第3話
「くっ……あははは! そんな迷信、あたしは信じちゃないよ!」
明るい茶色の瞳が、線のように細まり。
真っ赤な唇からは、笑い声。
「だって、竜族を食べて不老長寿になれるとしたら、あんたら竜族はとっくに人間に食べ尽くされて絶滅してるでしょ? あんたが起きたら繋いでおくように、アリシャリに言われてるのよね」
私の胸から手を放し、彼女はそう言うと。
「たしか、ここに……」
私の背後に積まれた木箱に手を伸ばし蓋を開け、視線を私から外さずに手探りで中から何かを……。
「あったあった。人間用じゃなくて大型獣用のを使えってアリシャリが……」
彼女が木箱から引きずり出したのは、黒い鎖だった。
それは、犬を繋ぐものなんかとは比べ物にならないほど太くて……。
重量感のあるジャラリという音に、ぞっとした。
あれを私に!?
冗談じゃないっ、そんなの!
「ッツ!?……、、、……、、、!」
「こら、待ちな!」
逃げようとした私は頭を上から押さえつけるように掴まれ、うつぶせに地面へと押さえ付けられた。
それでも逃げようと手足を動かすと、彼女は私の背にまたがって体重をかけて……。
「…、、、!!!」
「暴れるんじゃないよ! この蜥蜴女!」
「さっきからうるさいんだよ、おばさんっ!!」
え?
「さっきから一人でしゃべりまくって、うるさい!」
いきなり第三者、しかも子供……少年の声?
「シャ、シャデル様……どうして、ここに?」
「荷の後ろに隠れてた。アメ達とかくれんぼしてたんだ……荷側の幕をずらして裏手から入ったから、それがここで寝てたなんて気が付かなかった」
丈の長いアイボリーの貫頭衣を着た10才前後の少年が、木箱とテントの隙間から現れた。
「ねぇ、それって竜族なんでしょ?」
“それ”って……私のことよね?
私を指差して言う少年の髪は黒く、長い。
黒くクセの強い髪は、背の中ほどまで伸ばされている。
日本人の私に親近感をもたせる黒い瞳が、私をじっと見て……。
「え、あ、あのっ……ち、ちがっ、違います! これはっ」
「おばさん、竜族って言ってたでしょ?」
「お、お、おばっ!?」
少年の言葉に、赤い唇がわなわなと震えた。
お、おばさん?
この人をおばさんって呼ぶなんて……じゃあ、私もこの子から見たらおばさんってこと?
ううっ……子供って正直で怖い。
「どいて、おばさん。僕、その竜族をよく見たいんだ」
「え、あ、はい………」
少年に聞こえぬように小さな舌打ちをして、私の背から彼女はおり、手にしていた鎖を足元に置いてから数歩離れた。
鎖を置く彼女の手が震えていた……怖いとかじゃなく、動揺によるもの?
「うわぁ! 金貨みたいな目だね。黒い髪の毛……僕と同じ色だ……」
押さえ付けていた女性が離れたので、ほっとしてその場にぺたりと座り込んだ私の前に少年は両膝を付いて、にこりと笑った。
「ねぇ、僕のテントに行こう! おじいちゃんが買ってくれた新しい遊戯板で、僕と遊ぼう! あ、その格好じゃ外に出れないね。ねぇ、急いで着るモノを持ってきてよ、おばさん」
「シャデル様っ!? 何を言って……これはアリシャリが捕らえたんですっ! 勝手なことは困りまっ……きゃあっ!?」
異を唱えた彼女に、少年が何かを投げつけた。
ポケットから取り出して投げつけたそれは、びわのような果物だった。
見事に彼女の顔面に当たり、汁を飛ばしつつぐちゃっと潰れた。
熟れて、果肉がとても柔らかかったのかもしれない。
「なっ……なんてことするのよっ!? 長の孫だからって勝手ばかりっ……」
果肉で汚れた頬を拭って言う彼女を、少年は一喝した。
「黙れ! 族長であるおじいちゃんに内緒で竜族を捕まえてたなんて、こんなことが許されると思ってるわけ!?」
「……ッ」
オレンジ色の果肉と果汁にまみれた彼女は、息を呑み押し黙る。
「これは僕のにする。僕が飼う。竜族を捕まえてたことをおじいちゃんにばらされくなかったら、僕にこれを譲れってアリシャリに言っておけ! おばさん、分かった? 返事は!?」
すくっと立ち上がり、仁王立ちで鼻息荒く言う少年の背を私はあっけにとられて見ていた。
な、なんて気の強い……我侭っていうか、自己中っていうかっ……。
えっと、つまりこの子は私が竜族(違うけどっ、勘違いだけどっ!)っていうのを周囲に内緒にして“飼う”って言ってるわけ!?
