第15話
『我が?』
青の竜帝が帝都から出向くほどのことがあっただろうか?
ふむ。
なるほど。
『念を無視したからか。だが、我はいろいろ忙しかったのだ』
最近は特にな。
文字の練習が佳境に入り、もうすぐ恋文の下書きに突入する!
りこを感激させるような素晴らしいものを完成させるのだ。
書物によると人間は恋文なるもので想いを伝えあうとあった。
我は恋文がどのようなものかは詳しくは知らぬが。
なんとかなるはずだ。
『<青>の用件は後できく。少し待て。すぐ終わらせ……』
『終わらせんな! ダルドに手を出すな。虐殺計画も却下だ、却下! ってか足をどけろ』
ああ、そうだった。
我は<青>を踵で落とし、床に踏みつけて……。
『我の邪魔をしたな?』
踏みつける足に力を加えた。
『ぐぎゃー! や、やめろこの馬鹿! おい、ダルフェ! なんとかしろ!』
『陛下。俺になんとかできるならこんな事態になってないです』
咳き込み続ける王子の背を摩りながらダルフェは我に言った。
『とにかく、一度もどりましょうよ。陛下の来訪に合せてハニーが姫さんを起こすはずですし』
りこが起きる。
りこ。
目覚める時は側に居なくてはならない。
りこはこの世界に‘落とされた‘せいで‘不安定‘なのだ。
特に眠りから覚めた時が……。
『帰る。りこのもとに』
−‘おはよう‘って言ってね。
目覚める瞬間、りこの黒い瞳は絶望の色を滲ませる。
孤独。
‘世界‘を奪われたりこは‘世界‘を憎んでいる。
『トリィ様! しっかりなさって! 今、医師を……』
『必要ない』
我は術式で寝室に移動し、寝台に歩み寄った。
『ヴェ、ヴェルヴァイド様』
『出て行け』
『……はっ、はい』
カイユには後で話をしなければならないか。
面倒だが今後のことを考えると必要なことなのかもしれんな。
りこは寝台の上で小刻みに振るえ眼をきつく閉じ、両手で胸をかきむしり……。
『りこ』
我は頬に指を伸ばそうとして……触れる寸前で拳を握り耐えた。
寝台に上がり、触れぬように注意して覆いかぶさる。
我の身体は檻のようにりこを外界から遮断し、我の髪はりこの小さな顔を包むように流れ落ちていく。
『りこ。だいじょうぶだ。ゆっくりでいい……ゆっくりで』
我は竜体の時と同じようにりこの涙を舐め取り、味わう。
味覚を感じることのない我なのに、甘く感じる。
甘味を知らぬ我だが‘甘い‘と認識する。
不思議な感覚だ。
『りこ。息を……ゆっくりでいい』
涙……体液からの情報に安堵した。
大事には至っていない。
軽い混乱状態だ。
‘壊れた‘わけではない。
りこの中の‘竜珠‘よ。
我の‘核‘よ。
りこの魂を慰めよ。
嘆きの淵よりりこを引き上げよ。
『りこ。眼を開けて我を見ろ』
りこの濡れた目元が揺らぐ。
『りこ。我をその眼に映せ』
涙に溶けた黒い瞳に我を。
我を捕らえ、囲い、奴隷にするがいい。
『りこ。我は全て、りこのものだ』
失った‘世界‘の変わりに。
りこには‘全て‘を。
「……ハクちゃん?」
『おはよう。りこ』
「おはよう。ハクちゃん」
りこに‘全て‘を。
「りこ。おは…よう?」
『あ、日本語! すごい!』
「おはよう。りこ」
りこが笑ってくれるなら。
<悪魔>と呼ばれたとてかまわない。
『カイユ、ありがとう。ベットに運んでくれましたね。重い、ごめんなさい』
髪を梳くカイユにりこが申し訳なさそうに言う。
『いいえ。竜族の私にとってトリィ様の体重では羽毛と大差ありませんよ。さぁ、化粧直しも終わりましたから……』
我に視線を流し頷いて……りこを椅子から立たせ、その細い肩にショールをかけてカイユは退室した。
あれは賢い女だ。
こちらの意図を察しうまく話を合わせ、りこの【思い違い】を肯定して不安を与えぬように振舞うことが出来る。
りこはカイユを見送ると我を見て言った。
『人型のハクちゃん、大きい。私、小さい。カイユとハクちゃんはちょうどの感じ。私……』
我に歩み寄り、見上げて言う。
『私、小さい。美人ちがうよ? でも、いいの?』
りこが何を言いたいのか、我には分からない。
小さい……背が低いということか。
なるほど。
この身長差ではりこの首が辛そうだ。
りこはセイフォン人よりも小柄で華奢な身体をしている。
黄の竜帝の大陸に住む少数民族が人種的には近いかもしれん。
人間より体躯の大きな竜族と並ぶとまるで子供のように見える。
我は両膝を床に着き、りこと視線を合わせた。
『こうすれば、良いか?』
これで首が辛くないか?
