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四竜帝の大陸  作者: 林 ちい
赤の大陸編
159/212

第13話

 この部屋は。

 ぽっこりとしたお腹を震わせながら、床に倒れている真珠色の竜が、ハクが。

 私を、待っていてくれたこの部屋は。

 青灰色の石を使って組み上げられ、曲線の美しい鉄器でデコレーションされた暖炉には火は燃えていなかったけれど……あたたかかった。

 大きな窓から見えるのは、伸びやかに茂る緑。

 葉の間を日差しが泳ぎ、キラキラと室内へとこぼれる。

 朱色のマーブル模様を持つ光沢のある石で出来ていてる壁にも床にも、音も無く陽が駆けて足跡を残していく。

 陽が。

 やわらかな温度と光を、この場所に与えてくれて。

 室内には優しいあたたかさが、満ちていた。

 そのあたたかさは、肌から感じる温度だけじゃなくて……。


 あ。

 そうか。


 いるから。

 貴方が、いるから。


 貴方がいる、いてくれるから。

 ここは。

 ここも。


 あたたかい。

 

 





「ご、ごめんなさいハクちゃん!」

 私ったら……やってしまったぁあああ!

 ハクが扉の前でうろうろして待っていると、赤の竜帝さんが言っていたのに!

「痛かったでしょう!? ごめんね、ごめんなさいハクちゃ……ハク?」 

 鋭い爪を持つ四本指の手も可愛らしいぽっこりとしたお腹も、小刻みに震えて……。

「りこ。……ごめんなさい、なの、だ」

 小さな手で自分の顔を覆ったまま、ハクは言った。

 竜体のハクに耳から聞こえる音としての『声』は無いから、念話として彼の言葉が私の頭の中に届く。

「? なんで貴方が謝るの? 今のは私の不注意だから……ハク?」

 床に背をつけて倒れている小さな竜の傍に膝をつき、脇に手を入れ目線が同じ高さになるよう抱き上げをると、ハクの尾がくるりと内側に巻かれた。

「……我はごめんなさい、なのだ」

 顔を両手で隠したまま、再度謝罪をする彼。

 彼が、ハクが謝っているのは……。

「なんで謝るの? ハクは私を迎えに来てくれたでしょう? 助けに来てくれたでしょう? 今回のことで、貴方が謝ることなんてなっ……ハクちゃん?」

 私の右腕に、するりと何かが巻きつく。

 見ると、ハクの尾だった。

 さっきまでくるりと内側に丸まっていた尾が、私の腕に……。

「ハク?」

 真珠色の鱗に覆われた尾が。

 滑らかな動きで、私の腕を絡めとる。

「……りこ」

 顔を隠していたハクの手が、指が。

 ゆっくりと動き、黄金の瞳が露わになり。 

 四本の指を持つ小さな手が。

 私へと、伸ばされる。

「りこ。我のりこ」 

 真珠色の鋭い爪を気にしてか。

「<赤>がなぜここで待っていたのか、りことて分かっておるだろう? あれは我が再び(・・)りこを傷つけることを危惧し、りこを貪ろうとする我を抑える『道具』として自分自身を使ったのだ」

 その手は私の頬に、触れる直前で。 

「我が他の者を壊すのを、りこは喜ばない。皆、それを知っているゆえ……」

 ぎゅっと、握られて。

「そうだ。知っているのだ、皆。四竜帝は……竜族も人間も。我のこの手が、我が」

 まん丸に、なった。

「我のこの手が。我という存在(もの)は“守るもの”ではなく“壊すもの”なのだと、本能で知っているのだ」

 いまだに貴方は、その小さな手を握りこむ……。

 鱗に覆われた四本指の手は、私のこの手の中に収まるほど小さく可愛らしいのに。

 その可愛らしい手が、私はこんなにも愛おしい。

「……この手が、“壊す手”だっていうの? そんなこと……そんなこないよ?」

 丸められた手が、私の頬に触れて。

 彼の震えが、肌から伝わってくる。

「私はハクのこの手が、大好き。小さくて、可愛くて、綺麗で……優しい手だもの」

「……」

 この震えは、貴方の気持ち……想いであり、心。 

 ハクは……とても、すごく、怖がりな人だから。

 私達はまた会えたけど。

 こうして一緒にいられるけれど。

 たとえ僅かな時間でも。

 扉一枚の隔たりが。

 また、貴方に怖い思いを……不安させてしまったの?

