第14話
『全軍、戦闘態勢に入れ! これより青の竜帝を迎え撃つ!』
セシーの言葉に室内が凍りつく。
私が異論を唱える前に、リシサス老がたしなめた。
『冗談はよしなされ。ほれ、王がちびりそうだぞ?』
『だって。言ってみたかったんですもの』
真っ青な顔で口元を押さえる父の背をゼイデがさすりながら叫んだ。
『このクソばばあ! 王をショック死させる気か!』
平和だなと思う。
この平和が続くように皇太子として、何が出来るのだろうか?
セシーの報告で青の竜帝様がセイフォンにもうすぐ到着なされることがわかり、対応を協議するために集まったはずだった。
『話し合ったって無駄でしょう。結論は出ています』
イラス・ドウ・ゲドリルは帳簿から眼を話さず続けて言った。
『竜帝様が異界の娘を帝都に連れて行くと言うなら、我々には拒むことは出来ない。ま、他国に取られるよりもずっとマシです。セシー殿だって分かってるんでしょう?』
『分かっているわ。……殿下』
ゼイデに担がれて医療室に向かった父を見送っていた私に、セシーが恨めしげな顔を向けた。
はっきりいって少々、怖い。
この女傑に私は頭が上がらない。
去年亡くなった母上の従姉妹である彼女。
母にとてもよく似ている……容姿だけだが。
母はこんなに苛烈な性格ではなかった。
『殿下が竜帝様にトリィ様のことを相談されたから、カイユ殿達がトリィ様付きになってしまったんですわよ? 彼女の周りは‘親切で優しいセイフォン人‘で固めたかったのに。お恨みいたしますわ』
『……セシー。私は彼女には誠実でありたい。セイフォンの為に利用するつもりは無い。それにそのようなことは<監視者>様が許さないだろう?』
‘つがい‘とは……伴侶だときいた。
我々王族では婚姻も政治の一部だが、竜族にとっての伴侶は神聖で絶対なものらしいから利用される事を知ったら逆鱗に触れてしまうのでは?
セシーは耳飾りを右手でいじりながら言った。
『あの方には頭の中が丸見えですのよ? 何の報復も無いということは黙認なさったからですわ! もっとも……それももう終わりのようですが』
耳飾を引きちぎるように外し、セシーは叫んだ。
『ミー・メイ! 急いで!……来るわっ!』
私の前にミー・メイが現れ、術式を展開した。
足元から青白い光が溢れ、円状に広がり……霧散した。
『閣下! 駄目です、結界がっ』
『……っち!』
耳飾りが変化した長剣を構えたセシーが会議室の中央に走り、何も無い空間に剣を振り上げた。
私とリシサス老。そしてイラスはただ呆然と立ち尽くし……。
『意外と早く手合わせすることになったなぁ、閣下』
赤い髪の竜族。
青の竜帝の使者として一ヶ月前に会った。
確かカイユ殿……竜騎士の夫だと紹介された人物だ。
セシーの大剣を細身の優美な剣で軽々と受け、弾いた。
金属特有の甲高く澄んだ音が響く。
激しい剣技のやり取りが繰り広げられているというのに、私の眼はある一点から離れない。
離すことが出来ない。
白。
真珠の輝き。
氷の冷たさ。
金。
黄金の光り。
灼熱の炎。
『<白金の悪魔>……‘ヴェルヴァイド‘?』
リシサス老のかすれた声。
しろがね の あくま
私でも見上げてしまう長身。
金糸の刺繍が施された漆黒の長衣。
純白の長い髪は緩やかに波うち、流れ……。
身震いするほどの白皙の美貌は微動だにせず。
金の瞳に移るのは、血の気の引いた私の顔。
『そ、そんな馬鹿な! 大昔に<監視者>様に<処分>された伝説の悪魔?』
イラスの震えた声。
−‘ヴェルヴァイド‘ってのは【古の白】って意味だ。<監視者>の通り名だが、お前は使うな。
<白金の悪魔>は御伽噺だ。
名前は偶然の一致に過ぎないはずだ。
<悪魔>は美麗な姿で人を惑わせ、堕とす。
<監視者>は世界で唯一‘白‘を持つ竜。
全く違う存在なのだからと気に留めた事も無かった。
『旦那! いきなり術式で連れてこられて……閣下が切りかかってきたから相手してますけどね。俺的には全く状況が分からんのですが』
セシーは無事か? まさか!
