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四竜帝の大陸  作者: 林 ちい
【幕間】
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【幕間】天に哂い地に吼える・3

「んん~?……導師(イマーム)って言ったぁあああ? くけけっ……あはっ……ひゅへあひゃぁああっ!!」


 この支店の契約術士シャゼリズ・ゾペロの頭を掴んで左右に大きく振りながら、笑うその姿は。

 

「くけけけえぇえ~っ! お前等竜族もそう呼んでくれるの!? 導師(イマーム)導師(イマーム)!?」


 10才ほどの。


導師(イマーム)!! そう! 私は導くのさぁああ! 愚かな人間共をっ! この世界をっ!! あひゃひゃひゃひゃっ! いいねぇ~、いいよねぇえええ!!」


 少女だった。


「……僕の質問は無視なわけ? 感じ悪いねぇ」


 それは形だけであって、まともな(・・・・)少女などではないのは一目瞭然。

 花の蕾ような可憐な唇から吐き出されるのは、醜悪な嘲笑。

 浮かべた笑みは、まるで瘴気を含むかのように毒々しい。

 僕等を見下ろす切れ長の眼には、あからさまな蔑み。

 レースをふんだんに使った可愛らしいドレスを纏っていても、それらをとても補えない。


「ねぇバイロイト。あいつの髪と目の色を、僕に教えてくれる?」


 僕の背の3倍ほどの高さに浮かぶ少女に視線を固定したまま、抱えているバイロイトに訊いた。

 波打つ髪は、銀……いや、白銀だろうか?

 僕がこの眼で見るものは、基本的にモノトーンになってしまう。

 だから、色を感で推測しているので絶対とは言い切れない。


「色って……セレ? 貴方、まさかっ!?」


 バイロイトの視線が僕の眼へと向けられるのを感じたけれど、今はそれどころじゃない。

 ま、今じゃなくったって正直に教える気なんて無いけれど。


「その件は、後でね。アイツの色が、先だよ」


 作り物のような、目鼻の形と位置。

 左右対称の……黄金率のそれは、分かりやすい『美』の基準。

 これほどの配置を持つのは、僕が見てきた中では<監視者>くらいだった。

 あの<監視者>と目の前の存在の、類似点。

 類似点、それは一つではなく……。


「絶対に、ですよ? ……光沢のある白髪に、琥珀……いえ、金色の目をして……います」


 僕にそう伝えながらその少女をよくよく見て、バイロイトも気づいたのだろう。


「ふ~ん……やっぱり。なるほどね」

「セレ。白と金、そしてあの顔立ち……あの方と……」


 導師(イマーム)は、<監視者>を……<ヴェルヴァイド>の顔を幼くしたような……。


「バイロイトから見ても、似てるんだね」


 導師(イマーム)の顔には、陛下の執務室で会った<監視者>の面影が確かにあった。


「ま……さか、あの方に……御子が?」

 

 バイロイトの声は、かすれていた。

 自分の考えに驚愕以上に恐怖したのだろう。


「<監視者>に娘がいるはずがないよ。竜と人との間に子は出来ない」


 顔立ちだけで推測するならば、血縁者であっても不思議は無い。

 でも、それは有り得ない。

 竜族の雄が人間の女を孕ませられないということを、僕は身をもって知っている。


「しかしっ、あの方は寿命だけでなく術式を行使できるなど、我々とは違う点も多い……同じように考えて良いのでしょうか!?」


 先代陛下の繁殖実験に使われていた僕は、『仕事』として数え切れないほどの人間の女に種付け(・・・)作業をした。

 結果、人間の女は一人も妊娠しなかった。

 その後、竜族のミルミラとの間にはなんの問題も無く娘を得たのだから、僕の雄としての機能は正常だ。


「バイロイト。竜と人は交じわれるが、雑じらない」

「しかしセレ、万が一……」


 竜族の僕が人間の女を孕ませられなかったのは、犬と鳥の間に子が出来ないと同じくらい当然のことだ……狂信者のように無意味な実験にのめり込んでいたあの時の陛下は、どこかが壊れてしまっていたのだろう。

 まともな思考回路を維持していたら、竜族と人間の混血なんて考えるはずがない。


「バイロイト、術士っていうのは容姿を偽ることもあ……」


 僕がバイロイトにかけた言葉は、耳に刺さるような甲高い声に遮られた。

 

