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四竜帝の大陸  作者: 林 ちい
赤の大陸編
161/212

第15話

「ハクちゃん、どう?」


 寝台に腰掛けた我の前に立ったりこの問いに。


「? どう、とは?」


 我は答えではなく、問いで返した。

 なにが“どう”なのか、我には分からなかったからだ。


「あ。ご、ごめんなさい。私の言い方が悪かったよね? えっと、この服が私に似合ってるっていうか……変じゃないか、おかしくないかなって、訊きたかったの」

「そういうことか。それは基本的には竜族の雄が着るものだが、変でもおかしくもない」


 帰還した竜体がダルフェは<赤>の所に報告があると飛び去ると。

 りこは<赤>の用意してあった衣装の中から気に入ったものを身につけた。

 多くの衣装が揃えられていたが、りこの選んだものは意外なものだった。


「そう、良かった! 赤の竜帝さんがワンピースやドレスだけじゃなく、レカサも用意してくれてたなんて、びっくりしたけどすごく嬉しい! サイズもぴったり! これってもしかして、竜族の子供用サイズなのかな?」

「……さあ、な」


 りこが選び、身に着けたのはレカサだ。

 子供用……幼竜用などではなく、<赤>はりこの体躯にあったものを用意したのだろう。

 ダルフェの目玉に牛の乳を混ぜたような色のそのレカサは、襟と裾に赤い糸で小花が刺繍がしてあった。

 これは、針仕事を好む<赤>が自ら作ったレカサかもしれないが、我はそれを口にしなかった。

 <赤>の手によるものという確証が無いことが、それを言わなかった理由ではなく。

 それを知った時のりこの顔が我には易く想像ができ……少々“嫌だ”と感じたからだ。

 だから、我はりこに言わず。

 ゆえに、我はりこに教えない。

 我の“嫌だ”の中には、<赤>を“ずるい”と感じる負の感情が濃く有り、りこを愛しいと強く思う我の脳を内部からぎしぎしと揺らした。

 我のりこの笑顔を、我ではなく他者が浮かばせるのは……許したくないが、許さなくてはならない。

 りこの笑顔が好きだから、とても好きだから。

 我は今までも、りこが好感、好意をもった者へ感じる『排除』の衝動を耐えてきた。

 我はそれに耐えなければならないと、理解している。

 耐える必要性を理解し、納得もしているが……。

 長期間離れていたことが精神に影響しているのか、以前より“駄目”だ。

 ダルフェはそれを正確に感じ取り、同じ雄として理解しているから早々に去ったのだろう。

 りこは我から見ても、ダルフェの竜体をとても気に入っていたようだったからな。


「…………りこがレカサを着るなら、我もレカサにする。衣装棚にあるものの中から、りこが気に入ったのを選んでくれ。りこが良いと思ったレカサを着たい」


 我が希望を告げると。


「ハクちゃんもレカサにするの? あ! そういえば昨日の服も格好良かったよ? 色が緋色で派手だけど、ハクちゃんは顔が有る意味強烈っていうか、インパクトがあるからあの色にも負けてないっていうか……うん、改めて思い出すとあれはあれでかなり良かったかも~……」


 言いながら、なぜかりこの頬が高揚したかのように染まっていく。


「? そうか? りこが気に入ったのならば、我はレカサではなくアレを着るが」


 竜騎士の制服と同様に蜥蜴蝶が素材となっているアレは、りこが風呂に入っている間に竜体になったさいに脱ぎ捨てたまま、抜け殻のようにそのままの状態で床にあった。

 りこは我の目線を追うようにしてそれへと歩み寄り、片手で取ろうとして……慌てて両手に変えた。


「お、重い! これ、何キロあるの!? ……よ、よいしょっと」


 両手で持ち上げようと試みたようだがすぐに諦め、りこは引きずり上げるようにしてそれを寝台へと置いた。


「重いか? そうか、りこには重いのか。それが重い理由だが、これは通常の繊維ではなく蜥蜴蝶という生物を素材に使用している。重量があるのは、幾重にも素材を重ねて加工したからだろう」


 我は寝台から立ち上がり、りこの傍らに立った。

 りこは緋色のそれに指先で触れると、我を見上げて言った。


「ん~……触った感じと見た目は革……エナメルっぽい光沢で……綺麗……」


 我は、革なら分かるがエナメルというものは分からなかった。

 なので、分かることを口にした。


「ダルフェ達竜騎士が着ているモノも素材は蜥蜴蝶だ。撥水、耐油性に優れ熱にも強く矢も通さない。簡単には切れぬほど丈夫なうえ返り血も簡単に洗い流せるという利点があるれているので、竜騎士だけでなく人間の武人も好んで着用するのだ」

「か、返り血!? ……特殊な素材ってことよね? もしかして……すごく高いんじゃない?」


 高い?

