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四竜帝の大陸  作者: 林 ちい
赤の大陸編
152/212

第6話

*残酷な描写があります。苦手な方はご注意ください。

 いつも。

 ハクと私は。

 この世界で。

 私達は、いつも一緒だった。

  

 この世界に来て、出会い。

 恋をして、愛して。


 一緒に朝の陽を見て目を細め。

 一緒に夜空に煌めく星を眺め。


 いつも、一緒で。

 いつも、2人で。


 貴方の鱗に覆われた4本指の小さな手を握って、2人で雪の舞う庭を歩いた。

 貴方の大きな手と指を絡めて、塔のバルコニーから夕焼けを映す湖を眺めた。


 眠りに落ちる時には。

 ふわりとした優しいキスが降り注ぎ。

 目覚めには。

 蕩けるような黄金の瞳を細めた貴方が、身体に染み入る声で言ってくれる。


 --おはよう、我のりこ。


 私の頬に、そっと触れる指先には真珠のような爪が輝く。


 --りこ、りこ。おはようの“ちゅう”をしてくれ。


 ベットに腰掛けた貴方が。

 緩やかな曲線を持つ長い髪をかき上げ、あらわになった白い額を私へ近づけ。


 --昨夜の我は『良い子さん』だっただろう? 褒美を得る資格があると思うのだ。ゆえに、平素より多めに……額と左右の頬、“ここ”には特に長めに頼む。


 私の唇を親指でなぞりながら、大真面目な顔で貴方は言う。

 昨夜の我は『良い子さん』……数秒間、その言葉の意味を考えて……ぼんっと一気に私の体温が上がる。

 

 ーーあ……ひっ!? あ、あああのですねっ、昨夜はそのっ! お、おおお、おはっ! おはようござっ、ございますです!

 --……りこ。


 熱々で、真っ赤になっているであろう私の顔を身を屈めて覗き込み。


 --りこよ。茹でた蛸に欲情できぬ我だが、茹でた蛸にのようなりこには、我はかくも容易く欲情する。これはりこの所為なので、りこに責任をとってもらわねばな?


 そう言って。

 私の肌を、皮膚を。

 存在を確かめるかのように丁寧に這う体温の低い指先は、冷たいのにとっても優しくて。

 私は。

 私は……。


 --ハク……好き、貴方が大好き。


 この人がなにより誰より愛しい、と。

 

 --そうか。我もりこが大好きなのだ。


 ハクが愛しいと。

 毎朝、毎晩。

 昨日も、今日も、明後日も。

 貴方を想う気持ちは、日々増していく。


 ハクと一緒に生きていける、この限られた時間は。

 全部、全て。

 貴方と共に……。

 

 


   

「起きて! ねぇ、起きてっ!」




「……? ……、、」 

 目が覚めたのは、朝の陽を瞼に感じたからじゃなく。

 小さな手が毛布の上から、私を叩いたからだった。

「、、……、、、、? 、、……、、?」

 ハク……ハクちゃん? どこ……ハク?

 傍に居るはずの彼に、両手を伸ばす。

「……、、……」

 手の先には、何も無かった。

 あぁ、そうだった……私は……ハクと離れてしまって……ここは赤の大陸のどこかで……。

「朝ご飯をとりに行こう! 早く行くと、焼きたてのをもらえるんだ!」

 クセの強い黒髪を赤く染めた革紐で一つに結いながら言うシャデル君は、朝から元気いっぱいだった。

 でも、私は……朝食なんて、食べれそうになかった。

 胃が痛み、胸から吐き気が込み上げてきて……。

「……ッ、、、」

 目覚めても、ハクの「おはよう」は私に与えられることはなくて。

 夢を見ていたのだと……気づき、知り、理解した。

 昨日目が覚めた時も、今日も、今も。

 ハクちゃんがいない。

 ハクがいない……。

「どうしたの!? 顔、青いよ!? 大丈夫っ!?」

 口を両手で抑えながら上半身をゆっくりと起こした私の傍に膝をついて、シャデル君が私の顔を覗き込む。

「気持ち悪いの!?」

 すぐ傍で言っているはずのシャデル君の声が、まるで厚い壁の向こうから聞こえてくるかのように感じた。

「……、、、、……、、、、……、、…、、ッ!」

 ハクちゃん……ハクちゃん……ハク…ハクッ!