「あひゃひゃひゃぁああ! なぁああにをぉおおお、こそこそお話ししてるのぉおおお? 逃げる相談かなぁああ? あひゃひゃひゃぁあっ、無駄無駄無駄無駄ぁあああ!!」

  

 小さな手で成人男性の頭部を掴んで振り回す少女は、なんとも異様だった。

 もっとも、導師(イマーム)は人間の平均寿命以上の期間を生きてるはずだから、この見た目はなんらかの術式によるものであって、少女のはずがない。


「あひゃあひゃあひゃひゃひゃぁあああ! アイツもコイツもソイツもぐっちゃぐちゃにしちゃおっかなぁあああ!」 


 振り回されるシャゼリズ・ゾペロは、苦痛に顔を歪めながらも抵抗せずにされるがままだ。

 その姿が、この二人力関係を僕達にはっきりと教えてくれた。

 導師(イマーム)にとって、シャゼリズ・ゾペロは“モノ”であり、それはたいした価値の無い“モノ”なのだろう。

 いくらでも替えのある、無価値な“モノ”……。


「ったく、あひゃあひゃ五月蝿い糞餓鬼だね。……クロムウェル! 事務所に置いてきた僕の刀、転移して!」

「はい、貴方の近くの“どこか”に出します」

「え~!? “どこか”っていい加減な……僕の手に転移出来ないの?」


 クロムウェルは両手を掲げ、楽器を奏でるかのように指を動かしながら言う。

 離れた場所にある刀を探って、引き寄せているのだろう。

 必要な時は僕の刀をすぐに呼べるように、クロムウェルが昨夜の内に<印標>を施していたのが幸いした。

 でなきゃ、目に見えぬ場所にある物体を転移など不可能だった。


「セイフォンの王宮術士ミー・メイならば可能でしょうが、私にはそこまでの精度は無理です」

「ふ~ん。あの子、そんなに優秀なんだ……っと!」


 僕は数歩先の床に現われた刀をつま先で弾いて口で持ち、バイロイトを抱えていない左手で鞘を投げ捨てた。

 ほぼ同時に導師(イマーム)も、掴んでいたモノを無造作に投げ捨てた。

 それはクロムウェルの障壁に弾かれ、勢いを増して床へと叩きつけられる。


「……シャゼリズッ!」


 バイロイトは抱えていた僕の腕を振りほどき、口が刀でふさがっている僕が止める間も無く駆け寄った。

 この障壁は、対象者が外へ出るにはなんの支障も無い。

 だからって……まったく、お人好しにもほどがある。

 

「シャゼリズ! 怪我は!?」 


 バイロイトは屋上の床に蹲る男の前で膝を着き、右手で背に触れた。

 この術士はクロムウェルと違って肉体の強度は基本的には普通の人間と同じだから、骨折等を案じたのだろう。


「……どうします? セレスティス殿」


 あの契約術士を助けるか、殺すか。

 クロムウェルは、言外に問いかけてきた。

 僕はそれに答えず、銜えていた刀を手に持ち変える。


「……」


 僕は、見ていた。

 小さな子供にするかのようにシャゼリズ・ゾペロの乱れた髪を撫で、背をさするバイロイトを。


「シャゼリズ! 大丈夫ですか!? 貴方の保護を、私から陛下にお願いしますから私達と……私と帝都に行きましょう!」


 バイロイトは以前、人間の子供の育てていた。

 戦火で親を失った少女を拾い、その少女は術士の才があった。

 成人し、少女は父親の分からない子を産んだ。

 その数年後、彼女は<監視者>に処分された。

 異界からの珍品を雇用者に望まれ、拒みきれずに術式を行使し……しくじった。

 たった1匹の死にかけた羽虫が原因で、彼女は<監視者>に処分された。

 残された息子は……。


「し……てん……ちょう」


 バイロイトへと向けられた顔にあったのは、判別しがたい苦悶。

 このまま『支配者』から逃れる道を選ぶのか、それとも……支配されることを望むのか。


「……っ、し……支店長っ……わ、私は……っく!」


 シャゼリズ・ゾペロは答えを出し。

 告げずに、消えた。


「シャゼリズ!?」

「転移だね。クロムウェル、あいつが何処に跳んだか分かる?」

「……そう遠くは無い、程度のことしか」


 僕を見ずに言うクロムウェルの額には、汗が玉となって浮かんでいた。

 クロムウェルの張った障壁の上に、導師(イマーム)乗って(・・・)いた。

 

