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四竜帝の大陸  作者: 林 ちい
【幕間】
146/212

【幕間】天に哂い地に吼える・4

*文章中に残酷な描写等が出てきます。苦手な方はご注意下さい。

「…………駄目だ」


愛しい人を失った、最強最凶の竜による世界の終焉?


「あの子が死んだら、僕の可愛いカイユが泣いてしまうじゃないか」


 あの異界の娘が、<監視者>の竜珠を得る目的のために身体を裂かれて死んだら。


「僕の娘を苛める奴は、泣かせる奴は」


 <監視者>はこの世界を見捨てるだろう。

 愛しい娘と孫の生きる、この世界を<監視者>はきっと壊してしまう。


「殺す」


 ミルミラを殺した術士の居場所を、行方の手がかりを導師から得たかったけれど。

 僕は、僕の娘ために導師を一秒たりとも生かしておきたくなかった。

 僕が奴の頭を落とすつもりで薙いだ刃は、完璧な踏み込みだったはずなのに。


「!?」


 この僕が。

 仕留める気で刀を振るったのに。

 導師には届かなかった。


「ッ!」


 光円状の障壁に、僕の切っ先が埋まっていた。

 僕が刀を掴む手をひねると、それは暖炉の火が小さく爆ぜるような音とともに消える。


「……へぇ。障壁じゃなく、捕縛系の……かな?」


 消えた。

 それは、僕の右腕を道連れにして消えていた。

 切断面からは高熱で焼かれた時のような、異臭。


「久々に……しくじっちゃったな」

「あひゃひゃひゃひゃぁあああ! 意外にうっかりさんだねぇえええ、銀の竜ぅううう!」


 後方に跳び、導師と距離をとった僕を哂うその左手には僕の腕。


「へぇえええ、いい刀使ってるんだねぇえええ! これってあの天才鍛師インヴァ=イングのじゃぁああああないのぉおおおお? 国宝級のすごいの持ってるじゃぁああああん!」


 国宝級のすごいのと言いながら、まるで塵でも捨てるかのように。

 導師は僕の腕ごと、刀を無造作に放り投げた。

  

「……それを誰が作ったかどうかなんて、僕は知らないよ」


 もうとっくに寿命で死んでる製作者が天才だろうが阿呆だろうが、僕は興味が無い。

 誰が作ったなんて、気にしたこともなかった。

 もういない、僕の<主>がくれた刀ということだけで十分なのだから。


 床に転がる僕の腕は、刀を握ったままで……位置は導師の斜め左の後方、4ミテほどの距離。

 さて、どうするか。

 まぁ、腕一本だって闘えるけど。

 僕は刀を使ったほうが、力の調節がし易い……。


「あのような低俗な挑発にのるなど。貴方らしくないですね、セレスティス殿」

「そう? どうせ仕留めるんだから、結果が同じならのっても問題無いでしょ?」

「まぁ、そうですが。貴方は珍しい特殊個体なんですよね? 腕、すぐに生えるのですが?」

「あのねぇ、そんな都合よくいくわけないでしょう?」

「そうですか。意外と普通なんですね」


 肩から下、右腕を失った僕を案じるなんて事は、このクロムウェルという男はしない。

 <竜騎士>である僕が腕1本失った程度では、引くことは無いと分かっているからだ。


「普通……ね、初めて言われたよ」


 こんな僕だけど、痛覚は普通の竜族同様にちゃんとある。

 腕を失えば相応の痛みを感じるし、痛みは現在進行形だ。

 痛いけれど、この肉の痛みは。

 僕にとって、単なる痛みであって『苦しみ』じゃない。


「クロムウェル。導師は術式を“出す”速度が異常に速かった。あの速度で術式を使えるなんてね……しかも、導師は発術前の基点の“揺らぎ”すら、無い。これってどういうことだと思う?」


 内障壁を外障壁に変えていたために、クロムウェルの術式内で他者が術式を展開しても反発による衝撃がほとんどない無い。

 けれど、クロムウェルの眉が不快そうに寄せられていた。

 

「……まさか……いや、これほどの術士ならば可能なのか?」

「クロムウェル? どうしたの?」

「セレスティス殿。貴方の質問の前に、私が気づいたことを先に言ってもよいでしょうか?」


 クロムウェルは片腕を無くした僕の横に並び、導師を見つめながら言った。 

 

「いいよ」

「推測ですが。ミー・メイの術式は導師に『過干渉』されたのです。ですから<監視者>の処分対象にならない無機物ではなく、あのお嬢さんが……私の考えは合っていますか? 導師」


