【幕間】天に哂い地に吼える・1
「うん、いってらっしゃいカイユ」
僕は携帯用電鏡を上着の内ポケットにしまい、染まる空を見上げた。
「ジリ、あの人にくっついて行っちゃったのか。ふふっ、頑張ったね。……赤の大陸か。最高速休憩無しで飛ぶだろうから、明後日早朝には着くね」
どのくらいそうしていたのか。
残光に彩られた空を飾るのは星々に変わっていた。
その瞬きが色を見ることの出来ない僕の目から入り込み、脳内で火薬の火花のように爆ぜる。
いっそ全てを破壊してくれればと願わずにはいられない、中途半端な痛みが心臓を撫でていく。
「カイユ、どこまで進んだかな? もうセヂオデ諸島は通過したのかなぁ……」
メリルーシェの支店の屋上に立つと、街が一望できる。
4階建ての支店は、この街ではひときわ目立つ高い建物だ。
王都でもあるここは建物の高さに厳しい制限が設けられているが、支店は<青の竜帝>の持ち物なので規制の対象外になっていた。
この建物がなぜ対象外なのか?
それは、王の力が<青の竜帝>に及ばぬから。
この街の人間達は支店を見上げるたび、<四竜帝>の前では人間の王など小さき存在であると思い知る。
「ずっと屋上に居たんですか? セレスティス、風が冷たくなってきましたから事務所に戻りませんか?」
「これくらいで寒いのかい? 年取ったねぇ、バイロイト」
閉店準備を終え屋上に来たバイロイトは僕の隣に立ち、柔らかな笑みを浮かべる。
その穏やかな微笑みは、つがいに先立たれる前の……人間との繁殖実験にのめり込む以前の、先代陛下の笑みに似ていた。
「……皇女の遺体を廃棄してくれ、か」
この国の国王は、娘の亡骸の引取りを望まなかった。
「国内で埋葬してやる気、無いんだね」
禁じられた魔薬を服用し、持って生まれた能力以上の術式を行使し死んだ第二皇女。
彼女は日干しにした蛙のような姿だったと聞いた。
……魔薬か。
先代陛下時代からの<青の竜騎士>である僕だけど、魔薬には詳しくない。
あれは黒の大陸で問題視されたものであって、青の大陸では出回っていなかったから。
「それは予想の範囲内です。彼女の仕出かした事は、この国を滅亡へ突き飛ばしたといって過言ではないのですから。あの王は、つがいの娘にちょっかいを出したペルドリヌを<監視者>が潰したことを知っていましたから、まぁ当然でしょうね」
「あぁ、その情報流したのは僕。ちなみに、あの術士を城内に入れてやったのも僕。笑えるよ、あいつ程度の実力で僕が“お掃除”してる帝都に潜入できるはずないのに、自分の技量に慢心して……まぁ、<監視者>の報復があの程度で済んじゃったのは誤算だったけどね」
「……セレスティス。あまり危険なことは……」
バイロイトの瞳にあるのは、非難ではなく哀しみ。
今の僕には薄い墨色に見えるその目は、藍色のはず……脳裏にはその色が鮮やかに浮かぶ。
「大丈夫だよ」
何がそんなに哀しいのか僕は知りたくないので、気が付かないふりをする。
他人の哀しみを受け取る優しさなど、僕は持っていない。
「ふふっ、教主も良かったんじゃない? どうせいつか死ぬんだ。だったら自ら崇める『神』の手で挽き肉なんて、とっ~ても光栄な死に方ができたんだ。僕に感謝してもいいぐらいだよね?」
ペルドリヌは狂信者共の作った国だった。
左手に世界の始まりを、右手に世界の終わりを持つという魔神を神としていた。
公にはなっていなかったけれど、その魔神の正体は<監視者>。
魔神だの監視者だの、魔王に<白金の悪魔に……ああ、童話に出てくる氷の魔物もか。
一人何役も押し付けられて、あの人も大変だよね。
まあ、本人がきちんと違うって否定しないで放っておくから、こうなっちゃったんだろうけど。
「でも、教主の頭部を陛下にお土産に持って帰ってくるなんて、驚いたよ。くくっ……あの人って本当に面白いよね」
神ではないと否定できる口があるくせに、言わなかった。
魔王ではないと黙らせる力を持っているくせに、使わなかった。
「面白い人だけど」
だから。
自業自得だけど。
「……可哀想な人、だよね」
「あ~あ。僕、今回の事で人間がますます嫌いになっちゃったよ」
僕は、人間が嫌いだ。
この『嫌い』という気持ちには、先も果ても無い。
それは積み重なり、溶けることなく僕の中に溜まっていく。
