第7話
「ひっ!? きゃああああああああああああ!!」
“それ”は。
今まで私が見たことがない、“知らない”モノだった。
「あ、ぁあああ、あっ……」
人間の腕が、生きている人の腕がっ……!!
「? どうしたのだ? りこ?」
ハクの声には、疑問。
なぜ私が声をあげたのか、ハクは分からないみたいだった。
「なぜそのような声をあげ、震えるのだ?」
腕を失い、血だらけで痛みにのたうつアリシャリ……彼の血走った目が、視線が、私に刺さる。
そこにあるのは恐怖と、憎悪。
「あぁああ、あああっ……ひっ……」
「りこ……りこ、りこ?」
見たくない。
見たくないのに。
動かない、顔も目も。
まるで目に見えない手に頭を掴まれているようだった。
見えない手は、耳には聞こえぬ言葉を脳に押し込んでくる。
ミロ
ソラス、ナ
ニゲル、ナ
ミロ
オマエノ セイ、ダ オマエノ セイ、ダ
血モ 死モ
オマエガ 傷ツケサセ
オマエガ 殺サセル
オマエノ セイ、ダ
その声は。
私の体を縛り、心を締め上げる。
カイユさんの青い騎士服の上を、生地に弾かれ筋となって滴るのは……赤い、赤い……。
「あ、あっ……わた、わたっ……し」
メリルーシェの支店でのバイロイトさんの言葉が、頭の中で弾ける。
---貴女の軽はずみな行動が彼を苦しめる……
---貴女に関わって<監視者>の怒りを買い、消される者達を出さない為に……
「わたっ……ご、ごめんなさいっ…ごめ、な……」
「りこ? 誰もりこを怒ってなどおらぬぞ? あぁ、すまぬっ、先ほど我がっ……りこ、ごめんなさいなのだっ」
ハクは私を腕に座らせるようにして抱きなおし、思い違いを訂正する余裕の無い私の背を撫でた。
その手が私の強張った身体と心をゆっくりとほぐしてくれる……。
「りこ、りこよ。泣くな、泣かんでくれっ……ほら、見るが良い! ダルフェだけでなく、カイユもおるだろう? りこのもっとも気に入りのカイユだぞ? 両方とも我が連れて来たのだ。ここへの転移のさい、どちらにも傷ひとつ付けなかった。あれ等はりこの気に入りだからな。幼生も赤の城に居るのだぞ? まぁ、少々壊れてしまったが、死んでおらんので問題無いのだっ」
……え?
ジリ君が赤の竜帝さんのお城に!?
え、ちょ、ちょっと、今“少々壊れた”って言ったの!?
「ハクっ!?」
聞き捨てなら無い事を耳にした驚きで、思わずハクちゃんの髪を両手でぎゅっと掴んでしまった私に、
ダルフェさん口を尖らせてい拗ねたように言った。
「姫さん、この人はねぇ~、俺の時は生ごみ状態で青の大陸にぽいっとしたんだぜ? つまりねぇ、旦那は俺の時だけ手を抜いたわけ。餓鬼の頃からの付き合いだってのに、ひでぇよなぁ~。でも、おかげさまでジリギエは五体満足で無事だった。父親として、俺は旦那に感謝してるんだ」
両手を肩のところで広げておどけたように言いながら歩き、ダルフェさんは私を抱くハクちゃんの前で足を止めた。
「……黙れダルフェ」
「だからぁ~、睨まないでくださいって。さり気にあんたをフォローしてやったんですから……あのねぇ、旦那。姫さんは俺達とは違う。目の前で腕を千切られたら“きゃぁああ~”ってなりますって。旦那が今すべきなのはなんなのか、その良いんだか悪いんだか微妙な頭でよ~っく考えて見てくださいよ?」
ダルフェさんは羽織っていた赤い軍服……騎士服を右手に取り、カイユさんの足元に向かって無造作に投げた。
ばさりと音を立て、それはアリシャリの上に落ち……その身体を、視線を覆い隠す。
「あ……」
私が言葉を探していると。
「む? ……あぁ、そうであったな」
背を撫でていたハクの手が後頭部に移動し。
「りこは我だけ見ておれば良いのだ」
ハクの顔へと、ぐいっと寄せられた。
間近にある金の瞳に映るのは、私……私だけだった。
「ハク……でも、ハクちゃんっ……」
意気地なしの私の言葉に。
「“でも”、と貴女は言うのか?」
迷いも容赦も無いハクの言葉が重なる。