 あの時、この手に掴んでいた貴方の真珠色の髪を、私は離すべきじゃなかった?

「ごめんなさい、ハクちゃっ……」


「違うのだっ!!!」


 私の言葉を遮ったのは、ハク。

 彼の黄金の瞳を細く黒い瞳孔が、肥大と収縮を繰り返す。

 初めて見るそのさまに、瞳孔の動きに呼応するように、私の胸の奥もきりきりと捩じ上げられる。

「……ッ!?」

 それは痛みとなって、身の内を這い上がり。

 咽喉の粘膜に爪を立て、眼球の裏を焼く。

「我はっ! りこ、我はっ……我はこの世で最も“力”があり“強い”存在なのだぞ!? 我が望んだのではなくこの世界(・・・・)が我にそう望み、願ったのだ!!」

 その熱は、この痛みは。

 きっと。

 ハクの、ものだ。  

「だがっ! なのにっ! なぜ!? 我はりこを奪われっ…… 我は“強い”のに! なぜっ、なぜっ、なぜなのだ!?」

 だって。

 だって。

 涙は、その瞳に無くても。

 貴方は。

 泣いてる。

「あの女などより我はずっと“強い”のに……その我がりこを奪われるなど、おかしいではないかっ! 何が我には“足りなかった”のだ!?  まだ“強さ”が、“力”が足りぬからなのかっ!?」

 ねぇ、ハク。

 自分では、気づいてないの?

 貴方は今、泣いてるんだよ?

「ならばっ……『神』になればもっと“強く”なれるのか!? それとも人間共の望むように魔の王になれば、貴女を何者にも奪われぬのか!?」

 心が、大泣きしている。

 ハクは。

 怖がりで。

 寂しがりやで。

 泣き虫、だから。

「否、否! そうでは無いのだ、違うのだっ!! 神も魔の王も違うっ……りこ、りこ! 我がなりたいのは! 我はっ…………りこ?」

「……ハク」

 私は貴方を、抱きしめるの。

 この腕で、この身体で。

「大丈夫。私はここにいる。大丈夫……もう、独りじゃない。私達は、また一緒に……ずっと、一緒よ?」

「……ずっと……りこ、ずっと一緒か? ずっと一緒……我と……我とりこは、一緒……」

 貴方を、ハクを。

 愛しい抱きしめ、愛しい人に抱きしめられる喜びを、幸せを。

 私に教えてくれたのは、ハク、貴方だから……。

「うん。ずっと、一緒……」

「……我とりこは、一緒……そうだ、そうだな。そう(・・)でなければ、駄目なのだ……」

 魂だけになっても。

 貴方の側にいたい。

「一緒……ずっと……どうすれば……生を……足す? 増やす? ……つな、げる? つなぐ………」

「? ハク? 何言って……?」

「……いや、なんでもない」

 なんでもない?

 んー、そうは見えない態度だけど、まぁ、やっと落ち着いてきたんだから、追求しなくてもいいかな……。

「りこ。……前にりこに我が“抱っこ”をしてもらってから、何日あいたか分かっているか?」

 私の腕の中で、ハクの身体から徐々に震えと強張りが和らいでいくのを感じた……あぁ、良かった。

「え? わからない……あのね、私、捕まってから寝っぱなしだったみたいで日にちが……よくわかってないの。何日も眠ってたみたい。それって異常で変だけど、身体はなんともないみたい」