 その硬い声に返されたのは。


「へえぇええ~、すごいじゃぁああん! お前はなかなか頭が回るんだねぇえええ! 脳まで筋肉じゃあないんだねぇええぇ~、あひゃひゃひゃぁあああっ!」


 上っ面だけの賛美の言葉と、嘲笑だった。

 でも、それで十分だ。

 クロムウェルは満足気に頷き、そんな彼に僕は訊いた。


「ねぇ」


 気になるのは、僕にはよく分からない『過干渉』なんて術式用語のことじゃなく。

 この一点。


導師(イマーム)もあの王宮術士の術式の失敗に何かしら関係してたなら、<監視者>の処分対象者になるってことだよね?」


 僕の問いに、クロムウェルは頷く。


「なら、僕等竜族にとっては好都合だ。まぁ、<監視者>のつがいであるあの子を狙ってる時点で、あの人に<処分>されること決定だけどね」


 美しい少女の姿をした導師は、僕の言葉に両の口の端を吊り上げて大声で笑い出した。


「くけけっ、くけけ……あひゃっ! あひゃひゃひゃ! ヴェルヴァイドにそれを教えるなんてできないよぉおおおお? あひゃひゃひゃぁああああっ!」


 ふわりとワンピースの裾を舞わせながら、左足を軸にして導師は踊り子のようにくるくると回転し、笑い声とともにその動きをぴたりと止めた。


「無理。お前等、此処で死ぬんだからねぇええええ!!」


 まるで、そこだけに乱気流が発生したかのように少女の髪が四方に流れる。

 その髪とは対照的に、ワンピースはレースの飾りすら動かない。

 作り物のような造作の目鼻も、仮面のように表情を消し去った。


「まずはお前だよおおおお! 竜帝の犬になり下がった屑っ!!」


 同時に、閃光。


「クロムウェルッ!」


 刀がこの手にあろうがなかろうが。

 僕は自分のすべきことを、する。  


 僕は避けられるが。

 障壁の術式を展開中のクロムウェルには、無理だから。


 婿殿、君と約束した。

 クロムウェルは、生きて……『使える状態』で帝都に帰すと。

 術式が使えない竜族が。

 術士とどうやって戦うのか。

 答えは一つ。

 肉体の持つ『力』だ。

 種も仕掛けも無い、単なる力技。


「セレスティス殿っ!?」 


 僕は残っていた左腕で、導師の術式を正面から殴りつけた。

 術の『力』より僕の『力』が勝り、術式は壊れた。


「あれぇえええ? 銀の竜ったらずいぶん優しいんだねぇえええ! あひゃひゃひゃっ! いいざまだなねええ!」

「……くっ……!」


 僕の左腕は。


「セレスティス殿……なぜ私をかばったのですか?」


 術式を殴りつけた瞬間、拳から肩まで縦に裂けて……散った。


「君は、僕にとっ……て、利用価値がっ……ある人間だからね」


 僕の中にあった血液が、あるはずの無い場所に新しい出口を見つけて我先にと噴出していた。

 右腕は高熱で焼き切られたような状態だったから、その焦げ付いた肉からの出血量は刃物で切断されたと場合とは比べようも無いほど少なかった。

 左腕は、違った。

 裂かれて飛んだ肉片。

 砕けて散った骨。

 笑っちゃうくらい勢い良く、持ち主の体から去っていく血液。

 これで即意識を失うほどやわ(・・)じゃないけれど。

 失った分の血液を、肉を、骨を作りなおそうと体の内部が蠢いて外へ向ける『力』を奪う。


「あひゃひゃやひゃぁあああ! 両腕無いんじゃ、もう刀持てないよね? 刀使えない竜騎士なんか、生きてる価値ないんじゃないの? あ、そっかぁああ! ここで死ぬんだからいいのかぁあああ!」


 空間を掻き混ぜるかのように、左右の手で導師が円を描くと。

 投げ捨てられていた僕の腕が、掴んだままの刀と共に石の床の上で動き始めた。

 