 声が出ないとわかっていても、名前を呼ばずにはいられなかった。

 毛布を剥ぎ立ち上がり、テントの出入り口に向かったけれど。

「ッ!?」

 足に力が入らずもつれ、数歩で転んでしまった。

 吐き気が強くなり、手足が小刻みに震えてきて頭が割れるように痛む……。

「大丈夫!? 昨日は元気だったのに……あ。でも夕食は食べてなかったよね……どうしよう……竜族って人間より丈夫だってきいてたから、僕は平気だと思って……どうしよう……おじいちゃんに薬をもらって……でも、人間の薬でも効くのかな?」 

 その場にうずくまってしまった私の周りを、シャデル君はぐるぐると歩いた。

 昨夜出された食事は、串に刺して焼いたお肉と魚の燻製、硬いビスケットとライチのようなごつごつした皮のフルーツだった。

 銅製のコップには、ミルクたっぷりのあたたかい紅茶。

 こんがりと焼かれたお肉からは、食欲をそそる香りがしたし、陽が落ちると急激に気温が下がり肌寒いほどだったので、あたたかな飲み物はとても魅力的だった。

 でも、手が伸びなかった。

 せっかく用意してくれたのに、食べることができなかった。

 あの時、私が“食べたい”って思っていたのは。

 あの時、私の口が、舌が思い出し求めていたのは。

 ハクの味、だった。

 彼のかけらでスキテルさんが作ってくれたネックレスが奪われていなかったら、私はあれを口にしていたと思う……。

 私は毎日必ず、数粒のハクのかけらを食べていた。

 優しい甘さのそれは、私にとってはどんなお菓子より美味しくて……。

 一度にたくさん食べると、体がふわふわしてぽかぽかしてきて、気持ちよくなって眠くなってしまうので、食べすぎには気をつけていて……もう何日、私はあれを食べてないんだろう?

 あ……私、ハクと離れてから何も口にしていない?

 食べ物どころか、水も……だから体が変なの?

 変……私、変よ……昨日の女性の口ぶりでは何日も寝ていたみたいだった。

 つまり数日間食事も水もとってないのに……確かに今、気分最悪で体調は悪いけれど……普通はもっと……。

「おじいちゃんに薬をもらってくるから、待っててね! すぐ戻ってくるから……あれ?」

 出入り口に垂らされた厚手の布を上げて外へ出ようと一歩踏み出したまま、彼は動きを止めた。

「いつも日の出前から朝食の支度が始まるんだけど……どうして誰も外にいないのかな? 煮炊きの様子も無くて静かだし……まだ寝てるなんて、そんなこと今まで無いのに……なんか、変だよ。こんなに静かなんて、変だ……すごく変だよ……」

 私へと振り向いた顔には、不安そうな表情が……その表情を目にした私にも、その不安は伝染した。

 体の不調をなけなしの気力で押さえつけ、這いながら彼の横に移動し、私も入り口から外を見回していると……。

 20メートルほど離れた距離にあるテントの入り口の布が動き、人が出てきた。

 シャデル君もそれに気づき、首を傾げる。

「アリシャリと、術士のおじさん? それと……あのおじさんは知らないな。なんでおじいちゃんのとこから?」

 テントから出てきたのはアリシャリという青年と私にこの首輪をした術士と、マスタード色の貫頭衣を着てのこれでもかと膨らんだ腹部を茶の帯で巻いている初老の男性だった。

「……アリシャリ達がこっちに来る。文句でも言いに来る気かな?」

 まっすぐにこちらへと足を進めるアリシャリの左手首には、ハクの欠片のネックレスがブレスレッドのように巻かれていた。

 それを見た私は強い不快感を持ち、そしてそれ以上に怒りが体の芯から湧き出る。

 あれは、あれは……あれはハクのかけら。

 私のことを『中身』が崩れ壊れるほど想ってくれた彼が、黄金の瞳からぽろぽろと零した……あのかけらはハクの一部、彼自身。

 なのに、それをっ……!

