第13話
こんもりした布の山。
『申し訳ございません、トリィ様。お声をかけても反応なさらず、その……』
カイユさんが私に困惑した顔を向けて言った。
『取りあえず、外套だけかけさせていただきましたが。その』
『つまりマッパで四つんばいってことだろ、外套の下の旦那は』
マッパで四つんばい。
実も蓋も無いっていうか、容赦ないですねダルフェさん。
頭から四肢の先まで外套に隠れて顔も全く見えない。
でも髪の毛らしきものが地面に少し流れ出ている。
うわ~白いよ!
白髪?
良く見ると白髪とは違って艶やかで光沢があり、まるで真珠で出来てるみたい。
真珠。
ハクちゃんの鱗と同じ色。
軽くウェーブがかかった髪は推測するに、かなり長いのでは?
外套から出るくらいだし。
「ハ、ハクちゃんなの?」
布の山が微かに動く。
やっぱり、そうなんだ。
どうしよう?
なんて言ったら……。
私、ひどいこと言ったよね。
「その。あのっ! 私はハクちゃんと……ハクちゃんが」
『言葉がわからぬ。人型は念話能力が使えん』
ひょぇ!
喋ったよ、ハクちゃんが!
声……初めて聞いたハクちゃんの声。
深くて重くて、響く声だ。
ん?
言葉が分からないって言いましたか?
『言葉だけではない。我はりこの事が何も分からぬ』
ハクちゃん?
『りこを喜ばせたいのに、守りたいのに。幸せにしたいのに』
ハクちゃん……。
『我の【力】はりこを泣かせるのか? 我の存在がりこの幸せを奪うのか?』
ハクちゃん、ごめん。
『我はりこを苦しめ……不幸にするのか』
『ち、違う! ハクちゃん、そうじゃない!』
私はハクちゃんを両腕で強く抱きしめた。
念話が通じないなら身体で表せばいい!
放したくない、離れたくないって!
『ごめ、なさい。そば、いたいの。‘つがい‘やめない』
ごめんなさい。
ハクちゃん。
ごめんなさい。
この世界の人達。
皆が不幸になるかもしれない。
でも。
『ハクちゃんは私の‘つがい‘。伴侶。大切な、たった一人の……』
『蹴ったではないか』
へっ……?
『りこは本気で蹴った。それほど我が疎ましくなったのだろう?』
蹴った?
そういえば、そんな気も……。
『人型の我は‘かわゆく‘ない。りこの好む鱗も無い』
は?
『容姿とてイケメン王子とは全く似ていない。りこに好意を持たせる要素が皆無だ』
容姿って顔?
私の好みはイケメンじゃなくて、釣り馬鹿日誌のハマちゃんですよ。
どっちかというと整った顔は苦手。
『ね、私はハクちゃんがイケメンじゃ無くたってかまわないよ? 鱗だって……』
人型で鱗があったら半魚人だよ。
逆に怖いしさ。
しかし……うじうじだね。
でかい男が、うじうじと!
さすがにイラッときちゃいますよ。
『しかし。しかし、りこが……』
があー!
まったく、この子(?)は!
「まだ言うか! 私が悪かったって言っってんでしょうが! このいじけ虫めっ!」
思わず日本語で言ってしまったけど。
「顔なんか、どうでもいい! んなに言うなら見せてみろってのよ!」
私は頭部と思われる場所を探り当て、乱暴に外套をずらした。
『りっ、りこ! やめっ』
「ふぉぇ?……ひっ!」
なに、これ?
なんなの、これ!
あまりにびっくりした私は地面に座りこんでしまった。
大急ぎで視線をハクちゃんから逸らす。
し……心臓に悪いよ。
これは。
直視出来ない。
無理。
無理です!
『おい。姫さん? ……やっぱり異界人から見ても、旦那の顔って凄いのか?』
手、布から離れない。
指が固まって、動かせない。
『ダ、ダルフェ! わた、わた、わたし! は、はなせなっ。ゆ、指』
ダルフェさん、助けて。
ヘルプ・ミーです!
『‘傾国の美貌‘は異界人にも通用するようですねぇ。良かったですね、旦那』
ダルフェさんの馬鹿!
前もって教えてくれたら心の準備が……。
私は精一杯の恨みがましい視線でダルフェさんを睨んだ。
『そんな眼で見なさんな。異界人の美醜基準が俺には分からなかったからなぁ』
にやにやしながら言う。
確信犯だ、こいつ!
絶対、おもしろがってるよ!
『り、りこ? 怒ってるのか? やはり小竜の我が良いのだな』
あ。
あまりの衝撃に忘れてた。
いじけモード真っ最中だったんだ。
でも。
直視できない‘これ‘は……。
『見るのも嫌か。人間は皆、我のこの姿を眼にすると顔を伏せるな』
そりゃ~、まぁ。
そうだろうね。
この顔は駄目だよ。
はっきりいって怖い。
すごく怖い。
無表情なのだ。
あるはずのものが無い。
いじけたことばかり言ってるのに眉1つ動かない。
精巧に作られた彫像のように。
真珠のような長い髪に縁取られた、白皙の美貌。
切れ長の眼は人間にはありえない黄金で。
完璧すぎて、冷たい印象しかない。
冷酷な美。
人間らしさやあたたかみの全く無い……。
これ、が……生きて動く?