「ならば、全てを“消す”すまでだ」
「なっ……ハクッ!?」
全て消す。
その意味は。
それはっ……。
「見るモノが無ければ、見ようが無いであろう?」
「ハク、それはっ……ッ!?」
私の目元を、濡れた感触が滑る。
熱を持ったハクの舌が、右目の周囲を這い……そのまま肌を伝って左目へと……。
「ぁ……んっ……ハク?」
「りこ、りこよ……我以外全て無くなれば。りこのこの眼は、我だけを見てくれるのか? それとも……二度と、我を見てはくれなくなってしまうのか? ……りこ、りこ」
思わずぎゅっと目をつぶると、冷たい唇が瞼の上から包み込むようにやわやわと食み。
閉じられたことを惜しむかのように目頭を舌先で突き、睫毛の生え際を何度も往復して……。
「ぁあ、あ……ん、ハ……」
その舌先に、理性も常識も絡めとられて。
思考がどろりと熱く溶けて……。
「旦那、物騒で笑えない自己中発言でやめなさいな。今はそんなことより、ほら、よく見てごらんなさいって。姫さん、顔色悪いでしょう? ろくなモン食ってないだろうし、疲れて具合悪くて当たり前! さっさと城に連れて帰って美味いモン食わせて風呂に入れてやって、寝かせてや……あ、まぁ、あんたのことだから、やることやって寝かしつけるんでしょうけど」
「? やることとはなんだ? 食事や風呂より、まずはりこの体調を戻すためにも失った気の補給を兼ねて交っ……ぶごっ!?」
私はハクの口を両手で押さえて、ダルフェさんに向けた顔を左右に振る。
そんな私に、ダルフェさんはニヤリと微笑む。
「すまんねぇ、姫さん。旦那もこの一週間いろいろ限界だっただろうから、弱ってるとこ申し訳ないけど、世界平和のために旦那に付き合ってやって……ん?……おい! ハニー、カイユ! それ以上は“今は”止めろ。その餓鬼に手を出すなよ?」
カイユさんはいつの間にか移動し、シャデル君のすぐ側に立っていた。
シャデル君は地面に蹲ったまま、顔だけあげてカイユさんを……アリシャリの腕を持ったまま、無言で自分を見下ろすカイユさんを見ていた。
「……」
「ひっ……ぁあ、ああ」
痙攣を起こしたかのように震えるシャデル君を見下ろす水色の瞳は、清く澄んだ泉のように綺麗で……冷たかった。
「!? だっ……だめっ、カイユ! シャデル君は違うのっ!」
「カイユ、返事をするんだ。そのほうが姫さんも安心するから。ほら、それは俺に渡して」
ダルフェさんはカイユさんに歩み寄り、左手を差し出した。
カイユさんは、ダルフェさんの手にアリシャリの腕を置くと。
「……分かっているわ、ダルフェ……」
小さな声で、そう言って。
血で汚れた白い手袋をゆっくりと外し、地面へと落とした。
「らしいけど、らしくなかったね? ハニー」
「そうね……」
足元にある手袋に視線を向け、俯くと……短くなったカイユさんの銀髪が、その動きに合わせてさらりと揺れた。
「トリィ様……申し訳ありません。このような見苦しい様を……トリィ…さ、ま。トリィ、トリィッ……貴女が無事で、本当に良かった……あぁ、私っ……ごめんなさい、母様がついていながら第二皇女などに貴女をっ……ごめんねっ……母様を許してっ……」
ゆっくりとあげられ、ハクに抱えられた私へと向けられたカイユさんの顔には。
その水色の瞳から、ぽろぽろと零れる涙。
噛み締めた唇が、痛々しいほどに震えて……。
「カイユ……カイユッ……泣かないで、泣かないでっ! ごめ……ごめんなさい、私が悪かったのっ、カイユは悪くないのっ!」
カイユさんに手を伸ばすと、何も言わなくてもハクが足を進めてくれた。
「りこの好きにするがいい」
だから、私の手は。
この両手は。
カイユさんへと届き。
触れることができた。
「その代わり、今宵は我の好きにさせてもらうぞ?」
ハクに抱かれながらカイユさんの首に両腕で抱きついた不安定な姿勢の私を、支えてくれながらハクが言い。
うんうんと頷く私の頭を、カイユさんの手が優しく撫でて……ぎゅっと、抱いてくれた。