「、、、、! ……ッ」

 返して! 

 それは私の大事な、私だけのっ……!!

 その怒りが力になり、私は立ち上がって3メートルほどの距離まで歩み寄ってきた彼を睨んだ。

「シャデル。その蜥蜴女は俺が拾ったんだから俺のだ。俺が買い手を探しに遠出してる間に横取りしやがって……さっき帰ってきたら、お前が昨日“盗った”って知って吃驚したぜ」

 私の視線を無視し、アリシャリはシャデル君にそう言いながら緩んでいたターバンを両手を使ってしっかりと巻き直してから、マスタード色の貫頭衣を着た初老の男性に向けて手招きをした。

「これがあんたに買ってもらいたい竜族の雌だ。蜥蜴女! こっちに来い。すぐに馬で出発するんだから、手間をとらせんなっ!」

 重そうなお腹を揺らし、その人は『商品』である私を見る。

 探るように……値踏みするかのような露骨な、嫌な視線だった。

「竜族の雌……小柄だな、本物なのか?」

「ああ、本物だ。あとで“これ”を使って証明してやる。すぐ、傷が塞がるんだぜ?」

 アリシャリの日に焼けた手が、腰にある月のような曲線を持つ小ぶりな剣の柄へと移動した。

 あれは、私の手を貫いた剣。

 傷跡すらないそこが、あの時のことを思い出してズキンと痛んだ。

「黙れ、アリシャリ! 竜族売買は“危ない”から、族長であるお祖父ちゃんが禁止してるって知ってるだろ!?」

 シャデル君は私の右手をぐっと掴み、怒鳴った。

 相変わらず強気なシャデル君に、アリシャリは言った。

「あ~? はははっ! もう長なんか関係ねぇよ! だって伯父貴は、お前の“お祖父ちゃん”は死んだんだからなぁ!!」

「……え? なに言っ……」

 固まったシャデル君を、愉快気に眺め。

「さっき、俺が殺した。簡単だったぜ? 信じられないなら、族長のテント覗いてこいよっ!」

 愉しそうに言い、言葉を続けた。

「くくっ……あーはははっ! もっと早くこうしとけばよかったんだ! あの爺、いつだって俺を見下しやがって……はははっ、あはははっー! ざまぁみやがれ!! あぁ、笑いが止まらねぇよ!」

「アリシャリッ、お前っ……みんなも……みんなも殺したのかっ!? だから、誰もいなっ……」

「あ? 族長の糞爺以外は、こいつの術式で眠り込んでるだけだ。残念ながら一気に全員殺すなんて術式は、今のこいつにゃ不可能なんだとよ~」

 アリシャリが、シャデル君のお祖父さんを殺した?

 あの術士が、他の人達を術式で眠らせて……シャデル君が助けを求め声を上げても、誰も彼を助けてはくれないてこと!?

「……アリシャリッ、お前っ……お、おじいちゃっ……おじっ…ちゃ……」

 私の腕を掴むシャデル君の手が震え。

「おじ……ちゃっ……」

 力を無くし離れた。

「シャデル、お前には死んでもらうぜ? 俺のしたことが一族にばれたら、八つ裂きにされちまうからな。俺は名前を変えて、新しい土地で生きることにするよ。いい相棒も見つかったしな~」

「ふん、相棒なんかじゃないさ。ただの雇用関係だ。お前のほうが族長より金を出すと言ったからな。その雌を売った金は半々だって約束を守れよ?」

 目元以外は頭部も顔もターバンで隙間無く覆った術士の手には、細身の鎖と……あれって、手錠?

 私に使う気!?

「わかってるって。さぁて、そろそろ……」

 すらりと抜かれたアリシャリの刃に、朝陽が反射した。

 三日月のような曲線を持つそれは、一部が汚れて……血?