 私はこうしてまた、貴方を抱きしめられる。

 貴方が私を、抱いてくれるように……。

 抱きしめあうと互いの想いが、触れ合う場所から染み込み混ざっていくみたい。

「ずっと、眠っていたのか? ……あぁ、なるほど、な……そうか。だからか…………りこ」

 肥大と収縮を繰り返していた黒い瞳孔が。

 徐々にその変化を緩やかなものに変え、落ち着き。

「我はハク、なのだ」

 見慣れた状態へと、戻る。 

「ハクちゃ……ん」

 私の頬の上で強く握られていた小さな手が。

 にぎにぎと、動き。

「りこの、ハク、なのだ……」

 頬を撫でる。

「うん……うん、そう。貴方は、私のハク」

「りこがいてくれねば、我は“ハク”ではなくなる……我は、りこのハクでありたい」

 労わる様に、ハクは私の頬を何度も撫でてくれた。

 頬に添えられたにぎにぎ状態の手から伝わるのは、私を大切に想ってくれる貴方の優しさ。

「……ハクちゃん、ハク」

 顔をずらして、頬を撫でてくれていた手に口を寄せ。

 ぱくっと、噛んだ。

「りこ? 空腹ならば、<赤>の用意したものがあるぞ? パンに野菜や加工肉を挟んだものと飲み物があったぞ? む? 鯰料理のほうが良かったか? 赤の大陸の鯰は一部地域では<河の鮫>と呼ばれるほど獰猛だが、青の大陸産より脂が乗って美味いらしいぞ?」

 え?

 赤の大陸産の鯰って、青の大陸産と味が違っ……そ、そうじゃなくてっ!

 この状況で、お腹空いたことをアピールして噛んだと貴方は思っちゃうわけ!?

「……」

 さらに力を加えて、がじがじ齧ってみたけれど……。 

「りこの顎力では我を食い千切れぬぞ? 見た目は食用蜥蜴に似ているかもしれぬが。どうしても我の手が食したいならば、我が斬り落としてダルフェが帰ってきたら調理させるが……急ぎなら、ダルフェの父親にでも調理させるか?」

「え!?」

 さらに歯をたてた私にハクちゃんがそう言ったので、あわてて離した。

 斬り落としてダルフェさんに調理……この人なら本当にやりかねないも!

 ちゃんと食事をしてなかった私だけど、なぜか空腹感はほとんど感じていないの。

 今の私が満たしたいのは空腹感ではなくて、そうじゃなくてっ……。

「あのね、ハクちゃん。……もうっ、私としては、精一杯の“これって色っぽいかな?”なお誘い方法だったんだけど……はぁ~、やっぱり私じゃ色っぽくなんて……」

「りこ?」

「お腹じゃないの。私の“ここ”が、空いてるの」

 きょとんとした目で私を見ているハクを、ぎゅぎゅっと胸に押し付けた。

「はて? この位置にある臓器は心臓であって、胃ではないぞ?」

 胃……胸はスルーで臓器ときましたか!?

 りこの乳が好きだとか平気で言っちゃうクセに、その乳はスルーですかぁあああ!

 う……まあ、私が言いたかったのは胸とか乳じゃなくてですね!

「え~っと、あのっ、今から……さっきの続きをしませんか?」

 あ~、もうっ恥ずかしいっ!

 うう、直球過ぎたかな?

「さっき? さっき………ん?」

 あぁ、顔が、全身が羞恥で火照る!

 心臓が、ばくばくいっちゃう!

「心拍数、体温が急に上がったな?」

 私の胸から顔をあげてそう言ったハクちゃんは、黄金の目を細めた。

「…………なるほど。先程中断した交尾の“続き”か? りこは言葉より身体のほうが雄弁だな」

 私の右腕に巻かれていたハクの尾が、機嫌良さ気にすりすりと肌を摺る。

 この動き……ハクのほうこそ、言葉より身体が雄弁なんじゃないの?