この想いに澱みはなく、澄んでいる。
澄み切った憎しみは先代陛下のくれた刀の刃のように、僕の胸の中で煌めき輝く。
「第二皇女は国賊扱いか。十代だった娘に<監視者>に足開いてたらしこめって命じたのは、父親である国王なのに。“女”になった皇女が<監視者>に恋することぐらい、分かってただろうにね」
<青の大陸>内での<監視者>の女関係を、青の竜帝は把握していなくてはならない。
<監視者>を巡って必要以上に人間達が争わないように、裏である程度管理する必要があるからだ。
各国において<監視者>の相手を務める女は道具であり、他国への牽制となる武器でもある。
それらの監視を担当している青の竜騎士プロンシェンが、異界から<監視者>のつがいが現れる数ヶ月前に得ていた情報は、吐き気がするようなおぞましいものだった。
「ふふっ、すごいよね。あの第二皇女にも<監視者>がそろそろ飽きる頃だろうって、彼女を嫁に出してまだ8才の末娘を『献上』しようとしてたんでしょう? 人間って生き物はなんて合理的で賢いんだろう! 賢すぎて虫唾が走るっ!!」
そう。
あの皇女は追い詰められていたんだ。
居場所を奪われ、不用品扱いされる自分に気づいていたんだろう。
だが、その女の心情を察することは恋を知らぬ陛下には出来なかった。
あの子が出来たのは、一文にもならないくだらない同情。
「確かにあの人、女なら何でも良いらしいけど。次がそれって……つまり、あの国王は8才の幼女を『女』扱いできる人種ってことだよね? しかも自分の娘!? ああ、ムカツクッ! 気持ち悪いっ!! あいつ、殺しちゃおうよ! ぱぱっ~とざくっと、僕が殺してきていいかなぁ? バイロイト」
僕は幼女を性欲の対称にする奴が、嫌いだ。
幼いミルミラを檻に入れ飼育し、傷つけ嬲った奴等と同じような人種が大嫌いだ。
「どんな殺し方がいいかな? 今なら妻を奪われた<監視者>の報復だって思われるから、殺したって問題視されないでしょう? 大丈夫! 僕だってばれないように、うまく始末してくるから」
「セレスティス、いい加減にしなさい。王の従兄弟であるクロムウェルの前ですよ?」
バイロイトのたしなめに、僕は視線を移した。
そういえば、いたんだっけ。
「へぇ~? 親戚なの?」
「はい、面識はありませんが」
<青の竜帝陛下>の契約術士クロムウェル。
竜体になった僕が足で掴んで、帝都からメリルーシェの支店に連れて来てやった。
「大丈夫だよ、バイロイト。これは気にしないさ」
「セレスティス! 貴方はもう少し周りを気……クロムウェル?」
気障なダークカラーのストライプのスーツを着こなしているバイロイトの肩を、黒いシャツの袖を肘まで折り返している武人の手が軽く叩く。
黒や灰色は、この目でも比較的分かりやすい。
僕は明度で過去の記憶と結び、その色を推測する。
「支店長、その通りです。政略結婚で嫁いだ叔母が生んだという認識しかありませんから、全く気になりません。お好きにどうぞ、セレスティス殿」
そう言うながら、僕へと歩み寄る。
「僕にこれ以上近寄らないでくれる? 変態が感染ったら嫌だ」
彫りの深い顔立ちに、意思の強さを感じる太い眉。
髪を短く刈り上げているせいか、太い首に巻いた包帯が余計に目立った。
僕が適当に掴んで帝都から持ってきたから身体のあちこちを傷めたが、いつものことなのでこの男は文句一つ言わなかった。
アンデヴァリッド帝国の将軍の地位をあっけないほど簡単に捨て、<青の竜帝>の契約術士になった男。
美しい<青の竜帝>に恋した、憐れなほど幸せな男。
「変態は感染りません。……やはり親子ですね。セレスティス殿はカイユ殿と同じように仰る」
白髪の混じった髪が、この男の恋した期間を表していた。
陛下は出会った時と変わらず美しく、この男が土に還った後もその美しさは色褪せることはない。
先に逝くことが許されているこの男にとって、陛下は『永遠』の存在。
「うん」
僕がクロムウェルを嫌うのは。
その根っこは変態だからでも、人間だからでもなく。
「親子だからかな?」
僕もカイユも。
「似なくていいとこまで、“同じ”になっちゃったんだよね……」
クロムウェル。
僕達親子は。
君を。
先に逝ける君を。
羨んでいるのかもしれない。