「あひゃひゃひゃ! 行ったぁああ、行ったねぇええ! アレはどこに行ったんだろうねぇえええ? 追いかけなくていいのぉおおお? あひゃひゃひゃぁああ!」


 その面白がってる様子に、僕が感じたのは苛立ちではなく確信。


「遠くは無い、ね。それだけ分かれば充分だよ。……バイロイト」


 導師(イマーム)が、面白がっているってことは。

 『面白いことがおこる』と考えたからだろう。

 多分、コイツは知ってるんだ。

 シャゼリズ・ゾペロが、バイロイトの養女だった術士の息子だってことを。


「バイロイト、立てる?」


 わざとだ。

 わざと、近くにシャゼリズ・ゾペロを投げ捨てたんだ。

 バイロイトの反応をみたんだろう。

 

「だ、大丈夫です」


 僕はバイロイトの手を握って、立たせてやった。

 その手は昔と変わらず、温かかった。

 昔、バイロイトは幼い僕の手を引いて帝都の街を歩き……中央市場の露天で揚げ菓子を買ってくれた。 


 ---竜族には人間のように兄弟はいないけれど。セレがうちに来てくれたから、私には弟ができたね。


 藍色の目を細めて、揚げたての菓子を頬張る僕の頭を撫でてくれた大きな手。

 今は僕の手も同じような大きさになって、バイロイトのこの手を大きいとは感じないけれど。

 覚えていた温かさが変わらずそこにあることに、心臓の右隅がちくりと痛んだ。


「セレ、指示をお願いします。できるだけ細かく。私では最善の判断が出来ません。『専門家』である貴方にお任せします」


 僕の手が多くの者を屠ってきたのを、バイロイトは知っている。

 でも、先代竜帝の『実験』については知らない。

 それでいい。

 もし知ってしまったら。

 自分の母親が僕にしたことに、バイロイトはきっと耐えられない。


「バイロイト。死ぬ気は、覚悟はあるかい?」


 バイロイトの手を握る僕の手は君の目に見えぬ血肉にまみれ、明るい場所で歩む者には嗅ぎ取れぬ憎しみに浸って腐臭を放つ。

 この手で戦って、闘って。

 勝って、僕は生き残ってきたんだ。


「はい」


 迷いの無い返事を聞き、僕は決断を下す。

 

「クロムウェルにバイロイトを事務所へ転移してもらう。負荷で身体に支障が出る可能性もあるけれど、近距離移動だからたいしたことはないはずだ。大丈夫、あっても軽いめまいや吐き気程度だよ」


 <監視者>に赤の大陸から転移させられたダルフェは、生ゴミ状態だったっけ……僕は脳裏に浮かんだ光景を否定した。

 クロムウェルは転移は不得手だと言うが、それは自分自身の中の基準であって……。

 雇用する気の無かった陛下がこれを契約術士にしたのは、<監視者>の一言があったからだった。

 この男はあの<監視者>に「買え」と、言わせたほどの術士だ。 


「いいかい? コナリ達を守るんだ。地下の避難道を使って街外れまで行って、そこから帝都に向かって飛べ。僕達を待つんじゃないよ? 全速力で帝都に帰るんだ」


 僕の刀を転移させたあの精度があれば、直線距離で十数ミテしかない事務所にバイロイトを転移させても、四肢のどこかを失うなんてことは無い。

 竜体で飛べなくなるほどの負荷を負うことは無い。

 任せて、大丈夫だ。


「術士を相手にするのは、僕とクロムウェルの仕事だ。導師(イマーム)は逃がさない、仕留めてみせる。だけど、シャゼリズ・ゾペロまでは手が回らない」


 僕一人で導師(イマーム)の相手をして、クロムウェルをバイロイトとコナリ達の護衛に回すという手もある。

 シャゼリズ・ゾペロ程度の術士など、クロムウェルの敵じゃない。

 でも、僕は目の届く範囲にクロムウェルを置いておきたいんだ。

 短時間だろうと、僕はクロムウェルに別行動をとれと指示する気は無い。

 僕は、クロムウェルを生きて帝都に帰すのだから。

 婿殿と、約束した。

 他を犠牲にしても、僕はクロムウェルだけは必ず残す。

 