「あのね、“ここ”っていうのは……身体もだけど、心がハクを欲しがってるってことを言いたかっの! こういう時は察して、ベッドに連れていってくれてもっ……!」

 なんかもう、いろいろ恥ずかしくて。

 思わず、ハクを。

「えいっ!」

「りっ!?」

 思わず、つい、ハクの身体を後方に投げてしまった。

「あ! ごめっ」

「りこっ!? 急になにすっ……りこ?」

 翼を広げ、空中でとまったらしく、床に落ちる音がしなかったことにほっとしたら。

「うぅ……だって、ハクが、私、ハクと……」 

 ハクとつがいになってからっけっこう経つのに、相変わらず大人の女の余裕も色っぽさもない自分が情けなくて。

 後方に投げてしまったハクに申し訳なく、顔を向けることができなくて、がばっと床に突っ伏した。

 あぁ、涙が出てきちゃっ…………ん?

 背中に、重み?

 視線の先にある床に広がる真珠色の……。

「……ハク」

 長い腕が私に回され、囲うように……。

 左の頬に、後ろからゆっくりと重ねられたのはハクの頬。

 その肌には鱗は無く。

 陶器のような、滑らかさ。

 ひんやりとした体温なのに、触れ合うそこからは伝わってくるのは……心をじわりと溶かす熱。

 耳には、淡く揺らぐ吐息。

 ハクの唇が、耳朶を下から上へとなぞる。

「りこ、りこよ」

 後ろから、膝をついて私を抱き込むハクからは、彼の匂いが香り。

 私は鼻からそれを意識して吸い込み、体内に送り込む。

 香水とかは一切つけていないのに、ハクはいつだって良い香りがする。

「りこにも、我が足りないのか?」

 何度も深く息を吸った私に気づき、ハクが言う。

 あ。

 ばれてる。

 ハクの匂いをついつい嗅ぎまくってたのが、ばれてしまった!

 うう、恥ずかしい……。

 変態な妻で、ごめんなさい!

「……りこ」

 ますます顔が上げられなくなってしまった私に、ハクが……。

「我も、りこが足りないのだ」

 そう言って。

 耳朶から唇を離し、身を屈めて私の顔を覗き込む。

「真っ赤だな。熟れたアダの実のようだ」

 アダの実、みたいに真っ赤……あ。

「……前にも、ハクはそう言ったよ?」

 あれは、青の竜帝さんのお城にお引越ししたばかりの時だった。

 私の頭突きで、ハクが鼻血を……うっ!?

 ハクのこの顔に鼻血っ……あらためて思い出すとっ……。

「く、くっ……う、ふふっ。アダの実、甘酸っぱくて大好き……また、食べたいな。……あ、ハクの鼻血を思い出して笑っちゃって、ごめんなさい!」

 笑ってしまったことを謝りながら、ハクを見ると。

「あ……」

 そこにあったのは。

 温かさ。

 私だけに、与えられる温かな……冬の太陽みたいな、柔らかくて優しい温度を持った微笑み。

「今はアダの実ではなく。我を食べてくれるのだろう?」

 私の身体に回された腕に、力が加わり。

 夜着の襟を、長い指がなぞる。

「りこ。この温かな身体で」

 合わせ目から這入ってきた真珠色の爪に飾られた指先が、私の肌を弾き。

「りこ。この柔らかな唇で」

 赤い舌が、私の口角を舐るように這う。

「さあ。存分に、我を喰らってくれ」

「ハッ……ハクッ」

 食らってくれと言いながら。

 貴方の唇が、手が、指が私を食べていく。

「貴女限定で。我は食べ放題、なのだから」

「た、食べ放っ!? なに、言って……」

「りこ」

 突っ伏していた床から剥がされるように、抱き上げられた胸で聞いたハクの言葉に。 


「今の我等にとっては。あの寝台が食卓、だな?」


 答えるかのように、全身の血がざわざわ騒いで一気に沸騰した。

 私の中に抑えきれぬ想いが溢れ、ぶわっと噴出した涙とともに熱い舌が舐めとったのは私の理性。


「りこ。我を生かす(・・・)この世で」


 残ったのは、剥き出しの。


「貴女だけが、愛おしい」


 貴方を愛する、私の本能。


 



 


 

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