第9話
本文中に残酷な場面がありますので、苦手な方はご注意ください。
「さて、と……ここでいっか」
手近な天幕に入り、意識の無い少年を術式で眠り込む人間達の間に寝かせた。
ふ~ん……この天幕には10代後半の若い男が三人……朝食の準備をしに外へ出ようとしたところだっ たのか、足元に転がっている大小の椀からこぼれた数種の香辛料の香りが鼻の奥をじわりと掻く。
天幕の数、整然と並べられた荷、躾けられた馬や駱駝……中規模の商隊……“まぁまぁまともな商 隊”だと分かった。
赤の大陸の西域は荒涼とした酷暑の地だ。
雨量に恵まれず、作物の栽培には適さない土地が多い。
それでも一部の地域では地下水を汲み上げ綿花を大規模に作っていたり、高値で取引される鉱石で潤っている街もある。
主に交易で発展し……竜族も貿易を軸に稼いでいるが、俺達と違って賊と紙一重の商売方法をしている奴等もここは多い。
隊商が別の隊商の荷を奪うことも日常茶飯事だし、扱う『商品』だって穀類から貴金属、そして貧しさから親に売られた幼い子供や娘……中央地域に住む富裕層相手に商売している奴隷商人が、買い付けにきて大金を落としていく。
その金が使われ貧しい地域を潤し、人を生かす。
親が子を食わしていくための、金になる。
「ったく、人間って生き物は俺等竜族より矛盾に寛容っつーか……ん? そういやぁ、前に竜族の子を浚って売り飛ばそうとしやがった馬鹿がいたから、一族郎党村ごと潰してやったことあったな~」
目の前で、恐怖に震える妻と子の首を撥ね。
泣き叫ぶ男に、老いた両親の手足を斬り落として顔面に投げてつけてやったっけ……。
俺のしたことは、残酷で残忍な悪鬼の所業と言われるんだろうけどねぇ。
半端なことしてたら、俺達竜族は狩られる立場に容易に落ちる。
正しいことだとは言わないが、必要なことだと俺は思っている。
俺達竜族が人間の『家畜』にならないためには、人間には御しきれぬ種なのだと頭に叩き込んでやらなきゃならない。
竜族は長命で温和。
でも、“怖い”のだと……。
「それが俺等竜騎士の役目というか、存在意義でもあるしねぇ……」
竜騎士として生まれた俺には、元々罪悪感も嫌悪感も欠落している。
旦那と姫さんを先に帰らせて、腕をもがれて転がってるあの男と術士だけじゃなくこの少年も、眠りこけてる奴等もまとめて殺っちゃうのは簡単だ。
そうしたって、旦那は気にしないだろう。
姫さんの知らないところで誰が殺されようと、何人……何千何万死のうと、旦那は興味が無いだろう。
でも、俺とカイユには今回は皆殺しにする気は無い。
まぁ、最初はあったんだけどねぇ。
姫さんを抱えて離さない、離せない状態(蜜月期の雄が久々につがいに触れられたんだから当然っつーか)の旦那をさっさと追っ払って、姫さんに知られないようにーー竜族に手ぇ出しやがったら、こうなっちゃうって、前にも言ったでしょう?ーーって、西域どころか大陸全土に改めて思い知らせなきゃならないって思ってたんだけど。
「……この子供の頭の中を視たうえで、旦那がああ言うとはねぇ~」
ーーありがとうございましたなのだ。
「あの<ヴェルヴァイド>がっ」
思い出すと……姫さんの前ではなんとか抑えていられたが、限界だった。
「……ぐ、ッ、、、ッ!」
高揚感と恐怖が、皮膚と肉の狭間を駆け抜ける。
魔王と罵られ、神と崇められ、監視者と畏れられたあの人が……姫さん、あんたはあのヴェルヴァイドを変えてしまった。
またもそれを思い知らされ、無意識に強く噛み締めた歯がぎしりと音をたてる。
「……ッ……今回は運が良かっただけだ。再生能力の移行だけじゃ、駄目なんだよっ」
