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四竜帝の大陸  作者: 林 ちい
赤の大陸編
158/212

第12話

 ハクをその場に残し。

 竜帝さんは私を抱いたまま浴室へと連れて行き、タイルの床に立たせ……。

「……かわいくないわね、この服。こんなもの、もういらないわよね?」

「え?」

 右手の爪を一瞬でナイフのように伸ばして、私から服を取り去った。 

「ッ!?」

 それはそれは素早く、手際よく切り取って……。

 驚きで口が開いてしまった私を軽々と持ち上げ、花の香りがする淡いピンクの泡で満たされた白い陶器のバスタブへと下ろす。

 身を包む軟らかな泡の華やかだけど甘すぎない香りに、驚きで固まっていた顔が緩む。

 そんな私を見て、赤の竜帝さんが満足そうに頷いた。

「ふふっ、良い香りでしょう? この入浴剤、城にある工房で作った新作なの。人間より竜族は嗅覚が優れているから、赤の竜族では調香を生業にする者も多くいるの。香水や練香だけじゃなく入浴剤や食品用香料も生産していて、この数年で生産量が安定してきたから他大陸への輸出も本格的に始めたのよ」

 そう言うと、彼女は布切れ状態に変わってしまった衣類だったものを床から拾い集めて、壁際にある長方形の藤籠にぽいっと投げ込んだ。

 その服……シャデル君がくれた……シャデル君、ごめんなさいっ!

 私は頭の中で彼に謝ってから、周囲を改めて見た。

 広さは20畳弱位?

 ミントグリーンの唐草模様のタイルが敷き詰められたここが浴室……ここあるのは竜体のハクちゃんが泳げるような浴槽ではなく、猫足のついた白い陶器のバスタブだった。

 シャワー、洗面設備……あ、トイレもあるみたい。

 壁際にはチェストと、入浴剤や化粧品らしきものがずらーっと置かれた飾り棚と、漆塗りの衣装箱……重厚で存在感のあるそれは、艶のある黒い色をしていた。

 出窓に置かれた鉢には松によく似た葉を持つオレンジ色の花が咲き、風に揺れている。

 あ……窓が全開でも、寒くない。 

 気温の低い青の竜帝さんの帝都と違って、ここは温暖な気候みたい……そ、そろそろ赤の竜帝さんに、話しかけてもいいかな? 

 これからしばらくお世話になるんだから、ご挨拶を……それに、ダルフェさんやカイユさんの事も……それにそれに、私を転移した第二皇女様の事も気になるっ……ああ、でも皇女様の事は、ハクに訊くべき?

「……ぁ、あのっ」

 浴室に来てから笑みを絶やさぬ彼女だけれど、なんというか有無を言わせぬ迫力があり、声をかけ難かったから……よし、とりあえずご挨拶だけでもっ!

 竜族用のサイズのバスタブは大きいうえに深いので、私は中央に膝立ちして淵に両手をかけ、赤い瞳を見上げた。

「あ、あのっ! 赤の竜帝さ……ッ!?」

 聞きたいことがいっぱいあったので、意を決して口を開いた私だったけれど。

 彼女の指先が、唇に触れてそれを止めた。

「駄目」

 “しーっ”っと、艶やかな唇から吐息が……私、喋っちゃ駄目なの?

「トリィさん、私だって貴女とたくさんお話したいわ。伝えたいこと、教えてあげたいこと、お話したいことも、聞きたいこともたくさんあるの」

 その指先は唇から頬へと流れ。

 耳を越え、髪を梳く。

「でもね、それはまた後でね? やっと貴女を取り返したのに私とばかり貴女がたくさんお喋りしたら、聴覚を上げて会話を聞きながら、檻の中の熊みたいに扉の向こうでうろうろしているヴェルヴァイドのこの辺の血管が悋気でぶっちんって切れちゃうもの」

