第5話
*残酷な描写があります。ご注意下さい。
陽に輝く鱗は灼熱の赤。
空を飛ぶ生物の中で最大の体躯、背にはそれに見合う長大な翼。
「ダルフェ、ダルフェ。私の愛しい子」
緑の瞳は人型形態時とは違い、細い瞳孔が目玉を中央で割っていた。
この目玉が鱗同様に赤かったならば……だが、それは『ダルフェ』ではない。
これはこれで生まれ、生き、死ぬのだ。
「お帰りなさい、ダルフェ」
子を想うブランジェーヌの、<赤>の声が。
我の中で、過ぎた刻の記憶を揺らす。
『始まり』のみを与えられ、終わりを手に入れることのできなかった我の前で生まれ、生き。
子を遺し、死んでいった竜帝達が脳の奥で揺らいで漂う。
黄泉で微睡む、逝きた四竜帝よ。
お前達が望むのは、願うのは。
子々孫々の繁栄か?
愛しき者等の幸福か?
お前等の望みを訊くのは、我ではない。
お前等の願いを叶えるのは、我ではない。
りこ。
我のりこ。
あの女なのだ。
我のりこに、我の女神に。
我の愛しいあの女に。
頭を垂れ跪き、乞うがいい。
「カイユよ」
我は跪くカイユに言った。
「お前が我を入れたあの塵箱は、なかなか居心地が良かったぞ? 礼を言う」
あの時。
四肢どころか頭部も落ちた我を拾い、カイユが無造作に投げ入れた容器が塵箱だということくらいは我にも分かったのだ。
屑箱、我が屑箱か。
長く生きてきたが、屑箱に入ったのはあれが初めてだ。
「…………お褒めに預かり光栄です、ヴェルヴァイド様」
眉を寄せて答えたカイユの髪が短く切られていることに、我は気づいた。
つがいであるダルフェはまだ死んでおらぬのに、髪を落とすとは。
ダルフェが死んだ時の葬式の予行練習を、<青>とでもしてきたのだろうか?
「え? 今の旦那の嫌味なんじゃねぇの? それとも旦那なりの冗談?」
足に下げていた雫型の籠を地に置き、竜体から人型へと姿を変えたダルフェが胡坐をかいて座りながら言った。
「この人が嫌味や笑いをとる高等な話術を持ってないことを、貴方も知っているでしょう?」
<赤>の言葉に同意しつつ、ダルフェは笑う。
「ははははっ、まぁね~」
竜体から人型へ変わったため、当然ながら裸であるに大口開けて笑う息子を、<赤>が眉を寄せながら窘める。
「ダルフェ、早く服を着なさい。貴方の持ってきた籠に衣服があるのでしょう?」
「あのねぇ~、露出狂手前の服ばっか着てるあんたに言われたくないんですけどねぇ? ん~、それに俺のは下着一枚持ってきて無いんだ。急だったから、必要最小限の物しか……俺、こっちに服置きっ放しだし困らないと思ってさぁ。あ、もしかして俺のは処分しちまった?」
赤い髪を掻きながら言うダルフェに、<赤>は苦笑しつつ答えた。
「貴方の部屋はそのままにしてあるわ。下着一枚捨ててなんかない……捨てられるはずが無いでしょう? 幼生の頃にお気に入りだったタオルケットも、ちゃんととってあるわよ?」
「なっ!? 頼むから、そんなのは捨ててくれよっ!」
ダルフェと<赤>のやりとりを見るカイユの表情は、穏やかで静かだ。
母と息子の姿になにを思っているのか、我には分からないが……カイユが赤の大陸に来たという事は。
それは<青>にとって、ランズゲルグにとって……我が考える必要はない、か。
あれの気持ちは、心は。
あれのものであって、我のものではないのだから。
ランズゲルグの好きなように思い、感じ、行動すればよい。
「カイユ。ジリギエは大丈夫。明日には回復するはずよ」
胡坐をかいて座ったまま頬をかくダルフェからカイユへと視線を移し、<赤>はカイユが訊きたかったであろう幼生について口にした。
「そうですか……迅速な処置をありがとうございました、赤の陛下」
安堵したのか、カイユは目を閉じ深く息を吸い、ゆっくりとはいた。
<赤>はカイユ両手をとり、立たせながら言う。
「ふふっ……伝鏡越しではなく、こうして貴女に直接会って会話が出来てとても嬉しいわ。私が贈った刀を使ってくれてるのね? 気に入ってもらえて良かった」
青い騎士服に映える朱色の鞘に笑みを浮かべるブランジェーヌへと答えようとカイユが口を開くより前に、間の抜けた声が響く。
「はぁああ~、腹空いた! 久々に親父特製の特大オムライスを食いたいんだけど、父さんはどこだよ? あの人のことだから、俺が着いたらすっ飛んで来るかと……お!? 懐かしい面子がこっちに走ってくるなぁ~……母さ、じゃなくて陛下。あいつら、旦那のこと大丈夫? 確か、至近距離で遭遇したことねぇんじゃねーのぉ?」
座り込んだままのダルフェの視線の先には、竜族……雄と雌。
身に着けているのは騎士服は、カイユのものと色以外はほぼ同じ。
ブランジェーヌの飼っている、赤の竜騎士。
「そうね。ヴェル、申し訳ないけれどちょっと離れてくれるかしら?」
正確な在籍数を我は知らぬが、赤の竜騎士も先代の時代より数が減ったらしい……今現在最も竜騎士保有数が少ないのは青の所だったか?