もう、後戻りはできないんだ。
俺も、四竜帝も、竜も、人も。
もう、失えない。
でも、まだ。
確実な策は見つからず、先へ進むために必要な道は作れていない。
この世界は。
『鳥居りこ』を、失えないのに。
「足りないんだよっ……必要なのは、あの人と同じだけのっ……竜珠で延命できるならっ……俺の竜珠で試して駄目だったら……ったく、どうしたらいいんだよ」
『鳥居りこ』は生きていた。
生きていたから、生きている間は。
<ヴェルヴァイド>は世界を維持することを放棄しない。
あの子は26だ。
残された時間は、長くは無いが短くも無い。
「……城に帰ったら、寝込んでる黒の爺さんも叩き起こして四竜帝全員で会議だな。現状報告と今後の……黄の大陸への移動の手順と日程と……魔薬の密輸の件も……あと、舅殿が言ってた導師の……あぁ、そうだ。青の陛下に、クロムウェルに竜珠移行の術式を研究させる許可を申請して……陛下、またきっとごねるよなぁ? はぁ、気が重いねぇ~」
問題も課題も山済みだ。
でも、まぁ。
姫さんは無事だった。
旦那の元に生きたまま帰ってきた。
満点以上の、結果だ。
「あ。そういや、舅殿のほうは……首尾はどうだったんだろうな? んー、まだ支店か? でもたぶん、青の陛下の補佐官兼ねて、今後は顔を頻繁に出すよなぁ~」
団長のカイユが去ったので、自動的に青の竜騎士団の頭は前団長の舅殿が就く。
セレスティスなら、甘ちゃんな青の陛下をうまく支えてくれるに決まっているが……。
「カイユの髪のことで、舅殿には相当いびられるだろうな……こわっ!」
俺の脳内で、銀髪の王子様が俺の予想を肯定するかのようににっこりと微笑んだ。
「あれ?」
居ない?
「なぁ、カイユ。旦那、ちゃんと城に転移したと思う?」
天幕から戻ると。
旦那がいなかった。
姫さんを連れて転移したんだろうけれど。
ちょっと、不安だった。
「思うわ」
即答ですか。
「旦那、何日も離れてたからなぁ。姫さんを独り占めしたくて、俺等からも……竜族からも人間からも、旦那が本気で姫さんを隠しちまったら……」
俺は雄の竜族として、旦那がそれを選択する可能性が高いと考えていたんだが。
「考え過ぎよ。そんなことに、あの方にできやしないわ」
「そうかな~……」
昇った太陽が容赦無く、強い日差しと熱を天から叩き落としていた。
カイユに借りた刀の鞘にも、それは射るように降り注ぐ。
俺の肌もその暑さに炙られて、血管の中を走る血液が熱を持つ。
「ダルフェ」
「んんー?」
そんな中で、銀と青を纏うカイユの存在は。
砂漠で惑う人間が望む、泉のように涼やかで……心身の渇きを潤す。
「大丈夫よ。ヴェルヴァイド様はトリィ様の笑顔がお好きなのだから」
乾いた空気を運ぶ熱風も、その銀の髪に触れると涼やかなものと変えられていくかのようだった。
「ダルフェ。あなただって、あの方と同じでしょう?」
「カイユ……アリーリア」
どこまでも澄んだ、水色の瞳に映るのは。
眉を下げた情けない俺の顔。
「うん、俺も君が笑ってくれるならなんだってする…………ってか、ちょっとハニー! これなに!? 俺を待ってってくれなかったのかよ!?」
清らかな美貌に浮かぶ笑みと、その足元に転がる『汚物』との落差はある種の芸術性があるような無いような……。
姫さんの目を避けるために俺の服をかけておいた男は、厚みが失せていた。
服の上から、カイユは徹底的に踏み潰したのだろう。
悲鳴は聞こえてこなかったから、まずは咽喉をやって……うん、まぁ、姫さんに見られてなきゃどんな殺し方しようが問題無しだ!
