第103話
重苦しい空気の漂う真っ暗な電鏡の間に、場違いな声が響いた。
「会いたかったよぉおお、ダッく~んっ!!」
「……ぶぼっ!?」
両手で口を覆い、四竜帝だけでなく愛するハニーの前で無様な様を晒すのを回避した。
俺が噴出す事態が回避されても、目の前のそれは既に回避不可能。
俺が到着する前に青の竜帝陛下を始め他の竜帝達、そしてカイユにも既に見られてしまった状況だからなぁ~。
うん。
ジリギエを連れて来なくて、正解だった。
「ダッ君、ダッ君!」
<赤の竜帝>を映すはずの電鏡には、あるべき姿は見当たらず。
そこの居るのは禁句指定したい“ダッ君”を連呼する、ミルクチョコレートのような目を細めて手を振る人物……あれを人物と言っていいのか!?
両手を左右に動かしているその手は“手”とは言い難い形状をしていた。
翼、いや翼になる前のその独特の形……。
「……父さん」
俺の父親エルゲリスト。
親父は黄色かった。
”ふわふわ”でも“もこもこ”。
そして“ぽてっ”としていた。
ひよこ男。
それは思っていた通り、俺の父親だった。
「ダッ君! パパに会えて嬉しいでしょ!? パパはダッ君に会えてとっても嬉しいよ!」
「え~あ~、まぁ、うん。会えたのは良いんだけどね、嬉しいっちゃ嬉しいんだけどさ……」
黄色いひよこの着ぐるみは、異様にでかい頭部の前の部分が一部くり貫いてあり、そこから喜色満面のいわゆる“どやがお”の中年親父の顔。
「…………」
「…………」
<黒の竜帝>と<黄の竜帝>の視線が俺に突き刺さるのを感じた。
ふと横を見ると、俺を呼び出した陛下の目にひよこ男が映っていた。
宝石のようなに青い瞳の中央に、阿呆なひよこ男が存在するなど許されない気がした。
こんなところを親友の忘れ形見として陛下を大事にしている舅殿に見られたら……「婿殿、父親の責任とって君が腹を斬りなさいね」と、あの王子様的笑顔で言うに違いない。
「あ~……陛下、そんなにまじまじと見ないでやってください。受けてるって、勘違いしますから」
「え? あ、うん。分かった。え~っと、俺的には大丈夫。<黒>と<黄>は?」
基本的に。
四竜帝以外がこの大陸間通話用の大型電鏡を使うことは、禁止されている。
まぁ、竜帝同伴なら可っていうゆる~い決まりがあるんだが、満面の笑顔で手を振る中年親父の隣には<赤の竜帝>の姿は見当たらない。
<赤の竜帝>、俺の知る母親らしからぬ失態だった。
「規則違反をし、申し訳ありません」
深々と頭を下げ、謝罪した。
「……いや。ここでお前に謝られると困る」
「まぁ、うん。あんたも大変よね~、“ダッ君”」
黒い竜と黄色い竜が、それぞれの電鏡の中で同時に言った。
ああ、さっきの視線は同情だったわけですか……ある意味、軽蔑よりきついかなぁ。
ま、親父が懲罰くらうことにならなくて良かった。
「父さん、その格好なんなんだよっ!?」
親父は左足を軸にしてくるっと回転してから、言った。
「あ、これ? ひよこ亭開店100周年記念に、ママがパパに作ってくれたの! すごく格好良いでしょう?」
格好良い?
そのひよこの着ぐるみ姿のどこら辺が格好良いのか?
息子である俺にも、さっぱり分からない。
「そ、そっかぁ? うん、まぁ……それよりも母さ……赤の竜帝陛下はどうしたんだよ?」
「ママ、じゃなくて陛下は最初はここに居たんだけど。さっき、竜騎士のミッ君が呼びにきて……2人で走って出て行っちゃったんだよ」
言いながら、親父はずぼっとひよこの頭部を外し床へと置いた。
現れたのは瞳と同じミルクチョコレートのような柔らかな色の髪。
耳の下で切り揃えられたその髪、きりっとした眉。
切れ長の目に薄い唇。
フライパンより万年筆、たまねぎの皮を剥くより書類をめくるほうが似合うような顔だが、首から下は黄色いひよこの着ぐるみ。
顔の作りが整っているだけに、なんかこう……うん、まぁ仕方ないか。
「そっか、竜騎士が呼びにねぇ……あのなぁ、父さん。大陸間通話用の大型電鏡を使う時は、余計な情報が入り込まないように部屋を暗くするんだって知ってるか?」
竜騎士が……そりゃ、緊急事態だな。
何があったんだ?