「あーひゃひゃぁああ! かわいそうだからぁああ、返してあげるぅううう!」


 それは床を這って進み、僕の足元で止まる。

 屋上の床に、刃が歪んだ線のような傷を残した。

 あぁ、まったくなんて雑な扱いだ。

 石の床を引きずられて、刃こぼれしてしまったかもしれないな。


「かわいそう……なのは。君だよ、導師」


 僕の血肉の撒かれた床を進んできたせいで、導師を斬る前に刀は血に汚れてしまった。

 この刀が持ち主である僕の血を吸うのは、あの時以来だ。

 ミルミラの魂を追って、黄泉に行こうとした時以来だ。


「あぁあああ~ん? なんだってぇええぇえええ?」


 導師は顎を突き出すようにして、唇をぐにゃりと曲げた。

 僕はそれを見て、微笑まずにはいられなかった。


「なぁああに笑ってんのぉおお? お前のその顔、ムカツクなぁあああ」

「ふふっ……教えてあげるよ」


 少女の目鼻……顔をつくる部品の一つ一つは、芸術品のように美しいのに。

 その美しさを覆い尽くす、滲み出る狂気。


「抱きしめる相手のいない腕なんて」


 導師、お前はなぜ。

 <監視者>ではなく、<ヴェルヴァイド>とあの人を呼ぶ?


「無くなっても、痛くも痒くもないんだよ?」


 そこにあるのは。


「ああ、そうか……君は誰かを抱きしめたいんじゃない」

「あぁ?」

「抱きしめて、欲しいんだろう?」


 その執着の中にあるのは……。


「ふふっ……君って憐れ、だねぇ」

「…………なぁああああんだってぇええええっ! わかったようなこと言うんじゃないよ! この大蜥蜴野郎がぁああ! てめぇの竜珠なんかいらないぃいいい! 殺す、殺す、殺すぞぉおおおおお……ぉおおおお?」


 手に入れられぬなら。

 壊したいのほど、の……。




「ぐがぁぎゃぁああああああああああ!!」




「手が無くても、足がある」


 落とした踵は、脳天を割ってそのまま下半身を通過した。


「ッ……やっぱりそうかっ!!」


 砕ける感触は脆く、乾いていた。

 

「こいつは、自動人形(オートマータ)だっ!!」


 壊れた導師の【器】は、僕の思った通り。

 『人間』ではなかった。


 





「……はぁ、ちょっと疲れたな。孫持ちのじーさんは、座らせてもらいます」


 僕は石の床に腰を下ろし、おった右膝に顎を乗せた。

 バイロイトと合流したいけれど、幼竜達に今の僕が姿を見せるのは……あの子達は普通の竜族だから、両腕無しの血塗れの僕にショックを受けるだろう。

 外套を羽織って、ごまかせ……う~ん、無理かな?


「両腕無くなって“ちょっと疲れた”だけの貴方に、じーさんを名乗る資格はありません。城内でキラキラした王子様をやっている貴方が、こんな時だけじーさんを使用するのは却下です。……それになんですかっ、あの超高速踵落としはっ!? あのような速さで動けるなら、最初からそうしてください」


 僕の首から引き抜いたタイで止血しようとしたクロムウェルを、手で追い払いながら抗議した。


「対人間じゃ駄目だったから、竜騎士用速度に変えたんだ。最初はその必要を感じなかったからね……あ、でもあの程度じゃ婿殿には当たらないよ? そんなことより、僕は君を庇ってあげたんだからもっと感謝しなさい」


 僕のこの身体は、この程度の負傷なら出血はじきにおさまることを、僕は今までの経験で知っている。

 止血は必要ない。


「感謝? 利用価値が云々ってことは、私は今後貴方に徹底的に『利用』されるってことですからしません」


 軽口を交わす僕等に戻ってきたのは、静寂ではなく。

 首都の中心に位置するこの街の喧騒。

 下の通りで騒ぐ酔っ払いの怒鳴り声、馬車の車輪が石畳を駆ける音。

 ありふれた日々の、昨日も今日も明日も繰り返されるそれら……。


「セレスティス殿、これはなんなのですか? まるで壊れたビスクドールのようです。私の目には生きた人間のように見えていましたが……幻術系の術式だとしたら、規格外の術の精度です」