「わかった」
現四竜帝の中で、最も多くの竜騎士を従えているのは<黒>。
<黒>のベルトジェンガは、狂犬手前の猟犬共にとっては非常に『良い飼い主』だ。
あれの調教には躊躇いが無く、容赦も無い。
竜騎士の“使い方”がうまい。
ベルトジェンガと比較すると……この<赤>と<黄>は『並』で、<青>が『下』だな。
<青>のためにダルフェが青の竜騎士の幼竜を自ら“躾け”ていたようだが、仕上げにはほど遠い状態だったようだ……それは、カイユの父親がなんとかするだろう。
「<赤>、これでいいか?」
<赤>にいわれるまま、5ミテほどダルフェ達から距離をとった。
「ありがとう、ヴェル」
普通の竜族と違い、竜騎士という個体は我を絶対的強者として認識してしまう。
そのため、中には萎縮するだけでなく稀には失神する過敏な個体もある。
失神しようが失禁しようが、我はどうでも良いのだが……。
「クルシェーミカ、マーレジャル。ヴェルヴァイドのことは出来るだけ存在を意識せず、視界に入れるのも止めなさい。あなた達はこの人が“居る”ことに慣れていないのだから」
狩り入れ前の麦の穂のような色をした短髪の雄と、伸ばした赤茶の髪を後ろで編んでいる雌に、<赤>が我へと視線を流し、苦笑しつつ言う。
「はい、陛下」
「え、は、はい!」
<主>の言葉に、2人は真剣な顔で頷く。
雄のほうは大丈夫だろうが、あの赤茶の髪の雌は駄目だな。
赤茶のあれより、ダルフェが稽古をつけていた青の幼竜共のほうが『質』が良い。
あれらは幼竜だが、赤茶は成竜……そうか……そうだな。
失神ならともかく、成竜になって人前で失禁などしたら“イロイロ拙い”のだろう。
糞尿に縁の無い我には良く分からぬが、きっと“イロイロ拙い”……実は“イロイロ拙い”の意味を掴みかねておる我だが、とりあえずこれでよしとしよう。
「久しぶりだな、ダルフェ」
雄竜が笑みをダルフェに笑いかけ。
「ダルフェ、お帰りなさい!」
頬を染め、視線を泳がせた雌が衣類を差し出す。
「はい、これ着てね。赤の竜騎士の制服、懐かしいでしょう?」
「サンキュ、マーレジャル」
赤茶……マーレジャルというまだ幼さの残る雌から衣類を受け取りながら、ダルフェが言うと。
「ねぇ、ダルフェ! この人がカイユさんでしょ!? 綺麗な人ね。……あれ? 髪が短い? 青の大陸ではつがいが生きてるのに、こんなに短くするの? ええ~、それって縁起悪いっていうか、なんかやだなぁ~」
焼きすぎた栗のような色の瞳でカイユを見、そう言った赤茶の言葉にダルフェの垂れた目がさらに垂れた。
「髪? ああ、縁起とかそんなのどうだっていいんだよ。俺のハニーはすっげぇ美人だから、どんな髪型だって最高に綺麗なんだ。うなじのチラ見加減なんか、もう最高なんだぜ?」
ブランジェーヌは微笑んだまま、何も言わない。
赤の眼球だけが動き、カイユを捉えている。
白い手袋をしたカイユの手を、指を見ていた。
「カイユさん、はじめまして! あたしは赤の竜騎士マーレジャル。青の竜帝陛下の失態のせいでこんな状況になっちゃって、貴女も大変よねぇ~。うちの陛下だったら、こんな事にならなかったもの。あたし、赤の竜族に生まれて良かった~。やっぱりうちの陛下が一番だわ! そうだ! カイユさんも、赤の竜騎士になっちゃえば?」
カイユの水色の瞳が、微かに動いた。
いまだに服を着ず胡坐をかいて座ったままのダルフェがそれに気づき、頷く。
「こら。口が過ぎるよ、マーレジャル」
年長者らしく諌めの言葉を口にした雄だが。
「なんで? 他の竜騎士の皆だって、そう言ってたもの。団長だって青の陛下は駄目だって、そう思うでしょう?」
「いや、そんなことはないよ?」
どうやら、赤茶と同じ考えのようだった。
「…………竜騎士の“上下”は力で決まる」
呟きにしては芯が太く、気に満ちた声。
それはカイユのものだった。
「大陸が違えど、それは変わらないわよね?」
問われたのは、ダルフェ。
答えたのも、ダルフェ。
青の大陸に移る前は、ダルフェは赤の竜騎士の団長だった。
「ああ、そうだ。ん~、了解! カイユの好きにしていいぜ?」
やっと下半身に衣類を身に着けたダルフェが、背を伸ばし左右に動かしながら言った。
