、ここに生息していた“にゅーにゅにゃー”を知らぬか?」
「“にゅーにゅにゃー”? ああ、あんたの目的は“にゅーにゅにゃー”だったんですか? あのねぇ、“にゅーにゅにゃー”なんて俺以外に通じませんよ? 正しくは瑠璃鼠でしょうがっ……ここの瑠璃鼠は、10年位前に絶滅しましたよ? ほら、このオカルトマニア女王の服や髪飾りにも使われてるでしょう? もう新しいのはこの国じゃ手に入らないんで、貴重品なんすよ?」
「…………これが、“にゅーにゅにゃー”?」
「生きてる時は地味で目立たない灰色ですが、死ぬと毛と目玉が綺麗な瑠璃色になるから瑠璃鼠って言われてるん……まさか、知らなかったとか!?」
「知らん」
死亡後の姿など、我は知らん。
我が見ていたのは、見たかったのは。
瑠璃色ではなく、灰色の“にゅーにゅにゃー”なのだから。
「そうだったんすか……。人間による乱獲っつーか、虐殺ですねぇ。毛だけじゃなく、この宝石みたいな目玉が拍車をかけちまったんでしょうが……もうこの土地には一匹もいないでしょうねぇ」
「………………“にゅーにゅにゃー”……」
“にゅーにゅにゃー”は。
もう居ない、ということか。
「あー、でも俺んとこにいますよ?」
!?
「あんたが以前、俺に二匹くれたでしょ?」
……そうだった。
「もらった時はつるつるの赤ん坊でしたけど、育つとふわふわころころで、仕草も可愛いくてねぇ~。俺だけじゃなく、母さんも父さんもすっげぇ気に入って、家族で大事に飼ってました。雄雌だったんで……さすが鼠の仲間、かなり増えたんすよ? うらやましい繁殖力っすよね!」
残って、いたのか。
竜族に、愛でられて。
「……そう、か」
“連れて行け”と。
我はあの時、乞われたのだ。
「ねぇ、あんた昔、言ってましたよね?」
“にゅーにゅにゃー”と、何度も鳴きながら。
二匹の赤子を我に差し出しので。
我は受け取り、了承したのだ。
「小さな体で、葉の間を泳ぐように駆けていく“にゅーにゅにゃー”を見るのが気に入りだって」
「……」
「この城、つーかこの国を焼き払えば、多分、数十年後には元の草原に戻りますよ? で、俺のとこで増やした瑠璃鼠を放せば良い。そうしたら、元通りっすよ? 良い案でしょ?」
「……いや、必要無い」
そうか。
お前たちは、あの時。
【選択】、したのだな。
「なんでです? 元通りにして、また観察すればいいじゃないですか? 観察するの、あんた好きでしょ? 花とか蟻とかそういったモン、ちょっと気になっちまうとかなり長時間っつーか、長期間見てますよね?」
お前たちは【選択】し、勝ったのだ。
なんと賢く、強かな……。
「ダルフェよ」
「はい?」
ダルフェ。
ブランジェーヌの子。
<色持ち>の、竜よ。
「勝てるか?」
「は? なんすか、いきなり……」
牙も毒も持たぬ、小さく無力な鼠は賭けに“勝った”。
ならば。
空を統べる翼と肉を裂く牙と爪を持つ竜族は……。
「お前等は勝てるのか?」
生き残ることに、必要なのは。
力だけではないのだと、“にゅーにゅにゃー”は知っていたのだろう。
「……あんたが言うのが、何に対しての“勝つ”なのかは分かりませんが」
お前等は。
竜族は。
淘汰という強大な流れに抗い、【滅び】に勝てるのか?
「勝ちますよ」
口から発せられた言葉には、力が宿ると説いた僧が過去に居た。
馬鹿馬鹿しいと、思っていたが……。
「勝ちます」
目を細めたことで、一層垂れたダルフェの目元とは対照的に。
「では、勝て」
その口元は。
「はい。俺は勝ちますよ、ヴェルヴァイド」
揺ぎ無い強い意志により。
口角は、上がっていた。
「……」
もし。
もし、言葉に力が……『言霊』が、この世に在るならば。
「お前はそれでいい、ダルフェ」
「……ヴェルヴァイド?」
我は、何を。
この口で。
食わず飲まない……何も求めぬ、欲さぬこの口で。
我は。
我は、何を願えば良いのだろうか?
「…………」
数秒考えてみたのだが。
まったく、この脳には願いも望みも浮かばないのだ。
「で、これからあんたはどうすんですか? 俺んちに寄って“にゅーにゅにゃー”を見ていきますか?」
「………………否。我は<青>の城に…………ん?」
ふと、なぜか思ったので。
「お前も青の大陸に連れて行くか?」
言ってみたのだが。
「はぁ? 俺が青の大陸なんかに、行くわけねぇでしょうが!?」
即、断られた。
「…………見たところ。お前は成竜になったのだろう? つがいは? 子は?」
ついでに、訊いてみたが。
ダルフェは不快を隠さず、語気荒く答えた。
「どっかのババァと同じこと言いやがるっ……………俺はねぇ、一生独身貴族で、お気楽に生きて死ぬって決めたんですよ! ……先に死んじまうのが分かってるってのにっ……無理でしょうがっ!!」
なるほどな……意外と阿呆なのだな。
“勝つ”と我に言っておきながら、これか。
「ダルフェよ」
我は左手を伸ばし、その額に触れた。
「なっ……な、なな、な、なんすかっ!?」
我に触れられたことに、困惑と動揺を露わにしたダルフェの額の中央を撫で。
確認し。
「最近、覚えたのだ」
「へ? なにを……ッ!?」
指で。
額を弾くと。
「ぐがっ……つ、つぅうううっ! 痛ってぇえええええええええ!!!!」
額を両手で押さえたまま、ダルフェが床に蹲った。
……ん?
ダルフェの指の間から何か流れ出ているような……。
「い、いててっ……ぐっはぁああああ~!! あ……あんた、俺をでこぴんで殺す気だったのかっ!? 普通の竜族だったら即死レベルだぜっ!?」
血だらけの顔面を我に向け言ったダルフェに。
我は言った。
「大型鬼獣は頭蓋が吹っ飛んだがお前は生きている。問題無しなのだ」
そう。
お前は、生きている。
生きて、生きて。
勝った“にゅーにゅにゃー”のように。
その先を、手に入れるが良い。