 まさか、シャデル君のお祖父ちゃんの!?

「……アリシャリッ……お前には、お前等なんかに絶対渡さないっ! 渡すもんかっ!!」

 それを目にしたシャデル君は。 

「なにしやがるっ!?やめろっ! シャデル!!」

 両手を私の首へと伸ばし、首輪をっ……!

 

「竜になって! 早くっ!!」


 私の首にあった輪止……首輪を地面に叩きつけたシャデルの手は、血塗れだった。

 留め金部分を力任せに引いて無理やり外した時に、金属部分で指先を切ってしまったのかもしれない。

 外されたそれと私を交互に見て、アリシャリが上ずった声をあげた。

「ま、まずい! シャデルめっ、輪止を外しやがった! おい、輪止の換えはねぇのかよ!?」

「あるわけないだろうが! 輪止は貴重品だぞ!」

「無ぇのかよっ!? やっぱお前は三流術士だ! 使えねぇっ!」  

 口論しながら彼らが私達から一気に後ずさって距離をとったのは、私が竜体になって攻撃してくると思ったのかもしれない。

「なにしてるのさっ!? 早く竜になってよ!!」

 シャデル君が竜体にならない私を、竜体になれない私を責めるように叫ぶ。

 だって、無理なの。

 私は竜族じゃないから。

 竜族じゃないから、竜体にはなれない。

「くっ……アリシャリ、私は手を引く! 竜族は人間とは比べ物にならないほど耳いいんだ! この雌が呼べば、つがいを探している雄が半狂乱でここへすっ飛んで来るんだぞ!?」

「ッ!?」

 その言葉に、アリシャリが息を呑む。

 これでもかと見開いた濃茶の瞳が私を、私の咽喉を、口を凝視した。

「や、ややっ、やめ……呼ぶなっ……やめろろぉおおおおおっ!!」

 私は竜にはなれない。

 私にできるのは。

 私が、今したいのは。


「……ハク」

 

 大好きなあの人の名を、この口で。

 誰より会いたいあの人を、呼ぶこと。


「ハ……ク、ハク! ハクッ!!」


 叫んだ。

 これ以上はないほど、大きな声で。

 声に力を、想いを込めて。


「ハクッ!!」


 貴方の名を、貴方を。

 

「ハ……ク? それがお前のつがいの名か!? アリシャリ、何を呆けている!? 死にたくなかったら急いでここを離れるんだ!! 今、この雌は雄を呼んだんだぞ!? 急げっ!!」  

 私に背を向けて走り出そうとした術士の外套を、私の買い手だとアリシャリが言った初老の男性が、その見た目からは想像出来ない素早い動きで掴んで引き止めた。

「なっ……離せっ!」

 その手を払おうと身を捩った術士を逃すまいと、さらに全身でしがみつく。

「待て、待ってくれ! 頼む、この雌を捕まえてくれ! な、なんとかならないのか!? 術士殿、金なら払う! 置いていくなど、もったいないだろう!?  買う、この俺が買う! いくらだ!? この雌を手に入れるには、いくら払えばいいんだ!?」

 それに答えた声は。

 問われた術士のものでは無く。



「……いくら、だと?」



 宙を裂き響くその声に、風は動きを止め大気が軋む。

 呼吸することさえ忘れたように。

 その場の誰もが、突然そこに存在した“彼”を見る。


「お前は今、そう言ったのか? 肥えた家畜よ」


 揺らぐ白銀に、陽が平伏し。

 その足元に這い蹲るように、影となる。


「ひ、ひぃっ!?」


 問いを、居るはずの無い存在に問われ返された初老の男性は、しがみついていた術士の身体からゆるゆると手を離し、不出来な玩具のようにぎこちなく顎を動かして長身の彼を見上げた。


「あ、ああああ……ななな、あんた、なんっ!?」

「……このひとの値?」


 本能が見るな逃げろと泣き叫んでも。

 一瞬で魂を握り潰され侵されて、逃れる術を失って。

 魅せられ、引き摺られ、飲み込まれ……誰もが“彼”に奪われるのだと、私は知っている。

 