 絹より高価で貴金属並の値で取引されるらしいが、その価格が高いか安いかという判断が我には難しい。


「……安くはないと思う。多分、な」


 金銭に困ったことはないが、金銭を所有したことも我はないのだ。

 金銭を使って物品を購入したことがないので、物の相場・適正価格などは我にはよく分からないのだ。

 そう、我は自他共に認める立派な一文無しなのだ。

 む? ……りこは我の仕事が<監視者>だと思っているようだが、無収入であるそれが仕事と言えるのだろうか?

 仕事ではなく、奉仕活動と言い直すべきなのか?


「……」

「ハクちゃん? どうかした?」


 くだらないようだがくだらないとは言い切れぬ事を考えていた我の左手に、りこの手がそっと重ねられた。

 その柔らかく温かな感触にひかれるように、我はその場に身をかがめ……床に両膝をつき、りこの腰へ両腕を回した。

 腹に顔を押し付けると、りこの手が我の後頭部へと移動して撫でててくれた。

 りこに撫でられるのはとても気持ちがよく、我は大好きなのだ。

 りこはこの髪を、頭を……この身を撫でてくれながら、同時に我の中にある“心”も撫でてくれるのだ……。

 りこの手に撫でられていると、<監視者>であることが仕事でも奉仕でも、どちらでもよくなってしまった。


「ねぇ、ハクちゃん。その服の“利点”は今は必要ないよね? 見た目は格好良いけど……重いし軍服みたいで普段着としてはちょっと堅苦しいから、ハクちゃんもこれじゃなくてレカサを着よう……ね?」


 ==その“利点”は今は必要ないよね。


 その言葉には、りこなりの想いと考えがあるのかもしれない。

 我の教えた“利点”は、隠しようも無い血臭にまみれたものなのだから……。

 我はりこの言葉の深意を問わず、訊かなかった。


「……ハクちゃん、このサンダルもすごく履きやすいのよ?」


 りこは朱色に染められた革のサンダルを履いた足を、とんとんと軽やかに床へと上下に動かした。


「ハクちゃん用のも、これと一緒に用意してくれてあったよ? ふふっ、ハクちゃんがサンダル……ペディキュアしなくても爪が綺麗でいいなぁ~」


 我の爪が綺麗だと、以前もりこは言っていた。

 我のこの目には、りこの爪のほうが綺麗で美しいと感じるのだがな。


「我はりこの爪のほうが好きだ。色も形も味も好きなのだ」

「ありが……あ、味!?」


 りこの声が高くなり、我を撫でていた手が止まった。


「ハクちゃん、まさか食べっ……あははは、ま、まさかね?」

「……食いたいが、食ってはない。いつも舐めているだけだぞ?」


 びくりと跳ねたりこの身体に、いっそう顔を押し付けて我は言った。


「え、あ、その、うっ!?」


 羞恥をのためか、高くなった声音が愛らしく。

 りこのからは見えぬ我の唇の端が、その声に惹かれるように上がった。







「ハクちゃん用のレカサ、何着も用意してくれてあったよ! 私、これを選んだんけど……」


 衣装棚からりこが持ってきてくれたのは、薄い紫のレカサだった。

 上下で一対のそれは、襟と袖と裾が金糸で縁取られていた。

 我は寝台に腰掛けたままそれを受け取り脇へ置き、身に着けていた夜着の帯へ手をかけた。


「え? 珍しい、普通に着替えるの!?」


 りこが驚いたように言い、なぜか数歩後退した。

 人型の我が衣類を身に着けるのは、術式で。

 それが、りこの頭の中にあるのだろう。


「ああ。我はぱじゃま以外も自力で着れるようになりたいのだ……む?」


 ぱじゃま。

 我の唯一無二の、世間でいうところの一張羅であり勝負服である“ぱじゃま”。

 我の宝、りこからの贈りのもである“ぱじゃま”の一部を青の所に置いてきてしまったな。 

 我としたことが……後で取りに行かねば。


「りこ。我は青の城にぱじゃまの一部を、揃いの〝お帽子”を置いてきてしまったのだ」

「え?」


 りこが異界から身に着けてきたぱじゃまとスリッパなる履物も、持ってきてやらねばな。

 あれらをりこは大切に保管していたのだから。


「我はダルフェ等とは違い、大陸間移動は術式で転移するのですぐに用事は済む。その間、りこの側にカイユとダルフェ、<赤>を………………いや、駄目だ。我は行けぬ。青に指示し、急ぎで空輸させよう」

「く、空輸!?」」


 りこを同行したいが、万が一にも負荷による影響が身体に出たらと考えると、我はりこを連れては行けない。

 だが、りこと離れるのは嫌だ。

 あのようなことは、もう二度と……。


「りこの選んでくれたこのレカサに不満は無いが。我はりこと揃いの色柄のレカサも着たいので、後で<赤>に用意させ………りこ?」


 言いながら立ち上がり、夜着を肩から落とすと。

 りこの顔が一瞬で真っ赤に変化した。

 何故だ?