「あいつが逃げるために転移したならいいんだけど。そうじゃなかったら」


 あの契約術士は、雇用者を術式では傷つけられない。

 バイロイトがあの術士としたその契約は、双方の合意が無ければとけない拘束力の強いモノだ。

 あいつを身近で監視しておくために、術士を雇用するに当たって最高額が要求されるそれを陛下はバイロイトに……ま、支払いは陛下だから金額は問題じゃない。

 いざって時、腕力勝負なら竜族であるバイロイトがシャゼリズ・ゾペロに勝っている。


「もしシャゼリズ・ゾペロが事務所に現れたら、殺せ」


 術士に不利な分、高額な契約は万が一の時、シャゼリズ・ゾペロが動いた場合にバイロイトに危害を加えられないようにする保険だった。

 シャゼリズ・ゾペロが手出し出来るのは、幼竜のあの子達。


「!? 殺すことは無いでしょう!? 保護を求めて事務所に現れる可能性がっ……」

「アイツ、きっとコナリ達の竜珠を狙うよ? 僕が見たところ、導師(イマーム)はアイツの『支配者』だ。竜族(こっち)につくとは考えられない」


 導師(イマーム)に頭を掴まれ、振り回されていた時。

 シャゼリズ・ゾペロは、『支配』されているモノの目をしていた。

 それは崇拝でなく、恐怖によるもの。

 強い恐怖心は、正常な判断を捻じ曲げて奪う。

 

「……それはっ」


 陛下はバイロイトに、あの子達を守らせるためあるモノを特別に持たせていた。

 

「竜珠は命が消えると同時に体内で散って、回収が難しくなる。効率良く取り出すために、あいつらは禁術を使って生きたまま竜族の身体を裂いて臓腑を漁るんだ」


 僕は知っている。

 バイロイトの上着の下にあるモノを。

 それはシャツの上から装着され、脇の下へと固定されている。

 皮製の拳銃嚢(ホルスター)


「死ぬ気はあるって言ったよね?」


 拳銃嚢(ホルスター)に収められているのは、黒の大陸の銃。

 人間が人間を殺傷するために作り出した、武器。


「その死ぬ気を、殺す気に変えろっ!」


 複列弾倉のそれは、15発を撃ち出せる。

 それだけの回数を撃てるのだから、数発は当てられるはずだ。


「セ……レスティス。わ、私は……私にはっ」

「バイロイト、お兄。剣を扱えないお兄のために、陛下が<黒の竜帝>に頭を下げてまでそれを手に入れて持たせている意味、分かっているだろう?」

「……えぇ、分かっています。私は、コナリ達を守らなくてはなりません」


 コナリ達、か。

 僕としては、帝都でバイロイトを待つ妻子の元に生きて帰るためと言って欲しかった。

 バイロイトは本来なら竜族の『表』だけを知っていればいいのに、母親が竜帝だったために『こちら側』を多少知ることになってしまった。

 そのせいか……つがいや子のことより、『竜族』全体のことを考えてしまう傾向が強い。

 愛する伴侶との未来すら切り捨てようとする、雌至上主義の竜族の雄としてはとして異常なまでの責任感の強さ。

 僕にはそれが、先代の青の竜帝セリアールの呪いのようにさえ思えてしまう。

 個ではなく、皆のために自らを捧げ。

 今ではなく、未来のために犠牲を強いる。

 母親の四竜帝としての生き方を傍で見て育ったバイロイトは、肉体的には普通の竜族なのに精神的には……。


「……ったく、クソババアの阿呆めっ」


 黄泉にいる『主』に悪態をつく僕に、その息子は眉を寄せた。

 僕が“クソババア”と呼ぶ対象が誰のことか、付き合いの長いバイロイトは知っている。


「セレ?」

「……お兄、いい? 心臓は難しいだろうから、ここを……頭部を狙うんだ。一発でも当たれば十分だから。シャゼリズ・ゾペロは術士だけど肉体的には普通の人間と変わらない。あいつに弾を避ける事なんてできやしないさ」


 シャゼリズ・ゾペロ程度の術士には、弾丸を防ぐほど強力な障壁を張るのは難しい。


「ここに、ど真ん中に当てなくてもいいんだ。できる?」


 僕はバイロイトの眉の間を、指で押した。

 

「は……はい」


 はい、と答えながら。

 そこには隠しようも無い、迷いがあった。

 

「……あのね、陛下は<監視者>を説得できなかったんだ。彼はこの件に協力する気が無いそうだから、シャゼリズ・ゾペロの脳はもう必要ない。ふふっ……遠慮無くふっ飛ばしていいよ。見るの嫌だったら、目を瞑ってね」