「世界中の富を掻き集めても足りぬに決まっておるだろうがぁあああああ!!」


 漆黒のブーツを履いた長い脚に合わせるように、真珠色の長い髪と赤い裾が動き。

 マスタード色の塊が重力を無視し、放たれた弾丸のように上空へ突き進み消えた。

 痛いほどの静寂が、この空間を包む。

 張り詰めたこの静けさは、割れた硝子切っ先のように鋭く危うい。

「…………ハクちゃっ……ハクッ!」

 私の声が、その空間に亀裂を入れた。

 その亀裂が四方に広がり、糸の切れた操り人形ように術士とアリシャリが腰が砕けたかのように座り込む。

 シャデル君は頭を両手で覆い、地面に丸くなって震えていた。

「ハク」 

「……」

 緋色の背を純白の髪で飾り、私の前に立つ彼は。

 背を、私に向けたままだった。 

「ハク……ど、どうして? な……なんでなの?」

 会えたら。

 貴方に会えたら。

 その腕で、その胸に。

 抱きしめてくれると思ってた。

 無事で良かった、会いたかったって、言ってくれると思っていたのに。

「ハク? あ……もしかして、お……怒ってるの? 私が無用心で……こんなことになっちゃったから……呆れちゃったの?」

 私を守ってくれいてたカイユさんと貴方から離れて、あの皇女様に不用意に近づいた。

 あの人が持ってきた携帯電話に夢中になって、浮かれて……遠く離れた赤の大陸に転移させられて……。

 声が出なくて、貴方を呼べなかったこの数日間。

 私が考えてる以上の多くの人が、行方不明になった私を探してくれたよね?

 きっと、たくさんの人に迷惑をかけてしまった……。

 貴方にも、カイユさん達にも、すごく心配させてしまった……。

「心配かけて、ごめんなさっ……ハク、ハクちゃっ……ご、ごめんなさい」

「……」

 謝っても。 

 ハクは振り向いてくれなかった、何も言ってくれなかった。

 でも、でも。

 私はその髪に、背に、体に触れたくて。

 存在を、この手で確かめたくて。

「ハ、ハクッ……ハク、ハク!」

 両手を伸ばした。


「…………足りぬ」

「え?」


 指先がその髪に、背に届く寸前に。

 伸ばした私の手が、強く握られ引き寄せられた。

 胴に回された腕が私の身体を地面からすくい上げ、大きな右手が私の顎を掴んだ。

「さぁ、呼べ! この口で、我を、我の名を呼ぶのだっ!!」

「ッ!?」

 5本の指が、痛みを伴い肌に食い込んでくる。

 腰に回された腕の力が増し、まるで絞めあげられているかのようで……息をするのがやっとだった。

「なぜ、呼ばぬっ!? なぜ、我の名を呼ばなかったっ!?」

 鼻先が触れ合うほど顔を寄せ、咆えるようにハクは言う。

「呼べっ! 呼ぶのだ!! 貴女が我に与えた名を呼べっ!!!」

 爛々と燃える黄金の目が、内と外から叩き込まれた痛みに唇を動かせない私を容赦無く射抜いて責めた。

「なぜ、呼んでくれぬのだっ!? 貴女との約束を守れぬ我など、もういらぬのかっ!? ……傍に、ずっとそ……ばにっ……離れぬと、我は約束したのにっ……貴女を守れぬ不甲斐無い我など……我が……こんな我はっ……我はっ」