「うっ!? こ、ここ、こ、ここは青の竜帝さんの帝都よりずっと気温が高いからサンダルなんだよね!? ハクちゃんが昨日履いてたのは革のブーツだったよね? 足、蒸れちゃった? あ! ハクちゃんって汗かかないくらいだから、足が蒸れないのかな?そういえば。ハクちゃんって、高齢だっていうけど加齢臭しないよね。コロンとか使ってないのにいつも良い香りしてて、もしかして、あの良い香りがハクちゃんの加齢臭なのかなっ? なぁんてねぇ、あははははははっ~……って、うう~っ! もうっ! 目のやり場に困っちゃうの!」


 せわしなく言いながら、りこは我の脱いだ夜着を拾い上げ、我の腹に押し付けた。

 ……目のやり場?

 未だに裸がいかんのか?

 りこは竜体の我の身体は嬉々として撫で回すのだが、人型だと相変わらずというか……いや、今はそんなことより。


「加齢臭?」


 加齢臭という聞き逃せぬ単語が、我の耳と脳にひっかかった。


「りこよ。加齢臭とはどういうことなのだ?」


 我の腹に夜着を押し付けたままのりこに意味を問うた。


「え? 加齢臭を知らないの? 加齢臭っていうのは、おじさんになると体臭が……ん? 傷? ……ハ、ハハ、ハクちゃん! ちょっと、これって、あのっ、もしかして私がっ!?」


 我と同じ黄金の瞳が、我の肌を凝視しつつ上下左右に動いた。

 探すように、確認するかのように……。


「これ? ああ、これか」


 まだ、治っていなかったのか。

 いつもなら事後、一定時間内には全て消えているのだが。

 我の身体の治癒・再生能力に変化が…………衰えたとは思わぬが。


「りこの噛み痕だ」

「っ!!」


 我の変化ではなく、りこの『変化』か?


「ここと、ここにもあるぞ? あぁ、ここもだ」

「あっ、あのっ、ハクちゃ……」


 左右の肩、上腕部、指。

 見てはおらぬが、背には爪のあともあるはずだな。


「ご、ごご、ごめんなさいっ!!」

「なぜ謝るのだ?」


 腹に夜着を押し付けているりこの両手に。

 我は自分の手を重ねた。


「我が噛んでくれと“おねだり”したのだ。我は謝られる立場ではなく、礼を言うべき立場なのだぞ?」


 触れ合う手から伝わるのは。

 肌のぬくもり、だけではなく。

 目には見えぬが、確かにそこにある何か……これは、なんというべきなのだろうか?


「……なんか、ずるい」

「りこ?」


 先ほどの我がしたように。

 りこが我の腹部へと顔を押し付け、言った。


「ハクちゃんは、ハクは私にはつけないよね…………朝起きて、身体に残ってたことないもの」


 りこの肌に、身体に。 

 情交の跡を我が残さないのではなく。

 残せない、というべきなのだが。


「……確かにそうだな。何度交わろうと、りこの肌には我の噛み痕一つも残らぬが……りこ」

「ハクちゃん?……きゃっ!?」


 重ねていた手を握って、引き。

 華奢な身体を寝台へと押し倒すと、出会った頃より伸びた黒髪が寝具にふわりと広がった。


「ハクちゃ……」

「りこ。我のりこ」


 柔らかな緑色をしたレカサを纏ったりこの身体を見下ろし、指先を胸に置き……その下にある心臓の鼓動を確かめるようにゆっくりと動かすと。

 我の指先を歓迎するかのように、りこの鼓動は瞬時に変化した。

 生を刻む速さが増し、激しい熱を生み出し全身を熱く廻る……。


「ほら。ここにあるのだ」


 そう。

 ここ(・・)にあるのだ。


「……ハク?」

「分からぬか?」


 りこという、愛しい存在の中に。


「我の愛咬の痕は」


 肌に、皮膚に残らずとも。

 

「貴女のこころに、刻み付けてあるのだぞ?」


 確かに、ここ(・・)に。

 それ(・・)は、あるのだ。







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