「は……は、はい……ですが、その輪止……首輪は絶対に外さないでください。竜体に変化して暴れられたら、私達人間はとても敵いません。それに、仲間の元に飛んで逃げられてしまったら、大変なことになります……つがいの雄や竜帝の竜騎士が報復にっ……そんなことになったら一族が皆殺しにっ……」
「分かってる。あんたがさっき言ってたの聞いてたもん。外さないよ。そんなことより、さっさと服を持ってきてよ。これはお願いじゃない、命令なんだってこと分かってる?」
「……………畜生ッ!」
左手をひらひらと……しっしと追い払うかのように動かす彼を忌々しげに睨みながら、彼女は悪態をつきながら荒い足取りでテントを飛び出して行った。
私と2人っきりになった少年は、再び私の前に両膝をついた。
さっきより近い距離で寄せられた彼の顔……あ、二重……密度の濃い睫は、くるんと上を向いてる。
年齢より利発で、気が強い男の子……この子に、手を貸してもらえないかな?
飼うなんて言ってたけど……子供の言うことだもの、本気とは思えない。
「……、、、…、、!」
私は自分の首にある輪止に手をやり、ジェスチャーで意思の疎通を図った。
「駄目だよ、それは外さない」
ううっ……通じたけど、即却下なんて!
「いいかい? お前は僕のペットになったんだ。僕がお前の“ご主人様”なんだからね?」
ぺ、ペット!?
この子……本当に、本気で私を飼う気なの!?
「僕が飼ってあげるから安心して。僕はお前に、こんな鎖はつけないよ? でも、逃げたら駄目だよ? 逃げようとしたら、竜族だっておじいちゃんに言っちゃうからね」
足元の鎖を右足で数回踏みつけ、邪気の無い笑顔でにこっと笑っているけれど。
言ってることは、年不相応に脅迫めいて物騒だった。
「アリシャリが……一族の人間が竜族を捕まえてこんな扱いをしてたなんて竜帝に知られたら、僕等の一族はきっと“仕返し”されちゃうから、おじいちゃんはお前を無かったことにしちゃうだろうね。“無かったこと”の意味、わかるでしょ?」
無かった、こと?
それって……まさか……。
「そう、殺されてどっかに埋められちゃうってことだよ」
やっぱりそうなの!?
伝えられれば……私を竜族に返してくれたって、仕返しなんてこと無……あ! でも、ハクちゃんがっ……でも、絶対に止めてみせるから!
報復なんてされない、させないってって伝えられたら!
「、、……、、、!」
「? ああ、お腹空いたんだ。うん、わかった」
身振り手振りで紙とペンを貸してと表現してみたけれど、伝わらなかった。
「……、、、!!」
指で地面に字を書けばいいということに気づき、爪を立てるようにして地面に文字を書き……書けなかった。
「、、、?」
少年の手が、私の手首を掴んで地面から遠ざけた。
10才前後でも、けっこう力が強くてびっくり……さすが男の子。
「あのね、紙とペンは貸してあげないし、僕はお前が地面に文字を書いたって読まないよ」
え?
さっきの
通じてたの!?
なんで分からないふりなんてするのよ!
こっちは必死なのに!
「……、、、!」
さすがにむっときて、掴まれた腕を振り払った。
子供相手に大人気ないけど、私も追い込まれていて……。
「……あのね、お前が仲間のところに逃げないくらい、僕のこと好きになったらこれを外してあげる。そしたらね、竜になって僕を背に乗せて飛んで欲しいんだ」
何言ってるのよ。
逃げないほど好きになるなんて、無理に決まってるじゃない。
第一ね、私は竜族じゃないから竜体にはなれないのっ!
輪止が有っても無くても、飛べないのよ……。
「僕、良い飼い主になるから。僕と一緒に……」
私にはらわれた手を、彼はこちらへと伸ばし……今度は両手だった。
「空の上の上にあるっていう天の国まで、僕を乗せて飛んで……母様に会いに連れてって欲しいんだ……」
空の上の上にある、天の国?
そこにこの子の母様って……。
「……」
ぎゅっと私を抱きしめる腕は、細く頼りなく。
表情を隠すかのように、胸に押し付けられた頭部を押し返すことが……。
鼻をすんっと鳴らしてそう言った彼を突き放すことが、私にはできなかった。