赤い髪の……確かダルフェ殿だ。
ダルフェ殿はセシーの大剣を細い剣で受け止め、左手を大剣の刃に垂直に振り下ろした。
『くっ!』
音を立てて折れた刃が床に落ちた。
セシーは剣を捨て、ダルフェ殿の頭部に回し蹴りを……。
『きゃぁ! 閣下!』
ミー・メイが悲鳴をあげる。
ダルフェ殿はセシーの足首を掴み、そのまま壁に向かって放り投げた。
セシーは壁に激突……せず、壁を足場にし着地した。
『ふふ。お優しいのね、ダルフェ殿は』
ほつれた髪をかきあげて妖艶な笑みを浮かべたセシーにダルフェ殿は苦笑しながら答えた。
『閣下は姫さんの‘先生‘ですからねぇ。あんたを殺したら姫さんに嫌われちまう。俺はあのおちびちゃんには嫌われたくないんですよね』
『殺せ』
深く艶のある声が室内をめぐり、落ちた。
『それも。あれも。これも……不要だ』
『旦那?』
<白金の悪魔>はまったく表情の無い顔で、感情の感じられない声で言った。
『セイフォンはいらん』
<冷酷なる魔王>が告げた言葉に私は……。
『んっ……。あれ?』
いろいろあって疲れたせいか、ちょっと寝ちゃった?
カイユさんが用意してくれた敷布に横になったら、すぐにとろ〜んって……。
『お目覚めですか? トリィ様、ご気分はいかがです?』
『あ、はい。平気、です』
少し寝たら頭もすっきりした感じ。
手渡されたグラスに口をつけると、爽やかな柑橘系の香りがした。
柑橘系の香り。
ダルド殿下のことが頭に浮かんだ。
借りたマントがハクちゃんのせいで瓦礫に埋まって、使い物にならなくなった事を謝る私に彼の方が慌ててたっけ。
怪我が無くて良かったって、微笑んでくれた。
女の子が憧れる理想の王子様。
異世界トリップした女の子って80%は王子様とハッピーエンドなパターンだよね、普通。
ま、私も女子高生の時なら彼に惹かれたかも。
26歳の私は王族なんてややこしそうな存在と恋愛なんかまっぴらだと思ってしまう。
王族の豪華な暮らしは国民に支えられている。
王族は国の利益・安全を追求する義務があるはずだ。
命さえ、国のものだろう。
個人でいることなど許されない。
私はそう考える。
そんな重責を負った王族と結ばれるなんて若い情熱がないと駄目だよね、うん。
ん?
ハクちゃんも重いのかな?
国どころか世界的問題?
しかも私がしっかりしないと‘問題児‘は暴走しちゃうし。
竜で人型(しかも全くプラス印象の無い超絶美形)ありなんて。
さすが異世界! ……そう思わないとやっていけないよ。
『トリィ様、御髪を直しましょう。さ、竜帝陛下が到着なされる前に化粧直しも……』
そうでした!
お客様……竜帝が来るんだった。
うはぁ~、どきどきしちゃう!
「ハクちゃん! 青の竜帝ってどんな竜な……ハクちゃん?」
ハクちゃん?
あれ?
『ハクちゃん、どこ? カイユ?』
いつだって側にいたのに。
目覚めた時はいつも私の顔を覗き込むようにして……。
私が起きると金の眼を細めて‘りこ。おはよう‘って。
教えてあげたの。
お願いしたの。
眼が覚めて独りは怖いから。
だってここは私の世界じゃないもの。
怖いんだもの。
不安なんだもの。
‘おはよう‘って言って。
目覚めた時に……独りにしないで。
『カイユ……ハクちゃん。ハクちゃん! どこ?』
『トリィ様、ヴェルヴァイド様はすぐ戻ると言って夫と……トリィ様!』
私はグラスを投げ捨て、走り出した。
ハクちゃん。
ハクちゃんがいない?
嘘。
そんなはずない。
部屋にいるよね?
ちょっと離れただけだよね?
「ハクちゃん!」
乱暴に扉を開き、室内を見回した。
いない。
寝室かな?
「……ハクちゃん!」
天蓋付きの大きなベット。
駆け寄って布団を剥がし、枕を床に放り投げた。
「ハクちゃん?」
初めてこのベットを見たときはすごく驚いた。
なんかあの有名姉妹が使ってそうで……テレビで見たのか、前にもこんな事を考えたような気がしたっけ。
あぁ、どうしてなの。
どうして、いないの?
「嘘つき」
『ト……トリィ様、どうなされまし……トリィ様!』
ぐるぐる ぐるぐる まわってる
世界が まわって
ゆらゆら ながされ おちていく
『トリィ様! トリィ様!』
トリィ
なにそれ
ちがう ちがうよ
とりい だよ
とりい りこ だよ
「私は鳥居りこだよ」
なまえ ほんとの なまえ
よんで わたしの なまえ
「ひとりにしないで」
『トリィ様!』
全身の力が抜けてベッドに倒れこんでしまった私に、カイユさんが何か言ってる。
分からない。
苦しいの。
息が……できないよ。
苦しいの。
怖いの。
助けて。
ハクちゃん。
私を独りにしないで。
『殺せって……んな、無茶な』
俺は剣を鞘に収め、旦那の顔を見た。
ありゃ~。
まずいな。本気か?