 色素の薄いハクの唇に、深紅が滲む。

 彼が強く唇を噛んだのだろう。

「ッ!?」

 その痛々しい唇に、私が指先で触れると。 

 ハクはびくりと全身を震わせた。

 金の瞳の中央にある黒い糸のような瞳孔が伸縮を繰り返し……私の顎を掴んでいた手が瞳孔の動きに合わせるかのように震えだした。

 震えは手だけじゃなく、ハクの全身に広がって……。

「り、りこっ…りこっ……我はっ、我はっ、りこ……りこっ、りっ……」

 私はハクの震える手に、自分の手を添えた。

 そうしていないと、彼の手は私の顔から、肌から離れていってしまいそうだった。

「ハク……ハク、ハクッ」

「りこっ……りこ、我は貴女がっ……りこがっ……我はっ、我はっ!」

 私は、自分が間違えていたことに気づいた。

 謝るのは、私がハクに謝るのは。

 心配をかけてしまったこと、迷惑をかけたことを謝る前に……。

「ごめんなさいっ……ごめんね、ハク」

 ハクに、私は謝らなきゃいけない、言わなきゃいけない。

「ハク、私が目の前で転移させられちゃって……とっても怖かったよね? 不安だったよね……何日も会えなくて……寂しかったよね?」

「……りこ、我はっ……足りぬのだっ……貴女が、りこが足りぬ! 足りぬのだっ!!……もっと、もっと、もっと我をっ……我の名を呼んでくれっ……!」

 私を、私だけを映す黄金が。

 熔けて、揺らぐ……。

「怖かったよね……とっても怖かったでしょう? ごめんね、貴方を独りにして、ごめんなさいっ……」

 ハクは、ハクは。

 とても怖がりだと、私は知っているのに……わかっていたのに。


「……りこ……りこ、りこっ」


 私の名を、貴方が呼ぶ。


「ハク、ハクッ……ハクッ」


 貴方の名を、私が呼ぶ。


「りこ、りこ……りこっ」

「ハク、ハク。ハク、ハクッ……」


 何度も何度も、何度も。

 互いの名を呼びながら。


「りこ……りこっ……り……こ……りこ」


 惹かれあうまま唇を合わせ。

 想いのままに、含み絡ませて……。


「ハク、ハッ……ん、ぁ、あぁ、ハクッ……ふぁ、んっ……ハッ……」

「…………りこ」



「え~っと、盛りあがってんところ、悪いんですがねぇ~」



 はい?


 この声は……。

「ダ、ダダダダルフェッ!?」

「よっ! 姫さん、久しぶりだね! 無事で良かった」

 ダルフェさんは素肌にだらしなく赤い軍服を羽織り……しかも、裸足!?

 ズボンのホックを右手で止めながら、左手をひらひらと振って……そして、お得意のウィンクを一つ。

「ったく……旦那~、そんな怖~い顔で睨まないでくださいよ。仕方ないでしょうが」

「……お前はお前の役目を果たせ、<赤の竜騎士>よ」

 ダルフェさんが居たことに、ハクはまったく動じない。

 それどころか、役目をって……しかも赤の竜騎士って言ったよね?

 ダルフェさんは青の竜騎士の副団長なのに、なんで赤の竜騎士……なに、どうなっちゃってるの?

「え? あの? あれ!?」

 事態が飲み込めない私に、ダルフェさんは苦笑しつつ言った。

「俺が居るのは、旦那に強制連行されたからだよ。もちろん、カイユもいるよ?」

「え? カイユも!?」

 ハクに抱き上げられたまま、周囲を見回し……あ、いた!

「カイッ……え?」

 私は意識的に数回瞬きをした。

 だって、見間違えたのかと……ううう嘘っ!?

 カイユさんの長くて綺麗な銀髪が、ボブになってる!?

「カッ……」

「貴様ぁあああっ! それはトリィ様のものだ!」

 カイユさんを呼ぼうとした私は、その美しい顔にある鬼気迫る表情に息を飲んだ。 

 恐怖のためか無抵抗のアリシャリの左腕をカイユさんは掴み、腹部をブーツで踏みつけると……。 

「返せ、この下郎がぁああああ!!」

 その腕を。

 まるで雑草を抜くかのように、簡単に。

 肩の付け根から。

 引き千切った。


「ぎぃい、い、いい……がぁあああああああっ!!」

「ひっ!? きゃああああああああああああ!!」

 

 その絶叫は。

 血だらけで地面を転げ回る、片腕を失ったアリシャリがだけじゃなく。

 ハクの腕の中にいる、私の口からも出ていた。


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