『え、えっと! そのっ。か……顔、顔が!ちかっ』
顔?
『やはり顔……容姿が嫌か? 黒の竜帝の大陸では顔を変える外科手術が進んでいる。だが再生能力がある竜族には無理があってな。りこが好む容姿に変えるのは難しいのだ。すまない』
『ち、ちがう! 意味、ちがう。えっと、その、触っていい? 顔』
触ってくれるのか?
りこが我に。 触る。
こういう気持ちは……嬉しいという感情だ。
りこに会ってから知った。
『触るがいい』
撫で回し、頬擦りしてくれるとさらに嬉しいのだが。
『……この顔でその口調。似合いすぎ』
何がおかしいのかりこは声をあげて笑った。
我の顔は笑えるほど変なのか?
ま、りこが笑うと我は‘嬉しい‘からな。
りこの細い指が我の頬に触れ、ゆっくりと柔らかな手の平の感触が……。
『本物だ。作り物みたいだったから、確かめてみたかった』
黒い瞳が我の眼を覗き込む。
『同じ。同じだね。竜のハクちゃんと同じ』
りこは視線を落とし、我の手を見て眼を細めた。
『手をにぎにぎするのも同じ。ハクちゃんは同じ。……変わったのは私。変わらなきゃいけないんだと思うの』
りこは我の顔から手を離し、両手を我の‘にぎにぎ‘している手に添えた。
『竜でも人でもいい』
我の手をりこの小さな手が。
『離さない』
強く握る。
りこの精一杯の力で。
『離せない』
りこは我の胸に顔をつけ、言った。
小さな声だったが、はっきりと。
『りこ』
あぁ。
我は歓喜する。
捕らえられたのは我。
鎖で繋がれ、首輪をつけられ飼われてもいい。
りこ……我は!
我は、りこが欲し……。
『あれ? ここ切れてる!』
腕を斬られたからな。服も斬れ……。
『こんな高そうな服! 借り物でしょう? ど、どうしよ! カ、カイユ〜!』
りこはさっさと我から離れ、カイユの名を叫びながら去っていった。
りこ。
服が切れて無かったら、りこと我はダルフェがいう‘いいムード‘が進行していたのではないか? さすがに我だって分かるぞ。
<青>のせいだな。
踏んだついでに、止めを刺すべきだった。
そういえば、途中で戻ってきてしまったな。
りこを知る人間を全て<処理>すれば、りこを利用しようとする者は居なくなる。
りこの憂いを減らせると思ったのだが。
目障りな王子も消えて一石二鳥の案だと……。
帝都に行くなら王子の援助もいらぬし。
だが今、思うと……少々短絡的行動だったやもしれぬ。
りこと痴話喧嘩(ダルフェ曰く)という初めての事に遭遇し、我も思考能力が鈍ったか?
やりかけ……殺りかけ状態だが。
『ダルフェがどうにかするだろう』
それに我はなかなか良い気分なのでな。
我が思うに……。
愛玩動物から格上げされたのだ、我は!
多分。
『……りこに触る訓練を再開せねば』
ラパンの実はまだ在庫があっただろうか?