 障壁を下げ、術式を解いたクロムウェルは、目の前にある導師だったモノの一つを拾って言った。

 縦半分になったそれは大小の破片となっていたが、裂かれたワンピースがそれらが広範囲に飛散するのを防いでいた。


「僕にも人間に見えてたよ、途中まではね」


 僕の足元には、ひびの入った義眼が転がっていた。

 自動人形は<黒の大陸>でしか作られていない。

 もとは観賞用の、陶器製の人形がその原点だ。


「途中、というと……右腕を失った時ですか?」

「そうだよ。あれはとても“おかしかった”から。それにね、近づいても“生き物の匂い”がしなかったんだ」


 僕が自動人形(オートマータ)を知っていたのは、先代陛下が生きていた頃に大型伝鏡越しに見せられていたからだ。


「匂い? ですか」

「うん、匂い。なんて言ったらいいかな……動物も植物も、命あるモノには“命の匂い”を感じるんだ。でも、それが無かった」


<黒の竜帝>が当時の陛下に、最新式の玩具だと見せていた。

 前もって決められた決まった動きしかできないにしろ、金髪の少女を模した人形がぎこちないながらもステップを踏み舞う愛らしいさまに、陛下も目を細めて……。

 あの頃はまだ、あの2人は良い友人関係だった。


「導師は自分の脳を“お持ち帰り”したいと、僕等竜族が考えているだろうと思ったんだろうね……まさか二百年以上前の、陶器製の自動人形を導師が使うなんて。こんな高度な遠隔操作の幻影系の術式があるなんて、詐欺みたいだ」


 クロムウェルは興味深げに、壊れた人形を手に取り調べ始めた。

 自動人形の内部には大小の歯車が幾つもあり、さまざまな螺子や金属の部品が入っている……機械に疎い僕では、壁掛け時計の中身が複数詰まっているようにしか見えない。

 この筋肉ダルマ術士もその仕組みに興味はあっても、それを見ただけでは理解できないのだろう。

 太い首の上にある頭を右にぐぐっと倒して、考え込むようにしていた。


「これは……なんでしょう? この人形の内側には、小さなガラス玉のようなものが多数接着されています。色は様々ですが……どれも宝石のように美しい」


 クロムウェルは躊躇い無く人形の上半身から敗れたワンピースを剥し、左胸下部分の一部を割り取って僕へと投げた。


「ん~……なんだろうね? 鉱物を加工したモノかな?」


 膝の上に投げられたそれを、両腕が無いので顔を寄せ顎で触れて感触を確かめた。

 

「ッ!?」


 小指の先ほどの小さなそれに触れると、触れた皮膚が一瞬だけ痛んだ。

 一点を針で刺されたかのようなそれは……まるで、この小さな物体があげた悲鳴の様でもあった。


「クロムウェル……全部回収してね。どんな小さな欠片も一つも残さず、帝都に持って帰る。陛下だけじゃなく、黒の竜帝陛下にも見てもらったほうがいい」


 感じた小さな痛みが、僕の中で影を生む。

 不安感にも似た、なんとも嫌な……嫌な気分だ。

 毒素や身体への害は感じないが……。


「貴方の右腕、どうしますか?」


 小さな物体に同じように触れたはずのクロムウェルは、無反応だった。

 僕と彼の違い……竜族と、人間?


「焼却処分していいよ。両腕の完全再生にはかなりかかるな……カイユと婿殿がいなくて、これから忙しくなるっていうのに……。クロムウェル、今の僕は竜体になっても飛べない。ニングブックにでも迎えに来てもらおう」


 腕が無い僕は、竜体になっても翼が無い。

 竜体になったら、まさにただの大蜥蜴かもね……ん?

 足音?

 階下から、駆けて……。


「セレスティス殿?」


 室内へと繋がる扉へと顔を向けた僕の視線を、クロムウェルが追う。

 勢いよく押し開かれた扉から、足をもつれさせて転がり出たのは。


「ミチ君? どうしっ」

「セ、セレスティスさんっ! 支、支店長がっ……バイロイトさんがっ!」


 前のめりに倒れ、あげた頬には血のにじむ擦り傷。

 全身がひどく震えて立ち上がれない彼の両目から、一気に涙があふれ出た。

 

「バ、バイロイトさんがぁあああっ……わぁああああ!」

「ミチ君。バイロイト達はどこ?」


 僕は立ち上がり、背を丸めて泣く彼へと歩み寄り訊いた。

 もし手があったとしても、僕は震える彼の背を撫でることも抱きしめてやることもしない。

 僕のすべきことは、泣く幼子を慰めることじゃないから。


「え、えぐっ……地下の道のま、まんな……く、くらっ…で、バイロイトさっ……ううっ……行ってっ、早く!」


 彼は助けを求めて僕へと伸ばした右手を左手で掴んで、ぎゅっと拳を握った。


「後で迎えに来る。クロムウェル、地下避難道中間地点に転移だ! 急げ!!」

「承知しました」


 