 婿殿はちょっと痛めつけて……拷問して吐かせればいいと言ってたけれど。

 そういうとこ、やっぱりまだまだ青いんだよね。

 痛みと恐怖で引きずりだした答えが、正しいなんて保証はどこにも無い。

 <監視者>を使ったほうが、確実だった。

 まぁ、あの人にやる気が無いならしょうがない。

 無理強い出来る相手じゃない。


「セレスティス……なぜ、貴方は笑えるのですか? それが<竜騎士>に生まれた者とそうでない(わたし)との違いなのですか!?」


 情に揺れるバイロイトの問いは、僕には無意味。

 問いかける瞳を包む哀しみは、僕にはなんの価値も無い。 


「さあね? 僕には分からないよ」

「セレ、セレスティス。貴方は、ミルミラを失ってからの貴方はっ……」

「ん? なあに? 言っていいんだよ、バイロイト」


 バイロイトが飲み込んだ言葉を。


「僕、狂ってるのかな? 自分じゃ、分からないんだ」


 僕が拾って、舌先で転がし味わってから放つ。


「セレスティ……ス」


 バイロイトから数歩離れ、僕はクロムウェルに声をかけた。


「クロムウェル、転移よろしく」

「はい、団長殿」


 クロムウェルの額を流れる汗が、瞬時に湯気となって蒸発した。

 障壁を維持しながら転移の術式を展開したことで、体内にある術力の<基点>にさらなる負荷がかかったためだろう。


「セレスティスッ、待っ……!」


 転移寸前にこちらへと伸ばされた手を、僕はぎゅっと握った。

 この僕の手ではなく。

 心の中で、ぎゅっと握った。






「あひゃひゃひゃぁああ! あいつ、やぁあああっと行ったねぇえええ! 面白いことになると思うよぉおおおお!」


 バイロイトが消えると同時に、例の胸糞悪い“あひゃあひゃ笑い”が降り注ぐ。

 ひらひらとしたスカートの裾を躍らせて、リボンのついた靴で軽やかにステップを踏みながら導師(イマーム)は言った。


「ねぇええ! 教えてよぉおおお銀の竜!」


 僕は目線は導師(イマーム)に向けたまま、刀を払う仕草でクロムウェルに合図を送る。

 バイロイトが居ないので、もう障壁の強度を下げて良いと。


「僕の質問は無視したくせに、教えてだって? 君、ずうずうしいね」


 討ちに行くので、内障壁を外障壁に変えろと指示を出す。


「んん~? 壁ぇえええ変えたのぉおお? まぁああいいけどねぇええ! ねぇねぇ、なぁあああんで私が“私”だぁあって、あんたには分かったのおぉお?」


 外障壁は広範囲に、広く薄く……街に被害が出ないようにするためのモノだ。

 クロムウェルへの負担も少なくて済む。

 

「そんなの、簡単なことだよ」

「簡単ぁあああん?」


 僕は竜騎士として多くの術士と接し……殺してきた。

 竜族の僕から見れば、術士は術式が使える『人間』だ。

 術士と相対する時、僕の感覚は人間として感知する。

 この感覚を、なんと言ったらいいんだろう?

 僕は鶏もカラスも鷲も鳥として、その存在を感じる。

 個々の姿形・能力が違っていようが鳥は鳥。

 竜は竜。

 人は人。

 

「“変”だからだよ」


 だが、いきなり現れたこいつは。


「変んんん? 私のどこがぁあああ?」


 “変”だった。


「全部、変だよ」


 幼女の容姿は、不自然だが有りだ。

 幻術系の術式で容姿や性別を偽ることが出来る技術を持つ術士は、稀にだが確かにいる。

 

「ふうううう~ん。それって竜族の野生の感ってやつぅうう?」

「君、馬鹿? 人間との共存を選んで人型で生活している今時の竜族に、野生の感なんてたいして残ってるわけないでしょう?」


 障壁が“内”から“外”に変わったので、導師(イマーム)は支店の屋上へとふわりと舞い降りた。

 それは羽毛のように軽やかなのに、汚泥のように重苦しい気を引きずって降りてきた。


「経験だよ」

「へぇえええ! 経験かぁああああ!? 経験経験経験! お前はぁあああ、それだけの数の術士を殺してきたってことだねえええ!?」

 