ミッ君ってのは、多分クルシェーミカのことだな。
<赤の竜騎士>って、今はあいつが団長やってるんはず……。
「え? そうなの? パパ、知らなかった! 良く見えるように、マ……陛下が出て行ってから、パパが勝手に灯りをつけちゃったんだよ。ご、ごめんねダッ君」
親父は竜帝である母さんや竜騎士である俺と比べると、視力が劣るからなぁ。
「いいよ、まぁ……大丈夫」
大陸間電鏡の仕様規約を知っている<赤の竜帝>が、自分のつがいが懲罰くらうかもしれねぇってのに置いていった。
その原因と理由は<赤の竜帝>が戻ってきた後に、親父を退出させてから訊くか……。
<赤の竜騎士>の現団長がなぜ<赤の竜帝>を呼びに来たのか、親父が<赤の竜帝>に訊く権利は無く、本人も訊くべきじゃないことを理解している……昔から、父さんはそうだった。
<赤の竜帝>のつがいだが政治的な事には一切関わらず、『ひよこ亭』の店主として働いている。
姫さんにも言ったが、俺の父親は本当にただの食堂の親父だ。
俺とは違う。
このエルゲリストは俺の母親ブランジェーヌにとって、夫である前に一族の一人として『守るべき者』だ。
「ダッ君、ごめんね、ごめん! パパ、またダッ君と陛下に迷惑をかけちゃったよね?」
「父さんが迷惑なんてかけたこと無いよ。そういう事言ってると、また“お仕置き”されるぜ?」
<赤の竜騎士>だった俺が何をしていたか、親父は知らない。
普通の竜族だ。
「でもっ、僕っ」
「いいんだよ、父さんはそのままで」
父さんは、そのままで。
ただの親父でいて欲しい。
「……そう。君も“陛下”と同じこと言うようになったんだね」
その言葉はどこか寂しげな笑顔ともに、俺の中で溶けて染み入る。
「父さん……」
<赤の竜帝>であるブランジェーヌ。
竜騎士であり、<色持ち>である俺。
目に見えぬ線をひいたその愛情が、正しいのかどうか俺には分からない。
ミルクチョコレートの瞳が、俺と母さんを責めるような色を帯びたことは無い。
隠し切れない寂しさを、愛しむ心を混ぜて温かなものへと変えて。
「うん、ダッ君。それでいいんだと思うよ」
その目舐めたなら。
きっと、甘くて優しい味がするだろう。
「父さん。赤の陛下が連絡してきたのは、その着ぐるみ姿を見せたかったわけじゃないんだろう?」
俺は後方に立つ陛下とカイユの視線を背に感じつつ、親父に訊いた。
陛下はともかく、突き刺さるようなカイユの視線が俺の背骨にぐさぐさと食い込む。
いつもだったら俺と親父のやりとりをあたたかく見守ってくれるんだが、心に余裕の無い今のカイユにとっては、この能天気親父は苛付くことこの上ないだろう。
ひよこ好きな親父は脳内で万年タンポポが咲いているような性格が美点でもあり、欠点でもある。
「あ、うん! 僕のお店の常連さんが教えてくれたことを、ダッ君に伝えたかったんだ。あのね、西域のバザールで竜族の衣装が売られているのを見たんだって!」
「西域で、竜族の?」
赤の大陸の西域は砂漠地帯や乾燥しやせた土地が多く、竜族が好まない環境だから定住している赤の一族はいない。
竜族相手の商品じゃねぇな……人間の古着商が、たまたま手に入れたんだろう。
「うん。もしかしてトリィさんのじゃないかな? その人は帝都を離れて旅行中だったから、<監視者>のつがいが行方不明で竜族総出で探してるってことを知らなかったんだ。だから降りてまで確認しなかったんだって。帰宅後にお孫さんから聞いて、大慌てで僕のところに来たんだよ!」
ひよこ亭のエルゲリストが<赤の竜帝>のつがいだってことは、周知の事実。
この親父に言っておけば、必ず<赤の竜帝>に伝わるからな……。
鼻息荒く一気に喋った首から下はひよこな中年男に、カイユが陛下の側から俺の隣に移動して冷静に答えた。
「お言葉ですが。義理父上様、竜族の手放した衣装が地方で売られているのは珍しいことではありません。素材が良いので仕立て直し、人間用に販売することを目的とした業者が青の陛下の帝都にも買取用店舗を構えているほどですから」
カイユの言う通りだった。
つがいの雌が望まなくても、次々と服や宝飾品を妻に贈る雄が竜族には多い。
年にたった2着新調しただけでも、100年で200着だ。
竜族は長寿だから、総合計するととんでもない数になる。
さすがにそれらを全てを各家庭で収納・保管できないから古い物や飽きた物を手放すのが普通だ。
だから、辺境のバザールで竜族の衣装が売られていたからそこら近辺に姫さんが転移したなんてことは……。
「それがね~、聞いてよカイユちゃん! 通り過ぎる一瞬しか見えなかったけど、まるで“海の欠けらのように青かった”ったんだって!!」
「っ!?」
その言葉に、カイユが硬直した。
「父さん! どうして一番最初にそれを言わないんだよ!?」
あの日、あの時。
姫さんが着ていたのは――。
「……あ……あの子に着せてあげた……んです。私がっ、陛下が下さったドレスを……私がこの手でっ」
カイユの声は、震えていた。
震えてるのは声だけじゃない。
「そ……それは……青……<青の竜帝陛下>の『青』で……す」
歯が音を立てるほど、その顎が震え。
空色の瞳が小刻みに揺れ、溢れ出した涙が床で弾けた。