 避難用の地下道は。

 足元に特殊な光苔が等間隔に植えられていて、灯りなんてとても言えない弱弱しい光を放っていた。

 人間の目には役に立たない微量なそれは、僕等竜族にとっては充分なものだった。

 湿り気を帯びた空気は澱み、重苦しい。


「……バイロイト?」


 目の前に転がっている、動かぬ塊は二つ。

 片方の名を、僕は呼んだ。


「バイロイト」


 バイロイトは、普通の竜族だから。

 僕から見たら「こんなんで?」って思うくらいの傷で。

 羨ましいくらいに、あっけなく。


 死んでいた。


「……」

「支店長は首を損傷してます。傷が深い……出血性ショックによる死亡でしょう」


 クロムウェルは術式で生み出した淡い光を自分の指先に乗せ、バイロイトを照らした。

 いつもより少し低い声でそう言い、横たわるバイロイトの身体へと両手を伸ばし、肩へと担いだ。

 

「さすがにこの場合、足は腕の代わりにはなりませんから私が……シャゼリズ・ゾペロはどうします? 一応、頭部だけ持ち帰りますか? 必要なら、切断し保管処理を施しますが」

 

 頭を狙えと、僕はバイロイトに言った。

 でも、シャゼリズ・ゾペロの頭部は無傷だった。

 うつぶせに倒れているシャゼリズは、右脹脛と胸部から出血していた。


「いらない」


 僕は、足元に落ちている短剣へと視線を落としたまま答えた。

 バイロイトの血が、光苔からじわりと滲む靄のような光に照らされていた。

 シャゼリズ・ゾペロは契約によりバイロイトを傷つけられない……それは、術式での場合だ。


「バイロイトだけでいい」


 多分。

 バイロイトはシャゼリズ・ゾペロが現れた時。

 奴の足を撃ち、足止めしての幼竜達を先に行かせたんだろう。

 

 そして、懲りずに奴と話し合おうとして……不用意に近づき、短剣で斬られた。

 2人の死体の位置から考えると、倒れたバイロイトは幼竜達を追うために背を向けた奴を撃ってから……銃声に気づいたミチがここに戻り……。


「クロムウェル。僕の胸ポケットにある携帯電鏡を使って、ニングブックを呼び出して」

「……はい」


 クロムウェルは僕の伝鏡を取り出し、鏡面を指先で弾いて二言三言呟いてから僕の口元へと寄せた。

 今の僕の顔を、表情を相手に見せないための配慮かもしれない。

 僕、そんなに酷い顔しているのかな?

 僕はバイロイトを傷つけた短剣の刃を踏みつけながら、電鏡の向こうにいる竜騎士ニングブックに言った。


「ニン? ああ、僕だよ。迎えに来て欲しいんだ」


 竜体で空を飛ぶのが好きなはずの僕が言った言葉に、ニングブックが異常を感じて息を飲む音がした。

 隠してもしょうがないから、理由を正直に言う。


「急いで迎えに来て。え、うん。腕が無いんだ、両方ともね。だから、飛べない」


 もう一つ、言うべき事を。

 伝えるべき事を、口にした。


「ああ、それから」


 それは、ニングブックに言っているというよりも。


「バイロイトは、死んだ」


 僕が僕自身に、言った言葉だった。





 避難道を無事に抜け、ラーズとコナリを迎えに行くと。

 街外れの丘にある大木の根元にしゃがみこんで、泣いていた。


 僕とバイロイトを担いだクロムウェルの姿を目にし、安堵に揺るんだ顔は数秒後にはこれ以上は無いというほどぐちゃぐちゃになっていた。

 僕は血だらけなうえ両腕が無く、しかも……クロムウェルの抱えているモノが遺体だと理解したからだ。

 この丘には、小さな黄色い花を日没後に咲かせるリリエ草が多く自生していた。

 虫を集めるために強く香るその花の上にバイロイトを寝かせた後、クロムウェルは支店屋上に導師の残骸の回収の戻り……ミチもここへ連れて来た。


 帝都からの迎えを待つ間。

 月の光の下で、僕等はバイロイトを囲むように座って過ごした。


 朝焼けの空の先に、こちらに向かってくる見慣れた姿を見つけ。

 その足に、遺体運搬専用の長方形の籠が下げられているのを目にし。

 子供達は際限無く込み上げる嗚咽を我慢できず、再び大きな声で泣き始めた。


 その泣き声を聞きながら。

 僕は座ったまま身をかがめて、朝日を浴びて萎れはじめた花を口で摘み。


「……さよなら、お兄」


 開くことの無いその目蓋の上に、そっと置いた。

 