ま、旦那に冗談を言う余裕なんか無いか。
姫さんが目覚める前に戻りたいんだろうし。
まどろむ程度の浅い眠りでは、時間は無いに等しいからなぁ。
『セイフォンを消す。無かったことにする』
旦那は眼だけ動かし‘魔女‘を見下ろした。
『そんなこと……トリィ様が許しませんわ! 彼女に嫌われましてよ』
精一杯の強がりにしたって、すごいなぁ閣下。
‘この‘旦那と渡り合おうとする根性は賞賛に値する。
『すべて消す。りこを知る者は。……りこに真実を告げる者など残さない』
旦那が動いた。
一瞬でダルド王子のもとに移動し、片手で首を掴み軽々と持ち上げる。
『ぐっ!』
『ちょっ。旦那、王子が死んじまいます』
王子の首は折れてはいない……旦那はもともと力加減の制御ができない人じゃない。
姫さんに関しては特例中の特例だ。
恋焦がれるあまり……ってやつだな、うん。
『殿下!』
術士の少女が悲鳴をあげる。だが、腰を抜かし床から立ち上がることすらできない。
老人と男……大臣だったな。
この二人は昏睡状態だ。
<悪魔>なんて言ったからなぁ。
旦那もカチンときて意識だけ落としたんだな。殺しちゃいない。
なんでだ?
殺せって言ったよな?
自分でできるだろ、簡単に。
『まさか……そのために俺を連れてきたんですか!』
旦那は王子から眼を放さず言った。
『我はりこに怒られたくないし、嫌われたくないからな』
『うがぁー! 汚いですよ! 俺に罪をなすりつけようって? この人でなしが!』
なんという自己保身! 自己中にもほどがある!
『お断り……』
『我に忠誠を誓っていたのは誰だ?』
へ?
聞いてたんですか? 無反応だったですよね?
『我とりこの幸せの為に喜んで捨て駒になると宣言したではないか』
してない。
『りこの存在を知る者は全て消せ。他国の者も』
<白金の悪魔>の言葉に王子が暴れだした。
そりゃ、そうだろう。
虐殺。
そんな事を聞かされたらなぁ。
『ん……ぐっつ』
旦那に咽喉を掴まれているから言いたいことも言えん状態だが。
『ヴェルヴァイド様! おやめくださ……!』
‘魔女‘が床に崩れ落ちた。
旦那が意識を‘落とし‘たか。
『我は以前に言ったはずだ。楽には殺さぬと』
俺には旦那を止められない。
それができるのは‘つがい‘である姫さんだけだ。
連れて……間に合わない!
『四肢をもぎ、目鼻を抉れば我の気分も多少は晴れるやもしれんな』
『ふざけんな! この色ボケじじい!』
青い閃光。
ダルド王子の身体が、石の床に落ちる。
『ぐはっ……げほげほ!』
激しく咳き込む王子は咽喉に手を当てようとして、硬直した。
無理も無い。
旦那の腕が、首にくっついたままだからな。
『陛下……ぎりぎりでしたね』
俺は固まってしまった王子から、旦那の腕を外してやった。
肘から切断された旦那の腕からは血の一滴すら、流れていない。
精巧に作られた人形の腕のようだった。
『で。これどうします? 新しいの再生すんなら捨てときますが』
『んなもん、ほっとけ! おい! ヴェル、貴様よくも俺様をこけに……ぐわ!』
小さな青い竜は床にめり込んだ身体をさすりながら、短い2本の足で立ち上がり……。
『青の竜帝である俺様になんてことしやがる! このじじ……ぎゃっ!』
旦那は<青の竜帝>を長い足で踏みつけながら俺に残った手を差し出し、言った。
『それはりこに触れた腕だ。変えはきかぬ。使うからよこせ』
俺が【それ】を投げると旦那は残った腕で受け取り、切断面を眺めた。
『ふむ。綺麗だな。<青>よ、褒めてやろう』
白い肌とは対照的な赤い舌で切断面を舐め、肘をもとの場所にくっつけた旦那は感覚を試すかのように指を動かしながら青い竜を見下ろした。
『お前が帝都から出向くなどあまりないことだ。セイフォンで問題でも?』
旦那。
天然なのは知ってますが。
しかし、しか~し!
『……問題はお前に決まってるわ!』
足元で叫ぶ陛下に俺は同情した。
いろんな意味で。