ダルフェは……我の見誤りの可能性もあるが。
今のダルフェにとって、大陸間を最高速で飛行するのは肉体への負担が大きいのかもしれぬな。
だから、カイユは一言も奴を責めなかったのだろう。
立ち上がり早く衣服を身につけろと、あの口煩いカイユが言わなかった。
ならば、我の試算は外れたな。
ダルフェに与えられた時間の残りは、我の思っていたものより短い可能性が高い……。
「貴方がダルフェの次の、現団長?」
カイユのそれは、問いではなく確認。
その顔に浮かぶのは、澄んだ泉のような笑み。
「はい。クルシェーミカと申します。ご挨拶が遅れまして、申し訳ありません。はじめまして、カイユど……ぐがぁあっ!?」
クルシェーミカと名乗った赤の竜騎士が後頭部を強打する鈍い音が、朝の歌を唄う小さな鳥達から声を奪った。
「遅い」
晒された咽喉に。
カイユの左の踵が沈んでいた。
「なにするのよ!? 団長、団長っ!!」
見下ろす瞳は、父親と同じ空の色。
あれとこれの違いは、その温度。
父親の放棄した『熱』を、娘は抱いて離さない。
カイユの踵を外そうと、黒い長靴の足首へと伸びた手は。
触れる前にその指先は。
カイユの刃に瞬時に全て刈られ、緩やかな弧を描き……庭園中央の池にぽちゃりと落ちた。
それを見た赤茶の髪の雌が、驚きと怒りで顔を染めて抜刀しカイユを薙ぎ払おうとして……。
「あ、あああ、ぁあぁああああっ!?」
叫んだ。
刃の煌きに数秒遅れての、叫び声。
落ち、地に染みを作るのは。
「さっさと拾ってつけなさい。動きだけじゃなく、判断も遅いお嬢さんね」
肘から切断された、雌の両腕だ。
「……ぐっ……マ……ジャ、ルッ……ぐがぁああああっ!!」
咽喉を踏みつけられながらもかろうじて発した声は、ごきりという音と共に潰れて消えた。
「私の言いたいこと、あなた達は理解できたかしら?」
朝から血生臭いことをするなと口にするような輩は、ここには居らず。
カイユの行いを嗜める者も存在せず。
我は、ただ眺め。
<赤>は苦笑し。
ダルフェは誇らしげに笑む。
「理解できないような低脳ならば。この先、赤の陛下のお役に立つことなどない」
竜騎士はその個体の持つ『力』で、上下関係が決まる。
つまり。
カイユはこれで『上』となり、カイユに踏まれている指を飛ばされた雄と腕を断たれた雌は『下』だということだ。
竜騎士に“対等”などない。
カイユは赤の竜騎士の団長を地に這わせることで。
それを示した。
りこが御伽噺に登場する精霊のようだと讃えたその見た目と違い、青の竜騎士の中でもカイユは特に暴力的な個体なのだとランズゲルグがこぼしていたが。
「<主>の役に立たない竜騎士など無意味。赤の陛下、ご許可頂ければカイユが廃棄して差し上げますが?」
「その必要はないわ。貴女のおかげで、この子達はこれから伸びる」
カイユは雄竜から退き、刀を朱塗りの鞘へ戻し<赤>へと歩み寄り。
「陛下のお庭を汚し、申し訳ありません」
深々と、一礼した。
赤の竜騎士を地に這わせたことではなく。
庭園を少々汚したことを詫びたカイユに、<赤>が苦笑したまま答えようと唇を開いた瞬間。
「ッ!?」
我の意識に。
鋼鉄の大槌で脳の中央を打ち据えられたかのような、衝撃。
「どうしたんすか? 旦那!?」
両手で頭を抱え込むようにして、膝をついた我に気づき。
ダルフェ達が声をあげた。
「ヴェルヴァイド様!?」
「ヴェルヴァイドッ!」
耳から脳髄やら何やらが飛び出しそうな我に、それらの『音』は邪魔なものでしかなかった。
「う……るさいっ! 我の邪魔をするなっ! 黙らねば城ごと消すぞっ!!」
脳が。
心臓が。
肉を破り、天へと駆け出しそうだ。
抱えた頭に爪をたて、身が裂けるのを抑えこむ。
「がぁああぁあああああああああああああああああ!!」
我の『中』が、荒れ狂う。
血肉が狂喜し、血管を噛み砕き神経を引き裂く。
我が。
我が欲するもの。
それは。
我が待ち焦がれた。
---ーーーーークッ!
「…………りっ」
---ーーーーーハクッ!
声。
「……りっ……り」
あぁ、これは。
「りこぉおおおおおおおおおおおおっ!!」
愛しい貴女の。
我を呼ぶ、声。