 

 

 

 ニングブック組んだ両手の中に幼竜達、僕とクロムウェルは背に乗り空を移動した。 

 心身ともに弱っている幼竜達にとって負担になることを承知で、高速飛行で帝都に戻った。

 城への到着は翌日の早朝だった。

 昇る陽に染まりながらも、空の端には溶け切れむ夜の色が残っていた。

 ニングブックの鼻の穴からは、規則的に白い靄。

 僕の吐息も白く……頬にあたる風が、冷たい。。

 僕はニングブックが着陸する前にその背から飛び降り、発着所で待機していたヒンデリンとオフランに幼竜達を親元に送り届けるように指示を出す。


「セレスティスさん、治療の前に陛下のとこに行くんでしょう? そのまま城内を歩いたら大騒ぎになっちゃうよ? はい、これ」


 パスハリスが執務室へ向かおうとした僕に駆け寄り、襟高の外套を羽織らせた。

 着地したニングブックが翼をゆっくりと動かすと風が生まれ、外套の裾と袖を揺らした。


「ありがとう、パス。クロムウェルを手伝ってやって。ニンの尾に括り付けてある麻袋に、今回の“収穫物”が入ってる。あれを電鏡の間に運んでおいて。僕も陛下を連れて、すぐ行く」

「うん、わかった」


 質問したいことはいろいろとあるだろうが、それを一切口にいないでパスハリスはニングブックの尾へと駆け出した。

 遺体運搬用の籠に走り寄る竜族の雌……バイロイトの妻・シスリアがすれ違いざまに僕へと視線を向けているのに気づいていたが、無視して陛下の執務室へと向かった。

 階下へ降りようと扉に手を……手が無いので蹴ろうとしたが、その前に内側から開いた。


「セレスティス!」


 真っ青な竜が、飛び出してきた。

 翼をばさばさとせわしなく動かしながら、陛下の青い瞳が袖を通さず外套を羽織った僕を凝視した。


「セレスティスッ……お前……腕っ……」

「陛下。執務室で説明と報告をします。さぁ、行きましょう」


 声を詰まらせた小さな竜の横を通ろうとした僕の髪を、小さな手が掴んで止めた。


「なに言ってんだ!? てめぇ、両腕がねぇじゃねえか! 報告はクロムウェルに聞く、お前のは後でいいから、すぐ溶液にっ……」

「溶液の準備はプロンシェンがしてくれてるだろうから、準備終わるまで30分はある。報告を先にさせて」


 掴んだ僕の髪をひいて、ひょいっと頭に張り付いた陛下ごと歩き出す。

 陛下は僕の頭をぽこぽこと叩いて、言った。


「あそこにバイロイトがっ……シスリアがっ!」


 僕は階段を降りる足を、止めなかった。

 左足、右足、左足……動かせ、止まるなと自分自身で言い聞かせて前へと進む。

 開け放たれたままの扉からは、発着場のざわめきが流れ込む。


 シスリアの絶叫が、僕の背を突き抜けた。

 遺体運搬用の籠を、開けたのだろう。


「シスリア!?」

「行くんじゃない、陛下。まだ愛しい者に出会っていない君は、愛しい人を奪われた者にかけるべき言葉を持たない」


 シスリアの元に帰って来たのは、二度と目覚めない夫。


「セレスティスッ……俺はっ……」


 バイロイト。

 お前は、お前らしい死に方をした。


「何を言っても、今のシスリアには届かない」


 でも、それは。

 愛しい者への、裏切りだ。


 僕は言ったよね?

 シャゼリズ・ゾペロが現れたら撃て、と。

 殺す気で、撃てと。

 なのに、お前は……。

 だから、僕はお前の死を悲しまない。


「あ……うっ……ぁああ、あああぁああっ!」


 人より優れた聴覚を持つ僕の耳に。

 シスリアの叫びが、背後から押し寄せる。


「ぁあ、あああっ……ぁあ、ああ、いやぁああああああ! バイロイトォオオオオ!!」


 さあ。

 もっと泣き叫ぶんだ、シスリア。

 君のその声が、黄泉にまで届くように。


「陛下、訊いても?」

「…………なんだよ?」


 もっと、もっと……。


「僕、笑えてるかな? 僕の顔、いつもと同じように、笑えてる?」

「……教えてやらねぇ」


 僕の分まで。

 嘆き、悲しんで。



 


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