 ふふふ、愉しげに笑う彼女の言葉に。

 私の脳内で、もこもこの熊さん風な耳を頭部に装着したハクが浮かんだ。

 熊のもこもこ耳……白熊のもこもこ……あ、人型で想像しちゃったけど……うん、これはこれで可愛くて似合うかもしれない。

「私が隅々まで綺麗に洗ってあげたいけれど、ヴェルヴァイドにばれたら大変だから自分で、ね?」

 そう言うと、竜帝さんは私から離れて黒い衣装箱へと歩み寄る。

 滑りやすそうなタイルの床をピンヒールで優雅にあるく姿に、思わず見惚れてしまう。

「着替えは、とりあえずこれを……」

 黒い衣装箱を開け、赤の竜帝さんが何かを取り出す。

「これはね、<黒>が貴女に渡して欲しいってわざわざ送ってきたのよ? 貴女がヴェルヴァイドに<黒>が生きてるうちに<黒の大陸>へ移動すべきだって進言してくれたことに、<黒>なりに感謝しているようだわ」

 えぇ!?

 黒の竜帝さんが私に!?

 感謝なんて、そんな……きっと、とっても優しいお祖父ちゃん竜なのね……。

 考えが顔に出ていたのか、赤の竜帝さんが苦笑した。

「ふふっ……残念ながら、<黒>は好々爺の対極にいるタイプよ? 確かに彼は頭が良く、竜騎士の躾も扱いも巧い。施政においても見習う点が多い。現四竜帝中で最も優秀な竜帝だと私も認めるけれど、性格は曲がりに曲がって歪んだ陰険爺竜なのよ」

 陰険爺竜?

 何気にひどいこと言ってませんか!?

「私、トリィさんには大人びたものより可愛らしい感じのものを揃えてたのに。<黒>ったら、これを送ってきたの。最高の品だって言ってたけれど、可愛いくないのよね。まぁ、ヴェルヴァイドとお揃いってことだから、ピンクでフリルでリボンなんて無理よでしょうけれど……正直、私としては小さな女の子には可愛らしいモノを合わせたいのよね」

 ち、小さな女の子?

 私がですか!?

 確かに竜族の皆さんと比べるとミニな背ですがっ、26なんですけど……。

「あのっ、私はもう26で……それに、それにっ……」

 ピンクでフリルでリボンなんて、ちょっと可愛過ぎて抵抗あります!

 と、言うわけにはいかず、口ごもると。

「ふふふっ、トリィさんはまだ26才なのでしょう? 竜族ならまだまだ“生まれたて”みたいなものだわ」

 赤の竜帝さんはそう言うと、黒の竜帝さんからの贈り物だというそれを私によく見えるように掲げた。

 それは着物のような……え? 

 これって長襦袢?

 艶のある黒い生地、長めの袖、裾まできちっと衿がつけられて……。

「夜着なんですって、これ。女の子への贈り物ならば、牡丹や蝶のほうが華やかで可愛らしいのに……まぁ、見事な品だとうことは確かね」

 掲げたそれを、彼女がひらりと返すと。

 そこにだけ、異質な『世界』が浮かび上がる。

「生地は正絹、柄は<黒>が言うには天象模様といって、月、星、陽、雲、雨、雪……霞に霰……いろいろな自然現象を表現しているんですって。芸術作品のように美しいけれど……これは“強すぎ”て、纏う者を“包む”のではなく“喰らう”品ね。曲者の<黒>らしい贈り物だわ……まったく、捻くれた爺よね。トリィさん、<黒>の顔を立てて一回着てくれれば十分よ?」

 自然現象を表しているというそれは、右肩と後ろ身頃中心に大胆に配置され、銀色・金色・錆色に紫紺……多様ながら、見事なまでに調和して……。

 黒から湧き出し溢れる『世界』が生地の上を流れる様に、視線を奪われる。

「……ッ」

 温かな泡風呂に入っているのに、ぞわりと鳥肌がたつほど強烈な美しさ……。

 


「……いか~っ!」



 突然、私の思考に第三者の声が割り込んだ。

 え?