「服、汚れたからいらないわよね? “あれ”はダルフェに残しておいたわ」
カイユはそこからふわりと跳び、俺の右隣に立って言う。
「転移で逃げるかと思って一応警戒していたんだけど、どうやら短距離転移すらできないみたい。あんな低級な術士を赤の陛下が雇っていたなんて、赤の大陸は術士がずいぶんと不足しているのね?」
それは、なんの含みも無いカイユの素直な感想だったんだが。
奴には嫌味と聞こえたらしく、血の気の引いた顔が瞬時に赤く染まっていく。
「こっ……こ、この狂犬共めっ………ダルフェッ、貴様のせいで俺はっ…………ぁ!?」
「よ! 久しぶり。生きてたうえに無事に再就職できてたんだな、おめっとさん! 当たり前だけど、老けたねぇ~。あんまり変わってて、最初は分からなかったぜ?」
俺の言葉に、奴は答えない。
文句のひとつも言いたいだろうに、その口をもう動かすことは不可能だから。
……っつーか、聞こえてなかったか?
刀をはらい、朱色の鞘に刃を戻した俺に。
「ダルフェ、“確認”は?」
右手を差し出したカイユが言った。
「あぁ、確認……ね」
刀を返し、胴から分離した頭部を左手で掴み上げ。
「せ~の~……とうっ! お? 新記録じゃね~の!?」
俺は、遠投してみた。
うん、これでいいんじゃないか?
死んでること間違い無しなうえ、蘇生不可能!
ってか、人間が頭落とされたら確実に死んでるしな。
「あら。私も久しぶりにやってみようかしら? 幼竜の頃、父さまの『仕事』についていって、すぐ片付いてしまって時間があまったから、飛距離を競って遊んだの……懐かしい。あっちのは踏み潰しちゃったから、別のをあそこの天幕から調達してくるわ。……ふふ。あの子供、投げやすそうなサイズだったわよね?」
すらりと抜いた刀の切っ先で俺がさっきシャデル少年を置いてきた天幕を指し、カイユは言った。
「はい!?」
愛娘となんつー遊びしてんだ舅殿はっ!?
ってか、俺も赤の竜騎士時代は飯代かけて、仲間とよくやってたけどな!!
「ちょ、待て、カイユ! ……父さんが張り切って仕込みしてるだろうから、夕飯に間に合うように帰らなきゃなんだ。遊んでる暇ないっつーの!! それに術式がきれて寝てた奴等も目覚めはじめてる。見つかるとめんどーだから帰ろう!」
俺に背を向けてすたすたと目的のモノに向かって歩き出したカイユの胴を。
「きゃっ!? ちょっと、待ちなさっ……」
竜体に変化した俺は4本指で手早く掴み、空へと飛び上がった。
爪で傷つけないよう両手で包みむように持ち直し、気流にのろうと上昇した俺に。
「ダルフェ……ダルフェ、戻って!……あの方が“ありがとうございました”なんて言って驚かせてくれたから、千切った腕に巻かれていたヴェルヴァイド様のかけら、置いて来てしまったの! 捨てろと仰ったけれど、放置なんてできないわっ! 回収して赤の陛下に“処理”をお願いしましょう!」
手の中のカイユが、風音に負けないように大声で言い。
俺はうなずき、引き返すべく翼の向きを変えた。
目覚め、天幕から出てきた人間達が舞い降りた俺の姿に驚愕と恐怖のためか声を失い、立ちつくす。
動きを止めた人間達を一瞥することもなく、カイユは目的のモノへと駆けた。
「…………ダルフェ」
地上を離れてたのは。
短時間……2、3分程度だった。
でも。
「……なぜ?」
カイユによってもがれた腕は。
旦那のかけらを巻いた、あの腕が。
「なぜ、無いのっ!?」
無価値の塵同然に、地面に転がってたはずのそれが。
消えていた。