『私……私は』
ハクちゃんに視線を戻した。
かなり頑張って。
気を抜くと視線を脇へ逃がしてしまう。
『ダルフェは我の容姿が人間に好かれるものだと言う。だが、我はそうは思えない。昔、我のこの姿を‘化け物‘と罵った者もいる。‘悪魔‘と叫んだ者もいる』
化け物。
悪魔。
『りこの前では二度と人型にならぬと誓うから。一度だけ』
外套の間から白く長い腕が現れ、私にむかって伸ばされた。
『もう一度だけ、抱きしめさせてくれ。小竜の我では不可能だから』
ハクちゃん。
ハクちゃん!
私……!
『駄目に決まってんじゃないですか。姫さんを壊す気ですか?』
ダルフェさんが私をひょいっと持ち上げ、カイユさんにパスした。
カイユさんは軽々とお姫様抱っこ(うお! 初体験です)して微笑んだ。
『危ないところでしたわ。今回はあの無能夫も上出来です』
え?
なに?
今、人生初のラブシーンぽかったんですが!
『ダルフェ! 貴様……』
ハクちゃんがゆらりと立ち上がった。
外套を羽織ったハクちゃんはかなりの長身で、ダルフェさんより大きい。
軽く2mを越えてるよ!
なんだってこっちの人はこうなの。
ますます私が小さいのが、目立っちゃう!
156cmはね、ヒールを履けば高すぎず低すぎずの女としてはなかなか使える身長なんだぞ!
日本人男性のコンプレックスを刺激しない、ナイスサイズなのに!
『旦那、自分の握力制御がド下手くそでしょ? ラパンの実みたいに姫さんを潰したらどうすんですか。抱きしめたりしたら壊れて死んじまう』
なっ。
『先ほどは壊さなかったぞ。きっと上手くでき……』
『黙れボケ。ビギナーズラックじゃ!』
カイユさんが私を抱っこしたまましみじみ言った。
『本当に良かった。あのままヴェルヴァイド様に抱きしめられてトリィ様にもしものことがあったら……世界が終わるところでしたわ。貴女様が死んだりしたらあの方は狂ってしまう。世界を滅ぼしてしまわれるでしょう』
死ねない。
私、死ねない!
『さ、トリィ様。いろんな事があってお疲れでしょう? カイユとお昼寝いたしましょうね。竜帝陛下が到着するまで2時間程ありますから』
『はい。カイユ』
幼児かいって思いつつも、うなずいてしまった。
だって、疲れたよ。
身体も心もへろへろです。
『りこ!』
りこはカイユに抱かれたまま去っていった。
おのれ、カイユ。
我だってりこをあのように運んでみたい!
『ハニーを睨むのは止めてくださいよ。さっさと服着て俺らも休憩しましょう。馬鹿馬鹿しい痴話喧嘩につきあわされて俺の硝子の心臓が砕けそうですよ、まったく』
なにが硝子だ。
だいたいお前が……。
『人型の旦那は念話が使えんのでしょう? 言いたいことがあるなら口を使ってくださいよ。そんな凶悪な眼で睨まんで喋って下さい』
『……』
『だんまりですか。姫さんにはぺらぺら喋ってたじゃないですか。やればできるんでしょうが』
我は術式を使い衣類を身につけ、りこの気配を探った。
ふむ。寝室……ではないな。
あぁ、あそこか。
デルの大木。
りこはその木陰が気に入りのようだったな。
『姫さんがいないと旦那は以前のままですね。綺麗な面だが死人みてぇに無表情。他人に全く関心のない【美しき氷の帝王】。情など持たない【冷酷なる魔王】。人間共はうまいこと言いますよねぇ』
りこ。
りこ。
一度だけでいい。
『見た目は以前のままですが旦那が‘変わった‘のは俺には分かってます』
りこ。
りこ。
りこ。
もう一度。
『だから泣かんで下さいよ』
りこに触れたい。
『俺が必ず旦那を姫さんの‘夫‘にしてみせます。旦那が赤の竜帝の大陸から俺を連れ出してくれたから‘つがい‘に出会えた。……俺に幸せを与えてくれたのは、ヴェルヴァイド様です』
りこ。
我の愛しい女。
『貴方に永遠の忠誠を。竜帝陛下を裏切ることになろうとも』
りこ。
我を拒むな。
りこ。
お前に捨てられたら、我は狂うだろう。
りこ。
狂った我はお前を喰らってしまうだろう。
りこ。
我を離すな。
生き延びるために。