 だ、誰?

 どこにいるの!?

 “いか”って言いましたよね?

 “いか”って、烏賊?

 今、烏賊って……男の人の声が……どこにいるの?

 窓から……窓の下?

 窓の下で、誰かが烏賊がどうのって叫んでるの!?

 

「……いぃい~いぃいい~かぁ~っ! へ~い~かぁああ~!!」


 あ。

 烏賊じゃないです。

 へいか、陛下、だ。

「……あら。この声は……やだ、あの人だわっ」

 竜帝さんはアイアンのポールハンガーに黒の竜帝さんからの贈り物をかけてから、開け放たれた窓へと歩み寄り、階下へと顔を向けた。

「ちょっと、エルゲリスト! そんなに大声を出さなくても、私は貴方より聴覚がずっと良いのだから3階だって充分に聞こえるわよ? まったく、いくつになってもお馬鹿さんねぇ」

 呆れたような言葉とは裏腹に、その声は優しく……甘い。

「なにをそんなに慌てて……クルシェーミカとマーレジャルが血だらけで歩いてた? 腕が無かった? あぁ、それは……竜騎士なんだから、あの子達は大丈夫……庭に指が落ちてた? そんなの、拾わないの! 放っておけば、カラスが片付けてくれるのだから。困った人ね……わかったわ、わかったからそんなに泣かないの。すぐ行くから。大丈夫よ、大丈夫だから……」

 ふう、と。

 溜め息をひとつしてから。

 赤の竜帝さんこちらへと振り返り、苦笑しつつ言う。

「ごめんなさい、トリィさん。私はこれで失礼するわ。タオル類はそのチェストに、下着も入ってるから……。隣の衣装室にある物は自由に使ってね? 飲み物や軽食は、居間に用意してあるわ」

「はい、あ、あのっ……ありがとうございまし……っ!?」

 ぎょっとした理由は。

 赤の竜帝さんが、窓から身を乗り出したから。 

 まさか……。

「今度、私の夫エルゲリストにも会ってあげてね。ふふっ……私の愛しいひとは、泣き顔がとっても可愛らしいの。じゃあ、また後で。ヴェルヴァイドのこと、御願いね?」

「え。……っ!?」

 頭から、下へ。

 真紅のドレスを纏う肢体が、垂直に吸い込まれる。

 ここ……3階だって、さっき言っていたよね?

 赤の竜帝さんは……あのダルフェさんのお母様なんだから身体能力もすごくて、3階からでも問題無しなんだろうな……ハクちゃんが折ってしまった指もすぐに治っていたし。

「…………ハク」

 先程のハクの姿が、表情が。

 私の心臓を、内側から叩く。

「早く洗って、私もハクのところに帰ろう……」

 会いたい。

 ハクに触れたい。

 触れて欲しい。

 ハクを抱きしめたい。

 抱かれたい。

 強く、強く、そう感じたのは。

 旦那様のことを口にした時の彼女の顔が、あまりに輝いていたからかもしれない。

 一分一秒でも早く済ませて、浴室の向こうにいるハクの顔が見たかった。

 手早く身体と髪を洗い、泡を流し身体を拭いて。

 黒の竜帝さんからの贈り物を着て、素足のまま扉へと駆け寄り真鍮のドアノブへと手をかけ。

 一気に、扉を押し開いた。

「ハクちゃん! お待たっ……」

 

 ゴンッ!!


 えっ!?

 ゴンって、なに!?

 ま、まさかっ……。

 あわてて扉の向こうに回り込み確認すると。

 両手で顔を覆った白いおちび竜が、仰向けに倒れていた。

「ハクちゃんっ!? ぶつけちゃったの!? やだっ、ごめんなさっ……」

 ハクの黄金の瞳を私の視線から隠している小さな手は、ぎゅっと握られ丸くなり。

「…………ハク?」

 小刻みに、震えていた。



 



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