 手を伸ばせば、<監視者>に似せた髪に触れられる距離にいる少女は。


「いいじゃぁああん、あんたすっごくいいよねぇぇえ! あひゃあひゃあひゃぁああ!」


 全身から溢れ出す術力で髪をなびかせ、切れ長の目をさらに吊り上げて笑う。

 それはとても愉しげで。


「うんうん、気に入ったよぉおおお! あひゃあひゃひゃひゃ! あんたの竜珠、私がもらっちゃおぉおおお!」


 色の分からぬ僕の眼に、極彩色に輝く狂気の華となって咲き乱れる。


「……君にはできないよ。だって、ここで僕に討たれるんだから。死んじゃう前に、僕の質問に答えてくれるかい?」


 それは僕の視覚を歪め、聴覚を捻じ曲げていく。

 ああ、なるほどね。

 こいつは、幻術系が得意なタイプだ。

 青の大陸には、あまりいない……。

 やはり、導師(イマーム)は他大陸の人間なのだろう。

 幻術系術士ってことは…………黒の大陸?

 黒の大陸は、他大陸と比べて術士が少ない。

 権力者達が術士を兵器として扱い、魔薬(ハイドラッガー)を乱用したせいだと……。


 <監視者>への強い執着を感じさせる容姿の導師(イマーム)

 幻術系の術。

 黒の大陸。

 黒の大陸にいる黒の竜帝は、死期が近い。

 代替わりが行なわれる。

 竜帝が死に、新たな竜帝が雌の胎内に……。

 

「…………」


 カッコンツェルの妻、インテシャリヌが身篭ったのが現<青の竜帝>だった。

 普通の竜族が、四竜帝をこの世界に産む。

 四竜帝といえど、胎にいる時は無力な存在だ。


「……まさか……」

「ねぇねぇ、そんなことよりさぁあああ!」


 胸糞悪いことこの上ない甲高い声に思考を邪魔されたのはともかく。


「………………あぁ? てめぇ、“そんなこと”じゃぁねえよ」


 僕にとっての最も重要な事を“そんなこと”?

 本当に、最高にムカツク術士だ。


「ねぇねぇ! やあぁああ~っと、見つけたぁああねぇえ! ヴェルヴァイド、お嫁さん見つけたねぇええええ!」

「それが、なに? 君があの人のつがいになりたかったのかい?」


 僕がそう言うと、導師(イマーム)は釣り上がっていた眼を一気に下げた。


「うっひゃひゃひゃ~! ええぇええ~!? そんなわけないでしょ!? あひゃひゃひゃ! この世界にはぁああ、居なかったけどぉおおお! やあぁああっとぉおお、見つかったねぇえええ!」


 床を両足でばたばと踏み、左右の腕をぐるぐると回したかと思うと……前屈みになって、大声で笑い続ける。


「あひゃひゃひゃっ! あひゃひゃぁああああ! ヴェルヴァイドは、あの子に竜珠をあげちゃったんだよねぇえええ! あひゃひゃひゃっ……くっ……くくくっ」

 

 振り回していた手が、その動きを止めた。 

 両腕はだらりと垂れ下がり、前屈みのまま顔だけ上向く。

 耳まで裂けているのではと錯覚しそうなほど、両の口角が持ち上がっていた。



「私は待っていた。ずっと」



 鮫のような歯が剥き出しになったその口から出たのは、先程までの異様な口調でも甲高い声音でもない。

 それは性別も年齢も判らぬほど、嗄れた声だった。

 声そのものに年月による皺が刻み込まれ、枯れて乾ききっているような……。

 その声が、告げた。


 

「『とりい・りこ』からなら、私は奪える」



 僕は。

 僕等は、知る。

 導師(イマーム)は、僕等竜族だけの敵じゃないってことを。


「なっ!?」


 とりい・りこ。

 異界の娘。

 その存在は、この世界を支える脆い柱。

 彼女という支えを失ったら……!


「……くっ……くくくっ……あひゃひゃひゃぁあああ! あの異界人もぱぱっぱ~っと開いて(・・・)、ヴェルヴァイドの竜珠もらっちゃおぉおおおお~っと!!」

「っ!?」


 ああ、こいつが。

 導師(イマーム)が導くのは。


「そしたらぁあああさぁああ! ヴェルヴァイドは狂っちゃうだろうねぇええ!? あひゃっ、あひゃあひゃひゃひゃひゃぁあああああ!!」


 最強最凶の竜による。

 世界の終焉だ。


 

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